戦争の記憶をきく

祖父が老いて衰え、1日中ぼんやりと座り、もう誰とも話さなくなったとき、私は、祖父に戦争の体験をききました。
もう会話をする能力を失ったと思われていた祖父は、当時のことを詳しく話してきかせてくれました。
祖父と会話をしたのは、それが最後でした。

昭和2ケタ生まれの私の両親は、戦争のときは、幼い子どもでした。
それでもその体験をきくと心の底から驚き、衝撃を受けます。
本にも映像にも描かれたことのない戦争の1つの姿がくっきりと浮かび上がります。

戦争を知る1人ひとり全員が、2つとはない貴重な物語を胸の奥底に抱いています。
こちらからきかない限り、語られることなく永遠に消えていきます。

終戦の日、どこで何をしていたか、何を感じ、何を考えていたのか、きいてみたことはありますか?

(追記:話したくない辛い思い出なら、もちろん踏み込みません。)


     灰 燼      作:丸山薫(1899-1974)

  全市が火につつまれたとき
  遠ざかりゆく爆音の下で
  はげしくD教授のこころを噛んだものは
  英文学をめぐる夥(おびただ)しい愛書の安否であった
  一夜にして家を失ひ 炎に追はれて
  カラーもカフスも焦がしながら
  余燼をくぐつて氏の足は大学へとんだ

  学内の建物はところどころ焼け落ち
  並木の緑からはまだ煙を噴いていた
  だが荒廃を跨いで 一歩 壕にふみ入ったとき
  なんといふ荘厳が氏の胸を打ったらう
  万巻の書籍は昨日にかはりなく
  整然と立ち列んでいる―
  教授は歓喜した
  思わずその一冊に触れようとした

  とたんに音もなく
  それらは灰となって崩れた


(長田弘著「本という不思議」P.34~35)
*旧仮名遣いの一部と並木の並の字(原文は旧字体。)が原文と違います。

P1030016.jpg
蓮の花
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うちの祖父は

戦争の事は一切語りませんでした。
皇国史観ガチガチで多くの教え子を戦場に送り出し、士官にした息子をシベリアで亡くした負い目を、一生背負っていたのだと思います。
戦後は頭を丸め、毎朝仏壇にお経をあげてました。私は小さい頃は祖父の事をお坊さんと思っていたくらいです。

話は逸れますが、オリンピックで高揚するナショナリズムが、戦前の祖父を想像させられ胸が悪くなります。メダルの数に一喜一憂するメディアの姿は、戦前の日本の植民地分捕り報道みたいで・・
メダル0でも幸せそうなアフリカの小国の選手がいいですね。

辛い思い出なら

そういう方も多いと思います。そういう方の方が遥かに多いのかも知れません。
そういう方に対しては、もちろん心に踏み込むようなことはしてはいけません。
ただ私個人は、語られない言葉をこそ聞きたいという気持ちがあります。
そういう言葉の中にこそ真実があると思うからです。
(もしお話を伺うとしたら、長い時間をかけて信頼関係を築き、その方の方から自然に話して下さるのを待つしかないでしょうね。)

オリンピック。確かに今回は「メダル、メダル」とメダルの数にこだわる言葉が耳障りでした。『以前は違っていただろうか?』と考えましたが、思い出せません。
国内に良いニュースがなく、意気消沈しているので、メダルの数で「活気と自信を取り戻そう!」という感じなのかなぁと思いましたが・・。
オリンピックは、国を越えて世界中の人がつながるイベントであって欲しいですね。

No title

母は以前、打ち上げ花火のヒュルルル…という音が、焼夷弾が降ってくる音と同じだから花火は嫌いと毎年言っていました。ところが、認知症が進んだせいか、花火大会観てみたいわ~に変わり、自分の発言は覚えていません。
人間って、楽しい思い出と辛い思い出が8:2になるように保存して精神のバランスをとっているというのをきいたことがあります。全体のキャパが減った分、辛い思いでも減ったのかもしれませんね。

私もオリンピック。昔、夏休みにみんなで箱根に遊びに行ったときに、たまたまロス五輪の開会式があってテレビで見ていると、「オリンピックって自分の中にあるナショナリズムを自覚するよなぁ」とある人が言った言葉が今でも記憶に残っています。日の丸や君が代を否定する人たちは、日本選手が金メダルを取った時、表彰式は見ないのだろうかと考えてみたり。
でもやっぱりメダルが取れたら嬉しいじゃないですか。たった一つメダルを手に入れた国がそれはもう大喜びでスポーツが盛んになっていくなんて、本当に魔法のメダルですよ。
でも、まぁ、いろいろありましたよね。「隣の子と仲良くしちゃいけません」と育てられた人と友達になれるのだろうか。教育とは良くも悪くも偉大な力を持っているものだと感じた2週間でした。

クリちゃん

わぁ!久しぶりですね!

私も花火の音が焼夷弾の音という話を聞いたことがあります。

楽しい思い出と辛い思い出が、8対2というのは驚きました。
私は、昔、「人間は、楽しかったことは、みんな忘れちゃうのよ。辛かったことだけ覚えているの」という言葉を聞いて、『ホントにそうだなぁ』と思っていたんですが・・。
人間にタイプがあるんでしょうか?私は完全に暗いタイプですね。(笑)

オリンピック。勿論、メダルは嬉しいですよ~!
選手達の姿に感動して、毎日鼻をすすっていました。
一人ひとり、全力で闘う姿が、美しく、本当に素晴らしいものを見せて頂いたと選手達に感謝しています。

だから余計、「金がまだまだ少ない」とか「あと○個必要だ」とか「○○、メダルなし」とかいうのを聞いたり読んだりすると、選手を人間ではなく将棋の駒みたいに扱っているような感じがして嫌な感じがしました。

色々意見はあるでしょうが、私個人は、選手には、自分自身のために闘って欲しいと思います。日本のためではなく。
トップアスリートの姿は、国を越えて世界中の人を感動させると思います。それがスポーツ、またオリンピックの素晴らしさじゃないかなぁと勝手に思っています。

No title

そうですよね~。私も頑張っている姿を見るのは好きです。
ただ、メダル(特に金)を当然の義務のように言う人が多くて・・
そもそも「参加する事に意義がある」素人の大会だったものにプロ選手が出る。大金をかけて養成してるから、選手も成果を出す事に必死で・・なんか変?

今回、柔道で感じました。美しい技が出なかったんです。それは外国選手みたいに「一本ではなく、せこい勝ちに拘る柔道」「投げられても背中をつかない醜い柔道」になってしまったのが原因です。柔道では「投げられて手をつくのは最も危険な行為」で、その為に受け身があるのに、誰も受け身を取らなくなってしまいました。返されるのが怖くてなかなか技をかけない、ちゃんと組まない、中途半端な組み手からかける中途半端な技の応酬。昔、斉藤が小川の試合で言った言葉「情けない、ふがいない」が感想。
こんななら公式種目から外すか、名前を変えて欲しい。

はい、表彰式は見ません。メロディが暗いし、詩の中に国名もないし。元々中国から渡来した曲に、歌詞は平安時代に藤原氏が当時の天皇にごまを擂る為に作った和歌を乗っけたもの。ま、Made in Chinaの鳥を大事に国鳥として保護してる国ですが・・
因みに、さざれ石って見た事あります?あんなコンクリートの塊みたいな醜いものが日本の象徴だったら悲しすぎる・・と、子供心にショックでした。

柔道

柔道が変わってしまったのは、確かに残念ですね。
今回は初めて柔道着がはだけてもそのままやっていたのを見てとても驚きました。

剣道も以前、オリンピック種目にしようという動きがあったことがあります。剣道界では様々な議論があったようです。
その中の一つにオリンピック種目になったら剣道が武道ではなくスポーツとなって変質してしまうというものがありました。
(今でも既に試合剣道は、十分スポーツ化しているという現実はあるのですが、日本剣道連盟としては、剣道は武道だと言っています。)
今回の柔道を見ていると、剣道がオリンピック種目にならなかったのは、正解だったのではと思いました。

ちなみに剣道では、試合の時、勝ってガッツポーズを取ると勝ちが取り消されます。
勝っても有頂天にならず、相手への敬意を忘れず、落ち着きと礼儀をわきまえていなくてはならないという武道の考え方からです。

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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