どうにもならないとき

片倉もとこさんは、自らのうつ病のことを「ニャン公の季節」と呼んでいた。(→記事
国際日本文化研究センター所長を依頼された時も
このとき、一番気になったのは、「ニャン公」のことだった。
と書いている。(「旅だちの記」P.88)

「この私の病気」「この私の辛さ」「この私の不安」ではなく「ニャン公」と呼ぶと、そこに一歩分の距離ができ、一歩分の余裕が生まれる。

昔、人は、狐に憑かれた。

「この私のお母さんが、こんな訳の分からないことを言ってこの私を困らせている」を
「あっ、また”コン公”が、憑いたわ〜。”コン公”、早よ、出てき〜。蹴飛ばすで〜」
と言い換えてみると、ほんの少し変わるかも知れない。
敵は、コンコン狐。
こんなものに取り憑かれて振り回されている母は、本当に気の毒な人だ、と思える。

認知症介護は、どう頑張っても上手くいかない、どうしようもない時が、必ずある。
私は、3年前からずーっとそうだった。
母がやっと落ち着いた今、今度は、父に振り回されている。
どんな努力も工夫も浅知恵も効果ゼロ。

でもそれが本当なのだと、今は、思う。
現実は、常に理不尽で、人間の力でコントロールできることなどほとんどない。

親もきょうだいも家族も親戚も、皆、性格も考え方も違う。
操り人形ではないのだから、皆が、自分の思い通りに動いてくれることなどありえない。

何の欠点も問題もない家族は、この世に存在しない。
誰もが、色々な傷や不満を抱えて、怒ったり、泣いたりしながら育った。
大人になって、適当な距離ができ、それに直面せずに済むようになっただけだ。
家族の認知症をきっかけに距離が縮まれば、また必ず摩擦は生まれる。

そう繰り返し自分に言い聞かせている。
やれるだけのことはやる。でも期待はしない。
自分の無力を責めてもしょうがない。

両親の主治医から言われた。
「脳のことはわからないし、明日どうなるかなんて、神様しかわからないしね・・。
あなたも、もう達観したでしょ?・・人生、達観した者勝ちだから」

*カテゴリ;介護家族の心理変化・気持ち

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紫陽花(アジサイ)
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プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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