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介護5日目(後編)介護の幸せ

母は、デイサービスでは、色々沢山話したようで送ってきた男性職員が「お母さん、粋ですね」と言う。
母は、その人のことを妹の夫だと思っていて、ある女性職員のことは、姪だと思っている。
母「みんな違うよって言うの。変だね」

ゴミの分別(私の住む地域より細かい。)ができない兄(重度知的障がい有)に時間をかけてゴミの種類を教える。
「無駄だよ」と妹も父も言うが、毎日ゴミを分け直すのも父のストレスになるだろう。
父は、文句も愚痴も言わないが、かなりストレスを溜め込んでいる。
母には絶対に怒鳴るなと私が言っているし、兄に怒鳴れば兄は収集がつかなくなる。
風呂や茶碗を洗いながら「○○(兄)のやつ、このくらい手伝ってみろって言うんだ!」と大声で一人でしゃべっている。
妹は父にゴミの分別を教えている。「スチール缶とアルミ缶は分けるんだからね。布は資源ゴミだよ」
父は、キョトンとしている。今までどうしていたのかと訊くと、出さずに倉庫に溜め込んであると言う。

母は、便のことがあったので、尿も拭けているのかどうか初めて確認してみた。
(母は、いつも拭いた後、その紙をトイレの床に捨てようとした。)
なぜそうなるのかはわからないが、おしりまでびしょびしょだった。
(母は、しっかり拭いたと言う。)
その時から、トイレの度に専用のおしり拭きで全体をよく拭くようにした。

母は、食後、抑肝散を飲ませようとすると初めて自分で薬の袋を持った。
「○○!(兄)○○!薬の時間だよ~!」兄の薬だと思っている。
「お兄ちゃんに飲ませてどうするの」と妹が吹き出し、私も父も笑った。

夜、母、父、妹、私の4人で(兄は9時前に寝る。)ソファーに座り、初めて皆でテレビを見る。
(母のベッドの位置からはテレビは見られないし、見たいとも言わなかった。)
たわいもない番組だが、父も妹も大笑いし、母も笑っていた。
母は、すぐウトウトしてしまうが、目覚めては、また皆と一緒に笑った。
4人でテレビを見て一緒に笑う日が来るなんて、想像もしていなかった。
このまま時が止まってしまえばいいのにと思った。

介護は、思った以上に大変だったが(特に、眠れないこと。)思った以上の充実感があるということも知った。
一日、母の世話をして、家事をするだけの毎日で、ブログを書くなど「何か生み出す」ということは何もないが、それでも何か精一杯仕事をしたという達成感のようなものがある。
家族5人が、これ程結束したことも過去にはなかった。
問題だらけの家族だが、決して不幸ではなく、むしろ幸福の近くにいる気がした。






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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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