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人の態度に敏感な母

2日間(6月18、19日)帰省して母の様子をみた。
認知症の状態は、一緒にいる短い間にも刻々と変わっていった。
でもどんな状態になっても母は、常に心穏やかでない。

どこかに行くことになっているが、父や兄にその時間を伝えていないとひどく慌てていたり、頭がはっきりしてきた時には、私たち兄弟のことを深刻に心配している。
「ああ、それならもう解決したみたいよ」
と言っても、騙されるものかという顔をしている。

あまり反応せずぼーっとしている時もあれば、食べ物のことで怒ってお菓子を床に投げつけたりもする。
ティッシュをパンだと言って食べようとしたりもした。
幻覚にも相変わらず声をかけ続ける。

自分が入院していることは、よくわかっていないが、正確に人の状況を把握していて驚かされる時がある。
私が、自宅介護が可能かどうか見極めようと思いながら話をしていると
「何を観察してるの?」と言い、2日目に睡眠不足で頭痛を抱えて行くと
「疲れてるんだね」と言う。
何が何だかわからない会話の合間にだ。

妹の精神状態にも敏感に反応して「来たくないんだね」と言って驚かすと言う。
誰からも笑顔も言葉ももらえず、ナースステーションに一日置かれている間、母は、なぜそこに居るのかはわからなくても、スタッフたちの冷ややかさは、ひしひしと感じているのだろうと思う。
私や妹が感じるのと同じように。

頭がはっきりした短い時間、私は、意を決して母に訊いた。
「退院したら何をしたい?」
「庭に花を植えたいねぇ」と母は答えた。
私は、自宅介護が困難なことを噛み砕いて説明した。
「Yおばさん(在特別養護老人ホーム)の居る所、わかる?そういう所に行くの、お母さん、どう思う?」
叫び声を上げそうな自分を抑えて、訊いた。
しばらく考えて、母は言った。
「お父さんがいいって言うならいいよ」

でもその直後から、会話は成立しなくなった。
だから正確な理解に基づいた答えだったのかどうかは確かめられない。
それでもその一言は、父や妹にとって大きかった。
二人とも母の唯一最大の願いは、家に帰ることだと信じていたから。

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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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