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9月2回目の帰省4日目(後半)母の見送り 素直な父

レストランを出て駐車場へ。
妹の車は、座席の位置が高く、母を車椅子から座席に移すのに一苦労する。
この日の母は、支えても立っていられないほどで、私と父が、必死で支えるが、中々座席まで上れない。
運転席から母を引っ張ろうとしている妹は
「さっき職員の人がやった時はすんなりできたのに。お父さん、○○ちゃん(私)、介助、下手過ぎっ!(笑)」
4人でまた笑いながら、なんとか母を車に乗せた。

帰りの車の中でも話が弾む。父はニコニコしながら黙って聞いている。
母「このままずーっと暗くなるまで(車で)走っていようね」
妹「夜、帰りたいの?」
母「だってこんなに楽しい時間が終わっちゃうのは、もったいないもん」
妹「でも○○ちゃん(私)、電車の時間があるから駅まで送らないといけないの」
駅で3人に見送られる。
母を抱きしめ、頬ずりをし、目を合わせて言った。
「またすぐ来るよ。笑顔のお母さんでいてね」
「わかったよ。泣かないよ。あんたも泣いちゃいけないよ」
「お母さんと別れるなんて~泣けちゃうよ~!!」(大げさに泣き真似をしながら言った。)
母は、おかしそうに笑ってから、手を振った。
「ありがとう」と心を込めて父が言い、妹が言った。「頼むね」と妹に言った。

今回の帰省中に解決しようと思っていた問題(父の運転と仕事とお金の管理をやめさせること)は、何1つ解決できなかった。1ヶ月後、半年後、1年後・・それどころか、明日、父に何が起こるのかすらわからない。
今まで以上に大きな問題を抱えて帰路についた。

帰宅して間もなく、グループホームから電話があった。母が不穏(精神的不安定の激しいもの)になっているので言葉をかけて欲しいという電話だった。
その後、妹からも電話。
母は、泣きも怒りもせず、落ち着いてグループホームに帰ったという。(とても珍しいことだ。)
父と2人で実家に戻ってからも、父は、ずっととても機嫌が良かった。
今なら怒鳴らずに話を聞いてくれるかも知れないと妹は、考えた。
「一緒に保険証券を探してみようか?金庫に入れたはずだけど・・」と恐る恐る言ってみると、父は、素直に妹の前で金庫を開けたという。(妹も随分驚いていた。)

「そんなものは、ない!」と営業担当者に怒鳴っていた保険証券は、金庫から出て来た。届け出印は、なかった。
妹が、探していた兄の医療保険の保険証券も引き出しから出て来た。8月に父が整理できなかった郵便物の束から私がいくつも抜き出し「全部重要書類だから、金庫に入れておいてね」と父に言って、入れたものだ。
兄が、薬の飲み過ぎで倒れ、最初は、歯と入れ歯を、2度目は鼻の骨を折った医療費を請求しなければいけない。しかし、それもてんかん発作なら適応されないということで、妹は、やはり兄を脳波の検査に連れて行かなければいけないようだ。

腰椎圧迫骨折で入院中、母を見舞ってお見舞い金をくれた人達(26人。半分は親戚)へのお礼も父が「俺がやるからいい!」と言ってそのまま放置されていた。妹が、代わってすることに父が同意した。
「住所録はどこ?」と訊いても父は「知らん!お母さんにしかわからん!」としか答えない。
先月からずっと探しているが、住所録は、ついに出て来なかった。親戚の住所録は、伯母の所のお嫁さんが用意してくれることになった。私にも送ってもらい、私は、全員に手紙を書くつもりだ。
まだほとんどの人は、母が、グループホームに入ったことすら知らないはずだ。母を訪ねてもらいたい。
父の病気についても説明して理解と協力を得ないといけない。
一人一人協力者を増やしていこう。一歩一歩進んで行こう。それしかないのだから。
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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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