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2011年3月11日の巨大地震(1)

信じられないような大災害が起こってしまいました。
今、助けを求められている方々が一刻も早く救出されますように・・・!!
被災された方々が、一日も早く普通の生活に戻れますように・・・!!
被害が最小に収まりますよう心からお祈りしています。


関東の私の住む場所も震度5強の揺れでした。
ゴーっという新幹線が通る時のような轟音が聞こえた直後に激しく揺れました。
立っているとよろける位の揺れが長く続きました。
スーパーに居たのですが、ワインの瓶、ビールの缶などが散乱し、通路はワインの海でした。
外では地面が何十センチも持ち上がり、泥水が吹き出しました。
液状化現象です。
あちこちで地割れも起きました。

家の中も滅茶苦茶になっているだろうと思って帰ると、大したことはありませんでした。
お皿が10枚割れたくらい。
自宅に居た子供(成人)が、倒れそうになった食器棚を押さえてくれたためです。
昨日は、水道、ガスが止まりましたが、今朝から復旧しています。

自宅に辿り着いて、まず心配しているだろう実家に電話をすると、何度もかけてやっとつながり
父「おぅ。こっちは、ほとんど揺れてんぞ~。そっちはどうだ~?」
関東地方への危機感は、ゼロでした。

下は、近所の写真です。(追記:浦安市ではありません。)
クリックすると大きくなります。
すべての場所がそうではないのですが、この一角は、特に液状化現象がひどく、泥水が大量に噴出したようです。
町民が、皆、出て、泥の撤去作業をしています。

P1010904.jpg
液状化で噴き出した泥に埋まった車と自転車。

P1010908.jpg
自転車のサドルの高さまで泥が。

P1010877.jpg
地割れから液状化した泥が大量に流れ出ています。

P1020241.jpg
これは隣の街。マンホールは、ほとんどすべて隆起。
ここは、1mくらい持ち上がっています。

P1020217.jpg
隣の街。石畳の歩道は、あちこち破損がひどいです。

(その他の写真はこちらを)



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しば
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tag : 液状化現象 地震 マンホール

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No title

東京も揺れました~

前日に母が意識消失で救急搬送され、大学病院の救命に入院したため、父と兄は仕事をキャンセル、娘も担任の計らいで昼過ぎに帰宅しました。私は入院手続きを終えて帰宅し、書類の作り直しで急遽帰宅した夫の側で遅い昼食を食べていました。そこへあの地震です。本当はみんなバラバラのはずが、母以外全員一緒に居たので、連絡がつかないということがなく済みました。母が入院したお陰です。

母が心配しているだろうと、自転車で都心の病院へ娘と向かいました。念のため、娘には防災ずきん(小学校の時の)を持たせました。

帰宅困難者がぞろぞろと歩いていました。誰かが「東京中が祭りや!祭りん時の人手と同じや!」と関西弁で話していました。確かに。花火大会の帰り道のようです。
電車で行くのと同じぐらいの時間で到着。病院には帰れない人たちがロビーに溢れていました。高層階に病室があるため、面会は中止になっていましたが、救命は1階なので面会出来ました。母に全員の無事と被害はたいしたことが無かったと伝えると安心していました。何よりも孫の顔が見られたのが嬉しかったようです。

自転車は最強でしたね。主要幹線道路はもちろん、ほとんどの道路で車が全く動けませんでした。バイクも縫うように走っていましたが、路肩に停まった車があると進めなくなります。ゆっくり走れば歩道も通れる自転車はどこでもスイスイでした。「自転車いいなぁ~。どこかで買うか」という声も聞こえてきました。

町中からおにぎりやパンが消えました。真剣に防災を考えました。
娘には学校から、携帯電話を常に身につけているようにと指示がありました。今も娘の携帯から緊急地震速報(あと何秒で地震が来ると知らせる)が鳴り、テーブルの下にもぐりました。

クリちゃん

無事で何よりです!お母様も少しでも回復されて良かった!ほっとしました。
今日帰ってきた夫が、「自転車が、すぐ売り切れたらしい」と言っていました。義弟は、昨日自転車で東京から帰宅したと聞きました。
いつ来るかもわからない大地震について想像すること、備えることは、中々難しいですが、こうやって一度経験すると、防災に付いて本当に真剣に考えますね。
私も今日、牛乳を買いに行きましたが、2つのスーパーで棚はガラガラでした。豆腐とかカップ麺とかもなかったですね。

No title

横浜も震度5だったらしいのですが、家族それぞれ「人生で最大の揺れ」と言いながら、住宅も家財も影響はなかったそうです。国際電話は外からはLandlineもCellも全くダメ。Internetと家族から電話がかかるのを待つだけでした。

弟はさっさと無事帰宅、義妹は職場に泊まり。妹と二人の息子は無事帰宅、でも義弟は連絡のつかないまま4.5時間かけて歩いて帰ったそうです。妹は職場ないし都内のホテルにでも泊まってくれた方が安心だったそうですが。。。

80と83の両親ですが、デパートの地下にいて、電車も止まってしまったし、建物が比較的新しかったので、なるべく中にいてくれとのアナウンスに従い、結局デパートに一泊したそうです。父がまた怒り狂っているかと思ったら、「この年になっても、又新しい経験ができた。」とケロッとしていました。

クリさんのお母様が倒れられたの、何かお告げでもあったのでしょうか。

みなさん余震等で眠れない夜が続きかねませんが、くれぐれもご自愛ください。

Megさん

ご家族皆さんご無事で本当に良かったです。
関東でもあれだけ揺れてこんなに被害が少なかったというのは、阪神大震災の教訓でタンスなどを固定したりしたことも大きかったのではないでしょうか?
しかし関東でも人々の不安は消えていません。今日も食料を買い漁る人々が多く、スーパーの棚は、空っぽでした。余震もひっきりなしです。私は地震酔い(?)なのか一日中揺れを感じます。(余震とめまい?)知り合いも数人そうだと言っていました。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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