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認知症症状は非日常の中で現われやすい

認知症は、家族が早期に発見することが、とても難しい病気だと繰り返し書いてきた。
(記事は、こちら。

どうしたら早く気が付けるだろうかと常に思っていたが、「ぼくが前を向いて歩く理由 ―事件、ピック病を超えて、いまを生きる―」(中村成信著)の中に1つのポイントが書かれていた。(以下、青字部分。原文通り)

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日常とは違う状況になったときも、症状は現われやすい。
たとえば、旅行や入院、葬儀の場・・・など、非日常的な場に身をおいたときに、その場にそぐわない行動をとり、周囲から気づかれるケースも少なくない。
医師が病気を診断するときにも、患者に検査入院をしてもらい、病院という非日常でどんな行動をとるかを観察することで、診断に役立てる場合もあるという。

(第2章診断「症状が現われやすいのは、職場」から。ページ数は書かれていない。)

***********************************

これは、認知症と診断される前の父と母にも当てはまる。

2010年3月、要支援2(要介護2ではない。)だった母と家族旅行に行った。
父が、長い距離を歩けない母に1台目の車いすを買ってきたのは、その前日だった。
母は、急激に体が動かなくなっていたが、記憶障害のない母が認知症であることに、私はまだ気が付いていなかった。

母は、ホテルで4時頃から起きて「ちょっと日の出を見てくる。お風呂に行く」と言い出した。
「まだ真っ暗だし、大浴場は6時から」と言い聞かせたが、母は、「タオルはどこだったかな」などとずっと大きな声で独り言を繰り返していた。
変だとは思ったが、寝ぼけているのだと思い、認知症の症状だとは思わなかった。
4時頃起きる前には、夜中に私が支えて3度トイレに行き、異常に長い時間トイレに居た。
今、振り返れば、母は、既にその時から「夜眠らない人」になっていた。

同じ月、密度の濃い付き合いがあった伯父(母の実兄)のお葬式があった。
父は、読経の中、遅刻してやって来た。
理由をきくと「仕事だ」と言った。
(父は自営業で、仕事は、理由を付ければ簡単に断ったり、時間の調整ができる。)

その時も見過ごしてしまったが、今、思えば異常だったと思う。
父の異変に私が気付いたのは、その数ヶ月後。
ピック病(前頭側頭型認知症)と診断されたのは、その半年後だった。


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ドクダミ
花のアルバムは、こちら。
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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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