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9月2回目の帰省2日目(後半)診断を否定する父 

私「8月には些細なことで激高していましたが、今回の帰省では落ち着いています。どういうことでしょうか?」
医師「症状には、波がありますから」
私「仕事や運転は続けても良いものでしょうか?」(後で考えれば愚問だ。)
医師「仕事は、出来る範囲で続けても構わないと思います。運転は・・。高速道路を逆走する人のほとんどはピック病と言われています」
退室の時になり、父と伯母が部屋を出てから
「まだ万引き(ピック病の症状)はしていないと思いますが、これからすると思われますか?」
「何とも言えませんが、可能性としては十分あります」。
最後にネットからプリントアウトしたピック病についての資料を渡された。

用意した誓約書も使えない。車の運転を止めさせる方法もお金の管理を代わる方法もない。
自分の中で何かがガラガラと崩れ落ちて行くのを感じる。このまま座り込んでしまいそうだ。

長い時間、待合室で会計を待ちながら、父は立ったまま医師が誤診をしたと言い続ける。
今度、母が、名古屋の病院に行く時、一緒に診てもらって今日の診断が誤診だったことを証明すると言う。
私は、「既に名古屋に電話をしたが、新患の予約はずっと先まで一杯で、母と一緒には診てもらえない」と説明する。(事実だ。)
「何をバカなことを!俺が言えば、あの先生ならすぐその場で診てくれるに決まってるじゃないか!」
父は、元々短気で非常識な所がある人だが、こういう発言が、やはり異常だと思う。
「まぁ、見てろ。俺が、1人で5軒の病院に行って、どの医者が一番腕がいいか、診断してやる!」

帰宅するとショートステイから兄が帰って来る。兄の顔を見て、心から安らぐ自分を感じる。

病識を持ってからと思っていたが、無理なので、明日、介護保健認定の調査員が来ることを初めて父に伝える。
思った通り、そんな必要はない、ヘルパーなど要らないと怒り出す。
父が介護認定を受ければ、母の施設を移す優先順位が上がるのだと説明する。(父は、今のグループホームが気に入らず、他の施設に移せとずっと言っている。)
「そうか?!じゃあ、重病に見えるように演技するか!」と父は、足を引きずって歩いて見せる。

夕食後、母の所へ行く。
夜は寝ず、日中は不穏(精神的に非常に不安定で興奮したりする。)だったと説明を受ける。特に豪雨が降った頃は、手がつけられない状態だったという。
母は、「みんなうそばっかりつく」などと言っては泣き続ける。言っていることのほとんどは、支離滅裂だ。

介護スタッフの責任者がいたので、再びリハビリのことを相談する。
母が立つことすらできなくなったら退所を迫られるのだと思い、気が気でなかった。
全く立つ事ができなくなっても食べられる限りは、居られるので心配しないようにと言われる。
湯船には入れなくなるのでシャワーになるが、だから退所しろと言うことはない。ただ食べられなくなった時には、ここでは対応ができないので、他に移ってもらうと説明される。
心配が1つ減った。

父は、帰宅後、ずっと認知症の本(名古屋の母の主治医が書いた本を3冊)を真剣に読み続けている。病院でもらった資料も。
読み終えた父は、「(症状が)1つも当てはまらない!」と医師を激しく非難し始める。止まらない。
確かに書かれた症状は、<万引き、浪費、異食、徘徊、粗暴>などショッキングな言葉ばかり並んでいる。

父は、精神的ダメージを受けているのだとわかる。肩を抱いて「大丈夫だよ。私が付いてるよ」と言えたら・・と思う。けれども私自身、ダメージが大きい。父が気の毒だと思いながら、何もすることができない。

父に明日(今回の帰省中に連れて行くなら明日しかない。)一緒に他の病院(市内の認知症専門の個人病院を調べ、帰省前に電話をして色々確認してあった。)に行って、違う診断をされるかどうか調べてこようか、と穏やかに促す。
「うるさい!俺が自分で選んだ病院に一人で行くからいい!お前はもうこれ以上口出しするな!」
もう何を言っても怒鳴り散らすばかりで、全く聞く耳を持たなかった。
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名古屋の病院

今は名古屋の病院が予約で混んでると思います。
まだはっきりしたことは分かりませんが、9月27日のテレビに河野先生が映る可能性があります。
そうなると翌日から予約の電話が殺到するので、今ブログで早めの予約を呼びかけています。

ドクターコウノの認知症ブログ
http://dr-kono.blogzine.jp/ninchi/2010/08/20109_0250.html

テレビ東京「主治医が見つかる診療所」
http://www.tv-tokyo.co.jp/shujii/index.html


レビーは天候不順になると精神的に不安定になる傾向があります。
台風の時期は、お母様の不穏が気になりますね。

病名告知

他人が考える以上に本人にとって告知とは深刻なものらしいです。
うちの母なんか告知を恐れて、認知症以外の専門に1年半も通って、パーキンソンだと言い張っていたのですから・・パーキンソンと医者に言われている間は認知症ではないとお墨付きをもらっいると勘違いして。
進行性で治す方法がない=不治の病ということですから、不安と絶望に押しつぶされそうになるでしょう。本人が専門書を読むのも考えものですよね。
母は未だに嘘でもいいから「治る」と言って欲しいようです。

精神科医の中には認知症の告知について慎重な方もいます。
某先生も「まだまだ軽いですよ。動きもいいし。もっとできることをやらなきゃ。茶碗洗いはどうです?薬を飲めば頭もはっきりして動きも良くなりますよ。」と、本人の前では明るく希望を持たせることを意識した会話で、帰りがけに私だけにこっそりと「病名を言いましたっけ?レビー小体病に間違いないですね」と告げてくれました。

患者や家族は病名に拘りますが、特に精神科医はレセプトの請求の為に仕方なく病名をカルテに書くのです。逆に症状に合わせて薬を処方して、病名にあまり重きを置かない人に名医が多いとも言われます。病名に拘りすぎて適切な薬に行き当たらないと、患者の苦しみを増長することになりかねませんし。。精神症状は、原因菌などなく、何らかの障害で脳の機能が上手く働かないために出るのですから、、、

どうぞお父様の辛いお気持ちも汲んであげてくださいね。
暴言を吐かれるとなかなか難しいということは私も体験してますが・・

No title

貴重なコメント、本当にありがとうございます。
反応が遅くてすみません。

私が、「ピック病ですか」と思わずつぶやかなければ、父は、病名を告知されなかったのだろうか・・と、考えてもしょうがないことをいつまでも考えたりしています。
父の暴言は、全然気になりません。子どもの頃からよく怒鳴る人だったので慣れっこです。
ただ車の運転のことが、頭から離れません。いつ交通事故の連絡が来るかと・・。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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