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9月3回目の帰省2日目(1)母の財産管理 父の態度の変化

朝、父から「お母さんの○○信託銀行の(口座の)残高証明を取ってくれないか」と言われる。

以前にも書いたが、母は、生活を切り詰めてあちこちに少しづつお金を貯めていた。知的障害者である兄も含めて3人分の老後に備えようとしたのだと思う。
父と母は、全く別会計で50年間生活して来たので、母が急激に悪化した春、家族には、いたったいどこに、何が、どれだけあるのか全くわからなかった。あるはずの通帳、印鑑、保険証券などは、皆、消えて「ない」と父は言った。
その後、「一応一通りは見つかった」と父が言い、金庫にしまったはずだったが、父は、再び「ない」と言い出した。(今は、また「ある」はずになっているが、はっきりしたことはわからない。)
当時、本当に消えていたのか、ないと思い込んだのか、父自身がなくしたのか、誰にもわからない。父は認知症だったが、夏までは気が付かなかった。
(もう何ヶ月も父に物の場所を訊くと、必ず「ない」か「知らん」と答える。)

父は、○○信託銀行に電話で問い合わせたが、折り返し電話するといって電話すらしない悪質な銀行だと少し興奮しながら説明する。
恐らく、話してわかる相手ではないと判断されたのだろう。

通帳を私に渡す為に、父は、生まれて初めて私の目の前で金庫を開けた。(8月頃には、猜疑心が異常に強く、私が金庫のある寝室に入るだけで怒った。)
小さな金庫の中には、山のような通帳(ほとんどは使用済み。)と保険証券などの沢山のフォルダーとゴミ(妹がダイレクトメールを破って捨てたものをゴミ箱から拾って入れたものだと、後で知った。)が、滅茶苦茶に入っていた。父は落ち着いて言う。
「これから、この1つ1つを(電話で事情を説明し、手続きをして)整理していかないといけないんだ」
「お父さん、それをお父さん1人でやるなんて大変だよ。私も○○(妹)も手伝うよ。私たちに任せて」
「そうだな」
私たち姉妹にすら猜疑心を抱いて、あらゆることをひた隠し、全てを自分で処理しようと頑に突っぱねていた父は、消えていた。
何ヶ月も抱えていた悩みは、解決した(かのように、今は、見える。今後のことはわからない)。

「○○(妹)も負担が大きいと思うから、アルバイトとして時給を決めて事務処理してもらったらどう?その方が、頼む方も頼まれる方も貸し借りなしで気が楽じゃない?」
「そうだな」とやはり父は言う。
この面倒で信じられない程時間がかかる作業のほとんどを妹にやってもらうと思うと私も心苦しい。

父は、8月とは全く違う人になっていた。これなら話し合えると確信し、私は、父に、仕事も運転もやめる方向で考え始めて欲しいと伝えた。誠意を尽くして。
父は、怒り出さなかった。
「お前も医者も俺が病気だと言うが、俺は自分が病気だとは全く思ってない。安全運転には誰より気をつけているし、仕事上のトラブルも1度もない。俺は、仕事も運転もやめる気は全くない」
落ち着いて、しかしきっぱりと父は言い切った。

来年度の電話帳に載せる父の仕事の広告を私は、父の承諾なしに取り消すことを考えていた。広告がなくなれば、父の仕事の多くはなくなる。取り消しの締め切りは10月28日だ。
しかし父を裏切り、父の気持ちを踏みにじることはできないと、その時、思った。
父には、納得して仕事を辞めてもらいたい。締め切りには間に合わないだろうが、廃業と決めた時は、実家の電話番号(仕事と兼用。)を変えよう。

私は、○○信託銀行に電話し、丁寧な説明を受けた。指示通り、通帳記入にも行き、電話で説明されたことは、全て紙に書いて妹の分もコピーした。父にそれを見せると、黙って少しの間見たが、すぐに放り出した。理解できないのだと思った。
通帳を見せ、金額を説明した。とにかくそこにある程度まとまった預金が確かにあるとわかった父は、喜び、安堵し、私に感謝してくれた。

その日、私は、以前、妹に頼まれた2つの保険会社にも電話をした。
共通する本人確認の方法はないのだと知る。○○保険は「名前、生年月日、住所、電話番号が言えなければ成年後見人が必要だ」と言い、○○信託銀行は「字さえ書ければ良い」と言った。
母は、名前しか言えないが、字は辛うじて書ける。
母の、そして父の病状が悪化する前に手続きを進めなければいけない。対象の金融機関は、10社前後もある。
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自尊心を傷つけない

お父さんも本当は自覚があるのだと思います。でも、病気を一番否定したいのもお父さん自身でしょう。

子どもが何かに取り組んでいるとき、大人の目から見ると手落ちが沢山あっても「良くできたね」と、そっとわからないように手助けをして自信を持たせてやることがあると思います。ところが、親に対しては、今まで出来ていたことが出来なくなると、「なんで出来ないの」とミスをあげつらってしまい、追い込んだことでまた自己嫌悪におちいりますよね。ヘルパー講習の時にあれほど言われた、自尊心と羞恥心の尊重、残存能力の活用というのを忘れてしまうときがあります。

疲れていると、親や叔母に対して注意と説得の言葉が多くなってしまいがち。心して感謝と謝罪の言葉にしなくてはと思います。
「してあげられなくてゴメンね」と言うと、私がそれをしなくてもいいように相手が変えてくれることがあります。「やってもらって助かったわ、ありがとう」と言うと、今まで出来なかったことが出来たりもします。有り難うとごめんなさいは魔法の言葉です。ま、いつも効果があるとは限りませんが。

今までのお父さんの頑張りを傷つけない方法で、運転や仕事の事について展望が見いだせるといいですね。自立(介護者にとっては自立しすぎていると厄介な時もあったり)と依存(全部頼られるとコントロールもしやすいけれど負担は大きい)のいいあんばいが難しいところですが、お父さんの不安を一つ一つ解消していくことから信頼を積み重ねて、いい方向へ向かうことを祈っています。

クリちゃん

ありがとう!
クリちゃんの言葉には、いつも重みがありますね。
経験がクリちゃんの人格に厚みをつけているのだと思います。
私もそうなることを目指したいです。

新しい医師にも言われました。
「あれが困る、これも困る、あれも止めさせたい、これも止めさせたいと問題点ばかりに目を向けずに、今、お父さん自身が、何に一番困っているのかな、と見るようにしてみようよ。そこにそっと手を貸してあげれば、後は、お父さんが、何とか自分でやっていけるんだから。そりゃあ完璧にはできないけど、完璧にやる必要もないでしょう。お父さんなりにやっていければいいんだから」
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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