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認知症のわたし(1)(朝日新聞連載)

朝日新聞夕刊「ニッポン人・脈・記」蘭に連載が始まった「認知症のわたし」。
2012年9月26日掲載の第1回は、小説・映画「明日の記憶」のモデルとなった越智俊二さんと「ぼくが前を向いて歩く理由」の中村成信さん。

この記事を読んで、以前聞いた放送大学教員の言葉を思い出しました。
人間には2種類しかいません。今、障害を持っている人とこれから障害を持つ人です

生き続ければ、すべての人が(あなたも)やがて手助けを必要とするようになります。
誰にも迷惑をかけずに一生を終えられる人は、どこにもいません。

以下、青字部分は、記事からの一部抜粋と要約です。


   <1> 手助けをしてください

越智俊二さんがおかしいと感じたのは、’94年47歳のとき。(関連記事)
地図を見ても道に迷って仕事の現場にたどり着けなくなった。
妻は疲れのせいだろうと思った。

退職を決めたのは、その4年後。柔道で鍛えた体が痩せこけていた。
アルツハイマー病と診断されたのは、退職から1年半後。
デイケア施設で陶芸や絵、書道を始め、元気を取り戻した。

2004年アルツハイマー病の国際会議で越智さんは、演説した。
物忘れの病気になり、ずいぶん苦しんだ時期もありました。
でもいまは、デイで仲間と笑い、家族に感謝して生きています。
物忘れがあっても色々なことができます。
安心して普通に暮らしていけるように手助けをしてください

’06年秋まで35回の講演をこなし、’09年に逝った。

2012年9月、認知症になった人の視点から医療や介護を考えようという勉強会が発足した。
医師や研究者に交じり、認知症の3人が呼びかけ人に名を連ねた。
その一人が中村成信さん(62)。(このブログ内の関連記事

’06年万引きで逮捕され、茅ヶ崎市役所を懲戒免職になった。
その後、前頭側頭型認知症のピック病(万引きはその症状)と分かった。
このブログ内のピック病についての記事
処分の撤回を求める活動を牽引した野上高伸さん。(妻が若年性アルツハイマー病)
処分は停職6ヶ月に修正され、中村さんは定年まで働いた。

「自分でも自分がわからない」という行動をすることがあり、外出には家族や友人が同行する。
週3日介護施設で庭仕事を手伝い、趣味の写真撮影に出掛ける。
認知症でもできることはあると知ってもらいたい。病気を隠さなくてもいい社会になってほしいから


*連載の(2)は、こちら。(3)は、こちらを。

P1010298_4_convert_20120929083002.jpg
松葉牡丹(マツバボタン)
6月に撮ったものですが、まだかろうじて咲いています。

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No title

越智俊二さんは、純粋なアルツハイマーではなく、レビー小体型認知症を合併していたと思われます。
奥様が書いた本の中に、トンネルを抜けて異様な風景を見て興奮された越智さんの姿が描かれていました。これはレビー特有の幻視と思われます。この点について奥様に確認させていただいたのですが、奥様もアルツハイマーとレビーの合併と考えておられると言う事でした。

こんにちは。
今日もお邪魔しました。

父のアルツハイマーの疑いに気づいてから モヤモヤしていましたが、今日の記事の中にある

「人間には2種類しかいません。今、障害を持っている人とこれから障害を持つ人です」

を読んだら なんだか気が楽になりました。
今はなくても、障害が出てくるのは当たり前なんですね。

今日もお邪魔して良かったです。

hokehoke先生  くすりさん

hokehoke先生

コメント、ありがとうございます。
風景の幻視は、レビー小体型認知症に特有なのですね。母も滝の中にたくさんの鳥が突っ込んで行くのが見えると話したことがあります。

他にもアルツハイマーには少ないが、レビーには良くあるといった幻視や妄想を教えて頂けると嬉しいです。
私が知っているのは、虫の幻視はレビー特有とか、嫉妬妄想はレビーに多い等です。

くすりさん

涙が出てくるくらい嬉しいコメントをありがとうございました。
こんなコメントを頂くと、疲れも吹っ飛んで、『書いていて良かった!これからももっと良い記事を書こう!』と心の底から思えます。

書くというのは、中々孤独な行為で、コメントを書いて頂かない限り、どう受け止められているかは、全くわかりません。
反応を想像するのは、結構恐いものです。
『何の資格があって偉そうなこと言ってるの?』と思う方もいらっしゃるだろうなぁと思いますから・・。
くすりさんのコメントからは、大きな勇気とパワーを頂きました。ありがとうございます。

昔、ホスピスでボランティアをしていた時、最も苦しむ方は、若くてお子さんが小さい方でしたが、病気知らずで『健康が当たり前』と思って生きてきた方や『自分と障害者はまったく別』と思って生きてきた方が、自分の境遇(病気や障害)を受け入れることにとても苦労する姿を見ました。
『なぜ私がこんな目に遭わなければいけないのか』という恨みが、とても強かったです。

逆に、若い頃から色々な病気や障害で苦労をされてきた方の中には、死に至る病も淡々と受け止めて、周囲の人に感謝しながら穏やかに亡くなっていく方がいらっしゃいました。

介護という体験は、苦しいことも多いけれど、それ以上に人生・老い・病・死について深く深く教えられる素晴らしい機会だとも思うようになりました。
介護を通して学んだことは、私たちの将来の心の支えに、道を照らす光に、人生の豊かさを育む土台になると感じています。


プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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