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4月の帰省4日目と5日目(2)母の幸せ 別れ 

4日目の夕食後、父も兄も子供(昼間行った。)も「行かない」というので、私1人で母の所に行く。
やはりベッドの上でぼんやりしている。

私「ラジオ、聴いてみる?お母さん、よくラジオ聴きながら家事してたよね?」
付けてみるが、反応しない。
母「またその内、聴くからいいよ。置いといて」
何か聴きたい音楽があるか訊くが、黙っている。

母「あんた、なんで顔にコンニャクなんて付けてるの?」
私「お母さんには、色んなものが見えるんだねぇ・・」
母「あっ、どんどん出て来た。重くないの?取ったら?」

母の言うことのほとんどが幻視と妄想の話だ。
母「そんな黄色い風船まで顔に付けて。変な子だねぇ。あぁ、膨らんできた。はぜるよ」
昔話を引き出そうとしても母の口から言葉が出て来ない。
もう話すのは止めて、黙って手を握っていた。

母「あんたは、どこに寝る?お父さんは、もう隣の部屋で寝てると思うよ」
私「私は、○○(実家)に帰って寝るよ」
母「なんで?!なんでそういうこと言うの?!なんで離れてくの?!」
こうして泣いて怒るのが、常だったが、今回は、それ以上に発展しない。
すっと治まって忘れてしまう。

私「また明日の朝来るよ。ぐっすり眠ってね。おやすみ」
頬摺りをした。本当は、強く抱きしめたかった。
部屋を出る時、母に向かって大げさに敬礼して見せた。
母も横になったままスローモーションで敬礼して微笑んだ。

『これでいい。これでいい』と思う。
認知機能は落ち、ほとんど会話にならなくても、抑うつや感情失禁(泣いたり怒ったりする。)がなければ、苦しまず、穏やかに暮らせる。
この状態が、母には幸せなのだ。
父も妹も苦しまずにすむ。
『これでいいんだ』。帰り道、何度も心の中で繰り返した。


翌朝、皆で訪ねると、母は、比較的元気だった。
母「さぁ!じゃあ、どこ行く?(外食は)何にしよっか?」

食事の手配だの引っ越しの手配だの、しなくてはいけない(と母が思い込んでいる)ことを盛んに気にする。
私「○○(妹)が全部上手くやってくれるよ。○○に任せて置けば安心。頼りになるよ」
母「・・・(長い沈黙)。そうだよ。頼りになるよ」
妹「あ~!良かった~!なんて言われるかと思ってヒヤヒヤしちゃった~!」
私も一瞬慌てた。
実際、妹が居なければ、両親も兄も立ち行かない。

私「これから新幹線で○○(自宅)に帰るの。私はまた来月来るからね」
子「ばあば、また来るよ!元気でいてよ!」
母「そうなの?大変だったねぇ。じゃあ、今、駅まで車で送るから」
私「腰が痛くなるからここでいいよ。ありがと」
母「そう?玄関まで送ってく位ならいいよね?」
ベッドの上で穏やかに別れることもできた。

帰りの新幹線の中で子供が、驚くほど冷静に言う。
「じいじ、夕べ、お風呂に2回入ったよ。お母さんが寝てから、また入った。そんなに変
 わってないと思ったけど、やっぱり認知症なんだなって思ったよ」

P1020365.jpg
紫蘭(シラン)。白は珍しい。

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お疲れさまでした

お孫さん達の顔を見ることができたのは、お母様にとって何よりのプレゼントだったと思います。息子さん達も、話に聞くよりもずっと、認知症や祖父母の状態についての理解が深まったし、とても良かったですね。

私も、理解力がついて自分でこしらえた不安に怯えて暮らすよりも、ぼーっとして分からないなりに幸せな老後を過ごさせてあげたいと思います。
「心配事は娘達に任せて」という対応に、ご両親も慣れてくれて、安心して任せてくれるといいですね。

kimiさん 

そうですね。自分と祖父母のことを思い出すと、私の子供もショックを受けるのでは・・と思っていましたが、2人とも冷静でしたね。親が考えるより、いつの間にか大人になっていたんですね。
兄のことも、普通の人として自然に接し、当たり前のようにサポートしている姿を見て、有り難いと思いました。兄が居てくれたこと、兄に障害があったこと、兄と子供が一緒に過ごした20年余りの時間のこと、色々なことに対して・・。

まだまだ色々なことは起こり続けるのでしょうが、両親と兄が、心穏やかに過ごせれば、それ以上望むことはありません。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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