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父、限界。初めて施設入所を考える

翌朝9時過ぎ、もう母をデイサービスに送り出した頃だろうと思い、期待を込めて実家に電話をする。
出た父はパニック状態(仕事の重要なメモがないと狂ったように探していた途中)。すぐ代わった妹の声は疲れ切っていた。
私「(母は、睡眠導入剤を初めて飲んだが)夕べも寝なかったの?!」
妹「2回は起きたらしいよ。今までと違って大人しかったみたいだけど・・。
お父さん、ずっと寝不足が続いてるから、とにかくイライラしちゃって手がつけられないよ」

デイサービスの迎えが来ても母は、「絶対に行かないんだから!」と泣いて暴れた。
男性職員は「珍しいことではないんですよ。大丈夫です。心配いりませんよ」と言って連れて行ってくれた。
妹は『まるで幼稚園の通園バスだな』と思いながら、その職員に何度も何度も謝ったそうだ。
この騒ぎは連日続いていた。
行けば何の問題もなく笑って過ごしているというが、帰宅すると母の口からは文句の嵐だ。
私も電話で聞いたが、多重人格者のようだと思った。

母の通所拒否にまったく対応できない父は、怒鳴るのみ。
父「行きたくない奴は行くなー!!」
妹「じゃあ、お母さんをどうするの?私、一日看れる訳じゃないし、毎日来れる訳でもないんだよ」
父「あんな奴は、放っとけっ!」
妹「一人で家にいられるとでも思ってるの?転倒骨折したらどうするつもりなの?」
父「そんなこと知るかっ!!」
それは怒りからの出任せではなく、妹が朝行かなければ(今の異常な父なら)本当にやりかねないことだった。

お迎えバスが去り、後には、疲労困憊した父と妹が残った。
妹「・・もう無理だね・・。施設に入れてもらうしかないよね・・」
父「・・・・・そうだな・・・」
9月も10月もずっと自分が一人で母の面倒を見るのだと言い張っていた父が、初めてそう認めた。

それを電話で聞いた時、私の心に湧いたのは、哀しみではなく、安堵感だった。
父の介護能力のなさは、1週間の帰省中に既にわかっていたが、私の帰宅後、妹から毎日来る報告は、暗たんたるものだった。
「ちょっと2、3分目を離すと、もうその辺で転んでひっくり返ってるぞ」という言葉も父から聞いていた。

父(恐らく認知症)は、すべてを忘れるのだ。
薬を飲ませること。着替えさせること。腰椎を守る為に必須だと言われているコルセットを付けること。入れ歯の手入れ。妹に言われて入れ歯を出せば、今度は入れ歯なしでデイサービスに送り出す。

睡眠不足のせいか(認知症の症状か)短気にも拍車がかかり、一日中、一晩中母を怒鳴る。
怒鳴られた母は、怒鳴り返したり、「病気になったのは私のせいじゃないでしょ?」と泣きじゃくったり・・。
父自身も「ものを考えることができなくなった」と言い、既に朦朧(もうろう)としている。

私は、帰宅以来、電話が鳴る度に、メールを開く度に緊張していた。
『母の転倒骨折か?!父が倒れたか?!交通事故を起こしたか?!』

愛情はあるけれども介護能力のない父と毎日怒鳴り合いながら自宅で暮らすのと、施設で暮らして、限られた時間だけを家族と笑って過ごすことのどちらが幸せだろうか・・。私は毎日真剣に考え続けていた。
「(ショートステイの夜の)私の淋しい気持ちはどうしてくれるの?!」と真剣に迫った母の顔を思い出す。
考えれば考えるほどわからなくなっていた。

名古屋フォレストクリニックを受診したことで母の症状が改善されることには期待を持っていた。
しかし母の状態が良くなったとしても父の介護能力が上がるわけではない。ずいぶん楽にはなるとしても。

妹は、唯一空いていると聞いていたグループホーム(実家からとても近い。)を今日、見学しに行ってみるつもりだと電話で言った。







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No title

毎日がジェットコースターですね…
お父様も疲労がピークなのでしょう。
母の認知症を発見したのは叔母のケアマネでした。今思えば、介護ストレスが引き金になったと思います。
叔母はお母様とは逆で、デイサービスに行きたくて行きたくて、夜明け前から支度をして、まだかまだかと騒いでいました。そして「朝っぱらから騒ぐんじゃねえ!(←江戸っ子なもので、いつもこの口調)」と父が怒鳴り散らすという毎日でした。

施設入所にベクトルが動いたことに安堵感を感じたというのは分かる気がします。お母様には寂しさの代わりに安全が、お父様には安眠が手に入ります。
誰にとっても「これが一番」という方法は無いと思います。有り余る財力があれば別ですが。割り切れないものです。

No title

今のお父様の状態を考えると、今後どうするべきかお辛いところですね。
お父様が怒鳴ってばかりだと、お母様の認知症(特にレビーの場合)は急速に進行すると思います。そのことを考えると今は少し二人を離す方がいいのかも知れませんが、お母様ご本人の気持ちを考えると、ご家族としてもなかなか決断しにくい問題だと思います。

【グループホーム】
グループホームは他の利用者との共同生活になるので、不穏やせん妄で他の利用者に迷惑をかけるなど、何か問題行動があれば入所拒否になります。こうした問題行動のないことが入所の前提条件ですが、今のお母様には転倒の危険性があるので、歩行介助のことを考えると難しい感じがします。グループホームは夜間の職員が一人のところも多く、他の利用者の世話をしてるときは、お母様が一人で勝手に歩いても目が届きません。

【老健(介護老人保健施設)】
本来は3ヶ月以内に在宅へ復帰させるのが目的の介護施設です。とは言っても、実際には6~7割が特養(介護老人福祉施設)への入所待ちに利用されてるのが現状です。本来の目的からするといいように見えますが、老健入所中はよその医療施設へ行けませんので、月1回の河野先生の受診をあきらめることになります。基本的に症状が安定してて、決まった薬を服用していればいい人が入所の対象となります。

【ショートステイ】
利用者側の都合で日程を決めることができるので、月1回の河野先生の受診日に合わせて日程を組むことができます。不穏やせん妄などが多少あっても、対応してくれる施設も結構あります。一番の問題は施設の空き状態です。

以前お母様がショートを使ったときのことを思い出すと、やはりためらいがあるかも知れません。そのことは十分解りますが、他の施設でも同じようなことは考えられます。グループホームや老健は長期になりますので、しばらくの間は名古屋への受診も考慮しながら、ショートで様子を見るというのも一つの手かと思いますが…。

クリちゃん ちゃわさん

くりちゃん
本当にそうです。割り切れません。
母が何もわからなくなってしまえば割り切りやすいのでしょうが、レビーの場合は、そうはならないようですね。

ちゃわさん
アドバイス、ありがとうございます。ケアマネもショートで考えています。
母の入院中、多少は、父も妹も精神的にゆとりが出ると思いますので(前回は入院中でも参っていましたが)母の今後について、もう少し冷静に、まともにじっくり考えることもできるのではないかと思っています。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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