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施設入所決断の遅れ 

今、妹は、市内中のグループホームに見学に行き、片っ端から申し込みをしてくれている。
あまり良い印象を受けない所も色々あるようだが、「選んでる場合じゃないよね」と言う。
勿論、空きのある所などない。(特別養護老人ホームの何百人待ちとは違い、数人待ちという所が多いが。)

妹は、9月1日には再就職する。
そうなれば朝晩実家に行って母のデイやショートの準備や送り迎えをすることはできなくなる。
(認知症が疑われる父の準備は全くおぼつかないし、送り迎えの時間でも仕事の電話が入れば車で飛び出して行く。
9月からその時間帯は仕事をしないと父は断言しているが、私も妹も信じていない。仕事は、父の生き甲斐であり、仕事のこととなると我を忘れる人なのだ。)

ケアマネは、9月からは朝晩1時間ヘルパーを入れて妹の代わりをさせると決めたが、それでも安心できない妹は、施設探しに焦っている。
9月は、ショートステイも可能な限り増やしたようだが、母の在宅の間、父が眠れない日は続くだろう。
父は、元々夜中に一度も起きることなく朝まで熟睡するタイプで、睡眠不足には、昔からとても弱い。
父が目を離したすきに母が再び転倒骨折する可能性も限りなく高い。

一連の状況を妹から聞きながら、自分の判断ミスを痛切に感じる。
母の言うことが支離滅裂でまともな会話も成立しなかった6月、私は、母を施設に入れるように父と妹を説得した。(それは、私にとっても、今までの人生の中で最も辛い選択だった。)
しかし結局、父も妹も「できる所までは自宅で介護をしてみて、どうしてもダメだったら、その時、施設入所を考える」という方向に変わった。その決意は固かった。
そして私自身、時々認知症ではないかのように普通に会話ができるようになった母を7月に見て、決断が揺らいだ。
父も妹も(多分、兄も)限界だと十分わかっていながら、「どうします?」というケアマネの問いに「施設入所でお願いします」とすぐ答えられなかった。
名古屋フォレストクリニックに行きさえすれば、もしかしたら劇的に良くなるかも知れないという望みもあった。

私の完全な判断ミスだ。
施設入所など必要ないと思っている時期から、あちこちの施設をじっくり見学して回り、予約をしておくべきだった。入所できる順番が来ても、必要なければキャンセルすればいいだけのことではないか。
母を預かってもらう所が、どこでも良いはずがない。絶対に厳選したい。
今になって慌てて探しても、もう遅過ぎる。

とは言え、妹とケアマネで厳選したはずのデイサービスもショートステイも母は行くのを嫌がっている。
母は、どんなグループホームを選ぼうと嫌がるだろう。
ある時は、泣き、ある時は、父や妹をなじるだろう。ある時は「こんな所は私の居るべき所では全くない」と理路整然と言うだろう。
それとも、これも私のただの勝手な推測で、母は、グループホームで穏やかな日々を送れるようになるのだろうか?
わからない。全くわからない。





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自分を責めないで

「5年後、10年後を考えて、今から特養に申し込んでおきましょう」
週6日デイサービスを使い、何とか在宅で介護できていた時に叔母のケアマネから言われた言葉です。
「運良く入れるチャンスが廻ってきたときに、まだ必要ないと思えば断ればいいのですから。まぁ、最低5年は待たないとチャンスはありませんけれどね」
そうね、じゃとりあえず…と軽い気持ちで申し込みました。
叔母と同居している私の両親も叔母とはほぼ同い年。将来を考えたらケアマネの助言はもっともでした。
それが半年後に第2希望から打診があり、続けて第3希望からも打診があり、まさかと思っていたら第1希望の特養からショートステイ(←まずはこれで受け入れ可能か判断するみたいね)のお誘いがありました。あれよあれよと言う間に入居の決断を迫られ、正直迷いました。
辻褄が合わないけれど会話は成立するし、トイレも自立になり、食事も震える手で食べられる。まだまだ在宅で可能なのに施設に入れるのは「可哀想」と。
今思い出すと、その頃は身を切られる思いでした。前にもコメしましたが、介護うつになったぐらいですから。

冷たい人、介護を投げ出した人、と思われたくなかった自分もいたと思います。誰も私を責める人はいないのに。(決定権みたいなものを他所に嫁いだ私が負わされていたことに、今となっては疑問なのですが)
設備は整い、スタッフも優秀な施設に入ることが出来、今では入居して良かったと思います。トレーニングマシーンを使ってのパワーリハビリや、季節に合わせた大がかりな行事など、在宅では不可能なことばかりですから。
叔母は、会話がしっかり出来る人たちのグループに入り、毎日を穏やかに暮らしています。毎日観ているのと違い、急に症状が進んだように感じるときがありますが、在宅だったら防げたということではないと納得しています。

施設入所に関しては、誰もが迷い、悩み、悔やみ、それでも何とか気持ちに折り合いを付けているのだと思います。自分を責めないで、と言っても無理でしょうけれど、程ほどに。
明日は帰省ですね。ケアマネとよく話し合って気持ちが整理できるといいですね。

全て最善です

どうしたって「あのときもっと・・」「ああすれば・・」という思いは生じます。
でも、最善と思われる方法をとったなら、どちらにしろ「あの時はあれしか仕方がなかった」と考えましょう!
うちの義母が脳梗塞をしたのが55歳。そのすぐ後、義父母は田舎にIターンしてしまいました。
いつも「大丈夫」「妻の面倒は俺が全てみる」と言い張り、しばさんのお父様とよく似た性格の義父は誰の言う事も聞きませんでした。
それから16年、脳梗塞数回と背骨骨折で徐々に義母の生活が困難になり、自分も癌の手術をして要支援状態になりながら一人で世話をし続けた義父は、ある時内科検診で主治医に「アンタうつ病だ」と言われました。
気がつくと体重が10kgも減っていて「このままだと共倒れだ」と説得され、義母を施設に緊急入所させてくれたそうです。
その時は義母はまだ歩け、話す事もできたので1~2ヶ月で帰ってくると言う甘い期待を持っていたみたいですが、結局すぐに寝たきりになって2年半入所していました。今では自分で寝返りも打てず、尿意も便意も感じず、食事も流動食です。
私は義父の葬式の後に変わり果てた義母の姿を見て、言葉に表せないほどのショックを受けました。彼等の家は何年も掃除もゴミ捨てもせず、そこら中に蜘蛛やヤモリの死体が転がっている文字通りゴミ屋敷でした。
後悔は山ほどありますが、現状をどのように改善していくかに集中して何とか乗り切り、今は近くの施設にいる義母に面会に行くと親友のように迎えてくれます。
私はしばさんのお父様が心配です。お兄様とお母様の2人の世話を焼いて、仕事もとなると・・
実は、認知症とうつの症状はすごく似ているのです。
思考がまとまらない、家事の手順が浮かばない、趣味や娯楽に関心がなくなる、表情がなく声が弱々しくなり、すぐにキレやすくなる、らしくない後向きな発言をする、、ね、よく似ているでしょ?

今回、帰省されたらお父様のご様子にも注意してあげてくださいね。
特に普段にない妙なパワーを発揮した後に発病しやすいので・・
しばさんもどうぞ頑張りすぎないでくださいね。一人にできる事は限界があるのですから。
道中の無事をお祈りしています。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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