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認知症患者とのコミュニケーションの方法

母は、少しづつ言葉を失ってきている。
単語の意味がつかめず、素っ頓狂(とんきょう)な聞き間違いをよくする。
重い言語障害のある兄の言うことを母は、ほとんど聞き取れなくなったと妹がいう。
母の人生の中で、最も愛し、そのエネルギーの大部分を注ぎ込んだあの兄の言葉を・・。

認知症を患い、言葉を失いつつある人とのコミュニケーションについて、しばらく考えていた。
受容的であること、目の高さを合わせること、なるべくわかりやすい言葉を選ぶことは、もちろんなのだが、もう少し違う何かが必要なのだろうと思っていた。
2011年9月18日(日)の日本経済新聞(文化欄のエッセイ)を読んで、これだと思った。

同時にこれは、知的障害者やうつ病患者にも有効であろうし、いってみれば全ての人間同士のコミュニケーションに重要なことだ。(エッセイの中では、インタビューの極意として書かれている。)

認知症を患う人は、人と話す時、緊張している。
自分の言語能力が落ちていることをわかっていて、そのことで傷つき、悲しみ、いらだち、不安になっている。
相手のことも思いやって、何とか”問題のない”会話を成立させようと、必死になって取り繕っている。
そうすることでヘトヘトに疲れ切ってしまう。
母を見ていると、そう感じる。
(若年性認知症患者であるクリスティーン・ブライデンさんの著書からもそれがよくわかる。)

下は、新聞のエッセイを抜き書きしたもので、文の前後のつながりは、切れている。
文中の「児玉さん」は、梯久美子氏が、「インタビューの名手だと思う」と書く俳優の児玉清さんのことだ。


 「インタビューの極意」 梯久美子(かけはしくみこ。ノンフィクション作家)

人は、相手の気が散っていることを、敏感に見抜く。「この人は”いま”という時間の全部を自分のために使ってくれていないな」と気がついてしまうのである。

(略)スポーツ選手がよく「集中しつつリラックスしている」状態が大切だと言うが、インタビューでそうした状態を作るためには、取材相手とひとつの繭(まゆ)の中に入ることをイメージするのが効果的なのだ。

児玉さんと話をしていると、実にのびのびとした気分になった。忙しい方なのに、人と相対するときの構えがゆったりしていて、先を急ぐ気配がみじんもない。一緒にいると、「あなたのための時間はいくらでもありますよ」と言われているような気がした。

インタビューに限ったことではなく、あれは児玉さんの生きる姿勢のあらわれだったのだろう。

現代人は時間にケチである。
いま目の前にいる相手のために、自分のすべてを使うことをしない。それは、人生そのものをケチることなのではないかと思う。



P1010668.jpg
コスモス
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No title

そのとおりですね。

義母も実の息子が来てもあまり嬉しそうではありません。
彼は話すことが見当たらず、耳元で優しくゆっくり簡単な言葉を選んでという習慣がないのです。義母は聴覚障害と言語障害、軽度の認知症のトリプル障害なので、コミュニケーションは凄く難しく、私も最初はどうしていいか分かりませんでした。

でも、簡単な質問(今日はお昼ご飯に何食べた?)とかして、頑張って話そうとして、そのうち出て来ないで忘れて・・「忘れちゃった?はっはっは!」と一緒に笑う、これを繰り返しているうち、大事なのは話の内容ではなく、同じ時間を過ごしていることなんだ、と気付きました。

こちらの「内容に拘ってないよ。おしゃべりを楽しんでるよ」という気持ちが伝わると、向こうも精神的にプレッシャーがなくなり、言葉を絞り出す苦痛も感じなくなったみたいです。不思議ですね~

ただ、最近は義母に親切にしてあげると、実母をおろそかにしてしまった罪悪感で自責の念に駆られて、自分が精神的に追いつめられてしまいます。

今日、思い出したこと

そういえば、こういう姿勢(存在のしかた)は、心理カウンセリングでカウンセラーが求められる姿勢だと、以前、河合隼雄の本で読んだことを思い出しました。
何もせず、ただ全存在をかけてそこに居る。
でもそれは、厳しい訓練を重ねたプロだからこそできること。
カウンセリングは、家族や親しい友人にはできない。

といった内容でした。
確かに家族は、愛情がある分だけ、様々な強い感情がわき起り、どうしてもそれに揺さぶられ、難しい部分があると思います。
でも理想のあり方を知っていると知らないとでは、違うと思うんですよ。

もう1つ、ふっと思い出した聖書の文章があります。
偶然思い出しただけで深い意味はありません。
ただ聖書の中で、私のとても好きな部分です。
(私は、信仰する宗教はないのですが、聖書や仏教の本を読むのは好きです。)
新約聖書 マタイによる福音書 第25章
(略)あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである。
(略)「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」

No title

はい、私と義母の関係は家族でも親しくもない、他人の関係です。
「フライド・グリーン・トマト」という映画のニニー(ジェシカ・タンディ)とエヴリン(キャシー・ベイツ)のような関係。
それが良いのでしょう。

私としては、彼女に最期まで気品のあるLadyでいて欲しいですし。彼女もそれを願っていると思います。
その意識は分かってもらえると信じています。

kimiさん

血のつながらない嫁だからこそ、ということは、色々あるんだと思いますよ。
ある医者が、「患者の症状や環境を一番正確に観察し把握しているのは、嫁であることが多い」と何かに書いていました。
昔、夫の祖母(とても優しい人でした。)が、病床で、長く生きることは、辛いと話しました。
血のつながらない「孫の嫁」という存在だからこそ言えることなのだろうと思いました。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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