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8月の介護1日目(後編)ケアマネに相談 母眠らず

母の歩行は、前回の退院時(歩行困難)よりは良かった。
歩行器を使い、一人が支えれば何とか前に進んでいける。
(リハビリスタッフが、優しいイケメンの男性の時は、見違えるように良かったと退院前、妹は言っていた。)
幻視(幻覚)はないが、意味のわからないことをよく言い、表情は暗く、怒りっぽさ、涙もろさが目立つ。
「お兄ちゃんはどこに行っちゃったの?」と何度も不安そうに訊いては、「あっ。さっきも訊いたっけ?私、どうかしてるね。バカになっちゃった。もうダメだね」と顔を歪める。

先月ある程度整理したはずの室内は、またひどく混乱し、先月揃えた介護用品も色々なくなっている。
「お父さん、○○は、どこにやったの?」
「知らん」そんなものがあったかという表情。
何を訊いても、それ以外の答えは返って来ない。父に訊くのは無駄なのだとわかる。

夕方になり担当ケアマネとこれから入る予定のヘルパーさん(主任)が来る。
ケアマネも熱心な人だが、ヘルパーさんも「この人さえ居れば百人力」という感じの人。
二人で盛んに母に話しかけ、盛り立て、母は、初めて母らしい笑顔と茶目っ気を見せる。
「○○さん、また元気になって大好きなお父さんと一緒に旅行に行けるといいねぇ」とケアマネ。
「もう無理・・・」と悲しそうに答える母。
「行けるよ・・!行けるよ・・!」私が母の手を握り、目を見て真剣に言うと、母は目を丸くして見せ、それからとても嬉しそうに笑った。

私は、隣の部屋でウロウロしていた父に用事を頼んで外出してもらい、その間に父の現状を二人に説明した。
二人とも顔色を変える。すぐにそれに対応する応急の策が次々と出てくる。
ケアマネは、一日でも早くどこかに入所できるよう、今度は、老人保健施設(老健)も当たってみると言う。

二人が帰ると母は、また暗い無表情に戻り、アナログ時計を見つめている。(母は時計が読めなくなって久しい。)
母「あぁ、もう3時だ。早く出発しないと」
私「お母さん、今は6時半だよ。(デジタル時計を見せる)」
母「(怒って)それは○○(ある地方の名前)時間!私は、○○(故郷の名前)時間の話をしてるの!」
私「○○と○○は、時間が違ってるの・・?」
母「あんた、何言ってるの?2時間違うじゃないの。・・そんなこと、人に絶対言っちゃダメだよ。笑われるよ」
昔の母のように、真剣に、諭すように母は私に言った。

しばらくすると父が、私に「ポリデント、捨てといたぞ」と言う。
「なんで?」
「お母さんが捨てろって言ったからな」
「・・・お母さん、認知症なんだよ・・・」
父は、すぐゴミ箱を漁り「おぉ、あった、あった。何ともないぞ。」

夜、10種類の薬の仕分け(朝昼夕用)をしながら母に昔の思い出を訊くが、辻褄が合わないことばかり言う。
しかし何十年も前の話をする時は、生き生きとした表情が出てくる。別人のようだ。
(薬の仕分けは、いつも妹が1時間もかけてしてくれている。間違えてはいけないし、手間のかかる仕事だ。)

母がウトウトし始め、その顔を見ながら今後のことを考えるとパニックになりそうになる。
たった6日間で、私に解決できる問題か・・・?!
今は、何も考えまいと思う。『明日落ち着いて考えよう』

前回と同じように父と私と交代で母の横に寝ることにする。初日は、父の希望で私が。
母は、不安が強いと判断してベンザリン(睡眠剤)を4分の3錠飲ませるが、全く効果なし。
母は、一晩中「お母さん、助けて!お義姉さん、助けて!」と言い続けた。
「困った!どうしよう!困っちゃったよ!どうしたらいいの?」と泣く。
落ち着かせようと抱きしめると「暑苦しい」と言い、体をさすると「痛い」と怒る。
「どうやって助けたらいいの?」「わからない」
「何が恐いの?何が困るの?」「わからないよ」
夜中にもう1錠追加で飲ませてみるが、まったく効かない。
朝、4時頃からは、はっきりと覚醒し、「さぁ、早く起こして!名古屋に行く支度をしなきゃ遅れちゃうじゃないの!」などと言い続け、なだめようとすると怒り「あんたを一生恨んでやる!」などと言う。

排尿の量は、7月に介護した時の4分の1くらいになっていた。
汗で減るのか、7月が異常だったのかは、わからない。
腎臓に異常がないか、様子をみなければと思う。

そして朝になり、母が、全く歩けなくなっていることを知る。
(おそらく薬の副作用によって)





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No title

お疲れ様。体は大丈夫か心配です。

お母様の様子が私の叔母にそっくりなので、在宅介護の頃を思い出します。夜も明けぬうちからの騒ぎが家族の睡眠を奪い、一番の困難でした。いさめれば、この世の終わりのように言われ、その態度に家族は哀しんだり怒ったり…。

いつの頃からか、感情が高ぶり辻褄の合わない時には、ただその気持ちに寄り添う(否定も肯定も、原因も考えず)だけにしました。あぁ、今は悔しいのね、今は悲しいのね、と思うだけ。やがて気分は変わり、さっきの悪態は無かったことになるのですから。
その方法が正しかったのかどうかわかりませんが、そのほうが客観的事実を観察し体調の変化をとらえやすく、介護側のストレスが軽減出来ました。父は最後まで怒鳴っていましたけれどね。

このブログ、書くのは大変だと思いますが、介護に直面している家族にとっては、参考になり励みになり覚悟させられる内容だと思います。でも無理しないでください。疲れたら休んでくださいね。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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