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認知症・うつ病の患者の内面で起こっていること

認知症を患いながら、その体験を書いているクリスティーン・ブライデンさんの本をここ数日ご紹介している。
その内面の描写は、胸に迫り、多くのことを介護者に教えてくれる。

下記の文章を読んだ時、母の言葉とあまりにも似ていて驚いた。
母は、急激に悪化する以前に、何かを見据えるような目でこう言った。
「いつも、何か大事なことを忘れてるような気がする。何かとんでもないことになるような気がする」

私には、母がなぜそんなことを言うのか、よくわからなかった。
母の動きは、体も頭もスローモーションにはなっていたが、記憶障害は、目立たなかった。
たまに私が電話で「何、とぼけたこと言ってるの?」と言う程度だった。
しかし母は、その時、既に記憶障害を強く自覚し、密かに悩み、苦しんでいた。

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「認知症への偏見 うつ病との共通点」(2011年10月6日記事)にも書いたが、脳の病気を患う苦しみは、外からは計り知ることができない。

下記に書かれたことの多く(ほとんどと言ってもいい。)は、うつ病患者にもそのまま当てはまると、私は思った。
一見普通に家事をし、仕事をしているように見えるが、心の中には、常に強い不安、葛藤、混乱、怯(おび)えがあり、それによっていつもヘトヘトに疲れ、時に苛立ったりする。
それを必死で隠し、崩壊することなく、なんとか今日1日を生き延びようとしている。

しかしうつ病患者のそういう葛藤を書いた本にまだ(私は)出会ったことがない。
なぜだろうと思っていた時、精神科医の書いた何かの本にあった。
「うつ病患者には、病気がひどかった時の記憶がない。だから同じ過ちを繰り返す。」
一面は事実だが、すべてを忘れてはいない。
自分の状態を客観視する視点は、保たれていた。

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「見えない」ということは、「ない」ということではない。
たれ込めた灰色の雨雲の向こうには、いつも真っ青な空がある。(雨の日に飛行機に乗ると実際に見ることができる。)
存在に気が付いていないだけだ。
暴れる、泣く、できないことをしろと言い張る人の奥底にある”気持ち”に目をこらさなければいけないとブライデンさんの本は、教えてくれる。
そうすれば、患者本人も介護家族もお互いに少しでも安らぎに近付けるのだろう。


以下、青字部分が、本からの抜き書き。


 クリスティーン・ブライデン著「私は私になっていく」(P.142~146)

(略)話すことが困難になったし、たぶん以前よりも涙もろくなった。
そう、それに前より要求が多く、自信がなくなって、衝動的で、コントロールがきかなくなったかもしれない。

ストレスに対する私の耐性は非常に低く、ほんのちょっとしたトラブルでも大げさに反応して、叫んだり、悲鳴を上げたり、あわてふためいて、おろおろと歩き回ったりする。
私には驚きや突然の変化ではなく、静けさが必要だ。

この病気の根底には常に不安感がある。
何かしなければならないことがあるのに、それが何なのか思い出せない。
何か大変なことが起こるような気がするが、それが何だったか忘れてしまったように感じる。

パニックは嵐のように私たちを襲う。
それは、私たちが必死にストレスに対処しようとしている内部の葛藤である。
私たちは破滅をすぐそこに感じてる。
どうか私たちを助けて、ストレスに対応しようとする努力から、少しの間休息させてほしい。

ストレスに対応するもうひとつの方法は無感覚だ。
負荷がかかりすぎたのでスイッチを切ってしまうのである。
一度にあまりに多くのことが起きすぎると、もう対処しようという気さえ起こらない。
関心がないのではなく、エネルギーがないのだ。

不安は私たちがどうにかできるものでははい。
それをコントロールする脳の部分が欠落しているのだ。
だから私たちはあなたに気持ちを落ち着かせてもらわなければならない。

―けれども、心配しなくていいよ、などと言うのではだめだ!
私たちはそんなことはできないのだから。
必要なのは想像力なのである!
よちよち歩きの聞き分けのない子を相手にするように、うまく気持ちをそらせたり、ものごとをやりとげられるように手伝ったり、自信を与えたりしてほしい。

私たちが不安になるにはもっとなことなのだ。
私たちの多くにとって、書いたり読んだりできないというのは、現実的な不安だ。
何を着たらいいか、どうやって着るのかがわからないので、着たり脱いだりすることがストレスになる。

そしてもちろん、私たちは自分が覚えていられないことを知っているので、気をつけていないと何かをなくすのではないかと常に心配している。
覚えているべきことを覚えていられないので、イライラしている。

(略)イライラが生じてどんどん強くなり、今にも噴出しそうになる。
だから言葉を失った人が、やりたくないことをやらされる時に暴れるのは、私にもよくわかる。
「いやだ」と言葉で言えないのだ。
何かを強制する前に、私がそれを望んでいるかどうかを確かめてほしい。
私はもう大人だ。
あなた方が聞かせたいと思う音楽を私は聞きたくないかもしれないし、させたいと思うゲームをしたくないかもしれないし、食べさせたいと思うものを食べたくないかもしれない。
たとえ話すことができなくても、私は尊厳と敬意に値する存在だ。


P1030859.jpg
金木犀(キンモクセイ)。これ、ハートの形ですよ。珍しいですね。
中学生の時、七里先まで香るから七里香と呼ぶと(確か母から)
聞いてその名前が好きだったのに、今、調べてみたら七里香は
沈丁花で、金木犀は九里香とネットに書いてあってびっくり。
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No title

こんにちは。
「何かを強制する前に、私がそれを望んでいるかどうかを確かめてほしい。」この部分が心に残りました。
一昨年くらいから、母と一緒に出かけるのはスーパーやホームセンター、薬局、母の実家、祖母のお墓といつも母の行きなれたところばかりでした。
外食も、「お父さんが外食嫌がるから家で食べよう」と言って行かなくなってました。

他のところに誘っても、「あんた行ってきな」と行って一緒に行こうとしませんでした。
仲の良い友達とは、電車に乗って待ち合わせして、ランチに行ってたんですけどね…。不思議です。

もっと、違うところに連れてってあげたかったなと思ってましたが、本人はきっと行きたくなかったんだろうなと、この文章を読んで思いました。
一度、母の行きたいと言ったスーパーでない新しいスーパーに連れて行こうとしたら、大きな声を出して怒ったことがありました。それからは、母に確認して行きたいところに行くようにしました。

たぶん、そのときの母の状態で精一杯頑張ってくれていたんだと思います。
本当は行きたくないけど、娘に付き合ってくれていたのかもしれません。

私は、もっと色んなところに連れて行けばよかったと思っていましたが、母からすれば、そのときはもう行きたいと思っていなかったし、知らないところに連れて行かれるのは楽しみではなく、苦痛だったのかもしれませんね。
スーパーで買い物したのも、今となっては良い思い出になってしまいました。
母が好きだったスーパー、涙が出てしまったまだ行けないんですけどね…。

みやさん

コメントありがとうございました。
読んでいて私も色々なことを思い出しました。
私ももっと両親と兄と色々な所に行きたかったです。
子供が中学生位になると、帰省するのも1年に1回でしたし、皆で一緒に旅行に行ったことなんて本当に数えるほどでした。
私は、母と行ったインド料理屋に行けません。毎月母を連れて行ってあげようと思ったのに、最初で最後になってしまいました。

本当にそうですね

うつ病の人は自信がなくて、自分がどこまでできるのか、失敗して他人に迷惑をかけはしまいか、いつもいっぱいいっぱいで緊張しているし、それを周りに気取られる事も恐れていますよね。認知症の人も同じ心境だったのですね!

軽い認知症の義母も、いくら誘っても「もう、行きたくない。ここでいい」と、外に出たがりません。自分が対処できない外の世界より、知った人だけのホームの中の方が安定して幸せなのかもしれませんね。昨年、通院の途中で紅葉の素晴らしい所を通って見せてあげたけど、全然喜びもせず無感動でした。脳の感動中枢が麻痺してるみたい。景色を楽しむということができないのも、うつ病と似ていますね。私もうつの時は花や景色にも心を動かされず、他人の心の動きすら、無礼な不法侵入者のようにうっとうしかったです。「やりたくない事を強制しないで」という気持ち、よく分かります。
でも、こちらから訪ねたり、写真を見せたりすると喜びます。自分から出かけるより、来訪を楽しみに待っているみたいです。

うつ病

うつ病患者には、自分がどこまでできるのかわからないという気持ちは、常にありますね。調子が良い日は、普通に何でもできたりして、嬉しくなってつい頑張り過ぎ、翌日には、具合が悪くなって動けないということがあります。
調子が良い日が続くので、大丈夫かと思って親しい友人と会う約束をするのに、当日雨になって頭も心も体も重く布団からどうしても起き上がることができないということも何度もありました。
そしてそんな自分が情けなくて絶望的な気分になり、また悪化します。どんどん臆病(おくびょう)になります。

うつ病と診断される前だったと思いますが、自分が「普通ではない」と思ったことが、何度かありました。
1度は、花を見て、何も感じなかった時。美しいとも可憐だとも、一切何の感情も浮かびませんでした。
1度は、鏡に映った自分の顔があまりにも暗いことに驚き、「そんな顔してちゃダメだ!笑え!」と笑おうとしたのに、どんなに頑張っても顔の筋肉がまったく動かなかった時です。
ただ事ではないと思いましたが、病院に行こうとも思いませんでしたし、不眠を理由に初めて受診した時も病識はゼロでした。ただ眠れないので薬が欲しいと病院に行き、うつ病と診断されても「憂うつな気分はまったくありません」と診断を否定しました。
実際には、心が死んだようになっていて、どんな感情も感じられない状態でした。
一般の人が考えるうつ病の症状(ひどく落ち込んだ状態が長く続く状態)と実際の症状には、ずいぶん大きな隔たりがあると思っています。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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