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意識がないように見える人に話しかける

最近読んだ「寄る辺なき時代の希望」(田口ランディ著。ノンフィクション)。
その中に脳出血で倒れ、医師から「絶対に意識が戻ることはありえない」と言われた母親と著者のコミュニケーションの話が出てくる。
著者が、手を握って話しかけると、その手をかすかに握り返し、「母は母らしい顔面神経の歪みを見せて笑った」という。
「まぎれもなく母だ。私にはわかる。意識がある。信じられなかった。」と書かれている。

似た話は、今まで何度か読んだり、人から聞いたりしてきた。
柳田邦男の「犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日」にもあった。
脳死のはずの息子さんが、柳田氏の見舞いに反応する。
目に見えないほどの微かな変化が、柳田氏には「確かにわかる」ということが書かれていた。


私の知る複数の特別養護老人ホーム(特養。1つでは、短い期間だったが、働いていた。)では、コミュニケーションの手段を失ったように見える利用者に話しかける職員を目にしたことはなかった。
オムツをかえる時も風呂に入れる時も胃ろうで食事を入れる時も誰も一言も発せず仕事をしていた。
(勿論、たまたま私が見た時だけがそうだったのかも知れない。)

それを批判しようとは思わない。

けれども話しかけた方が、職員自身が楽ではないかと考えてしまう。
何もわからなくなった人の世話をするのは、誰でも辛い。
この人には、何をしても何もわからないのだと思いながら、黙って世話をしていたら、私なら、その人が「個性ある1人の人間」だとは思えなくなってしまう気がする。
「物」となった人の世話は、人を虚しくさせる作業ではないだろうか。

聞こえても聞こえなくても「○○さん、おはようございます」と笑顔で挨拶し、「お風呂に行きましょうね」と声をかける方が、世話している職員自身が、より楽しくはないだろうか。
10回に1回、或は、100回に1回、声が届き、反応はできないけれど、喜んでいらっしゃると考える方が、精神的にずっと楽ではないだろうか。


昔、ワシントンDCのホスピスでボランティアをした時、スタッフの誰もが、そうした患者さんに、笑顔で話しかけることに、私自身、とても驚いた。
そしてもっと驚いたことは、それが聞こえていると知ったことだ。
入院以来、1度も何の反応のなかった患者さんが、ある日突然返事をしたり、微笑んだり、話し始めて、私は何度も飛び上がった。
「米国ホスピス・ボランティア体験記」40章)

人は死ぬまで聴覚は残っているとよく言われる。
私の家族が、意識のないようにしか見えない状態になった時、接する職員や看護師が、声をかけて下さっていたら心の底から嬉しい。

*関連記事:「昏睡状態にある人とのコミュニケーションの仕方」(コーマ・ワーク)

P1030169.jpg
イワダレソウ(岩垂草)だそうです。
肉眼ではよくわからないくらい小さな花。
グラウンドカバーによく使われるそうです。
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花の名前

はい、これはイワダレソウ(岩垂草)です。
最近雑草よけのグラウンドカバーによく使われてます。
踏まれても強いですよ~

kimiさん 

ほんとに凄いですね。
ふと生まれて初めて電卓(当時は、もの凄く大きい物でした。)をいじった時の感動を思い出しちゃいました。
「これは?」と数式を入れると、次の瞬間「これです!」と答えをくれる。
『おぉっ!何だこれは~?!凄い~!!』と興奮しました。

花の名前って結構(いや、かなり)調べるのが大変なんです。
この岩垂草にしても、この形態、どう分類すればいいか、わからないじゃないですか。
kimiさんのお陰で、いつもスパッと名前がわかってストレスフリーな日々です。感謝!

No title

さっきまで読んでいた本「物語りの役割」(小川洋子著)に、柳田邦男の「犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日」のことが書いてあって、柳田さんの息子さんにそういうことがあったんだと初めて知りました。
そして、しばさんのブログに書かれていたのでびっくり。

ランディさんのお母さんの事は、本人がさらっと何かに書いてあったの読んだのですが、そういう状況だったんですね。本を図書館で探してみます。
ランディさんはお母さんがそうなる少し前に、色々なことをお母さんと話せていたから後悔ないと書いていたように思いました。
私は、その記事を読んでから、母と大事なことを話さなくてはと思っていたのですが、母と会うと日常の生活が楽しくて、母の人生がどうだったのかとか、父と結婚する前に彼氏がいたとか話せずに今の状況になってしまいました。私が大人になりきれてなかったのかもしれませんね。
ずごーく後悔したけど、それは仕方がないことです。
今は、母が一緒に歌を歌ってくれるのがうれしくて、うれしくて。だたそれだけです。


そして、母のそばにいて時間があるので本を早く読む方法を習得しようと思って申し込んだ講座のテキストに内田 樹の街場のメディア論 があったので、迷わず内田さんの本を選びました。
しばさんのブログで内田さんの家族像が紹介されていて興味があったのですが、読むことになりそうです。

いろんなところで世の中つながっていますね。
不思議です。シンクロニシティってやつでしょうか???

みやさん

それはシンクロニシティ(共時性。意味のある偶然の一致)でしょう。
「犠牲」は、私にとって一生心に残る一冊です。(心に残る本は、他にも色々ありますが。)おすすめします。

私も母と母の人生について語り合ったなんてことは、なかったです。普通の親子は、そんなものじゃないでしょうか。私も私の子供と私の人生を語り合ったことなんて、ほとんどありません。子供は、親の人生に興味なんて持っていませんしね。
みやさんが、お母様と一緒に歌を歌うことが嬉しいという今のお気持ちが、過去のどんなことよりも貴重で素晴らしいような気がします。

内田樹の本は、あれから何冊か読みましたが、今の所、「こんな日本で良かったね」が、私には一番面白いです。

若い頃は、かなりのスピードで本を読みましたが(速読はトレーニングしたことはありません。)、頭が衰えた今は、スルメでもしゃぶるように、時間をかけて、ゆっくり何度も噛んで楽しんでいます。(でも若い頃と違って、内容はすぐ忘れます。)最近は、それはそれでいいもんだと思うようになりました。こうやって何でも妥協して、老い(衰え)と折り合いを付けていくのかなぁ。

No title

意識がなくとも、こちらの言っている事は聞こえている事があるのは事実のようです。
私が若いころ救急で仕事をしたときに、意識がない方でも、こちらの言っている事が聞こえているので、きちんと意識のない患者に話しかけて、処置をしなさいと指導されました。
意識が戻った時に、ベッドサイドで先生が、○○と言っていたのが聞こえました。と言われることは良くあったようです(意識が無かった方の言っている内容は、事実と同じだったそうです)。

No title

もう随分前ですが、全身麻酔で手術を受けた時、途中で意識が戻ってしまいました。「ジョニーは戦場へ行った」の主人公のように、どこか動かして意思表示が出来ないかと、指一本一本から、舌、目玉と動かしてみましたが全く動きません。4時間ぐらいの手術だったのですが、羊を数えても眠れるわけでもなく、ただ早く終わらないかとじりじりと過ごしました。まさか意識が戻っているとは思っていませんから、オペ室ではいろんな話をしているんですよね。術中にミスがあって、他の先生が緊急でオペ室に入ったり、途中で血圧が下がってアラームは鳴るし、「おいおい、大丈夫かよ!」と叫びたいくらいでした。
気管から管が抜かれ、呼び起こされたとたんに、かすれた声で「全部聞いていました」と言っても信じてもらえず、聞いていた内容を事細かに話したら、全員真っ青でした。
それ以来、自分の経験から、意識がないように見えたり、認知症が進んで何も理解できないように見えても、本当ははっきりとした意識があるのかもしれないと思って接するようになりました。

何年か後、伯母が手術をすることになった際、紹介された執刀医が偶然にもその時のドクターで、伯母を手術している間中「もうすぐ終わりますよ、頑張ってね~」と話しかけてくれていたようです。伯母の方は手術が終わって目覚めると「これから手術ですよね。お願いします」と言っていましたw

hokehoke先生 クリちゃん

hokehoke先生、貴重なコメントありがとうございます。
そういうご経験、きっと医療従事者ならあるのでしょうねぇ。そういうことであれば、医療・介護に関わられるすべての方に「実は聞こえている」ということが常識として浸透して欲しいと思いますが、実際、どうでしょうか?

クリちゃん、私なら恐怖でパニックを起こすのでは・・と思いました。
この記事(本文)を書きながら「ジョニーは戦場に行った」をずっと思い出していました。(確か)小学校の時にテレビで見て、あまりのショックに寝付けませんでした。自分が、一生、真っ暗な独房の中に縛り付けられ、一切の人との関わりを断たれたら・・と想像したときの震えがくるような恐怖感を今もクリアーに思い出します。

「患者の証言」として、ちょっと長くなりますが、こんなこともありました。
私の子供が2才の時、熱性けいれん(ひきつけ)のひどいものを起こしました。「呼吸をしていない」と夫が叫び、私が救急車を呼びました。(その前日に頭を強打したという出来事もありました。)
救急車の中で目を覚ました子供は、人相が変わり、知的障害のある子供の顔になっていました。「オー、オー」と叫びながら、両親から逃げようと動物のように暴れました。
救急車のスタッフに訊いても、皆、下を向いて押し黙っていました。
酸欠によって脳が破壊され、2度と戻らないのだと思いました。
兄に知的障害があるせいか、子供の障害は、その瞬間、受け入れられました。けれどもそれまで生きてきた子供が、永遠に死んだのだと思ったら、失神してしまいそうでした。
子供は、再び眠り、病院で目を覚ました時は、「ここ、どこ?」と言いました。狂喜する私たちに、医師は、「一時的に脳が酸欠を起こしていただけですよ」と呆れたように言いました。
2才の子供は、自宅に帰る車の中で「○○(自分の名前)、すごく恐かった。”助けて~!助けて~!”って、ずっと呼んでたの」と言いました。

No title

運動系の神経細胞の活動より、感覚系のほうが早く働き始めるようです。
わかり安く言うと、聞こえていても、それに応じて答えたり体を動かせないと言うことです。所謂「金縛り」と言う現象も、脳の運動系の活動より感覚系の活動が、覚醒早期より起こるため生じるといわれています。

確かに、この事実は医療関係者のすべてが知っている必要がある事柄ですね。

hokehoke先生

あぁ!金縛りも同じ現象なんですね!恐怖体験がくっ付いているのはどうしてでしょうねぇ?感覚と運動が切断されるということ自体が、人間には恐怖なのかな?

昔、長く寝たきりだった祖母が自宅で亡くなる時、家族親戚がぐるりと取り囲んで、でも一言も発せずに、長時間ずっと見ていたと聞きました。(私は、その場に行けませんでした。)
手を握ったり、足をさすったりしながら、思い出を語ったり、感謝の言葉を一人一人がかけたら、例え言葉が理解できなかったとしても何かあたたかいものは届いたのではないか、より安らかな気持ちで旅立って行けたのではないかと思い、長く後悔が残りました。

医療関係者、施設職員だけでなく、すべての人に知って欲しいですねぇ。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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