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9月1回目の帰省5日目(後半)レストランの母 父の問題

父は帰りも道に迷い(私自身は元々方向音痴)、高速道路に入るはずが、どこからか出てしまい、ウロウロと走り回る。
父は「今日は、何か変だなぁ!」と言うが、ことの深刻さには、気付いていない。
徘徊(道に迷って家に帰れなくなると医師は言っていた。)もそう遠くはないことなのだと思う。

昼には、実家のある街に帰り着き、母の好物の蟹料理の店に行く。(車椅子でも入れることを電話で確認してあった。)
9月だというのに気温は37度で、駐車場を歩くだけで倒れそうになる。
母は、写真付きのメニューから自分で選ぶ。寿司、天ぷら、うどんなどが付いた豪華版だ。
トイレに行きたいと言うので、私がトイレを見に行くとバリアフリーではなく、とても母を連れて行けそうもない。名古屋を出る前にトイレに連れて行けば良かったと後悔する。母には、狭くて行けない、悪いけどオムツにしてとお願いする。

母は、たくさんの御馳走を無表情のままもくもくと食べた。
(手は動くので、食事だけはほとんど介助が要らない。トイレや着替え、風呂などは、ほぼ全介助)
なぜか父も妹も無口で、私一人が、ずっとしゃべり続けていた。
私「お母さんの誕生日のお陰でこんな御馳走が食べられて嬉しいな~!お母さん、おいしい?」
母「あんたは、何、頼んだの?」
私「蟹雑炊。おいしいよ~!食べてみる?」
母「食べてみたい!半分頂戴!」
母は、食べたことのないものを好んで食べる人だった。元気だった頃、一緒に何かを食べに行くと「それも食べてみたい!一口頂戴!」と必ず言った。その時とまったく同じ口調だったのでハッとした。
そしてそれと同じことを、今、私は、自分の家族に言っている。あれは母譲りだったのか・・。

食後、自宅には戻らず、そのままグループホームに母を送って行く。
職員に薬の説明をする。朝昼晩の仕分けは、妹が、自宅でして明日持って来ると言う。
私は母に、一度自宅に戻って、10日ぐらいしたらまた来ると伝える。
「いいよ。そんなに何度も来なくていいよ。○○(夫)や子どもらの世話してやって。私は大丈夫だから」
しかしその数分後には、「私も帰る!」と泣き出す。職員が『早く帰って』と手で合図をし、私たちは、泣く母を置いて実家に戻る。暗い気持ちになる。

実家で母のズボンを洗い、残っていた仕事を片付ける。
あらゆる所に張り紙をする。<このゴミは月曜と木曜に出す><病院に行く時に必要なもの><この書類を○○に渡す>等々
けれども張り紙すらほとんど効果がないことは、既にわかっている。

父の運転が危険なので、仕事(常時車を使う。)を辞めさせる手段も考えた。取引先に片っ端から電話をして説明すればいい。できないことはない。
けれども仕事が趣味で生き甲斐の父から急に仕事を取り上げたらどうなるだろう?
病識のない父は、「なぜ?!」と取引先に迫るだろう。

父は、アパートも所有管理している。既に支障が出ている。
母の入院見舞いのお返しも「俺がやる」と言ったきり、何も進んでいない。
封も開けないまま紛失していく郵便物は?遅れたままの支払いの数々は?
「俺は100%正常だ!仕事も家事も何でも1人で全部できる!余計な口を出すな!」と言い切る父をいったいどう支えていけばいいのだろう?
病院での告知(16日)の後、自分が認知症と理解している間に一気にすべてを片付けるか?
その時、父は、平静でいられるのか?
仕事を辞め、すべてを私たち姉妹に任せるという判断力は残っているのか?

積み木を積み上げていくゲームで、最後の1つが、今まで積み上げた全てを崩してしまうように、父の生活にも最後の1つが、積まれようとしていると感じる。
何をどうすればいいのか、わからないまま、私は、新幹線で帰路についた。
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No title

しばさんのお父様を思いやるお気持ち、とってもよく分かります。
今まで仕事もお母様とお兄様の世話も(本人としては)頑張ってやって来た病識のない人に突然、進行した認知症だと宣告するのは大変な事でしょう。
でも、60歳で定年する人達に比べれば14年も長く、大きな問題もなく仕事を続けて来られたということをプラスに捉えて、ここらで少しのんびり休めっていうことだという風に考えを持って行けないでしょうか?
出来たら、身内よりお父様が一目置いている他人に言ってもらうのが良いと思います。
車は加害者にもなりうるので怖いですよね。高齢ドライバーは免許更新のとき認知テストをして、返納を促すのですよね。多分告知のときにDr.からも返納を勧められると思います。
「生涯現役」という言葉はありますが、私の親戚でも惚けた社長の代わりに実際の采配は息子が取り、毎日出勤して工場の隅で訳の分からない物を作っているじいさんを、息子も社員も見て見ぬ振りするという姿がありました。傍から見ていて、裸の王様のようで却って身につまされました。

kimiさん

度々コメントをありがとうございます。
とても参考になります。
・・・しかし実際、難しいです。
父の中に「のんびり休む」という語彙、概念は74年間なかったような気がします。変わるでしょうか?

認知症の早期発見も本当に難しいですよね。
母の時は、何かが変だ、何かが違うと数年間思ってきましたが、目立った記憶障害も見られず、認知症だなんて全く考えもしませんでした。
父の時は、春から異常だと思っていましたが、妹は「お父さんは、昔っから短気で変人だったじゃない!」と否定していました。
kimiさんの言う通り、電話では全然わかりませんでした。
父は、長電話が大嫌いで、自分の言いたいことだけ言うと一方的に切ってしまう人なので、ゆっくり話すこともなかったんです。

まさか自分の親に限って認知症なんて・・と無意識の内に思ってもいたのだと思います。

ブログの紹介

認知症の運転に関して記事を書いてるブログを紹介します。

認知症という希望
http://ameblo.jp/ninchisyo/

ここはレビー介護家族の間では有名な「長男さん」が開いてるブログです。
左サイドバーのブログテーマ一覧(カテゴリー)に「認知症患者の運転」と
「運転を止めさせた手順(免許返納)」というのがあります。
あまり参考にならないかも知れませんが・・・。

ちゃわさんへ

運転を止めさせるマニュアル、全部読みました。
参考になります!
この冊子は、病院や免許センターや警察などあらゆる公共施設に置くべきだと思いました。

父の性格などを考えると医師や家族の説得ぐらいで止めるとは思えませんが、「忘れた時に見せる医師の手紙」というのは、作ろうと思いました。

都内に住んでいれば車は要りませんが、地方に住んでいると、食品の買い物に行くにもどこに行くにも車は、どうしても必要になります。母も3月まで(歩ける間)危険運転を続けていました。
父には仕事に必須、かつ「(運転そのものが)生き甲斐」、楽しみでもあり、余計難しいです。

話は変わりますが、数々の事例を読んでいて、父は、限りなくピック病に近いとあらためて思いました。ピック病とアルツハイマーの合併というのがあるのでしょうか?

ピック病とアルツハイマーの合併

ピック病とアルツハイマー型認知症は全く別の原因で起きますから両方の合併はあります。インターネットで検索してもこの2つの合併について書いてる記事はなかなか見つかりませんが、名古屋フォレストクリニックの河野先生はブログの中で合併のことを書いたこともあります。

【ピック病】
前頭側頭型認知症の一種で、脳にピック細胞が出現します。初期では記憶障害がほとんどなく、人格障害(人格の変化)が主症状です。専門家でないと見つけるのが難しい病気です。前頭側頭型認知症とピック病を同じ意味に考えてる人も多いようですが、私は別物と考えています。河野先生も別物という考えです。

ドクターコウノの認知症ブログ 大講義21 ピック病とは何か
http://dr-kono.blogzine.jp/ninchi/2007/07/post_cbcb.html

ピック病への処方に要注意 - 村瀬仁章のブログ
http://www.h-murase.net/2008/05/post-25.html

【アルツハイマー型認知症】
神経細胞毒性の強いアミロイドβが脳内で過剰に生産・蓄積されて、老人斑を形成することが原因と考えられています。アミロイドβは正常な脳でも生産されていて普通は分解されるものですが、これが過剰に生産されて分解が追いつかないと蓄積されていきます。神経細胞にアミロイドβが沈着したものが老人斑です。アルツハイマーは物忘れなどの記憶障害が主症状です。


ピック病とアルツハイマー型認知症は、どちらも自分の病気に対して病識のないのが特徴です。だから両方の合併であっても、自分ではなんともないと思うわけです。

車の運転に関してはピック病に近い感じですが、物忘れもあるようなので、しばさんが仰る通り両方の合併なのかも知れません。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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