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特養の医師との話し合い 積極的治療とは?延命治療とは?

(入所前、主治医の診断書と紹介状を出した直後、相談員から電話をもらった。特養の主治医が、入所前に家族と話し合いをしたいという内容だった。6月末に話し合いが行われた。―7月9日追記)

妹が、職場から特養(特別養護老人ホーム)に直行すると、話し合いの席には、主治医と相談員だけではなく、看護師など多くのスタッフらがずらりと並んでいたという。

「特養は、生活の場であって、治療の場ではない。
何時間もかけて遠方の病院まで通ったほど治療に熱心な家族が、積極的治療をしない特養に入所することを本当に納得しているのか」
医師が確認したかったことは、この点だ。

レビー小体型認知症の治療に関しては、今の主治医のままで構わないとも言われた。
しかしストレッチャーでの通院は、本人の負担が大きいので困難だという話になった。

これから急激に悪化することが予想されるが、延命治療(延命措置)についてどう思うかと訊かれ、「望まない」と妹は答えた。これは、私と妹の共通意見だ。

「それでは、万一のことがあっても救急車を呼ばなくていいんですね?」



私自身は、まだ混乱の最中にあった。今もそうだ。

『治療?積極的治療?』

母は、去年の春、圧迫骨折で入院した時から周辺症状(BPSD。不眠、暴言、妄想、幻視、感情失禁、抑うつ等)がひどかった。それは、どんな治療をしても消えることなく本人を、家族を苦しめ続けた。
それを(レビー小体型認知症ではなく周辺症状を。レビー小体型認知症は治らない。)治したい一心で主治医も2度変えた。少しでも良くなる可能性があるのならと、遠方の病院を訪ねた。
必死で本を読み、膨大な時間をかけてネットで調べ、治療の情報を漁った。

けれども治療が、母にもたらしてくれたものは、何だったのだろう。
薬で大きく(或は、劇的に)改善するということは、抑肝散以外なかった気がする。
妹が、医師に頼み込んで処方してもらい、「こんなもの効きませんよ」と薬剤師に言われながら飲み始め、幻視が消えた。しかしその効果も長くは続かなかった。

様々な薬を飲んでいなければ、今より早く進行して、もうこの世にはいなかったのかも知れない。
家族の期待が大き過ぎるだけで、薬は、最大限効いて、この状態を保っていられるのだと言われるのかも知れない。
けれども今、確かに実感するのは、レビー小体型認知症は、治療が困難な病気だということだ。
薬が良く効く人も中にはいるだろう。
適切な介護で周辺症状のほとんどない人もいるだろう。
けれども母は、そうではなかった。
これからどんな積極的治療があるというのだろう?

『延命治療?』

私には、延命治療が、何なのか、わからない。
私や家族が、こだわっているのは、命(life)の長短ではなく、命(life)の質だ。
苦痛なく、穏やかに、平安に最期を迎えて欲しい。
人間らしい生(life)を全うして欲しい。

けれどもそのことと延命治療をしないという選択は、単純にイコールではない気がする。
今、目の前でもがき苦しんでいる家族を即座に救う道が、医療の現場には、いくらでもある。
そしてそれが、延命治療と呼ばれるものなのではないのか。
それを拒否すれば、苦痛なく、穏やかに、安らかに死ぬことができるだろうか?
知れば知るほど、考えれば考えるほど、私には、わからなくなる。
言葉を失う。

P1020831.jpg
木立朝鮮朝顔(エンジェルトランペット)
今は、もう咲き終わっている。
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No title

義母の特養でも延命に関する意思表示書を提出しました。しかし、急変した時に救急車を呼ばないとは言いませんでした。

説明では、苦しんでいる時に「何もしない」のではなく、助かっても元に戻らない場合に、苦しみを長引かせる結果になる延命処置についてでした。例えば人工呼吸や心臓マッサージでは高齢者の殆どが肋骨を骨折するそうです。気管切開をして人工呼吸器を入れると声を失います。

これは年齢や体力、本人の生きる意思などの事情によって異なりますよね。いざ、その場面に遭遇したら、きっと冷静にはいられないでしょう。難しいですね。

No title

延命をしないと言うと、見殺しにするというイメージが払拭できませんよね。うちも、伯母が70代の時は延命しないという選択が出来ませんでした。現在、食べられなくなり、消化器官に腫瘍が疑われるが、外科手術もできないし、検査も無理…という状態までなって、ようやく「延命はしない」という決心をしました。

それでも、人の気持ちは変わるので、なにかあったらその都度連絡をとって家族の最終判断を確認するとのことでした。回復の見込みがなく、家族と連絡が取れないときのみ、延命しないという確認書に基づいて人工呼吸器等を使ってまでの延命をしないということでした。kimiさんの受けた説明とほぼ同じだと思います。
そこらへんが施設によって、どの段階まで細かく設定するか違うのだと思います。

特養に入居したばかりで、延命の意思確認はハードな事柄だと思います。我が家でもそうでした。

No title

その特養の基準が、よく分かりませんが、
延命治療をしない、ということと、救急車を呼ばないという
こととは違う話だと思います。

治る肺炎や、そういうものでも急変したときに救急車を
呼びませんということなのでしょうか。

特養の医師がお母様の体の状態をどう診断しているのか
疑問です。
アルブミン値などが極端に下がっていて、予後生命力が
ないとみているのか、
レビーは難しいから、予後が悪いから近いうちにそうなると思い込んでいるのか。

命ははっきり言ってそんなに弱い物じゃありません。

何回救急車に運ばれてもお家に戻る方もたくさんいます。
まして意識消失などすぐに起こすレビーですし、
勘違いされてもほんとうに困ります。

延命治療の考え方は人それぞれ、価値観や死生観が
異なるのでなんともいえませんが、
「おかあさんとまだまだいっしょに過ごしたいか」
「おかあさんは生きようとしているか」
そんなこと考えます。

ひとつ言いたいのは、レビーを治すことはできなくても
(だってレビー小体を消すことまだできないんですし)
家族と過ごす時間を変える事はできるようになったという
ことです。
またこの2年ほどの流れをみると、一時、薬に頼りすぎる
傾向がレビー家族にあったのは事実です。
薬の微調整も間違った方向で勧められている時期もありました。
今はだいぶ落ち着いてきましたが。
また治療のタイミングがやはりあります。
ほんの少しのずれで、すべてが上手くいかないことが
起きます。
運転してて、なんだか今日はいっつも赤信号に
ひっかかるなあっていうような感じで、タイミングが
すべてずれてしまう場合もあるんです。
どんなに注意したり、観察していてもやっぱり
どうにもできないことだってあります。

遠い病院へいくことが積極的治療だとも思いません。
その医師の見解がだいぶ違うのではと思います。
そんなことより、ひとつの命をていねいに
診てもらいたいと願います。
クリさんのおっしゃっているように、
人の気持ちは変わるものです。
一度でぜんぶ決めてしまうのもおかしいことです。
今の特養の主張は、特養の都合としか見えません。
kimiさん、クリさんのお話が、どの特養でも
聞かれることだと思います。

特養とは何回も確認してもらいたい。


これからしばさんがするべきことはいっぱいあります。
今の時間をどうぞ大切にしてください。

命を奪う権利は誰にもありません。
お母さまはちゃんと生きています。

皆さん

コメント、本当にありがとうございます。
bossさん、初めまして。コメント、重く受け止めました。

特養見学に行った時の相談員の言葉でも書いたのですが、「終末期の医療の問題は、とても難しい。症状が進むにつれて家族の気持ちも揺れるので何度も話し合いを重ねる」と言われました。
この1回で全てが決まるのではありません。

救急車を呼ぶか呼ばないかということは、話の流れの中で医師からふっと出た言葉であり、家族の意志を確認して文書に残すためのものではないと、私は理解しています。
1時間以上話し合ったようですが、私は同席(帰省)できなかったので、そのすべてを完全に理解把握することはできません。
次回帰省の折りに主治医とは直接話をしたいと思っています。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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