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9月1回目の帰省3日目(2)父、診察を受ける

マスクで目しか見えない医師が、父に向かって話し始める。
「なぜ、ここにいらしたんですか?」
父は(そして私も)、一瞬ギョッとする。
父「・・健康診断で・・」
医師「ここでは、健康診断はしてませんがね」
私「昨日、ケアワーカーさんにお話しさせて頂いたんですが、聞いていらっしゃいませんか?」
(終始黙っているつもりだったが、焦って思わず言ってしまった。長谷川式簡易知能評価スケールの用具一式が机にないこともとても気になっていた。)
医師「聞くも何も・・。ごまかしはいけませんよ!」
(医師は、保健所からの相談を受けた時点で気分を害していたのだと思う。自分が知らない間に「だまし討ち」の共犯者にされるところだったのだ。そしてその気持ちは、もっともなことだった。一番大切なのは、患者との信頼関係なのだから。)
しかしその時、私は、思っていた。『病院を誤った・・すべて水の泡だ・・』

父はその会話の意味を考える風でもなく、医師の当たり障りのない質問に答え始める。
医師は、始めは母の話をじっくり聞き、それから徐々に「夕べ食べた物は何ですか?」(父、覚えていない。)「今日の昼、食べたものは?」(しばらく考えてから「素麺」)「今日が何月何日かわからないことがありますか?」(父、あると正直に答える。)などの質問を会話の間に挟んでいく。
医師「少し、物忘れがあるようですね」
父「まぁ、年相応には、あるかもしれませんね」(父、苦笑いをしている)
医師「では、一応CTと心理テストも受けてもらいますね。別室になりますが」
(ここまでの自然で穏やかな流れを見ると、はやり経験と実力を兼ね備えた認知症の専門医なのだと思う。)

父が、脳のCTと心理検査(長谷川式とロールシャッハ・テスト)を受けている間に、医師から私に問診。

結論は16日(2週間後)まで出ないが、恐らく初期ではなく、中期のアルツハイマーだろうと言われる。
『中期?!』私は、初期だと思っていた。早期発見早期治療で、まだしばらく何とかなると考えていた。
私「徘徊も・・始まるということでしょうか・・・?」
医師「本人は徘徊とは思わないでしょうが。道がわからなくなって、家に帰れないということは、いつ起こってもおかしくありません」
私「・・それに、皆さん、どう対処していらっしゃるんでしょうか・・・」
医師「知りません」
私「・・私は・・どうしたら・・・」(この瞬間、私は、激しく動揺していた。)
医師「それは病院に相談することではありません。福祉や介護関係の機関に相談して下さい。デイサービスやショートステイを利用していくしかないでしょうね」
(100%健康だと、受診すら拒否する父が・・? 私は、再び平静を取り戻す。)
私「16日に先生から説明を受けて、父は、自分が認知症だとわかるんでしょうか?」
医師「恐らく、その時にはわかると思います。ただそれをいつまで覚えているかは、わかりません」

伯母「あの・・やっぱり、お母さんのことがショックでなったんでしょうか?」
医師「いえ、何年も前から症状はあったはずですが、家族が気が付かなかっただけです」
(父が同じ話を何度も楽しそうにするのは、もう何年も前からだった。歳のせいだと思っていた。)

アリセプト(アルツハイマーの進行を遅らせる薬)は、怒りっぽい患者に使うとそれがひどくなるので勧められないと言われる。
私「治療法はないということですか・・」
医師「まぁ、一般的にアルツハイマーは、レビーほど進行は早くないですから・・」

診察室を出て、待合室で父の検査終了を待つ。
伯母「そうかも知れないとは覚悟してても・・はっきり言われるとショックだね・・・」

父は、機嫌良く検査を終え、待合室に来ると、楽しそうにロールシャッハ・テスト(性格分析)の話を始める。
「見た事もないような変な絵を見せられて、何に見えるかって言うんだぞ。”何にも見えない”って言っても、何でもいいから何か言ってくれっていうんだ。まったくヘンテコリンな絵でなぁ。”ミーアキャットの日干しだ”って言ってやった」
長谷川式は、「計算(100引く7。さらに7を引く。)がちょっと難しかったなぁ。あとは完璧だ~」
伯母「私だってそんな難しい計算なんてできやしないわ~。私も早く健康診断受けないとといけないねぇ!」

帰りの車(父の危険な運転)の中でも父はケロリとしている。
「なぁ。俺が病気だっていうウソの診断書を書いてくれって、今度、あの医者に頼んでみてくれないか?」

妹の仕事が終わる5時過ぎ、真っ先に電話をする。
「本当に・・?!」と言ったきり、妹は、言葉が出なかった。

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No title

隣の人が「去年からよね。おかしかったの」と言ったのを聞いた時は、愕然としました。私が、変だと思ったのは、春から。病気だと思ったのは、7月です。
夫は帰省の最後の日、父と電話で話し、私に「お父さん、全く正常だよ。どこもおかしくないよ。誤診だよ」と言い張っていました。「16日に結果が出るから」とその話は止めてもらいました。
介護認定の面接に来る人もアルツハイマーの場合は、異常を発見できないことが多いそうです。(そうなると介護認定も「該当しない」に)

母は、自分が壊れていくという強い自覚を持って、苦しんでいました。
レビーの場合は、それが強いそうです。
父も毎日のように探し物や失敗を繰り返し、今回、初めて心の中の不安や焦燥感を感じました。口に出しては言いませんので、ただ肌で感じるだけですが・・。父が哀れで、可哀想で、悲しくてどうしようもなくなります。そんな感情は、どこかに押し込めて、毎日動いていたのですが・・。

No title

私も、「もう何年も前から症状はあったはずです」と舅と叔母の時に言われました。
母の時は、本人が思い出せないことを家族がすぐフォローしてしまうので、本人も周りも物忘れが進んでいることに気がつかなくなってしまっていると言われました。確かに、「えーっと、アレは…」「○○でしょ?」と、すぐ助け船を出していました。
母は方向音痴なのではなく、道順が覚えられないだけだということも、その時に思い当たりました。最近は散歩に出かけると、自分が何処に居るのか分からなくなることもしばしば。でも、通りがかりの人に尋ねると何とか帰ってこれるし、いざとなったらタクシーで帰ればいいと開き直っています。
出来ないこと、忘れたことは、周りの誰かが代わりにやることでカバー出来ますが、「何が何だか分からなくなった」と、本人がどんどん不安になっていくのを見ているのが辛いです。

コメントの順番逆です

コメントの順番が逆さまになってしまいました。
クリちゃんのコメントが最初で、私のが後です。
ソフトに慣れていなくて直せません。ごめんなさい。

離れていると・・

私も母が変だと思ったのは3年くらい前、このままでは大変だと思ったのは今年に入ってからです。
しかし、電話で話すだけの夫は「大丈夫だよ。正常じゃん」と信じてくれませんでした。
今年の6月一緒にバーベキューをしたときの事、目の前にある焼く前の野菜をムシャムシャ食べ出し、休憩室を徘徊して、夫が「どこ行くんですか?」と尋ねたら「人が変わったんですか?」と返事されてやっと変だと気づいてくれました。
私が「それは多分自分がデイにいて、デイの職員と思っていたんじゃない?」と説明したら納得しました。
電話ではなかなか分からないですよね。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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