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7月の帰省2日目(1)母の悪化と喪失感 特養とグループホーム

特別養護老人ホームに入った母を初めて訪ねる。
夫と2人で4人部屋に入って行くと、母は、「助けて~!」と叫んでいた。
叫ぶことが多いということは、最近、妹から聞いていた。

「あぁ・・○○(夫の名)・・。忙しいのに来てくれてありがとうね・・」
そう言えるだけの力が、その日の、その時の母には残っていた。
しかし、母は、衰えた。
体も頭も。
先月よりも格段に。

他人が見れば、寝たきりで、体も不自然に固まって自分では動かすこともできず、訳のわからないことを言い続ける「一認知症患者」以外の何者にも見えないのだろう。
元気だった頃の母を職員の誰1人想像できないだろう。

小刻みにやってくる死別のようだと思う。
私の中で、家族の中で、少しづつ母が死んでいく。
この喪失感は、毎月増していくのか、それとも慣れていくのか・・。

夫は、微笑みながら、ずっと母の手を握っていた。
「お母さんの言うことには、みんな何か意味があるように思ったよ」
後になって夫が言った。


母は、淋しいだろうとも思った。
食事とおやつの前後は、共同スペースに連れて行かれるが、それ以外は、部屋に寝かされている。
同室に会話のできる人はいない。
(重症で、耳も遠い。母が叫んでも良いようにという配慮と聞いた。)
部屋の外は、廊下で、人気(ひとけ)がない。

グループホームでは、部屋の外がリビングで、ベッドから常に人が見え、声が聞こえた。
今は、叫んでも誰にも聞こえない。

一人ひとりの職員に挨拶して回ったが、ゆっくり話すという雰囲気でもなかった。
相談員を通して職員宛に送ったレビーに関する本や資料(ゆるりん通信)について触れる人もなかった。
(2人の職員には、色々質問して母の様子を訊いた。)
大きな特養なので、職員もローテーションでどんどん変わるのだろう。

9人の利用者を常に決まったメンバーで世話していたグループホームを思い出す。
私たち家族も職員ととても親しくなった。

すべてのものごとには、一長一短があるという当たり前のことを思い知った。


P1020975.jpg
露草(つゆくさ)



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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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