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9月3回目の帰省4日目(3)母、自宅に帰ってから7人で外食

夕食は、妹とその子供2人も含めて7人でビュッフェ(バイキング)のレストランに行くことになっていた。
妹が、一度は嫌がった子供達を説得してくれたようだ。

私が一人でグループホームに母を迎えに行き、母は、1ヶ月振りに自宅に帰った。
車から車椅子にやっとのことで移ったところで、犬の散歩中の近所の××さんと偶然会う。
「まぁ!○○さん!久しぶりだこと!ご病気はいかが?」と駆け寄って来てくれた。
信じられないことに、母は、5分近く全く正常に会話をした。
「退院するのも、そう遠くはないことだと思いますから」の一言だけがおかしいが、××さんは、また母が入院していると信じただろう。
あの会話を聞いて、誰が、母の認知症に気付くだろう?
あれほど正常に会話ができる母を3月以来初めて見た。

玄関まで車椅子で行き、そのまま車椅子を引っ張り上げて家の中まで入ろうかどうしようか迷う。
父は、「歩行器があれば、お母さんはちゃんと歩ける。大丈夫だ。問題ない」と強く言う。
なんとなく従い、母を歩行器で歩かせてみた。そして知った。
母は、歩けない。母は、もう全く歩けなくなってしまった。
父は、後ろから母を抱き上げるようにし、「歩け!歩け!」と急かす。
母は、操り人形のように、つま先だけを床に付けながらヨロヨロ運ばれて行く。
よくこんなことを繰り返して今まで骨折事故を起こさなかったと思った。

やっとのことで居間のソファーまで辿り着いた直後、母は、「トイレに行きたい」と言う。
トイレまでは狭くて歩行器も使えない。
父は、後ろから母を抱き上げ、倒れそうで怖がる母は、前で支える私の腕に爪を立てる。
その時には気が付かなかったが、後で見るとあちこち皮がむけていた。

レストランに行く時は、私が、さっと運転席に座ると、父は文句も言わずに後部座席に座った。以前は、自分が運転しなくては気が済まない人だったのに・・。

店に入った途端、父は、財布を出し、店員から「お食事後に」と言われるが、無理矢理支払った。
私が母の横に座り、妹が、母の好きなものだけを取ってくるのを待っていると、父が、大量の料理を母に運んで来る。妹がすると説明するが、さらに色々な物を母の前にずらりと並べて「みんなで食べればいい」と言う。

母は、比較的しっかりしていたが、幻覚(幻視)がたくさん見えるようで、
「なんであの子は、水浴びなんてしてるの?」「あの牛の頭の上の赤い猫は何してるの?」
など色々なことを言い続けた。

7人もいると会話も遠くなり、私は、主に母と話し、兄の手伝いをし、父の取り過ぎを注意し、そうしている間に、母がパンを箸で食べようとしたり、お茶をスプーンで飲もうとするので、その度に直していた。
「○○(私)は、うるさい!」と母が言い、妹が爆笑していた。

母は、食欲がないようで、「どれも美味しくない」と言って、ほとんど食べなかった。好物のレアチーズケーキとカプチーノだけを喜んだ。
妹の子供が、小さい時に「じいじとばあばと行った長野旅行」の話をしてくれて、やっと場が和んだ。
しかし、それも束の間。
母「今日は家(自宅)に帰って寝れば(泊まれば)いいよね」
私「・・・ごめんね。それはできないの・・・」
母「私のしたいことをことごとく否定されると、私だって我慢してはいられないよ」
険しい顔で言う。「私は、いったいいつになったら退院できるの?」とも。
妹が助け舟を出してくれた。
帰りもどうなるかと心配したが、グループホームでの職員の対応が良かったので、なんとか機嫌を損ねずに別れることができた。
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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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