生物(いきもの)としての人間

佐野洋子(「100万回生きたねこ」の作者でエッセイスト)の遺作「死ぬ気まんまん」を読んだ。彼女独特の毒舌で医師と死をおおらかに語り合う対談があった。
対談の中の医師の言葉に強烈なパンチを食らった。
(注:対談は長く、この医師の心に染みる良い言葉は多かったが、今は、取り上げない)

「生物学的人生論から言うと、種族保存が生物の存在の第一目的だと思います。
だから種族保存のためなら、遺伝子が何でもやってしまう。
シャケが川を何百キロも上がってきて傷つくけど治る。そして子供を産む。
これは、遺伝子のプログラムが産卵が済むまでは壊れても治す、壊れても治すとやるんですね。(略)

人間も遺伝子がちゃんとやってくれるのは50から55歳ぐらいまでですね。
55歳以上では個人差がすごく大きくなってきます。(略)
50歳までは遺伝子が生存・生殖モードでプログラムされていますから、ほとんどの人は平等に元気に仕事ができるわけです。
だから55歳以上で種族保存が済んだら、社会的に世のため人のためには必要かもしれないけど、もう生物学的にはいらないんです。」

<対談から平井達夫(築地神経科クリニック理事長)の言葉。P.96~P.97>

嫌悪感を覚える方もいらっしゃると思うが、平井氏が言いたいことは、「人間は生物だ」ということだ。
「生物として自然の摂理に合わせて生き、死んでいくことに満足することが必要。自然の摂理に逆らってまで奮闘することは疑問だ」という内容のことを語っている。(P.99)
「生活習慣により状態がいい人は元気」(P.96)とも。


医学が日々進歩していくに従って、治らない病気が治るようになり、助からない命が助かるようになる。
お金さえ出せば、若さや美しさや健康が、手に入るかに見える巨大市場がある。
テレビや雑誌を見れば、いくつになっても健康で、若く、何でもできるシニアで一杯だ。
50歳から体が壊れていく人など、闘病ドラマか福祉番組以外には、出てこない。

そんな情報に浸かりながら、忘れずにいられるだろうか。
人間もシャケやミミズやアメーバと同じ生物(いきもの)なのだと。

健康は、人を傲慢にするのかも知れない。
少なくとも私は、傲慢だった。健康であることを「当然の権利」のように感じていた。
家族の「権利」を奪われたことを不当と感じ、取り戻すことに躍起になった。

母が急激に悪化した時、私は思った。『認知症だって、良い医師、良い薬、良い治療法さえ見つければ、きっと何とかなるはずだ』と。
狂ったように本やネット情報を読みあさり、治療法を探し続けた時期があった。
それは、必要なことでもあり、大切なことでもある。
しかし医学は万能ではないと肝に銘じることも同じくらい大切だ。

胃ろうの記事をたくさん書きながらも思う。
他人のことならば、いくらでも理性で考えられる。
しかし自分の家族(特に子供)の命が危うくなれば、電気ショックだろうが、人工呼吸だろうが、胃ろうだろうが、できることは全部やって下さいと、多分言うのだろうと思う。
誰でもなく自分自身が、死別の恐怖と苦痛に耐えられないからという理由で。


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桜の花の死
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No title

しばさん、連載とても興味深く読みました。
「生物学的人生論」は面白い。以前、なぜ人は恋をするかという
話を生物学的に説明していたのを聞いたのですが、
女子は、種族保存のため、子供生むために
男子とくっつくのだそうですがその期間は生物学的には
3年間なのだそうです。
3年間たって関係に変化がないならやめようっていう話で
まとめてましたけど、笑いながらもなるほど、、と
(不適切表現あったらすみません~~)

父はレビーといえど、胃ろうでも、
病院に期待し、医師に期待し、
生きようと戦ってました。
家族の思い過ごしでも何でもない。

母は、生物学的に死を受け入れてました。
食事もやめ、水分もやめ、
癌の痛み止めの薬も服用したけれど、
「もういい」と意志表示し、
静かに命を終えました。

両方、見た自分は。。。

他人の死生観に惑わされたくないから、
living will かなあと、このごろ思ってます。


ygraciaさん

ありがとうございます。朝日新聞の記事は、本当に良かったです。

ygraciaさんは、ご両親のお気持ち(意思)を確かに受け止めて、それを叶えて差し上げられたのですね。お父様もお母様もそれぞれに本当にお幸せだったことだろうと思います。

自分の感情が入り込むと、どうしても家族の冷静な判断というのは難しくなると思います。しかし感情の波に飲まれてしまうのが、まさに家族であるともいえます。

人の死にゆく様子に接する経験のない現代人は、死に対して過剰な恐怖心を持っているとも思います。死ぬことは、痛く、苦しく、悲惨なことだろうと。
私は、一度だけ人が自然に死んでいく姿を見たのですが、痛みも苦しみもなく安らかでした。その後、本でも「自然死は、何も苦しくない」と何度も目にしました。
死への誤解が消えれば、終末期の過ごし方を判断することももう少し楽になるのかも知れないとふと思ったりもします。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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