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障害者のきょうだいの抱える問題

Eテレ「ハートをつなごう」の「きょうだい~障害のある人の兄弟姉妹~」の再放送を今日見た。(2011年10月6日正午にも再放送あり。)

私も初めて知ったが、障害者や難病を患う人の兄弟姉妹のことを「きょうだい」或は「きょうだい児」と呼ぶそうだ。
「悩みや葛藤を抱えて育ちながら、今まで支援の対象となってこなかった」と公式サイトに書かれている。

私も「(障害者の)きょうだいの会」というものがあると知ったのは、10年程前、ネットを通してだ。
「きょうだい」への支援活動や「きょうだい」向けの本の存在を初めて知ったのは、1993~’95年に米国に住んだ時だった。
その時、そういう支援が、日本にも普及すればと思ったが、状況は大きくは変わっていない気がする。


番組に出演していた「きょうだい」の話を聞くと、自分と良く似ていると思った。
障害のあるきょうだいが大好きだということも、母親には複雑な想いがあるが、仕方がないことと諦めて自分の気持ちを押さえ込んできたこと、悩みを親にも人にも言えなかったこと、等々。

出演者「”私の弟、自閉症なの”って、言いたかったけど、どうしても言えなかった」

私も『何ら恥じることではないし、私にとって、とても重要なことだから言いたい』という強い気持ちを常に持ちながら、誰にも言えない長い時期を生きた。

相手の反応が恐いということもあった。
(実際、障害者を普通の人として見る人は、少ないと思う。可哀想と見る人が多い。言われ慣れた言葉だが、「きょうだい」には、抵抗感がある。一緒に育った「きょうだい」は、障害のあるきょうだいを普通の人と思っているから。)

「私の兄は、障害者です」と言葉にした途端に、押さえに押さえてきたものが噴出して号泣してしまいそうでもあった。22歳位までそうだった。

でも良い人と結婚し、子供も生まれた頃から変わった。
今では、兄のことを訊かれれば、誰にでも「知的障害者です」と平気で言える。
聞いてぎょっとする人も時々いるが、何とも思わない。
私は、既にその問題から完全に解き放たれている。

しかし、今、その問題のさなかに生きている「きょうだい」も大勢いるだろうと思う。
彼らが、必要な支援を求めること、彼らに支援の手が届くことを心から願っている。


番組のゲスト、吉川かおりさん(明星大学福祉実践学科教授。兄が、ダウン症)の言葉をご紹介したい。(下記、青字部分)
「きょうだい」の置かれた状況が、よく理解できると思う。


(障害児の)親御さんは、体が健康に、いわゆる障害がなく生まれれば、(「きょうだい」は)放っておいても育つと思ってるんですね。
ところが子供は、無条件の愛、手間暇かけてもらわないと健全には育つことはできない。そこではないかなぁという風に思います。

「きょうだい達」は、特に、無条件の愛情をかけてもらいにくい状況にあるんですね。
例えば、障害のある子のことで一生懸命な親の手伝いをしたら愛してくれる、良い子で居れば、成績優秀であれば愛してもらえる。
条件付き愛情というのが山ほどある。
(親からの愛が)無条件ではない。

「きょうだい達」の辛さって、自分が出会っている出来事が 自分では解決できないような出来事じゃないですか。
(きょうだいに)障害があるとか、親がそのことで振り回されているとか、社会からの誤解や偏見を受けるとか。
自分ではどうにもできないようなもの凄く大きな壁や圧力に、まだ自分のことを言語化できない時期から向き合わなきゃいけない。

それで自分のキャパシティーに、もの凄く色々なものが、どんどんどんどん、この器の中に溜まっていって、キャパが一杯一杯なのに、それにも気付けずに日々を送っていかなきゃいけない。
それがものすごく辛いんだと思うんですよね。


P1030622.jpg
ハナトラノオ
小さな花です。寒くなりましたが、まだ咲いています。
クリックしてアップで見ると中々華やかな花です。
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No title

あぁ、うちの娘たちもこう思いながら成長するんだろうなぁと思うとヒヤヒヤします。うちは長男が重度心身障害児。
下の妹2人について、母親の私はやっぱり「うわー、すごーい、健常児ってほっといても勝手に成長するんだぁ」と思っていました。反省しても、態度は変わらず・・・・・
またおサルの反省・・・・

kikutaroさんへ

はじめまして。このブログを書いているしばです。

お子様たちのご年齢がわからないので何とも言えませんが、母親が、「きょうだいの苦しみ」について知っていると知らないとでは、全く違ってくると思います。

私の母は、知りませんでした。
私が成人しても「私(母)が死んだらお兄ちゃんを頼むね」と繰り返し言い続けていました。
それは「お前は一生独身でいて、兄を世話するためにだけ生きろ」と言われている気がしました。(私の心に歪みがあったのでそう聞こえたのでしょう。)

妹さんたちは、お母様のご苦労を十分にわかっていらっしゃると思います。
お兄様を心から愛され、一生できる限りのことをしたいと思っていらっしゃると思います。
ですから「あなたは、あなたの人生を大切にすればいい。あなた自身の人生を大切にしていい。そうして欲しいとお母さんは思っている」と言うだけで、妹さんたちは、本当に楽になれると私は思います。

遅過ぎるということはありません。
いつでも修復できます。

私は、兄が、知的障害を持っていて良かったと思っています。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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