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帰省2日目(2)「痛い、どこ?」

母を自宅に連れて帰る。
とても喜び、寿司も好物のパンも私の作った料理もペロリと食べる。
パンなど食べたこともなかった父が「食べてみりゃ、うまいな~」と言うので驚く。

母の足の動きは、とても悪く、トイレに行くのに苦労する。
リハビリパンツを下ろした途端に尿が出てしまい、ズボンも靴下も濡れてしまった。

父は、仕事の電話を受け、さっさと仕事に出掛けて行く。
私「日曜は、仕事、しないんじゃないかったの?」
父「最近、仕事が少ないから、少しやるんだ」
確かに父の仕事は、激減している。
ネットに広告を出していないせいか、認知症だという噂が広まったのか?

グループホームで仕事がしたいという母に広告の紙を使ったゴミ箱作りはどうかと思い付いた。
母は、元気な頃、これを毎日のように作っていた。
料理中、野菜の皮を入れたり、テーブルでみかんの皮を入れたりしていた。
しかし母は、まったく折れなかった。
しばらくやれば思い出すかと思ったのが間違いだった。
黙って見ていると、奇異な折り方を延々と続けた末に机を叩いた。
母「ダメだ!忘れた!私は、こんな簡単なこともできなくなったんだね・・」
私「私だって教えてもらったのに忘れちゃったよ。誰だって忘れるよ。じゃ、何か易しいの、一緒に折ってみようか?」
母「いい。面倒くさい。やりたくない」

一緒に座っていた兄が、一生懸命母に話しかける。
兄「オカアサン、ビョウキ。・・イタイ(痛い)、ドコ?」
私「どこも痛くないよ。大丈夫だよ。ただ歩けないだけ」
母「(兄に。)歩けないと買い物も行けないし、車も乗れないからね」
母は、自分の病名を知らないが、兄も母の病気について何も知らない。
兄は、何の情報も与えられないまま、ずっと一人で母を心配し心を痛めていたのだと、この時、初めて気付いた。
母「・・でも、悪いことばっかりでもないんだよ。私がこうなったことで、結果的に○○
 (兄)は、成長したしね」

母は、思わず笑ってしまうことも言う。
母「今日は木曜日だよね?」
私「日曜日だよ」
母「今日は日曜日だけど、ホントーっは、水曜日でしょ?」
(小さな子供が『大人になんか騙されないぞ』と思っているように、茶目っ気たっぷりに言う。)

母「お父さんに先に死なれても困るし、私が死んだら○○(兄)が困るし・・」
私「誰が先に逝くかなんて誰にもわかんないよ。私だって明日交通事故で死んじゃうかも
  知れないし・・。私が死んだら大変だよ~(笑)」
母「あんたが死んだら、”大変だ~!”なんて言ってるどころの騒ぎじゃない位、ホントに
  ホントに大変だよ」
(目を丸くして、真剣に言う。)


やりたいこと、行きたい所、欲しいもの、今のグループホームがいいのか、特養に行くのがいいのか、延命治療は望むのか望まないのか、色々なことを噛み砕いて時間をかけて訊くが、トンチンカンな返事が続き、答えらしい答えは、中々返らない。
延命治療について訊いた時、意味のわからない話の中でポツリと言った。
母「何にもわからなくなってずっと生きるのは嫌だね」
母は、昔からそう言っていた。

母「(グループホームは)どっか行こうとしても止められる。もっと自由のある所に行き
   たい。あそこ(特養。ショートステイに利用していた。)は、いいイメージは何も
   ないけど、ここ(GH)よりいい所なら行ってもいいかなって思ってた」
  (妹がそう言ってずっと説得していた。)


母「今日は、ここ(自宅)に泊まるんだよね?」
私「泊まらないよ」
母「・・私は、みんなに嫌われちゃったんだね。みんな私の世話はしたくないんだね」
母の気分は一気に沈む。先月は、怒ってお茶をぶちまけたが、今回は、怒らない。

母「何をするのも億劫(おっくう)。面倒くさい。意欲がわかない。うつだよ。
  自分ができると思ってたことが、できないってわかるとげっそりする。
  ”なんで?!”って思う」

母「リハビリは、苦しいし、疲れるし、やりたくない。でもやると良くなるっていう実感
  はあるの。リハビリ止めたら、もう私、治らないよね?」
 (母は、自分の病気をパーキンソン病だと思っている。)

どんな言葉も母の慰めにはならない。
どんな説明をしようと母の考えを変えることはできない。

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No title

私の母も数年前は、自分がうつだと言い張っていました。
私は自分の経験から「アンタがうつになるのは、世界中の人が全員うつになった後だよ。周り中をノイローゼにしても気がつかない人は、うつにはならないから」と頭から信じませんでした。
しかし、医者は患者がそう言い張ると騙されるのですね。最初の医者はパーキンソン薬と抗うつ剤しか出してくれませんでした。

そこで家族がちゃんとした情報を医者に与えるというのが重要になってきます。でも「認知症」という診断を受け入れたくなくて、通院に二の足を踏んでいる家族が多いのでしょうね。
しばさんのお宅では妹さんや施設と連携して、正確な情報を医者に伝えられるのは何よりです。

お兄様はご自分でお母様の状態を理解しようとしていますね。前のようにお母様に頼ろうとしないで、気遣っているなんてすごいです。
お父様もお父様なりに理解している(正しいかは別として)と思います。「何とかなる」段階ではないと分かったから、家に泊まらせなくなったのでしょう。

お母様は今は「混乱期」を過ぎて「不平不満期」だと考えたらいかがでしょう?そのうち、「受容期」に進むかもしれません。「なんとか幸せにしてあげたい、苦痛を取ってあげたい」と周りは奮闘しますが、実は苦痛の正体は「昔の自分に戻りたい」という本人の無理な希望からきているのです。病気を受け入れるのが幸せとはいいきれませんが、過去でも未来でもなく“今”を生きることに視線が向いたら、少しは苦痛を遠ざけるかもしれませんね。

kimiさん

kimiさんの仰る通りです。母は、昔の元気な自分に戻って、また家族の世話をしたいんです。それが叶わず、世話される自分が受け入れられず、苦しんでいます。
そのため家族もかける言葉がありません。

過去でも未来でもなく”今”を生きることに視線が向いたら、少しは苦痛を遠ざける
というkimiさんの言葉は、認知症患者だけでなく、心に苦しみ、痛みを抱えるすべての人に通じるように思います。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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