認知症の人と接するということ

(認知症の人とどうコミュニケーションをとれば良いのかわからないという方へ)

母が人と接している姿を見ているとおもしろいことがわかる。

穏やかに微笑む父の横にいる母は、幸せそうに微笑んでいる。
イライラし、逃げ腰になっている父の横の母は、眉間にしわを寄せ、攻撃的だ。
「しょうがないだろ!お母さんの機嫌が悪いんだから!」と父は言う。


愛情を持って接して下さる職員に、母が嫌な顔をするのを見たことがない。
家族にも見せない健康な頃の笑顔を見せ、盛んに冗談を言い、丁寧に労(ねぎら)う。

表情なく世話する職員には、表情のないまま「ありがとう」とだけ言う。

母のトンチンカンな反応が好きな職員には、トンチンカンなことしか言わない。

健康な人間は、本音を隠して生きている。
相手の本音もわからなければ、自分の本音が自分でわからなくなることもある。
けれども今の母を見ていると、まるで鏡を見るようだ。

「○○さん、この前、”上を向いて歩こう”、教えてくれたね。この歌、好き?」
「好きっていうか・・元気が出るの。この歌を歌うと・・。あなたも元気を出したい時は
 歌うといいよ。元気が出るからね」

オムツを代えてもらいながら、そんな会話をしているのを聞いたことがある。
敬意を持って接すれば、尊敬に値する姿が、鏡の中に現われる。

何度も書いているが、母は、認知症になってから人の心の中を見抜く力が強くなった。
優しげに笑って見せようと、優しげなことを言おうと、母はそのウソを瞬時に見抜く。
母をごまかすことはできない。
常に幻視も妄想もあり、訳の分からないことを言うことの多い母だが、人に関しては、母は、何もかもわかっているとしか私には思えない。

<関連記事>
*「認知症の方本人は、どう接して欲しいと願っているのか
*「認知症のわたし(朝日新聞連載記事)
*「NHKある夫婦の記録「隠したって何もないもん」
*「長谷川和夫氏の講演—その人らしさを大切にするケア—

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花水木(ハナミズキ)




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No title

今まさに私の母に対して同じ事を感じています。

幻視や妄想に頭の中は支配されているのに、周囲の人間の心を冷静に見抜くのです。
神経が研ぎ澄まされています。
言葉・態度などに敏感に反応し、人一倍傷ついているようなのです。

くろまめさん

はじめまして、くろまめさん。コメント、ありがとうございます!

お母様もレビー小体型認知症でしょうか。
やはり「同じ」だと感じていらっしゃるんですね。
「何もわからない」と思って接する人の言動に傷付くということ、とてもよくわかります。

しかし認知症の方が、周囲の人の心を見抜き、何もかもわかり、人一倍傷付いているといった内容の文章を、私は、今までほとんど目にしたことがありません。

『なぜだろう?』とずっと思ってきました。
レビー小体型認知症は、他の認知症とは違うということなのか、家族にしかわからないことなのか、私には、まだわかりません。

より多くの方々のご体験やご意見を伺えたら大変嬉しいです。



認知症の方でも心は生きている!

認知症の方が、「周囲の人を映す鏡だ」と言うことは、昔から言われています。
でも認知症の方を、ここまで理解している専門家は多くはありません。
私は、自然体で接することが大事だと思っています。
レビーの方には、話し方に神経を配る必要を感じています。

ある介護の専門家は、「嘘をついてはいけない」と言って実践しています。

No title

「妄想」に関しては、こころのケアがかなり影響しているように思えます。

嘘(記憶を否定する)をつかれたり、無視(頼みを聞き流す)されたり、言葉の暴力(身体の個性を指摘する)を受ける事で、心乱され(我々でも同じです)、『認知症と思われているから。(そういう対応を)されるんだ。』と吐露していました。

自分の居場所に不満・危険を感じるようになり、妄想から食事・薬の拒否などが起こりました。
すると、ケアに困ることにもなり、薬の処方が増える方向で解消が図られるという悪循環に陥るのではないかと思えてなりません。

自宅以外でのより良いケアを望むのは難しいです。

hokehoke先生 くろまめさん

hokehoke先生
コメントありがとうございます。
「鏡説」は、やはり昔からあったんですね。

母は、時々哲学的なことやとても思慮深いことを話すのですが、短時間しか接することのない場合、そんな言葉を聞く機会はおそらくなく、医師や介護職員には「何もわからない人」にしか見えていないのかも知れないと思うことがあります。

レビー小体型認知症の場合は、記憶がありますから、ウソを言えばしっかり覚えていますね。
無視されたこと、いい加減な返事をされたこと、見下されたこと、いじめられたこと、何でもよく覚えていて話してくれます。
もちろん妄想もありますから、どこまでが本当でどこからが妄想なのかの線引きは難しいのですが。

くろまめさん
母を通した経験からですと、入院中の病院(母は圧迫骨折の手術入院)でのケアは、最悪でした。
「認知症患者=手のかかる厄介者」で、(確かに母はせん妄でひどい状態だったのですが)ケアは、「拘束や薬で押さえ込む」が中心だったと私は感じています。

グループホームに入った時は、なんて優しく人間的に扱って下さるのだろうと涙が出ました。
今は、規模の大きい特別養護老人ホームに居るので職員の方も多く、当然ながら色々な方がいらっしゃいますが、多くの方は、良いケアを目指して日々一生懸命頑張って下さっています。

ですから非人間的に扱われていると感じたのは、病院だけで、介護の現場では、母は、良いケアをされていると思っています。

もしケアに問題があれば、その施設と良好で建設的な話し合いをするべきだと思います。(一方的に非難したり、クレームをつけるのではなく。)
良い施設は、常に改善を目指していますから、積極的に聞こうという姿勢もそうした窓口もありますし、親身に相談にのってくれます。

ケアの向上を目指して、私たち家族自身も時間とエネルギーを使い、諦めずに、話し合いの努力をし続けることが必要だと私は思います。

No title

特養といっても一様ではなく、色彩は色々ではないかと思います。

特養のスタッフが、重労働な介護の仕事を 敏速に余裕なく 黙々とこなす日々を 私自身も実際目の当たりにしています。

彼らが、重なるストレスから精神のバランスを取り、腰痛にも耐え頑張られている姿には、頭が下がる思いです。
とても感謝もしています。

根底に介護人材不足がなければ・・・・・
一人ひとりの入所者に割り当てられる時間も増え、個々の個性に合わせて母にはこのような対応・ケアをして下さいとお願いしやすいのですが、現実的には厳しいでしょう。

『お願い』が『我がまま・クレーム』と受け取られ、ギクシャクするのを恐れて 怯んでしまい 建設的な話し合いまで持って行けていないのが 恥ずかしながら私の努力不足、正直なところです。

何より、母自身が、それを一番危惧していること、それが躊躇う大要因です。

このままでは、何も解決しないとは解っているのです。

死と隣り合わせの過酷な介護の現場です。

ケアマネは、『プロ・仕事ですから、困っている事は言ってくれた方がいいですよ。私はそうして欲しい思います。』と背中を押してくれますが。。。。。

考えあぐね、こころが痛いです。
本当は、愚痴で終わらせないように タイミングを見つけたいです。
 

特養へのお願い

「特養(特別養護老人ホーム)と言っても色々」。
まったくその通りです。
以前記事に書いた「オムツゼロ、パワーリハビリをする」特養もあります。http://nonohana7.blog134.fc2.com/blog-entry-241.html

でも私は、日本中のどんな特養にも必ず素晴らしい職員は居ると(経験から)信じていますよ。

さて、「”こうして欲しい”ということを言えない」。
私もです。ほとんどすべての人がそうだと思います。

例えば「毎回ポータブルトイレを使って下さい」とは言えません。
食後の忙しい時間に、母のために2人が付きっ切りにならなければいけませんから。
でも「この間、ポータブルトイレを使わせて頂いて、母は、とても喜んでいました」と言うことはできます。

お願いして良いことと悪いことはあると思います。
「そこまで望むなら費用も安価な特養ではなく月百万位の施設へ」というのは本当だと思います。

特養でカバーできない部分は、家族がすることも必要だと思います。
特養も家族もカバーできない部分は、苦しいけれども目をつぶるしかないところがあります。

それが嫌ならば自宅で自分が介護をする。
それができないなら介護をお願いして多くの部分に目をつぶる。
どちらを選択するかだと思います。
しかし実際には、多くの方が、どちらも選択できずに苦しまれているのですが・・。

私は、特養にお願いした方が良いと判断したことは、お願いしています。
でもあまり信頼関係ができていない方にいきなり言うと、やはりクレームと取られる可能性は高いです。

一番良いのは、何人かのスタッフと親しくなり、信頼関係を築くことだろうと思います。
そういう関係になれば、気楽に色々相談できるようにもなりますし、変な誤解をされることもなく、上手くいきます。

思い付くままに勝手に色々書きましたが、気にさわったらすみません。

私も常に色々悩んでいるんです。
信頼関係も中々築けません。
ただ自分が精神的に参ってしまってはおしまいなので、「人生、思う通りにいくことなんて何もない」「完璧にできることなんて何もない」と
おまじないのように日々唱えているんです。









プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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