母の涙の記憶

<これは、先日の「母の記事」への追記です。>

母の涙を見ていたとき、古い記憶が、よみがえりました。

私が、高校に入学した頃に読んで感動し、母に読んで聞かせた本の一節があります。
山崎朋子著「サンダカン八番娼館」(1975年)という本です。
幼くして娼婦としてマレーシアに売られ、過酷な人生を送った女性を描いています。
(大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、後に優れた映画にもなりました。)

私が、母に読んだのは、その女性が、著者(山崎朋子)に語った言葉でした。


  「—けどな、おまえ、人にはその人その人の都合ちゅうもんがある。
 
   話して良かことなら、わざわざ訊かんでも自分から話しとるじゃろうし、
  
   当人が話さんのは、話せんわけがあるからじゃ。

   おまえが何も話さんものを、どうして、他人のうちが訊いてよかもんかね」

               (文春文庫 P.242「さらば天草」の章から)


「良い言葉だね」と笑って言ってくれるとばかり思っていたのですが、母の反応は、違いました。母は、口をぎゅっと結び、目を真っ赤にして聞いていたのでした。
それは、母という人、母の人生に、触れたと感じた瞬間でした。


P1010961_2_convert_20130226163744.jpg
スノーポール
公園の花壇の花が、みんな一斉に朝日を向いていました。
公園の西側の道から見ると、みんなこんな風に輝いていました。
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No title

私も、涙が溢れました。

kimiさん

コメントを書いて下さってありがとうございます。

認知症とは直接関係ないことですし、書こうか、書くまいか、迷ったのですが、書いて良かったと思えました。

この本は、私にとっては、大切な本の1つです。
今は、焦げ茶色に変色してしまっていますが、何十年も経った今、またいきたことがうれしいです。

No title

「サンダカン…」は映画が印象深く記憶に残っています。
栗原小巻さんが取材して、ジャングルの中でからゆきさん達の墓を見つけるラストシーンは今でも覚えています。日本に帰りたかったに違いないと思っていたのに、日本に背を向けていた墓石。からゆきさんのやむにやまれぬ事情や、誇りを持った娼婦魂というのが、まだ若かった私には衝撃であったものの、女として共感しました。

この言葉は素性を隠して取材している栗原小巻に元からゆきさんの老婆(田中絹江さん?)が言う台詞ですよね。息子にも疎まれて独りぼっちの老婆が、一時でも一緒に暮らしてくれる見ず知らずの他人のことを大切にしている様子に、映画だと分かっていても泣いてしまいました。

入院や施設入所の際、どんな仕事をしていたか、どういう生い立ちだったかとアセスメントがあるのは、その人の人生全てを包み込むケアが必要だからなのかも知れませんね。 

No title

*映画、よく覚えてますねぇ!
そうです。取材のために来ていることをずっと隠していたライターに言う台詞です。

*母が、グループホームに入る時も特別養護老人ホームに入る時も私は本当に細かく生い立ちから長時間話したのですが、(本人は話せる状態ではなかったです。)その情報は、どこまで利用(共有)されているのかなと思う時はあります。

私も実際に特養で働いていた時は、あまりにも忙しくて、時間に追われて、そうした記録を読む時間がありませんでした。
読むなら休日にでも行くしかない(もちろん無給で。)感じでしたが、それも何となく邪魔なようで気が引けました。

*ある施設では、本人から色々な昔話を聞き出し、それを一冊の冊子にまとめて差し上げるということをしているとテレビで見たことがあります。
話すことで元気に明るくなり、それが形になることでご本人も家族もとても喜ぶと言っていました。

全国全ての施設でやって欲しいと思う素晴らしい活動ですが、とても時間がないと思います。
そういう活動をするボランティアが広がるといいと思ったのですが・・。

*昔、ある人が、「話せるようになったということは、もうその”傷”からは、立ち直ったということ」と言いました。
たしかに傷から血が流れ続けている間は、痛くて触れられないです。

自分から人に話せたということは、例えその傷が、どれほど深くて大きなものであっても、新しい皮膚に覆われたと、再生したのだと、自分を祝福していいことなんだなと思いました。

再生したから話せたのか、話すことで再生するのか、相乗効果なのか、よくわかりませんが、「話す」ということは、本当に大切な、そして必要な行為ですね。

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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