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兄の今後 薬の処方

(初めての方へ*兄は重度の知的障害と言語障害などがある。ひどい難産の末、仮死状態で生まれたことが原因と思われる。日中は通所授産施設に通い、近年、ショートステイも利用するようになった。十数年前から突然の激怒や大声の独語などが始まり、それ以来、精神科に通っている。)

兄の今後のことについて、妹が、再び役所の障害者福祉課に行って相談する。
(私も含めて何度目だろう。6回目?もっとか?)
ショートステイの延長は、緊急措置でしかなく、半年以上続けることは無理だと施設長から言われたからだ。
特養と同様に、まず各施設(どこも僻地にある。)に見学に行き、それから障害者福祉課に申し込みをするように言われる。
どの施設も20人以上待ちで、何年も待つことになるという。
病気で入る訳ではないので特養よりも空きが出にくいのだそうだ。
「5~6カ所に申し込みをして、とにかく空きが出るまで待って下さい」
目の前が暗くなる。半年後、兄の行き先は、なくなるのか・・。妹の家から通所施設に通う?私が引き取る?
通所施設の担当者とまた話し合わないといけない。

ショートステイを延ばした書類上の手続き、兄の年金管理者を母から妹にする手続き、有効期限切れになっていた兄の医療保険(調べてみると継続中)の手続きなども妹が済ませてくれる。
兄のことだけでも毎月様々な手続きや支払いがある。
私が、父のことを相談に行った時に勧められた介護保険関係書類の妹への転送手続きも済ませてくれた。
郵便局に届ければ全ての郵便物を妹に転送できるとも言われたが、父に病識がないので、今はまだできない。

父が行く予定だった兄の精神科の受診。(足りなくなった薬をもらうため。)
ヘルパーに頼もうとしたが、契約者が母ではなく兄となるので、新たな契約料が必要とのこと。
妹が、仕事を抜けて行ってくれた。(兄は連れて行かなかった。)
父を連れて行った病院の院長先生が、兄の長年の主治医。一緒にいるだけでほっとするような珍しい医師だ。
兄もとても信頼していて、受診に行くと止めない限りしゃべり続けるらしい。
重度の言語障害のある兄の言葉の何%を主治医が理解できるのかはわからないが、じっと聞いてくれるそうだ。
(初めての人は1割も理解できない。私でも日常会話で9割、話題によっては、半分もわからない。救急車で運ばれた時は、救急隊員が妹に「筆談ならわかりますか?」と訊いたそうだ。)

7月に1度、座りながら白目をむいて口を開け、見た事もない異様な顔をした兄を父と私で見た。
「変な顔をするな」と父は言った。
それを主治医に伝えるように妹に頼んでおいたが、母のことで紛れて言い忘れ、それきり私も忘れていた。
妹が思い出して主治医に伝えると、「間違いなくてんかん発作」と言われたそうだ。
兄には、典型的なてんかん発作(痙攣など)の経験はないが、何年かに一度動けなくなる。おそらくてんかんと言われて、てんかんの薬を飲み続けている。
何年もなかった発作が、忘れた頃に出てくることもあるそうで、またあるようならやはり精密検査が必要だと言われる。

「薬は、ちょと乱暴だけど(通所施設で)ちゃんと飲ませてくれるなら、夜の分を昼に入れてみましょう」
深い安堵感。これで兄の薬の飲み過ぎ、飲み忘れはなくなり、失神して歯や鼻の骨を折ることもなくなる。
ここまでたどり着くのに随分時間がかかってしまった。兄に申し訳ない。

主治医は、父のことでも妹の相談にのってくれた。
「お父さんのことは、”認知症です”って言っても駄目だろうから、上手く言って薬飲ませたいね」
「(高速道路のミスの話から。)それが認知症だよね。名古屋まで行くのは危険だなぁ。市内でもレビーを診てくれるとこは、あるんだけどな・・。お父さんから車、取り上げるのは、難しいよね・・。
本当に大変なことになっちゃったね。お姉さんと頑張っていくしかないね・・」
優しく人を包み込むような主治医に話を聞いてもらえただけで妹は、心が軽くなったようだった。




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しば


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No title

なんだかとても久々にちょっとだけ暖かく感じたポストでした。

Megさん

本当に我ながら深刻過ぎて嫌になります。
大抵の人は、げんなりして読むのが嫌になるだろうなぁと思います。
それでも起こったことをありのまま書いていくと、こうなってしまいます。

母が認知症になった時は、比較的誰にでも「母が認知症で・・」と話していましたが、今は、ちょっと気軽には人に言えなくなりました。
職場の人には、迷惑をかけているので説明しましたが、「そんなことってあるの・・?!」と絶句されます。
認認介護という言葉があるくらいですから、全国には、たくさんいらっしゃるのでしょうが・・・。

No title

お兄さんの施設探しが大変そうですね。

娘の同級生(自閉症)のお母さんが、今必死でグループホームを探している最中です。一人っ子なので、お母さんが倒れたらもう終わり。15歳の今から探して、いつ入れるか分からないと嘆いていました。どこも終点の駅からバスで30分もかかる僻地だそうです。

たくさんの家庭が、語り尽くせぬ事情を抱えているのだなと思います。みんな頑張っているのですよね。私も家族全員が手のかかる状態で、いっそのこと蒸発してしまいたくなることもありますが、これも何か意味のあることだと信じて日々を過ごすしかありません。
このところやっと涼しくなったことがせめてもの慰めです。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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