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9月の1回目の帰省 1日目 認知症の進んだ父

実家に着いてすぐ、実家に来ていた妹と一緒に母のいるグループホームへ行く。
(私は、母が入所してから初めて訪ねた。)
私の顔を見ると『あぁ、来たの』という表情をするが、別に嬉しそうな様子はない。
母の言うことは9割はおかしいが、表情は暗くない。

母「ここは、ご飯も美味しいし、今日は、お風呂も入って気持ちよかったよ。」
母「ねぇ、○○(兄)の顔、変わったと思わない?あんな顔じゃなかったのにねぇ」
(母は、施設長を兄だとずっと信じているのだと妹から説明される。)

ここがどこなのか、なぜ自分がここにいるのか、まったくわかっていない。
最初の3日間は、「家に帰る!」と泣いて怒って手がつけられなかったというが、今は、泣くことも怒ることも恨み言を言うこともないという。ほっとする。同時に哀しい。

施設長と父(認知症が疑われる。)のことについて話をする。
父が、母を連れて外出する際には、必ず父の外出届けと施設から妹への連絡をすることを約束。
「外出中に事故が起こった場合、どうしても責任問題になりますのでね」

妹は、明日から再就職(フルタイム)なので、今日は、役所の障害者福祉課に行き兄のショートステイを伸ばす手続き、実家の介護ベッドの返却、明日の母の整形外科受診をヘルパーに依頼(新規契約して初めての依頼)、デイサービスの支払い等目一杯動いてくれていた。
妹「少しでも○○ちゃん(私)の負担を減らそうと思って」

実家に戻り、冷蔵庫の中を見て立ち尽くす。
6日前のままだ。私が作った料理の残り、妹が買って来たケーキの残り、野菜もそのまま古くなっていた。
ベシャとした魚の天ぷら6匹が加わっただけだ。

父は、先週よりも落ち着いていた。介護から解放されてゆとりが出たのだろうか。
しかし物忘れは、さらにひどくなり、私が「○時頃帰る」と電話した事自体を忘れている。

介護ベッドの消えた居間は、ガランとしている。
あの混乱の日々がもう何ヶ月も何年も昔のことのような気がする。
たった6日前までのことだというのに・・。

夜になって父がハーゲンダッツ半ダースとペットボトルのコーヒー2本等を買って来る。
私「百円アイスしか買わないお父さんが、よくこんな高いアイス買ってきたね」
父「これ、高いのか?百円じゃないのか?」レシートを見て驚いている。
私「お父さんもお兄ちゃんもコーヒー、全然飲まないのに、どうして?」
父「これ、コーヒーか?」
じゃあ何だと思って買ってきたの・・という言葉は、恐くて口に出せなかった。

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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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