若年認知症 ある夫婦の記録(2)(Eテレ)

(1)からの続き。NHKの「ハートネットTV」の放送から(→公式サイト

4年前、京子さんは、がんを患い、手術をしたが再発。痛みも強くなり、夫婦の強い希望だった自宅介護を諦めざるをえなくなった。
康雄さんは、グループホームに。進行し、言葉による意思疎通が難しくなっている。

京子さんは、自ら病気になって「病気を隠さず周囲の人に支えられて生きること」が本当に大切なのだと初めて気付いたと語る。

妻として夫に何ができるのか、常に施設のスタッフと話し合い、考え続けている。
初めて、夫婦で施設のお風呂に入ることにした。(京子さんは着衣。介護職員が付く)
夫婦2人で同じ湯船にゆっくり浸かる。穏やかな表情の康雄さん。
「私ね、こんな日が来ると思ってなかった・・。良かった・・」と涙を流す京子さん。

京子さんは、夫の介護ができなくなったことで自分を責めていた。
今は、施設職員のサポートを受けて、夫婦の穏やかな時間を取り戻せたという。
自宅で介護していた頃には、そんな余裕はなかったと。

妻「本当に人に助けてもらって、自分が、介護者が病気でも夫婦で居られる時間もとれる。出来ないことはあるけど、でもできることはまだまだある。それは主人もある。夫婦としてもあると思うんですよね。
進行した主人を見るのは、こみ上げるものはあるけど、でも初期の頃に闘ってたイライラとか ”もう一人にして!頼むから!”っていうことはなくなって、夫婦で穏やかな時間が持てるようになる」

京子さんは、孤立しがちな若年認知症の人と家族の力になりたいと考え、2年前から講演活動をしている。去年、地元の日野市内に若年認知症の家族会を作った(連絡先)。市民向けの映画(「明日の記憶」)上映会の開催にも奔走した。

家族会の集まり(食事会)に出た康雄さんは、とても穏やかで、珍しく言葉も出た。
会員「輪が広がって心強いです。(ご夫婦を見ると)励みになるし(将来が)怖くない」

京子さん自身も他の介護仲間たち(自ら闘病しながら介護)に励まされると語る。
介護仲間「介護する方が元気でなくちゃだめ。子供には面倒みさせられない。主人が頑張っている間は、私も頑張りたい。1日でも長く生きるのよ!」

妻「(長生きはできないかも知れない)でも年数だけじゃないので、一生懸命生きることですね。・・幸せですよね。隠さないでいられて・・。皆さんが気にして心配して下さって・・。今、主人がしゃべれたら・・何て言うでしょうね」

*映画「明日の記憶」動画→YouTube 原作本書評→アマゾン

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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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