3月11日 私たち全員が抱いている痛み

1年・・・。
犠牲となった方々のためにお祈りをする。
被災者の方々の心身のご健康とお幸せを心から願う。

・・けれども、たった1年で、いったい何が変わるだろう、とも思う。
1周忌は、心えぐられるものではないか。


東北の、福島の映像を見る度に、涙が出る。1年前も、今も。
涙など、何の役にも立たないと知りながら・・。

あの時、関東で起こったことを思い出すことも苦しい。
1年経っても、私は、無力で根性なしのままだ。


1年・・・。
この1年で、私たちは、どれほど多くのものを失ってしまっただろう。
大地も海も、風すら、その意味を変えてしまった。
私たち全員に取り憑いた不安が消える日が、いつか来るだろうか。

私たち世代は、高度成長期という春に育ち、社会に出た頃は、バブル期という夏だった。
今、子供たちは、秋から冬に向かう冷たい風の中に生きているように見える。

「頑張ろう」とは、今も、言えない。
「大丈夫だよ」と肩を抱くこともできない。
ただ被災地の復興を祈りながら、震度7が予想されるこの地で暮らしていく。

あの日、近所の何軒もの家が傾き、その後、更地に変わった。
液状化の泥で自動車も自転車も埋まった通りがあった。
地割れや破損で普通に道を歩くことができなくなった。
近所の12階に住んでいた友人の家では、家具がすべて倒れ、すべての食器が割れた。
「死ぬかもしれないと思った」と、周囲の多くの人の口から聞いた。
そのどれもマスコミには、ほとんど取り上げられることがなかった。
私たちが知らないだけで、もっと広い地域で大きな被害があったのだろうと思う。

死を思うことで、人は本質が見え、よりよく生きることができると言われる。
不憫に思える若者たちも、浮かれていた時代の私たちと比べれば、ずっと堅実で、身の丈に合った暮らしの幸せを知っているように見える。
計り知れないものを失った私たちは、それ以上のものを確かに得ているのかも知れない。
今日は、ただ、痛みしか感じられないけれども・・。

(これは、心理学でいう「命日反応」に似たものだろうか。
 これからは、もっと力が出ると信じよう。もっと復興に役立とう。)

P1040937.jpg
2012年3月10日。近所の公園。修復工事が始まっていた。
P1020020.jpg
2011年3月27日。閉鎖された公園。元は平地だった。

当時の付近(関東)の被害写真は、もう1つのブログに載せています。(こちらです。)
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No title

ウィリアム・ワーズワースの詩より

「あの草原の輝きや
草花の栄光が帰らなくても、
嘆くのはよそう。

残されたものの中に
力を見いだすのだ。」

この詩で、自然界の生命の本質を再認識させられました。

No title

関東の被害もすごかったんですね。
高校の先輩から教えてもらったのですが、こんな青年が東北にいました。熱いです。
http://www.1101.com/schopdan/index.html
昨日は、その花火大会だったのですが…。

時代が変わったように、若者も変わっているのだろうと思います。そんな若者を応援し、自分もかっこつけて熱く生きて行きたいと思いました。

3.10

ついさっき、娘と黙祷をしたところです。
前日の土曜日から、テレビ各局が「大震災から1年」と特集番組を流していますね。

でも、代々東京育ちの我が家にとっては、3月10日も黙祷の日。
10万人が亡くなり100万人が被災した東京大空襲。正確に言わせてもらえば、亡くなったのではなく殺された日です。

戦災から数十年後には世界一の都市へと発展を遂げた東京。阪神大震災のすぐ後に生まれた現在17歳の娘が、今の私の年になる頃には、傷ついた東北が美しく発展していることを私は信じています。

kimiさん  みやさん クリちゃん

それぞれに深い想いを込めたコメントを本当にありがとうございました。
それぞれが深く胸に染み、勇気付けられます。

3.11についての記事は、書くべきか止めるべきか迷いました。
でも皆さんのコメントを読んで、書いて良かったと思いました。
ありがとうございました。

復興の当事者はだれか

昨日は辛くて、TVを見ることができませんでした。
会議があって出かけ、往き帰りの車中で読んでいたのが『民衆史』(色川大吉、講談社学術文庫)でした。
東京中心の東北観に鋭い批判を浴びせています。

復興の支援が遅々として進まないいらだちもあります。
でも、それ以上に、東北の方たちの尊厳を、いち早く回復しなければ、東北の復興も、日本の再建もあり得ないですよね。
阪神の時と比べて、東北の方が明らかに動きが遅いと感じます。

waheiさん

コメントありがとうございます。
waheiさんが、感じていらっしゃることは、日本中の多くの方が感じていらっしゃると想像します。
復興支援すら平等ではないということに私も愕然としています。

私たちは、あまりにもたくさんの問題を一度に負い過ぎたと思います。
東北では、すべてを失った方々があまりにも多く、福島を中心とした広い地域では、放射能に脅かされています。
マスコミには、ほとんど取り上げられませんが、東北、福島以外にも大きな被害が出た所は、限りなくあると思います。
加えて多くの地域で、今でも地震が続いています。(私の住む地域もその1つです。)
巨大地震・巨大津波が、明日、自分と家族を襲うかも知れないと予測されている国民は、何千万人なのかわかりませんが、国民の半数以上でしょう。その対策も急務です。

これだけたくさんの問題を1日も早く解決しなければいけないのです。
私は、それを考えるとただただ呆然とし、へたりこんでしまいそうになります。
しかし無力さに押しつぶされてはいけないのだと思います。
個人の力ではどうにもならない問題だと放り投げてしまっては、終わりだと思います。

どんなに小さななことであろうと、何かをし続けていくこと、なんとかしなければと悩み、苦しみ、もがき続けていくことが、私に求められていることのように感じています。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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