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最近の母

母が急激に悪化してから4年以上になる。特別養護老人ホームに入って3年近く。
最近、再び要介護5になった。余程調子の悪い時に面接したのだろうと想像する。

母は、すっかり穏やかになって、もう突然怒り出すことが(私の前では)まったくない。
発作のように不安に襲われて、取り乱すこともなくなった。
母は、ただ静かに微笑みながら、いつまでも楽しく私との会話を楽しむ。
調子が良ければ、話の内容は、健康な頃と変わらない。

身内にあった祝い事を喜び、眼鏡をかけて、写真の1枚1枚を熱心にながめる。
「○○(名前)、幸せそうで良かったねぇ」と嬉しそうに見つめている。

その祝い事で、私が、昔、母からもらったものを人からとても誉められたと伝える。
「結婚した時、母が、持たせてくれたんです」
「そうですか。素晴らしいお母様ですねぇ」
そんな会話をしたのだと話す。
自分のためには、何も買わず、贅沢とは無縁の母だった。
感謝を伝えると「もう、止めて」と言って、涙を流している。

母は、にこやかで、しっかりしているけれど、命のエネルギーのようなものが小さくなった気がした。
声も更に小さくなり、むせないが、食べる量が減った。お菓子も求めない。
なんとなく体型も違う。
耳と肩の距離が縮まった気がして、首の付け根(背)を触ったら石のように固かった。
揉むと柔らかくなり「気持ちが良い」と喜んだ。
この固まり(パーキンソン症状の固縮か?)が徐々に広がって、やがて喉まで固めてしまうのだろうかと思うと怖くなった。

あまり目立たなかった短期記憶障害も確かに出て来た。
すべてではないが、新しい記憶が、時々きれいに消えていることに驚かされる。
母は、過去4年で一番穏やかだ。でも母の病気は、進行している。

穏やかな母を見ていたら、『これなら自宅で看られるじゃないか!』と思った。
『私の家に連れて帰りたい!』と、ふいに、強烈に思った。
(ただひとり、4年間、自宅介護を切望し続けてきたのが、父だった。)

私の家に連れて行くことは、現実的に、無理だ。
母から父(毎日母に会いに行く。)と兄を引き離すことになる。親しい親戚も。
母を家で看るなら、私が、私の家族と別居して実家に住み込むしかない。

私は、堪え切れなくなった。
何年もの間、一度も言えなかった言葉を、気が付けば口にしていた。

「お母さん、幸せ?」
(家族と離れて、一人きり、施設にいて、こんな生活で幸せ?!)
「幸せだよ」
母は、即答した。健康な時と同じ声で、同じ笑顔で。
我の強い子供に、やさしく諭すように。

<関連記事>
2014年2月の母「私、頭が変。怒り出すと止まらなくなる。怒りたくないのに」
2013年2月の母「可哀想かどうかなんて本人にしかわからないことだよ」
2012年6月の母「私だって、まだ人の役に立ちたいんだよ!」
若年性レビー小体型認知症だった母(幻視を幻視と気づかなかった)
母自身が語っていた幻視の見え方(人に隠してもいた)
5種類の認知症別 本人と家族の体験談集(母の語った症状なども)

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額紫陽花(ガクアジサイ)
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No title

お母様の状態が安定して、本当に良かったですね。
きっと、施設のゆったりした環境に馴染んだのですね。
義母も、いくら誘っても、もうドライブも花見も散歩も行きたがりません。
嫌がることを無理やりはしたくないので、彼女との面会はいつも施設の中だけにしています。

高齢者にとって一番のストレスは、環境の変化だそうです。
よく田舎から親を引き取ると聞きますが、親本人にとって本当にそれが幸せなのかな・・と考えてしまいます。

近所でも、両親を四国から呼び寄せて二世帯住宅に暮らす家がありますが、言葉も文化も違い、近所に同世代の友人もいず、環境も全く違い・・・
長年馴染んだ街や人を捨てて新天地へ移住するのは大決断ですね。
まだ60代くらいだったら、そこからコミュニティを作れますが、70代以降になるとどうなんでしょうね・・・せめて県内くらいだったら大丈夫なのでしょうが・・・

症状も家族の気持ちもうつろう

kimiさん、コメント、ありがとうございました。

1時間も怒鳴り続けていたような母が、まったく怒らなくなったのには
多分、沢山の理由があるのだと思っています。

環境に馴染んで、精神的に落ち着いた
●家族(父)も母の病気に慣れて、叱りつけたり、怒鳴ったりしなくなった
●病気が進行して、脳の状態が変わった(怒るためのエネルギーも低下?)
等々。
(また、家族は、母が私と居る時だけ特別に状態が良いと言います。)

でもアリセプト(1mg)を止めたことが、
一番の原因ではなかったのかと私自身は、ずっと考えています。
(確認する手立てはありません。)

アリセプトを、医師にお願いして、どんどん減量した時、
(減らすと怒りっぽさが軽減することを実感しました。)
「こんな微量では、効果もない。飲む意味がない」
と言われました。

確かに、良い効果は、最初から何も感じていませんでした。
でも、元々いつも笑顔だった母をあれだけ怒りっぽくしていたのは
1mgのアリセプトだったのではないかという思いは消えません。

リバスタッチパッチに代えて、急に穏やかになり、頭もしっかりしましたから。

<アリセプトが1mgしか飲めない人が、
「同じ」リバスタッチパッチを4.5mgだの7mgだの貼ったらどうなる>
とあちこちから反対され、薬の変更には、とても時間がかかったんですが
今は、特養の医療スタッフからも
「非常に良い状態です。普通に会話します。機智に富んだジョークも出ます」
と言われます。

追記:母は、レビー小体型の中でも「薬剤過敏性」の特に強いタイプです。
http://nonohana7.blog134.fc2.com/blog-entry-1008.html
母ほど強い方は、あまり多くはないと思います。
レビー小体型でも薬剤過敏性のほとんどない方が、何割かいるようだと聞いています。
そういう方は、アリセプト10mgでも平気だそうです。
…………………………………………………

この記事は、本当は、アップしたくありませんでした。
でも症状も家族の気持ちもどんどん変わっていくのだという事実を
知って頂けたらと思って、恥をしのんで公表しました。

なにをしても、どんな選択をしても
家族には、かならず迷いが出る
のだと思います。

どこまで行っても、決して割り切れない
常に悩み、時に後悔し、自分を責め、自問自答し…
多分、それを延々と繰り返して行くのだと思います。

答えなんて出ません。
正解なんて、最初から、どこにもないんですから。

すべての状況が、常に変化し続けていく中で、
全員がしあわせになる手段など、どこにもないのですから
なんらかの妥協案を(心の痛みと共に)選び取るしかないのだと思います。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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