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認知症や障がいを受け入れること

「家族の認知症を受け入れることが、難しい/できない」
「子供の障がいを受け入れることが、難しい/できない」

最近、続けてそんな文章を読んだ。
受け入れるには、「自分自身の中にある偏見と差別に気付くことが大切」とも。

私は、この点で多くの人とは違っているということに気が付いた。
(注:障がいにも色々あるが、今は、知的障がいについて書く。)

障がいを持つ子供の親の多くは、障がいとは無縁の何十年間という人生があった。
私を含めて障がい者のきょうだい(厳密には妹弟)は、障がいと接点のない人生を知らない。
生まれた時から障がい児(者)の世界にいる。

知的障がいのある兄は、子供の私にとって常に普通の人だった。
優しい、大好きな兄だった。
(家族でなくても、幼い頃から身近に接すれば誰でもそうなると、昔、放送大学の教授から聞いた。)

けれども人はそう見ないということも、恐らく2~3才の頃からわかっていたと思う。
兄に普通の視線を向ける人は少ないし、普通に言葉をかける人は、もっと少ない。
公園や子供の遊び場に行くといじめられるので、兄と私は、いつも他の場所で遊んだ。
私たちは、いつでも、どこに行くのも一緒だった。

障がい者のきょうだいは、差別と偏見の対象にはなっても、その逆になる環境にいない。
同じ家族でも障がい児の親ときょうだいでは、障がいの捉え方が違うと思う。


このことは、両親の認知症を受け入れることも、接することも容易にしたのだろうと、今、思う。

言ってもそう簡単にはわかってもらえない家族と生活する。
予測不能な(他人が目をむくような)行動に出ることもある家族と一緒に外出する。
そういうことが、幼児の頃からの常だったせいか、私は、認知症とわかってからの母に対して怒りを感じたことがない。(認知症とわかるまでは「しっかりしてよ!」と怒りまくっていた。)

それはそれで、心のあり方としては、健全ではないだろうと思う。
けれども多くの人が苦しめられることに、私が、同じ意味で苦しめられることはなかったのだろうと思う。

良い悪いの問題ではない。
どう生まれ、どう育つかを選ぶことはできない。
病気もそうだ。
認知症になりたくて、なろうとしてなった人は、1人もいない。


(「障害」と書くか「障がい」と書くか迷った。ただ「害」という字に不快感や悲しみを感じる人がいるのなら使うべきではないのだろうと思う。過去の記事では、「障害」と書いている。)

*過去の記事「障がい者のきょうだいが抱える問題」は、こちら。
*「障がい者ときょうだいと認知症を患う人」は、こちらを。
*「認知症という言葉
*「”正常”と”異常”の間
<カテゴリ>
*「介護家族の心理変化・気持ち
*「認知症とは/ケア・介護など

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白木蓮(ハクモクレン)
十代の頃、木一杯に咲くこの花を「一斉に飛び立つ鳥みたい」
と言うと母は「あんたは、不思議こと言うねぇ」と笑っていた。








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No title

小さい頃、同じ長屋に同年齢のダウンの少年が住んでいました。彼は知的障害に加えて心臓の欠陥もあり、いつも蒼白で紫色の唇をしていました。
私は乱暴な他の子よりも物静かで優しいその子と遊ぶのが好きでした。(養護学校に行ったのか、学齢になってからはあまり会いませんでしたが)
今、老人や障がい児相手にボランティア演奏するサークルを主宰するのも、そういう原体験があったからなのかな、と思いました。

本人もですが、家族が認知症という言葉を受け入れるのに抵抗がある、というのは自分の家族や親戚でも経験があります。
しかし、劣った健常者扱いして苦しめるよりも、ありのままの患者を受け入れる姿勢の方が、お互いに苦しまないと思います。

kimiさん

小さい頃にそういう体験をできたのは、幸せなことでしたね。
実際、そういう体験なしにこの社会で大人になれば、「知的能力の劣った人=人間として劣った人」と思うようになるというのは、私は、自然なことだと思っています。
私たちは、学校でも社会でも「成績が良いこと」「効率よく上手く早く仕事をこなすこと」が何より大切と教えられて育ち、効率優先の経済社会に生きているのですから。

障害について

難しいテーマですよね、障害について話すことは。
自分自身の経験から、障害観は大きく変わると思います。
私が小学校低学年の時、母が教員で、養護学校の産休補助教員をしていたとき、職場についていったことがあります。
その学校は重度重複障害の子どもばかりで、自分とはあまりにもかけ離れた状態だったもので、自分との繋がりを正直に言って理解できなかったのです。
子どもに障害があると分かったとき、始めは自分と違う存在として捉えようとしていたのですが、その考え方ではいつまでたっても、親も子どもも苦しいだけではないか、というふうに変化してきたのはここ2~3年のことです。
結局、障害といってもある尺度でみたときの差なので、いろいろな面や層を持つ総体の人間としてみたときに、障害者と健常者という風に明確に区別する根拠はない、という風に考えてます。
ただ、違いがあるのは事実なので、違いに応じた対応をするために便宜上障害という考えを持ち出していると思っています。
それは男女の違い、年齢の違い、経験や技術の違いで対応が変わるのとまったく同じです。法律の世界で「合理的配慮」という言葉があるのですが、それに近い考え方ですね。

障害の表記について、いろいろ意見があるのは知っていますが、僕は「害」の漢字だけをみてあれこれいうのは、なんだかバランスを欠いている気がしています。マイナスイメージだというのは、通じる人にしか通じない。むしろひらがな表記や難しい漢字の方に、わたしは障害者を別扱いしている気がしてなりません。

No title

waheiさんのお言葉で考えさせられました。

若い頃、自閉症の子を持つ英会話の先生(外国人)が「日本で漢字を勉強して、障害の意味、そして障害者という言葉が“社会に対しての”障害という意味で使われるのを知った。」と話したのが印象的でした。

難しい字こそは「じゃまなもの」という意味で良くないと思います。
日本語にハンディキャップという意味の言葉がないのが問題ではないでしょうか?

中学時代のクラスメートで軽い脳性小児まひの子がいました。彼女は片手片足が硬縮して、歩行のとき足を引きずっていましたが、知能も発音も普通で、一般の中学で学んでいました。
皆普通に接していて、誰も障害のことを意識しませんでしたが、体育の授業で1000mのタイム計測で一斉に走ったとき、当然彼女は全力で走っても1周遅れになりました。
皆応援しながらも「ハンディがある子を他と同じ土俵で評価する、公教育の不平等」に憤慨しました。

waheiさん kimiさん

たくさんのことを考えさせられるコメント、ありがとうございました。
確かに、語り合うには、本当に難しいテーマです。
自分の体験からしか考えることができませんし、どうしても強い感情が伴いますから。

学校で昔行われた知能テストが、その子供の知力のほんの一面しか計れなかったように、人間という複雑な総体を脳のほんの一部の働きだけで区別するのは意味がないということを私も強く感じます。
(蛇足で書けば、私は計算も図形もダメで、毎年「知能の低い子供」と判定されていたと思います。)

「合理的配慮」とは、良い概念ですね。
知的障がい者も自閉症者も認知症患者も適切に合理的配慮がなされれば、穏やかな心でその人の持っている良さを最大限に発揮できると思います。
私たちは、彼らから学ぶこと、教えられることがたくさんあります。

私も表記については、悩みます。日常生活では、「障害」と書いています。
ただ「神経質に言葉を変えるのは変。白痴は白痴でしかない」と言われた経験があり、言葉1つが人を深く傷付けることも知っています。
(私は、「知的障がい」という言葉が生まれたとき、嬉しかったです。)

米国では、障がい者のことをthe challengedと呼ぶ言い方が広まっています。 色々なことにチャレンジ(挑戦)する使命・課題・チャンス・資格を与えられた人という意味です。
こうした視点が、日本にも浸透していくと良いなと思っています。

子供の教育については、色々な議論があるようです。
今では、別々に教育する方が、その子の幸せと考え、遠くの支援学校に通わせるのが一般的なのではないでしょうか。(全国的な詳しい事情は知りません。)
記事に書いた大学教授は、そのことに反対していました。子供が、障がいを持った子供と接する機会なしに育つことには大きな害が生まれると。

答えの出ない難しい問題ですが、障がいの問題に関心を持ち、考えることは、とても大切だと思います。
私たちは、長く生き続けていけば、脳を含めて体中のあちこちを病み、必ず障がい者になるのですから。

家族が認知症になるということは、本当に辛いことではありますが、「知的能力が劣っている人は人間として劣っている」という概念が間違っていたことに気付く機会(チャンス)でもあると私個人は、思います。
私も認知症の母や父の言動に感動したり、教えられたりすることを繰り返す日々です。

No title

重いテーマですね。
従弟の子どもが障害を持って生まれてきました。
正直私達も話を聞いた時に戸惑いましたが、会ってみたら可愛さに変わりはありませんでした。
これから、彼とその家族に対して、家族ぐるみでごく普通に接していくことが大切だと思っています。

Sarusanさん

お久しぶりです。お元気かなと思っていましたよ。

「ごく普通に接していく」。
そのことこそが、私たちが、何よりも望んでいたことです。
そういう風に接してくれる人は、多くはいないと感じています。
多くの人が言葉にする「かわいそう」も、私たちにとっては、ヤスリのような言葉に感じます。

認知症も同じです。誰もが、ごく普通に接する社会になれば、普通に生きていきやすくなると思います。
障害の多くは、自分の中にあるものというよりも社会が周囲の人間が作り出しているものという気がします。

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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