7月の帰省1日目 汗だくで眠る兄 何もかも付けっぱなしの父

夫と2人で帰省。夜、実家に着く。

夫は、去年(2010年)の3月以来。
去年の3月、私たちは、7人で最後の家族旅行をした。
その前日、母が長距離は歩けないからと父が初めて車いすを買ってきた。
あの時、母は、要支援2だった。
崖から落ちるように一気に要介護4になるなどとは、誰も想像ができなかった。
(2011年7月、要介護5に認定された。)


実家の玄関を開けると涼しかった。
明かりの付いた居間の扉が全開で、エアコンが大きな音を立てていた。
「どこに行っちゃったんだろうね」と、夫と一緒に帰りを待っていた。

その間に兄の部屋をのぞいてみる。
(兄は、毎日7時頃眠り、真夜中に起き出す。)
寝室のある2階は、むっとする暑さで、しかも兄は、部屋を閉め切っている。

扉を開けると、冬のパジャマを着た兄が、丸くなって眠っていた。
閉め切った部屋の温度は、30度以上あったと思う。
『どうすればいいんだ?!』と思う。
去年の夏も扉を開けて風を通すように何度も繰り返し伝えたがダメだった。

兄は、ふと目を開けた。
「ア・・・○○(私の名)。・・ゲンキ?」
兄が手を伸ばして握手を求める。
握手をしながら答える。
「元気だよ。お兄ちゃん、暑くないの?ここ開けるよ」
兄は、またすぐ眠った。

30分ほどして父が2階の寝室から下りて来た。
「なんだ。居たのか。迎えに行ってやろうかと思ってたのに・・」

父は、とても嬉しそうに楽しそうに夫と話を始める。
しばらくして2階で大きな声がしていることに気付く。
父の寝室のテレビが付けっぱなしだった。

P1030022.jpg
蓮のつぼみ


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うちも同じ

おかえりなさい。今回はご主人との帰省で、心強かったのではないでしょうか。

お父様のつけっぱなしは、どこの家でもおおかた同じようなものです。人のことは気付くのに、自分のやりっぱなしは気がつかない。うちの父もよく仕事道具は無くしてくるし、テレビや灯りはつけっぱなし。そのくせ、私がまだ用事があるからと開けておいた扉を怒りながら閉める。そして私は両手に荷物を持ったまま立ちつくす。あ~あ!

老化だから仕方がないというのは判っていても、自分だって忘れることが度々あるじゃないかと思ってみても、親の物忘れがストレスに感じるのは、その始末を「全部私がやらなくては」と感じてしまうからなのでしょうね。
母が同じ物を繰り返し買い、あちこちから同じ油や醤油が何十本も出てくることがあります。片付けながら「どうしたら止めさせられるか」と考え、「どうせ止めさせることもできまい」となりストレスが増大します。他所様の話だったら、お気の毒に…で終わるものです。

それにしても、お兄さんが熱中症にならないか心配です。うちの娘も軽い自閉症なので、臨機応変が出来ません。窓を開けずに汗だくで寝ています。

クリちゃん

そうですか。この程度のことは、自然な老化現象の内ですか・・。
今回「父の病気は、いったい何なのだろうか」と、観察しながら深く考えてみましたが、余計わからなくなりました。理解不能です。

「どうせ止めさせることはできない(だから余程のことでない限り何も言わずに放っておこう)」というのは、父に対して先月から私が到達した境地です。しかし今回、放っておくわけにもいかないことも出てきて、やはりストレス増加は大きいです。

兄の部屋にエアコンを付けてもらおうかと、やっと(今頃)思いましたが、兄が冬のパジャマを着ていることにも気が付かない父が、忘れずに兄の部屋のエアコンのスイッチを入れたり切ったりできるだろうかと考えると・・・。
兄自身が、エアコンを操作することは、無理です。

No title

うちの母の場合は「自然な老化」ではなく、平均よりも老化が進んでいる結果の物忘れですね。アリセプトを飲んでいても、最近のことはきれいさっぱり忘れています。そのことは本人もかなりヤバイと感じています。そのうちご飯を食べたことさえ忘れるのではと恐怖を感じているようです。

お父様のケースは、元々の性格や今までの生活様式(細かいことは一切合切お母様が取り仕切っていたので、何に気をつけるべきかが気がつかない)が大きいのではと感じますが如何でしょう。お兄さんのことも、きっとお母様が隅々まで管理なさっていたと思います。

私も「どうにでもなれ!」と思うことがありますが、やっぱり身内のことですから、放りっぱなしにはできませんよね。火事や怪我につながることは必ず防がなければならないし、そうなると結局全てを管理しなければならなくなってきたり。来年になれば「去年の今頃はまだマシだった」となるのかもと想像すると…いやいや、今は考えないようにしましょう。

クリちゃん

コメントを読んでから、ずっと考えていましたが、父のことは、本当に私にもわかりません。
ただあらためて思ったのは、母は、家のことを完璧にする人だったということです。料理はあまり上手ではありませんでしたが、几帳面で、掃除とか片付けは、本当に一日中暇さえあればやっていました。家の中は、いつでもピカピカでした。
今、茶色くなった枕カバーとか、ベトベトするクッションとか、色々なものを見つけては、母の働きを思い知っています。
本当は、父にも兄にもやらせなければいけなかったんですよね。何でもやってあげてしまう人でした。
・・仇になりましたね。哀しいです。

No title

お二人のコメントを読んで私も考えさせられました。
しばさんのお母様は古き良き日本の母ですね。
夫の母もそっくりでした。(料理が得意でないとこまで)
夫は何でも私に頼ります。

うちの母は逆パタ!
料理は上手でしたが、家事は全て手抜きというか殆どやりませんでした。
私は物心ついたときから気になる場所を掃除し、小学生の頃から布団干し、洗い物、洗濯、掃除、風呂炊き等やってました。
7:30~19時まで親がいない家では、それが当たり前。
夏休みの昼ご飯も自分達で作らなくてはなりません。
11歳下の弟がいれば、その世話も・・

お陰で兄弟皆、一度も一人暮らしをした事がなくても、料理も他の家事も普通にこなせました。(親に教わった事は皆無)

息子達にも4歳でリンゴの皮むきと目玉焼きを教え、二言目には「一人で生きていけるようになれ」と叩き込んでいます。
しかし、何でも自分で出来る親の元では、自立した人間を育てるのは難しいですね。

北欧では、15~6歳で皆親元を離れて、一人暮らしを始めるそうです。
やはり必要がないと能力は開花しないみたいですね。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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