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5月の帰省中の母

母は、「昔のままの母」と「怒り狂う母」を交互に繰り返していた。

「お昼ご飯を作りに帰って、また午後来るね」
「ここで食べればいいじゃない!あんたの分だって用意してもらってあるのに、何でそんなひどいこと言うの?!どこに行くっていうの?!あんたまで私にいじわるするの?!もういいよ!帰れ!・・・あっ・・ほら、始まった。止まらなくなるよ。私、頭がバカになっちゃったから、すぐ怒り出すよ。止まらないよ。どうすればいいの?!私、どうすればいいの?!どうすればいいの?!」

午後、妹と2人で訪ねると、顔を見るなり「さぁ行こう!」
船に乗って皆で旅行に行く手配をしてあるのだと言い、港に行くと言い張る。
「今日はお天気があんまり良くないから」などと言っても怒って怒鳴るばかり。
何とか気分を変えようと建物の外へ連れ出したり、お菓子を渡したりしたが、怒りはエスカレートし、私たちをなじり続ける。
「あんたたちは、私がせっかく用意した旅行に行きたくないって言うんだね!」

最近は、こういう時が多いのだと妹が言う。
なんとか落ち着いて欲しいと思い、手を尽くしたが、母は、90分以上怒鳴り続けていた。
おやつの時間になり、初めて機嫌の悪い状態のままの母を置いて帰った。

「私だって、まだ人の役に立ちたいんだよ!」と母は叫んだ。
その一言が、胸に深く深く突き刺さった。
母は、常に人に尽くし、人を助け、人を喜ばせることを生き甲斐にしてきた人だった。
家族だけでなく、周囲の誰に対してもそうだった。
世話される一方の生活が、母には、耐え難いのだ。

翌日の朝は、一転して穏やかだった。
私の子供たちのために母が20年間積み立てた満期金を受け取ったことを告げた。
何の贅沢もせずに、質素な暮らしをしながら懸命に貯めてきたお金だ。

「お母さん、ありがとう。あの子たち、喜ぶよ」
「いいよ。本当はもっと残してあげたかったの。自由に飲み食いしてね。・・本当は、それを見たかった。楽しく飲み食いしてるのを・・そばで見たかった・・・」
「お母さんは、いつも私たちにこんなに良くしてくれたのに・・子供たちにまでこんなにしてくれたのに・・私は、お母さんに何にもしてあげられないよ・・」
涙を見せれば心配をかける。泣いてはいけない。思えば思う程感情は止められなくなる。
母は、昔のままの優しい笑顔と声で、静かに言った。
「泣かないで・・。あんたは、優しい心をいっぱいくれたじゃないの。それでもう十分」

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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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