実家で起こっている色々なこと

実家では、相変わらず色々なことが起こり続けている。
母を歩けるようにして、自宅介護をしたい父は、母を特別養護老人ホーム(特養)からリハビリ中心の老人保健施設(老健)に移したいと言い出した。
妹は、介護施設のことなど何1つ知らなかった父が、自分で調べたということに驚いていた。

案じていた通り、週末帰宅する兄と父の間の緊張は高まり、妹が訪ねた時、爆発したそうだ。
両者とも怒り出したら簡単には治まらない。
妹がいる時で本当に良かったと思う。

母は、悪い状態が続いているらしい。
支離滅裂なことをずっとしゃべり続けているが、何を言っているのかよくわからないと妹がいう。
それでいて家族を非難する時には、なぜか核心を突き、理路整然とし、語彙の誤用もないという。
「笑って受け流すことができない」と妹は、もらす。
私だってできない。
11月の帰省時、何を言われるかと思うと、会いに行くのに勇気が必要だった。

良いニュースは、兄が、入ったグループホーム(ケアホーム)に居る世話人が、とても優しい人だということだ。
リビングには、クリスマスツリーが飾り付けられ、世話人は、(言葉によるコミュニケーションが難しい)兄にも色々話し掛けてくれるという。
それだけのことで、何だか座り込んでしまいそうな程ほっとする。

両親共に兄の面倒を看られないとわかった時、兄の行き先は、決まっていなかった。
兄を引き取ることを真剣に考えた。
何よりも大きな問題は、兄が、まったく新しい環境に慣れることが可能なのかということだった。
両親から離れ、親戚から離れ、長年お世話になっている先生たち(施設職員)と離れ、仲間や友人たちと離れ、私たち家族以外、誰1人知らないこの土地で、兄が、幸せに暮らしていけるのか・・・。
それは、ほぼ100%不可能なことに思えた。

母を、兄を施設に入れたことの痛みは、死ぬまで私の体の中に存在し続けるだろう。

それ以外に、選択肢は、なかったと思っている。
それが最善の選択だったと思っている。
だから自分を責めることはしない。
私は、割り切っている。

けれどもどこまで割り切ったところで、この痛みを消す方法はない。
死ぬまで心の奥に抱えていくしかない。
血を分けた肉親なのだ・・。
生まれた時から一緒に暮らした家族なのだ・・。


P1040384.jpg
何年か前に母が絵手紙教室で描いたサンタ

関連記事

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR