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7月の帰省5日目 食事と処方を確認。アリセプトが増量されている。

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認知症の親の財産管理

父が、車の点検に出している店まで、車で連れて行ってくれと言う。朝8時前だ。
「随分早くからやっている店なんだねぇ」と言いながら行くと、開店は、10時だった。

父は、こんなことも言った。
「まだずっと先の話だけどな。お母さんが、もしこの家に帰って来れないってことが、はっきりしたら、ここは壊してアパートにするつもりだ」
父が、今でも母の自宅介護を諦めていないということを初めて知った。
良い医者にさえ診せれば、奇跡的に回復すると信じている。

父にアパートを建てるだけの元手があるとも私には思えない。
「お父さん、貯金ってものが全然できない人だから、私が一生懸命ヘソクリを貯めて、ちょっとづつ、ちょっとづつ増やしてきたんだよ」
元気な頃、母は、よくそう言っていた。

爪に灯をともして50年間貯めた母の貯金は、それ程多い訳ではない。
私や妹が、介護費用を出すことは求められない程度だが(それを心から感謝しているが)、アパートを建てるようなお金が、一体どこにあるというのだろう。(父の通帳の中身は、私も妹も全く知らない。)

介護や兄の福祉関係の事務処理の一切を担っている妹は、新しい事態を心配している。
まず母の運転免許証の期限が、もうじき切れる。
運転免許証は、母に代わって色々な手続きをする時に偉力を発揮してきたが、今後は、それに変わるものを用意しなければいけないという。

去年母が、急激に悪くなった時、母の通帳や印鑑探しに始まり、預金を動かす手段を金融機関ごとに調べた。
(金融機関ごとに方法が違った。)
その時は、金融機関から母のいる施設に担当者が行き、会話から本人と確認でき、本人が、自分の名前などを書ければ問題ないという所が、複数あった。
私たちは、それを聞いて安心し、そのまま放ってあった。
しかしまた格段に悪くなってきた今、自分の名前が書けない可能性が高くなってきた。
どうすればいいかという問題だ。

成年後見人という制度があるが、手続きに膨大な時間とエネルギーがかかる。
本人の財産を守るための制度なので、一度手続きをすると、今度は、1円でも動かすのに、とても面倒なことになる。
計算が苦手な私は、そうしたことを考えなければいけないと思うだけでげっそりする。
かといって放置する訳にもいかない。

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植物園の温室の中で見た花。
ジャングルに飛ぶ鳥のイメージ。

刻み食とは(嚥下障害のある人の食事) 

「介護110番」というサイトの「介護ことば辞典」で調べると安全な刻み食とは、まさに特養で母が食べていた形なのだとわかった。
グループホームに居た時の母は、個々のおかずを約1cm角に切られたものを食べていた。
そこでは、それを「刻み食」と呼んでいた。
母は、その時、飲み込みにほとんど問題がなかったために、毎回無事に、楽しんで完食していた。
しかしそれは、飲み込みに問題(嚥下障害)がある人には「安全な刻み食」とは呼べないようだ。
(なぜ危険かという説明は、「健康長寿ネット」の中のこちらの記事を。)

<「介護ことば辞典」による「刻み食」の定義>

噛む力が弱い人のために、食物を小さく刻んで食べやすくした食事を“刻み食”といいます。
食物を飲み込む時には、咀嚼した食物の粒を飲み込みやすいように塊の状態にして飲み込みますが、これを“食塊(しょくかい)”といいます。
例えば、みじん切りのキャベツ”など料理によっては、細かく切っただけでは、飲み込む時に食塊を作ることができず、むせやすくなります。
また、焼き魚の身や卯の花の煮物などは、細かくても口の中の水分を奪い取ってしまうため、食塊を作ることができません。
そのため、“刻み食”を作る場合は、単に料理を細かく切るだけでなく、舌で押しつぶせる程度の軟らかさにした軟菜食を、さらにミキサーなどにかけて細かくしてから、片栗粉でとろみを付けるなど、食塊を作りやすくする工夫が必要になります。



しかしこの「安全な刻み食」は、見た目が悪い。
色々な色が付いたドロドロの固めの粥のように見え、見ただけで食欲を失う。
母もこの食事になって以来「まずい」と言って、食欲が大きく落ちた。
(一時期は、食べることを拒否していた。)

そう感じるのは、私や母だけではないようで、調べてみると、刻み食を止めようとしている所が、あちこちにあるようだ。
「総合リハビリ美保野病院」のブログの記事(2008年6月27日) 「刻み食が消えた」では、刻み食の問題点に着目し、「ソフト食」を導入した経緯が書かれている。

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一般的に「刻み食」が食べられなくなった利用者は、「ミキサー食」になる。
同じ「介護ことば辞典」には、以下のように書かれている。

“ミキサー食”とは、常食や軟食として作った食事をミキサーにかけたものをいいます。
全粥(かゆ)の米粒でも、口の中で残るような場合には、ミキサーなどにかけて、さらに軟らかく、なめらかにします。
おかずは、だし汁を適量加えてミキサーなどにかけ、食品中の残りかすがないようにします。
ミキサー食には、芋類や空豆などデンプン質が多い素材、大根やニンジンなど野菜の煮物、肉じゃが、シチューなどが適しています。
一方、繊維の多い野菜や、きのこ類、こんにゃくなどはきめ細かく粉砕できないので適していません。
ミキサー食の粘度は、ポタージュ状を目安にします。
水分が多い食物は、飲み込む時に食塊にできず、誤嚥しやすいため、片栗粉、コーンスターチ、増粘剤などで粘りを出します。
この時、粘りが強過ぎると、喉の奥に張り付いて危険なので注意しましょう。



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さるすべり (百日紅。ひゃくじつこう)

7月の帰省4日目(2)刻み食(追記あり) 

夕方、父と2人で行くと、母は他の利用者と一緒に食堂のテーブに付いている。
食事が運ばれるのを待ちながら、怒っている。
「すぐ来るって言ったのに!一体何やってるの?!」
母は、私や父や配膳する職員を終始責め、異常に頑固だった。

「お母さん・・、性格、変わったね・・」
思わず口に出した。
「変わったんですか?!前は、こうじゃなかったんですか?!」
配膳している職員が、目を丸くして訊き返した。


母に運ばれた食事を見て、再び衝撃を受ける。
細かいつぶは残っているが、噛む必要のない状態のおかずとおにぎりだった。
おかずの名前も食材も、見ただけではわからない。

私 「これは・・何食というものですか?」
職員「刻み食です」
私 「入所した時からずっとこれですか?」
職員「そうです。おにぎりは、○○さん(母)の希望で、途中から変わりました」

入所した日から「ご飯(食事)がまずい」と言い続けているというのは聞き、不思議に思っていた。
父は、何の疑問も持たなかったようだ。
(追記:こういう食事にした理由は、この翌日、看護師から聞いた。)

同じテーブルの1人の女性は、食べ物も飲み物も一切拒否して口を結んでいる。
職員は、盛んに話し掛けるが、その人が声を発することはない。
母は、なぜかその女性の名前を「タケシ」と信じている。
「タケちゃん、食べなきゃだめ。一杯食べて、早く元気にならなきゃ。みんな、それを待っているんだから。ねっ?」
突然、昔の優しい顔で母が話しかける。
コミュニケーションの手段がないのかと思っていたその女性の目に、みるみる涙が溢れた。

母を含めたそのテーブルの3人は、それぞれに支離滅裂な会話を展開していく。
(もう1人の「タケシ」さんは、常に無言。)
けれども他の2人の感情に共通するのは、哀しみで、母は、常に2人を慰め、励まし、導こうとしていた。

母は、途中、父のことを「シゲさん」と呼んだ。
「シゲさんって誰?お父さんは・・」
「変なこと、言う子だね。ねえ、シゲさん」
父は、苦笑いをして黙っている。
私は、それ以上、恐くて言えなかった。


食後、薬を渡される。
6錠と抑肝散1包。サプリメント(フェルガードハーフ)もない。
明らかに少ない。前の医師の処方とは違っている。
胸がザワザワと波打つ。

妹と電話で話すとグループホームでの食事の形態(一品一品を1~1.5cm角位に切ってあった。それを「刻み食」と呼んでいた。)については、色々な職員から何度も訊かれ、その度に詳しく説明したという。
特養の主治医と入所前に1時間程話した時の感じからは、処方を勝手に変えることは考えられないともいう。
主治医「積極的治療はしない。レビー小体型認知症は、今までの主治医に診てもらって構わないが、通院が困難というなら、こちらで今まで通りの処方をする」

追記:「介護110番」というサイトの「介護ことば辞典」で調べると安全な刻み食とは、まさに特養で母が食べていた形なのだとわかった。
グループホームに居た時の母は、飲み込みにほとんど問題がなかったために、毎回無事に完食していたが、それは、飲み込みに問題(嚥下障害)がある人には「安全な刻み食」とは呼べないようだ。
詳しくは、こちらを。

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ブーゲンビリア(筏葛。いかだかずら)

感情失禁とは アリセプトとの関係は

7月29日の朝載せたこの記事に対して公開、非公開でご指摘があったので、内容の一部を書き直します。
医学用語は、定義が曖昧で、人によって使い方が違うそうです。

2010年に入院中の母の状態が「せん妄」と呼べるかどうかという記事を書いたことがあります。
主治医は「話ができるならせん妄とは呼べない」と否定しましたが、記事を読んだ複数の方は、「それはせん妄」とコメントを下さいました。

感情失禁も「感情のコントロールがうまくできなくなり、些細なことで泣き出したり、怒り出したりする症状」という定義もあれば、「可笑しくもないのに笑い、悲しくもないのに泣きだし、それが止まらない状態」或は「ちょっとしたことで激しい感情が引き起こされ、本人は自覚していても抑えられない症状」という定義もあるようです。
すると母の場合は、感情失禁ではなく、kimiさんがコメントで書かれたように「幻覚・妄想に基づく不安、焦燥、興奮、異常行動」というレビーに顕著に現れる情動障害なのかも知れません。(医師ではないので確かなことは言えません。)

しば

<以下、書き直した記事>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感情失禁は、血管性認知症の典型的な症状といわれ、アルツハイマー型認知症ではあまり見られないという。
レビー小体型認知症では、抑うつ症状や怒りっぽくなるなどの情動(感情)の障害が出ると言われている。

母は、2010年3月に急激に悪くなった。(要支援2から要介護4に。)
その時からずっと泣いたり、怒ったりするということを繰り返してきた。
怒り出すと攻撃的になり、身近な家族を激しく、いつまでも責め立てた。
(病前には、そんなことは、全くなかった。)
父が浮気をしていると言って(嫉妬妄想)泣くことも何度もあった。

サプリメント(健康食品)の「フェルガード100M」を「フェルガードハーフ」(興奮させる副作用を持つガーデンアンゼリカという成分が半分。)に変えてみたが、変化は確認できなかった。

日に2.5mg服用していたアリセプトを1mgまで減らして、やっと泣いたり怒ったりすることが減った。
ただし認知機能も落ち、ぼんやりした感じになった。
それでも穏やかになったので、家族の精神的苦痛も減った。
しかしその効果も一時的だった。

アリセプトを日に1mgにして欲しいと言った時、主治医も薬剤師もそんな微量のアリセプトでは、飲む意味がないと強く反対した。
けれども必死で頼み込んで処方してもらった。

レビー小体型認知症の発見者である小阪憲司医師も「副作用が出る場合は、1mgや2mgを処方する」と述べている。

河野和彦医師(名古屋フォレストクリニック院長)は、著書「レビー小体型認知症 即効治療マニュアル 」の中で、「パーキンソン症状から始まるタイプのレビー小体型認知症では、アリセプトはほとんど使えません。使っても0.5mg~1mgまでです」と書いている。


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朝顔の1種?

7月の帰省4日目(1)主任との話し合い レビー診断 感情失禁

朝、母を訪ねると、ぼんやりしていて、あまり反応がない。
しばらくしてから母が、ポツリとつぶやく。
「動物園、どうだった?」
「うん。良かったよ」
「そうでしょ?・・みんな、そんなもの、ないって言うんだよ」
「みんなって誰?お父さん?」
「お父さんも、ここの人もみんな・・。そんなの、ないって言うよ」

午後、再び特養に行くと、主任が居る。妹から特徴を聞いていたのですぐわかった。
初対面だ。
仕事のできそうな人なので、気にしていることを率直に伝える。
(私は、月1回しか母に会わないので、先月との比較しかできないことも言う。)

私: 先月までは、押さえればかなり伸びた膝が、90度で固まっているよう。
主任:来週、介護計画を立てるので、その中に対策のリハビリを入れたい。
私: 「動物園などないと皆が言う」と母は言うが・・。
主任:職員は皆、妄想を否定してはいけないことを知っているので、それは有り得ない。
私: 部屋に1人で居ることが淋しく、不安になるようだ。
主任:入所時に寝たきりと聞いていたので、そのように対応していたが、見ていると寝た
   きりとも少し違うようなので、もう少し長くこちら(共有スペース)に居てもらお
   うかと考えているところ。

明確な答えを即座にもらい、安心する。

寄贈したレビー小体型認知症に関する本のお礼も言われた。
「あそこに置いて、(職員の)誰でも読めるようにしてあります。職員は、皆、レビーのことも知ってはいますが、本を読むと、”あぁ、じゃあ、あの人もレビーかしら?”なんて、話したりもしたんですよ」

母が入所するまでの間、レビー小体型認知症と診断された利用者は、半年前に入所した人1人のみだと相談員の○○さんから聞いていた。
施設の規模から言えば、何十人と居ておかしくない。
(全認知症患者の20%がレビー小体型認知症と言われている。詳しくはこちらを)
この街にレビーの診断ができる医師がいかに少ないかということなのだろうと思う。

主任にお礼を言って別れ、母の部屋に行くと、泣いている。
「どうしたの?」
「いつまで経っても帰って来ないから、あんた、もう死んじゃったかと思った~!」
激しく泣きじゃくる。
「大丈夫だよ。心配させてごめんね」
ベッドにおおいかぶさって抱きしめる。

泣き止むと、また眉間にしわが寄り、否定的なことばかり言う。
なんとか気分を変えようとするが、トイレに行くと言い始め、怒り出す。
「さっさと連れてってよ!何回言わせるの?!私は、いつもトイレに行ってるの!トイレに連れてってくれたら自分でちゃんとできるって言ってるでしょ!」
妄想になっている。
妄想は、何をどう言おうと修正することはできない。


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我が家のベランダで咲いたサボテン。
(3年前の6月)



7月の帰省3日目(3)プリンとコーラ 「もうすぐ退院」

3時のおやつの時間だというので、2人の職員が部屋に迎えに来る。
2人で同時に母を抱え上げてリクライニング式の車いすに運ぶ。
母と一緒に初めて食堂(共有スペース)に行く。

昨日とは違った様々な職員がいる。
「あら~!○○さん(母)、今日は、顔が違うわ~!」
「モンちゃん(猿のぬいぐるみ)は、お部屋?」
親しげに母に声を掛けてくれる人たちがいて、ほっとする。

母のテーブルは、人とのコミュニケーションが取れない重症者のグループだった。
人から見れば、これが母のレベルなのかと思うと、小さくはない衝撃を感じる。
調子の良い母は、その人たちに色々愛想良く話し掛ける。
昔通りの社交的な母の顔で・・。

プリンとお茶が運ばれて来る。
お茶には、誤嚥防止のためのとろみがついている。
色々試した結果、やはりむせるので、毎回とろみを付けていると説明される。
母は、お茶よりもコーヒーが好きなので、許可を取り、今度持って来ることにする。

同じテーブルの人にコーラが運ばれて来た。
驚いて見つめる私に、職員が元気に訊く。
「○○さん、コーラも好きですか?」
「はい。お茶よりもコーヒーやコーラをよく飲みます」
「じゃあ、ちょっと飲んでみます?○○さん、ちょっと○○さんにあげてもいいよね?」
母に少しコーラをもらった。
「週1回、買い物の日があるんで、○○さんにも1本買っておきましょうか?
(母に向かって)ねぇ?暑い時は、コーラ、おいしいよね?」
「お母さん、ここは、コーラも飲めるんだって。良かったねぇ!」
そんな小さなことをひどく嬉しく感じる。
私のカラータイマーが点滅しているサインだ。

母は、ほぼ直角に立てた車いすに座って、自分でプリンを全部食べた。
信じられない思いで見つめていた。
「あんたもちょっとは食べて!1つもらおうか?」
何度もそう言う所も、以前と変わらない。

「ここのおやつは、前に居た所と比べると随分豪華だね」
「うん。全然違う。でもここももうすぐ退院するしね・・。あとちょっと。
 お父さん、”どんどん良くなる”って言ってるし・・」


帰宅後、先月までレビーを診てもらっていた主治医の意見を聞こうと思い、予約の電話をしたが、明日も明後日も一杯だと言われる。
予約なしで行くと、2~3時間待つと言われ、今回は諦める。
同じ2~3時間を母に付いていてやりたいと思った。

父は、この日、もう長く続いている足の違和感の原因を突き止めるために大きな病院で精密検査を受けたと言う。
背骨が少しずれていると言われたそうだ。
「それで、整形外科を紹介されたの?」
「いや。原因がわかればそれでいい。様子をみるからいい」
止めた方がいいと言っても、相変わらずインドメタシン入りのアンメルツを足に塗りたくっていた。


唐辛子の一種
植物園で見た唐辛子の一種。名前不明。

TVシンポジウム「認知症新時代 病気を知って 自分らしく その人らしく」

先日紹介したNHKの認知症特別番組。(Eテレ。2011年 7月23日放送)

【パネリスト】メディカルケアコートクリニック院長…小坂憲司
【パネリスト】関東中央病院神経内科部長…織茂智之
【パネリスト】NPO法人「語らいの家」管理者…市川裕太
【パネリスト】若年認知症家族会「彩星の会」世話人…青津彰
(2011年6月25日東京都の大田区民ホールアプリコにて開催された認知症フォーラム)

レビー小体型認知症、前頭側頭葉変性症の中のピック病、アルツハイマー型認知症、若年性アルツハイマー型認知症を患う方々の家族や施設職員との生活、ケアの様子、接し方を変えることで起こった変化などをVTRで紹介し、感動的だった。

見逃した方も多いようなので、番組の流れに添って、VTRで語られた言葉、パネリストや司会者の言葉から印象に残ったものを抜き書きしてみた。
番組要約ではないので、わかりにくい部分もあると思う。
しかし生きた言葉をそのまま伝えたいと思い、ほぼ完全にテレビで聞いた通りに記述している。(青字部分が、番組中流れたVTRの内容。その他は、パネリストや司会者の言葉や説明。)



  TVシンポジウム 「認知症新時代 病気を知って 自分らしく その人らしく」

レビー小体型認知症の男性は、食事時、皿の中や机に虫の幻視が見え苦しんでいる。
虫など見えないと母親が説得しようとすると「そんなの詭弁だ!なんで嘘つくわけ?!」と口論になる。
その度に奥さんが仲介役になる。
奥さん「(苦しみで)叫ぶんだけど、どこにも向けようがないから・・。辛くって・・。コミュニケーションのチャンネルが合わないってことが、どれくらい辛いか・・。それぞれ孤独な時期があったと思うんですよ」

認知症の進行を遅らせる薬が、幻視にも効いたと放送では言っていた。
奥さんは、幻視が現われにくいようにパンくずの出ないフレンチトーストに変えるなどの工夫をした。
夫婦で一緒に虫を消すおまじない(奥さんが虫を受け取ってから「すっきり、爽やか、元に戻った」と繰り返してからポンと手を叩く。)も効果があった。
「レビー小体型認知症家族を支える会」に入って、ケアの仕方を学んだことも役に立ったと小阪医師。

レビー小体型認知症は、うつ病や統合失調症などと誤診されやすい。

認知症の進行を遅らせる薬 アリセプト(塩酸ドネペジル)の効果
 *感情表現が豊かになる。
 *意思表示がはっきりする。
 *自発性や周囲への関心が高まる。など
重度になり、5mgが効かなくなった時、10mgに増やすという治療があると紹介。
(注byしば:私の母のように副作用で、1mgしかダメな患者もレビーには少なくない。)

診断には、問診が一番大切なので、家族は症状のメモを取ると良い。
SPECT(画像検査)は、脳の萎縮が起こる前から早期に、どの種類の認知症であるかを診断できることがある。
MIBG心筋シンチグラフィ(胸部画像。心臓の交感神経の機能を診る検査)でアルツハイマーとレビーの区別ができる。

BPSD(周辺症状。問題行動)は、原因があって起こる。
 *身体疾患(感染病、脱水、便秘など)
 *薬の副作用
 *不適切な環境やケア

BPSDは、不安や混乱から現れる症状。
不安や混乱を取り除き、周囲との関係を整えることで症状を緩和することができる。
薬以上にケア。特に配偶者のケアによって、随分違ってくる。

アルツハイマーの元表具職人(80代)は、発病初期には、仕事を面倒くさがるようになった。
グループホームで声を荒げたりすることがあったが、弟子役の職員と家族(表具職人の息子さん)と一緒に障子貼りをすることで、自信を回復し、笑顔が出るようになった例を紹介。
スタッフや家族が、その人の症状を受け入れ、一緒になって考えることで、その人のかつての役割や生き生きとした自分を取り戻すことができた。

ピック病の女性も抑制の利かない行動(症状)でデイケアでも困っていたが、元書道の先生ということで、行事の看板などを書いてもらうようになり、変化した。


介護というより、回りがその人とどう付き合っていくかということ。
パーソンセンタードケア(本人に寄り添う介護)が重要。本人らしさを大切にするケアである。
認知症だからすべてできないと思ってはいけない。自転車や書道など体で覚えたことは、よく覚えている。そうした行為を引き出すことで認知機能の改善につながる。

配偶者が認知症になった時、一生懸命のあまり、自分が面倒を看る、自分がとことん悔いのないような世話をしたいというある種の愛情表現としての介護に陥りがち。しかしそれは、共に追い詰めてしまうことにもなりかねない。

若年性アルツハイマー型認知症と診断された妻の社会生活を支えている夫婦の例。
診断後は、少しでも進行を遅らせようと脳リハビリ(計算ドリル、漢字パズルなど)をやらせた。
しかしそれは、逆効果となり、夫婦を共に追い詰めた。
本人「あれ、大嫌い!簡単にできると思ったのに、全然違ってた。私、何?って。私って、何?って。」

医師「もっと人として人間としてときめいたり、ドキドキしたり、喜んだり、悲しんだりすること(が大切)」

病気は一番大敵だけど、皆で力を合わせてやっていくこと。
一人で病気と闘うんじゃないという体制を作ろう。

その後、夫婦は、脳リハビリを止め、社会に出ていくために様々な工夫、努力をする。
妻が20年続けた絵本の読み聞かせを、病名を明らかにして、地域に出て続ける。
字は読めなくても本一冊丸ごと暗記して読み聞かせをし、皆から喜ばれ、本人も素晴らしい笑顔を見せる。
1人でスーパーに買い物に行っていた時には、胸に病名を記したネームプレートを下げ、周囲の人が、助けやすくした。
スポーツジムのプールにも行き、一人では難しい着替えは、ジムのスタッフに手伝ってもらう。

夫「今日は何曜日だとか、いつだとか、今、どこに居るかとか、そんなことは、別に何もわからなくても、病気になってもできるということがわかった。楽しい関係は作れるということを発見したのが、1つの喜び。感動。」
「最初は、考えられなかった。最初は、その逆の生活をしていた。生活の中に病気をメインに置いていた。今までの生活がずっと続いていたのに、50才で病気になった時に、すべてを病気でくくってしまった」

役割を持って地域の中で生きられる方法を考えたい。
医療と同時にケアも非常に大事。
その人らしさをいかに見つけるか。そしてそのことによって本人が「自分らしさを取り戻す」。これが非常に大事。
ただそれは本人にはできない。
それを支える人が必要で、本人を取り囲んでサポートしていくことで絶対に良くなる。


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蘭(ラン)。多分、デンドロビウム ファレノプシス。
通称デンファレでしょう。

レビー小体型認知症を知るサイト

レビー小体型認知症のことを全く知らない人でも理解しやすく、よく知っている人にも有益なサイトを1つ、夫が見つけて教えてくれました。


  「レビー小体型認知症とは?」


この病気の解説、症状別対処方法、症状セルフチェック(自己診断)、この病気の発見者である小阪憲司医師へのインタビューなどがあり、内容が充実しています。

ただ、治療薬については、商品名で書かれていないので、わかりにくいです。
(例:アリセプトは、商品名で、成分名は、塩酸ドネペジルです。)



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風船葛(フウセンカズラ)?

7月の帰省3日目(2)特養の主治医は、末期で手立てがないと言う

再び母を訪ね、部屋を飾り付ける。
朝顔とひまわりの造花を飾ると、母は、「きれい」と喜んだ。
子供(大学生)の描いた絵を飾り、<これは孫が、○○○○(母)のために描いた絵です>とメモを付けた。

母は、調子が良く、先月持って行った石原裕次郎のテープを聞かせると一緒に歌った。
「♪おいらは、ドラマ~、やくざなドラマ~♪」
私は、一緒に歌いながら、モンチッチを歌に合わせて踊らせる。
母は、愉快そうに笑った。
歌い終わるとモンチッチとハイタッチをし、2人と1匹で「イェ~イ!」。


看護師が、私を呼びに来た。
特養の主治医が来る曜日(週2回)なので、会って話したいと職員に伝えてあった。
主治医と会うのは、初めてだ。
「先生とちょっと話してくるね。待っててくれる?」
「わかった。頼むね」
診察室のような部屋に案内され、立ったまま話をした。

「薬のことで何かお話があるとか?」
母は、レビーの中でも特に薬の副作用が激しく出るタイプだ。
今まで医師から処方された薬で大変なことになったので、薬の変更や増量には、よくよく気を付けて欲しいということは、既に入所前に看護師に伝えてあった。
アリセプトも日に1mgまで減らして、やっと精神的に落ち着いたのだと。
相談員の○○さんとの話から、これ以上、薬について触れるのはまずいと感じ、あえて薬の話は避けた。

母の現在の病状を訊かせて欲しいとお願いする。
主治医は、「まだ何回も診察していないので、こちらの方が逆に伺いたい」と言う。
3月末の圧迫骨折以来、毎月急激に悪くなっていると伝える。
先月までは、普通に話せる時と会話にならない時の波が繰り返しあったが、今は、普通に話せる時間は、とても短くなったと伝える。
「そうですね。普通の会話ができることは、ほとんどないですね」

家族に対しては、足をひどく痛がったりするが、職員に訊くと足はあまり痛がらないと言われたとも伝える。
「体が固まっていて自分では動かせませんからね。それだけでも痛みの原因になります」

嚥下障害(えんげ障害。飲み込みの障害)は、いつ頃から始まりそうかと訊く。
「時期までは、わかりません。ただお母様は、パーキンソンの末期です。どんどん悪くなっても良くなることはありません」

体の拘縮(こうしゅく。硬直していくこと)や嚥下障害を多少とも緩和する方法は、何かないのかと訊く。
「末期ですから・・。薬もありませんし、もう手立てはありません」

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桔梗(ききょう)

7月の帰省3日目(1)金婚式の贈り物

夫を早朝に駅に送って行った。夫はそのまま遠い職場に向かう。
母も父もみんな久しぶりに夫と会えたことを喜び、会話を楽しんでいた。
兄も元気に通所授産施設(平日はショートステイ利用。)へ出掛けて行った。
私が久しぶりに短く切った髪が涼しそうだ。


母の所へ行くと、昨日とは表情が全く違い、穏やかだ。
自分からは、あまり話さないが、話し掛ければ、普通に返事が返って来る。
冗談を言ったり、ふざけると笑う。
昨日は、3ページしか見なかった岩崎ちひろの画集を「可愛いねぇ」と言いながら楽しむ。
神経がゆるんでいくのを感じる。

「お父さんとお母さんの(金婚式記念の)写真・・、ある?」
「ここにあるよ。本当に良い写真だねぇ!お母さん、美人に写ってるよ」
写真撮影は、私と妹からのプレゼントだった。メイクも衣装のドレスも込みだ。
母は、この写真を痛く気に入って誰にでも見せてきた。
見た誰もが、「何て素敵な夫婦!」と写真を誉めた。

「あそこにも泊まらせてくれたね・・」
ちょっと豪華なホテルでの一泊も一緒にプレゼントした。
それが親孝行らしい親孝行(贈り物)をした最初で最後だ。
「良かった?」
「良かったよ~!・・・あんたは、私とお父さんのためなら何でもしてくれるんだね」
「○○(妹)もだよ。・・お母さん、その何百倍も何千倍もしてきてくれたじゃない!」
「もう何にもできなくなっちゃった・・」
「お母さんが今までしてくれた分、今度は、私がする番だよ!」
「馬鹿なこと言うもんじゃないよ。何にもいらないよ。して欲しいことなんてないよ」

母の体に顔を埋めて、幼児のように声を上げて泣く自分を想像した。
けれども涙は、一筋も出て来なかった。


1時間半程すると急に険しい顔に変わる。
「バスに間に合わない」「どうしてもトイレに行く」「足が痛い」などと叫ぶように、執拗に繰り返す。
なだめていると、私が居ないかのように人を呼ぶ。
それは「お~い!」だったり「助けて~!」だったりする。
母が少し落ち着くまで居て、納得した所で、一旦帰った。


母の部屋があまりにもシンプルなので、もう少し賑やかにしたいと思い、大きな店に行って探すが、思ったものがない。
店の一角にあった百円ショップに行くと、探していた造花も鉄の風鈴もあった。
叫んで人を呼んでいたら疲れると思い、「これを鳴らして」と言うつもりだった。
なるべく職員の神経に触らないように低くてきれいな音の風鈴を選んだ。

実家の玄関に飾ってあった絵も外して持って行くことにした。
2年前、私の子供が、母のリクエストに応じて描いた。
子供(母の孫)の絵を絶賛する母に、子供は言った。
「ばあばの好きなもの、何でも描いてあげるよ」
「ほんと~?!わぁ!嬉しい!そうだ。お花畑の中にいる女の子を描いてくれる?」

例え母自身が絵を楽しめなくても、訪ねた人や職員の心が和めばいいと思った。
母は、孫からも愛され、慕われる人だったのだと職員に知って欲しかった。
「え~?これ、お孫さんが描いたの?」
そう、母に話し掛けて欲しかった。

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コスモス畑
両親と兄は、毎週末、花畑などを見に、
遠くまでドライブするのが長年の習慣だった。

認知症フレンドシップクラブ

側で見ている家族には、とてもよくわかるのですが、認知症だからといって、いきなり何もできなくなったり、何もわからなくなるわけではありません。
本人にとって、することが難しくなった部分だけを周囲が上手に支えれば、認知症を患った人でも生き生きと暮らしていくことができます。
(昨日ご紹介した放送もそれが主題でした。
薬で症状を押さえ込むのではなく、接し方を工夫すれば変わるという実例をVTRで紹介し、感動的でした。)

そんなちょっとしたサポートを地域のみんなでやりませんかと呼びかける非営利団体があることを、昨日、知りました。
こうした活動が、全国に、すべての人に広がれば、認知症を患った人も介護家族も孤立したり、追い詰められたりせずに、笑顔で生きていく大きな助けになると思うんです。
そして認知症を患った方々と自然に付き合える社会は、知的障害者、身体障害者、精神障害者、その他、あらゆる社会的弱者とも普通に付き合える社会だと信じます。

昔、放送大学の福祉の講義でこう聞きました。
  
「この世には、2種類の人間がいます。
今、障害を持っている人とこれから障害を持つ人です」


前置きが長くなってしまいました。
是非、みなさんにご紹介したい組織は、「認知症フレンドシップクラブ」といいます。

2007年に井出訓氏(北海道医療大学看護福祉学部教授。放送大学教授)が始めた活動です。

  <活動内容>

1. 認知症の方々の趣味活動をサポートする認知症フレンドシップサポーター活動。
2. 認知症の方々が気兼ねなく食事やショッピングを楽しめる店舗の認定と拡充を進める
  認知症フレンドシップストアー活動。

  <クラブメンバー会費>

月額150円(1,800円/年間)です。

  <事務局>

本部は札幌。他に、函館、帯広、石狩、東京(高田馬場)、町田、柏にあります。

札幌事務局(本部)
〒061-0293 北海道石狩郡当別町金沢1757
北海道医療大学地域保健看護学講座老年看護学部門内
認知症フレンドシップクラブ事務局(代表 井出訓)

(各事務局連絡先は、こちら

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向日葵(ひまわり)
「ひまわり」という素晴らしい映画が、
昔、ありましたね。

7月の帰省2日目(2)豹変する母に耐えられない父と兄

特養の相談員の○○さんに会い、母の詳しい様子を聞いた。
言葉を慎重に選ぶ○○さんの説明からでも、母がとても手のかかる難しい利用者なのだとわかる。
職員は、飲食の拒否、服薬の拒否に苦労している様子。

その後、夫と墓参りに行き、伯母の家を訪ねる。
私と妹の連名で出した挨拶状を読んで、親戚の何人かが、特養に母を訪ねようと言っていると聞く。

午後、父と兄と夫と私の4人で母を訪ねる。
午前中、母が、とても暑がっていたので、夫は、寝室に2台あった扇風機の1台を持って行った。

最初の15分ほどは、母も明るかった。
私の夫を相手に昔通りの笑顔を見せた。
モンチッチ(猿のぬいぐるみ)と楽しそうにふざけたりもした。
(ハイタッチのように手のひらを合わせる動作を繰り返す。)
しかし徐々に表情が険しくなり、相手をすることが難しくなった。

「トイレに行く。トイレに連れてって。どうしても行きたいの。連れてってって、言ってるじゃないの!どうして言うこと聞いてくれないの!」
と延々と言い張る。
「早く行かないとバスに遅れちゃう!みんな待ってる」
「さぁ。じゃあ、みんなで出掛けようか。何食べに行こうか?なんで行かないの?!」
など、何をどう言おうと納得せず、どんどん攻撃的になっていった。

「オカアサン、ダイジョウブ?」と言っていた兄も、途中から「カエル(帰る)!」と怒り出す。
父は、終始押し黙っていたが、どんどん落ち着きがなくなり、「じゃあな!」と唐突に部屋を出て行った。
「お父さん!お父さん!行かないで!」
母は、悲痛な顔で父を呼んだ。
車2台で来るべきだったと深く後悔する。

何時間でも母に付いていたいと私は思い、夫もそう言っていた。
しかし2人が帰ると言い出せば、もう帰るしかなかった。

母は、話の中で「近くに動物園ができたから見ておいで」と言っていた。
「お母さん、お父さんとお兄ちゃんとちょっと動物園を見て来るね」
「あぁ、それがいいね。動物に噛まれないようにね。○○(兄)が迷子にならないように気を付けてやって」

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トレニア(夏すみれ)。ゴマノハグサ科。
こぼれ種でよく増えるそうです。

7月23日(土)の認知症TVシンポジウム

レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会のブログを覗いたら、重要な情報が出ていました。
テレビ番組(シンポジウム)の紹介です。
パネリストの小坂憲司氏は、レビー小体型認知症を発見した医師です。
これは、必見。

7月27日追記:番組の内容は、こちらをご覧下さい。

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  TVシンポジウム「認知症新時代 病気を知って 自分らしく その人らしく」

認知症になっても「穏やかで普通の暮らし」は実現できる。そのためには、どうすればいいのか?医療や介護の専門家、若年認知症の妻を支える夫など様々な立場で語り合う。とNHKのサイトに説明されています。

チャンネル :Eテレ
放送日 :2011年 7月23日(土)
放送時間 :午後2:00~午後3:00

【パネリスト】メディカルケアコートクリニック院長…小坂憲司
【パネリスト】関東中央病院神経内科部長…織茂智之
【パネリスト】NPO法人「語らいの家」管理者…市川裕太
【パネリスト】若年認知症家族会「彩星の会」世話人…青津彰
【司会】町永俊雄

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アーティチョーク(朝鮮アザミ)
以前載せた写真はお化けみたいだったが
これならアザミに見える。
この花壇では、2メートル以上に伸びていた。

7月の帰省2日目(1)母の悪化と喪失感 特養とグループホーム

特別養護老人ホームに入った母を初めて訪ねる。
夫と2人で4人部屋に入って行くと、母は、「助けて~!」と叫んでいた。
叫ぶことが多いということは、最近、妹から聞いていた。

「あぁ・・○○(夫の名)・・。忙しいのに来てくれてありがとうね・・」
そう言えるだけの力が、その日の、その時の母には残っていた。
しかし、母は、衰えた。
体も頭も。
先月よりも格段に。

他人が見れば、寝たきりで、体も不自然に固まって自分では動かすこともできず、訳のわからないことを言い続ける「一認知症患者」以外の何者にも見えないのだろう。
元気だった頃の母を職員の誰1人想像できないだろう。

小刻みにやってくる死別のようだと思う。
私の中で、家族の中で、少しづつ母が死んでいく。
この喪失感は、毎月増していくのか、それとも慣れていくのか・・。

夫は、微笑みながら、ずっと母の手を握っていた。
「お母さんの言うことには、みんな何か意味があるように思ったよ」
後になって夫が言った。


母は、淋しいだろうとも思った。
食事とおやつの前後は、共同スペースに連れて行かれるが、それ以外は、部屋に寝かされている。
同室に会話のできる人はいない。
(重症で、耳も遠い。母が叫んでも良いようにという配慮と聞いた。)
部屋の外は、廊下で、人気(ひとけ)がない。

グループホームでは、部屋の外がリビングで、ベッドから常に人が見え、声が聞こえた。
今は、叫んでも誰にも聞こえない。

一人ひとりの職員に挨拶して回ったが、ゆっくり話すという雰囲気でもなかった。
相談員を通して職員宛に送ったレビーに関する本や資料(ゆるりん通信)について触れる人もなかった。
(2人の職員には、色々質問して母の様子を訊いた。)
大きな特養なので、職員もローテーションでどんどん変わるのだろう。

9人の利用者を常に決まったメンバーで世話していたグループホームを思い出す。
私たち家族も職員ととても親しくなった。

すべてのものごとには、一長一短があるという当たり前のことを思い知った。


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露草(つゆくさ)



7月の帰省1日目 汗だくで眠る兄 何もかも付けっぱなしの父

夫と2人で帰省。夜、実家に着く。

夫は、去年(2010年)の3月以来。
去年の3月、私たちは、7人で最後の家族旅行をした。
その前日、母が長距離は歩けないからと父が初めて車いすを買ってきた。
あの時、母は、要支援2だった。
崖から落ちるように一気に要介護4になるなどとは、誰も想像ができなかった。
(2011年7月、要介護5に認定された。)


実家の玄関を開けると涼しかった。
明かりの付いた居間の扉が全開で、エアコンが大きな音を立てていた。
「どこに行っちゃったんだろうね」と、夫と一緒に帰りを待っていた。

その間に兄の部屋をのぞいてみる。
(兄は、毎日7時頃眠り、真夜中に起き出す。)
寝室のある2階は、むっとする暑さで、しかも兄は、部屋を閉め切っている。

扉を開けると、冬のパジャマを着た兄が、丸くなって眠っていた。
閉め切った部屋の温度は、30度以上あったと思う。
『どうすればいいんだ?!』と思う。
去年の夏も扉を開けて風を通すように何度も繰り返し伝えたがダメだった。

兄は、ふと目を開けた。
「ア・・・○○(私の名)。・・ゲンキ?」
兄が手を伸ばして握手を求める。
握手をしながら答える。
「元気だよ。お兄ちゃん、暑くないの?ここ開けるよ」
兄は、またすぐ眠った。

30分ほどして父が2階の寝室から下りて来た。
「なんだ。居たのか。迎えに行ってやろうかと思ってたのに・・」

父は、とても嬉しそうに楽しそうに夫と話を始める。
しばらくして2階で大きな声がしていることに気付く。
父の寝室のテレビが付けっぱなしだった。

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蓮のつぼみ


帰宅しました

帰宅早々、薬局に走り、薬剤師にあることを相談し、電話で特養の看護師と話し・・・。

いつまで経ってもバタバタと走り回らないといけないんだなぁ。
特養に入ったからって、楽できないんだなぁ。
というのが、今、この瞬間の正直な気持ちです。

でも『最低限ここまではやろう』と思うことは、やります。
それでもどうしようもないことは、諦めます。


母の特養に通っている内に蓮田(レンコンの栽培場)を見つけました。
幼稚園の頃、実家の回りに蓮田があました。
蓮は、私には、とても馴染みの深い、懐かしいものです。

車から降りて近付くと、うっとりするような芳香・・。
蓮の花は、どんな辛いことも嫌なことも忘れさせる美しさです。

しば

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蓮(是非ともクリックし、拡大して見て下さい)

7月17日~21日、帰省します。

17日(日)から21日(木)まで帰省します。

今日、期せずしてスマートフォンを人から譲り受けたので、帰省中もコメントを読んだり、返信したりできるはずなんですが、やってみないことにはわかりません。
もし返事がすぐ来なかったら、スマートフォンが上手く使えないのだと哀れんで、21日までお待ち下さい。

最近、PCも夏バテでヘロヘロになっていて、いつ壊れるかとビクビクしています。
暑くてフリーズする(凍りつく)って、意味が理解できないなぁ・・。

皆さんもくれぐれもお体に気を付けて下さいね。

しば

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ガザニアだそうです。
刺繍したような模様が可愛い花ですね。

母の抑うつ 父の困った行動 特養の組織力

母が特別養護老人ホーム(特養)に入所してから2週間が経った。
たくさんのことがあった。

母は、環境の変化による劇的悪化はなかったが、今まで通りの波を繰り返している。
穏やかに会話を楽しめる時もあれば、家族の顔を見るなり「帰れ!」と怒鳴る時もあるという。

最近は、抑うつ症状が強い。
妹「もうじき○○ちゃん(私)とお兄さん(私の夫)が来てくれるよ」
母「・・会いたくない・・来なくていい・・こんな姿を見られたくない・・」

入所して一時期、飲食、服薬を拒絶した時もあったようだ。
父が寿司を持って行って食べさせ、食事介助の仕方が危険だということで職員に注意され、怒るということもあった。(ベッド上ではなく職員の目の届く場所で食事をさせるというルールも父は破っていた。)
父に何かを伝える時は、必ず担当相談員の○○さんからと決められているそうだが、この時は、たまたま介護職員が自分で伝えてしまいトラブルになったと聞いた。

父は、訪問リハビリについても、事務所に行って、すぐ始めるように訴えたらしい。
(今、職員が、母の様子を観察していて、その後決めると何度も説明はしてあった。)
施設長が対応してくれたと聞く。

色々な話を聞くたびに驚くのは、特養の組織力だ。
担当相談員の○○さんを中心に、介護主任、看護師らが常に連携を取り、1つ1つの問題を見つけ、妹に報告し、対応をチームで考え、その効果を検証。問題が解決するまで根気よく対応対してくれる。

グループホームでは、内部ではあったのかも知れないが、家族からこうした一連の行動は、見えなかった。
ルールらしきルールもほとんどなく、父のどんな行動も苦笑いで許してくれた。
父にとっては、本当に有り難い施設だった。

今月末には、妹を交えて介護計画を立てる話し合いがあるそうだ。
グループホームでは、家族が介護計画作成に参加する機会はなかった。


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松葉牡丹

レビー小体型認知症に関する本

レビー小体型認知症に関して、この病気の発見者、小阪憲司氏や河野和彦氏(名古屋フォレストクリニック院長)が、素人にもわかりやすい良書を何冊も書かれている。

母が、グループホームに入所した時、小阪氏の「知っていますか? レビー小体型認知症」を届け、一部職員に感謝された。(この本は、この病気を理解する入門書のような本。薄い本で、あっという間に読める。)

首都圏では違うと思うが、私の故郷では、施設職員(特養も含めて。)はもちろん、医療関係者でもこの病名を知らないことが珍しくない。
そうした施設職員に手渡すには、絶好の本だと思う。

レビー小体型認知症の介護がわかるガイドブック こうすればうまくいく、幻視・パーキンソン症状・生活障害のケア 小阪 憲司, 羽田野 政治 (著) 」も介護家族には、必読書だと思う。施設職員にも手渡したい。


最近になって「レビー小体型認知症 即効治療マニュアル 河野和彦 (著) 」を読み、素人が医学的知識を得るには、とても良い本だと思った。(4830円と安くはないが、それだけの価値がある。)
レビーだけでなく、半分は、アルツハイマーなど認知症一般のことが書かれている。

ただ、本の通りにすれば、夢のように(奇跡的に)良くなる、治るという期待は、持たない方が望ましいと私は思う。レビー患者に薬が思うように効かない例は、母も含めて珍しくないという印象がある。

この本の中で、いくつか目に留まった記述があった。(青字部分が引用。)

レビー小体型認知症は、遺伝性がなく男性に多い(2:1)。 (P.77)

<追記(2012年9月26日):現在では遺伝する例が、少数見つかっている。>

最初にパーキンソン病と診断したことは誤診ではなく、患者が「レビー化」(レビーの脳組織に進展すること)しただけのことです。(中略)したがって、「レビー小体型認知症なのだからパーキンソン病の特定疾患認定はできない」という考えはまったく愚かなことで、行政上は、パーキンソン病でもあるわけです。(P.76)

レビー小体型認知症は、画像で診断できない疾患です。(P.80)



母の場合は、パーキンソン病と診断された時点で幻視(幻覚)など、レビーの症状はほとんど揃っていたので、”後に「レビー化した」”例ではないと思う。
しかし、どちらにせよパーキンソン病とレビー小体型認知症の関係が、理解しやすい。

追記:河野和彦著「コウノメソッドでみる認知症診療」(医師向けに書かれた本ですが学術書ではないので素人にも理解できます。)も大変役に立ちます。

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蚊連草(ローズゼラニウム)だそうです。とても小さい花です。

家族とは

このブログを書き始めて以来、これを「家族の記録」と呼んでいいのかどうか、考える時があった。
確かに、私が高校を卒業するまで、私たち5人は、同じ屋根の下に暮らす家族だった。
しかし、今、私と共同生活をするのは、私の夫と子供だ。

家族とは何だろうと、昔から度々考えてきた。
それぞれの学問分野(法学、社会学など)にそれぞれの定義があるのだろうが、家族という言葉には、学問では割り切れないものが、重く付いている。

内田樹の本を読んでいたら、ちょっとこの人らしくない情緒的定義が出てきた。
(以下、青字部分が引用。)

 親族が集まったとき、「ある人」がいないことに欠落感を覚える人と、その人がいないことを特に気にとめない人がいる。
「その人がいない」ことを「欠落」として感じる人間、それがその人の「家族」である。
 その欠落感の存否は法律上の親等や血縁の有無とは関係がない。(・・・)
 家族とは誰かの不在を悲しみのうちに回想する人々を結びつける制度である。

「こんな日本でよかったね 構造主義的日本論」(文春文庫)P.66から


これは、腑に落ちる定義だ。
血のつながらない人であっても、離れて暮らす人であっても、胸を張って「家族です」と言える。

一緒に住んだことのない曾祖母や祖父母を今でも恋しく思う。
夢でいいから会いたいと思う。
『家族とは呼べないだろうに・・』と、ずっと思っていた。

そうではない。まぎれもない家族だ。


(この本は、最近読んだ中では、ダントツに面白い。ただまったく情緒的ではないし、引用した部分が書かれたエッセイも相当辛口。「内田樹の研究室」というブログに掲載されたものをまとめて著書にしている。)

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どこにでもある植木の極小の花。(6月撮影)
モチノキ属というご指摘ですが、まだ特定できません。
クロガネモチ、ネズミモチ、ソヨゴ、色々ありますが、花1つの形は
ソヨゴに近いかなぁ。ネズミモチのようにも見えます。
・・なんだかお餅が食べたくなってきた・・・。

ご質問をお寄せ下さい

症状や施設の問題その他で、疑問、質問などありましたらコメントでお気軽にご質問をお寄せ下さい。
あまり役には立ちませんが、私の母のケースでよろしければ、お答えすることができます。

非公開/公開に関わらず、コメントされる場合は、必ずメールアドレスをお書き下さい。
そうでないと私からは、メールアドレスはわかりませんので、お返事ができません。
よろしくお願い致します。

しば


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夾竹桃 (きょうちくとう)

<お詫び>記事の一部を限定公開にします

 < お詫び >

事情により一部の記事の公開を限定する(パスワード入力必要。)ことになりました。
認知症を中心とした医療情報などは、そのまま公開します。
今後は、今までとは少し違った形で、有益な記事を書いていきたいと考えています。

このブログのアドレスは知らされていても、こうしたブログに関心のない方にまでパスワードをこちらから送りつけるのも気が引けます。
お手数をお掛けし、大変申し訳ありませんが、引き続き読んで頂ける方は、私までご一報下さい。(非公開コメントでも簡単にメッセージが送れます。)

追記:「ご質問にお答え致します」の記事を読まれ、質問を送られる場合、
    必ずメールアドレスを記入して下さい。お願いします。


< ブログを書くということ >

まだまだ一般に知られていないレビー小体型認知症。
この病気の真の姿をより多くの方に知って頂きたいと、最近は、思っていました。

アルツハイマー型認知症とは、病気の現われ方が、大きく違います。
(アルツハイマーに似たタイプのレビーの方もいます。)
母には記憶があり、病識があり、(アルツハイマーと同じだと思いますが)細やかな感情はもちろん、豊かな人格も多くの時間、保たれています。
そのありのままの姿を(本人の喜び、悲しみ、苦しみを)多くの方に知って頂けたらと願っていました。
知らないがゆえに、繰り返される同じ過ちを少しでも防げたら・・そんな勝手な妄想もありました。

父に関しては、理解困難な行動は、すべて認知症の症状だと私は考えて来ました。
ピック病と診断されましたが、誤診の可能性も高く、いまだに病名はよくわかりません。
これは、いったい何という病気の症状なのだろうかと思い、同じ症状の家族を持つ方ならわかるかもしれないと考え、父の言動を詳しく書いてきました。
同時に、父の母に対する愛情の深さに、子供ながら幾度も感動し、それを伝えたいとも思っていました。

去年(2010年)の6月、苦しみに耐えかねてブログを書き始めました。
そして書くことで救われました。(多くのコメントに救われたのは、もちろんです。)
それは、自分や自分を取り巻くものごとを客観視することによって苦悩の渦から一歩一歩離れていく心理療法のようでもありました。

高校の頃に読んで以来、心の奥の中心に深く刻み込まれたチャップリンの言葉があります。

 「人生は近くで見ると悲劇。遠くから見れば喜劇」

客観視(自分を取り巻く世界を遠くから観ること)は、私が、その後の人生を生き続けるための、常に重要な手段でした。
書くという行為には、苦悩の渦から抜け出し、その体験を、文字通り、生きるための力に変換する作用があると感じます。
だから私は、書かずにはいられないのだと思います。


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特養での訪問リハビリ(2)

特養の相談員は、すぐさま主治医に相談してくれた。
妹が説明を受けた。

主治医によると、10人というのは、特養に来ている訪問リハビリのスタッフが、受け持てる最大人数。
主治医は、利用者を診察してリハビリの必要度の高い順から10人に指示書を書き、保険を使った訪問リハビリを認めている。(それ以外の人が訪問リハビリを受ける場合は、全額自費。)
母の場合は、少し様子を観察してから決めたい。

訪問リハビリのスタッフを増やしてはいけないのか等、更にいくつかの疑問は残る。
しかし迅速で誠意を尽くした対応に、新鮮な感動と深い安堵と感謝を覚える。


母の、父の、兄の福祉、介護のことに関して、こんなにスムーズにものごとが進んだことが、今まであっただろうか。
単純な1つの手続きをするためにもあちこち飛び回り、何度も役所に行くということが、当たり前になっている。
私の要望や質問に対する明確な答えが、すぐに得られることもまずない。
白なのか黒なのかわからない答えを返され、放置されることも少なくない。
嫌な顔をされながら、何度も繰り返し訴え続けなければ、動いてもらえないことの繰り返しだった。

黙ってNOなのだと察し、潔く諦め、間違ってもしつこく繰り返さないというのが、日本人のあるべき美しい姿なら、私は、常識も「大人げ」もなく、日本人の風上にも置けない人間だと自覚している。


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近所の花壇に咲いていたグレビレア。
初めて見た。
オーストラリア、ニュージーランドの花とか。

特養での訪問リハビリ(1)

特養の主治医との話し合い(入所前。)の前日、母の訪問リハビリを担当している○○院に電話をした。
特養から保険を使った訪問リハビリは10人に限っていると言われた件について担当者と話したいと伝えた。
(その件は調べて電話をすると言われていたが、まだ電話をもらっていなかった。)
折り返し電話をしてきたのは、院長だった。

「(特養での保険を使った訪問リハビリは)制度上は、人数の制限はありません。10人と限っているのは、主治医の方針か、或は、施設の方針です。
私たちが、それに対して口を出すことは、できません。しかし家族がお願いするのは、構わないと思います。もう1度、リハビリを是非続けたいとお願いしてみたらどうでしょう。○○さん(母)にとっては、リハビリを続けることは、重要だと思います」

特養の主治医との話し合いの日、日帰りで帰省しようと調整したが、急なことで仕事の休みが取れなかった。(訪問リハビリのこと、アリセプトの量のことなど、新しい主治医と会って直接話したかった。)
その日は、なんとか早退させてもらい、自宅で待機した。
妹には、訪問リハビリのこと、アリセプトの量のことなどをメールで連絡した。
話す機会があれば妹から、なければ私から電話で話したいと伝えた。

妹も職場に無理を言って、早退して話し合いに行ってくれた。

話し合いが始まって1時間程して、「相談員と話すことがあれば電話を」というメールが来た。
妹の携帯に電話をし、リハビリの話はまだだと聞き、相談員に話した。

訪問リハビリの院長と話したところ、10人という制限は、制度上のものではなく、主治医の方針か、施設の方針と言われたことを柔らかく伝える。
「施設の方針でなく、主治医の方針です」
母は、まだ72歳と若い。しかしどんどん体が固まりつつある。家族としては、もし可能ならば何とかして訪問リハビリを続けさせたいと願っている。そのことを1度、主治医に直接会ってお願いしたいと思っている。
できる限り控えめに、柔らかく、けれど切実に訴えた。
「もし訪問リハビリを受けるとなると、訪問リハビリを頼む所も変わりますが、それでも構いませんか?」
「構いません」
「わかりました。それでは、私から主治医の先生に頼んでみます」

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半化粧(半夏生。ハンゲショウ)のつぼみ
夏至から11日目を半夏生といい、
その日はタコを食べると、今年初めて聞いた。

特養の医師との話し合い 積極的治療とは?延命治療とは?

(入所前、主治医の診断書と紹介状を出した直後、相談員から電話をもらった。特養の主治医が、入所前に家族と話し合いをしたいという内容だった。6月末に話し合いが行われた。―7月9日追記)

妹が、職場から特養(特別養護老人ホーム)に直行すると、話し合いの席には、主治医と相談員だけではなく、看護師など多くのスタッフらがずらりと並んでいたという。

「特養は、生活の場であって、治療の場ではない。
何時間もかけて遠方の病院まで通ったほど治療に熱心な家族が、積極的治療をしない特養に入所することを本当に納得しているのか」
医師が確認したかったことは、この点だ。

レビー小体型認知症の治療に関しては、今の主治医のままで構わないとも言われた。
しかしストレッチャーでの通院は、本人の負担が大きいので困難だという話になった。

これから急激に悪化することが予想されるが、延命治療(延命措置)についてどう思うかと訊かれ、「望まない」と妹は答えた。これは、私と妹の共通意見だ。

「それでは、万一のことがあっても救急車を呼ばなくていいんですね?」



私自身は、まだ混乱の最中にあった。今もそうだ。

『治療?積極的治療?』

母は、去年の春、圧迫骨折で入院した時から周辺症状(BPSD。不眠、暴言、妄想、幻視、感情失禁、抑うつ等)がひどかった。それは、どんな治療をしても消えることなく本人を、家族を苦しめ続けた。
それを(レビー小体型認知症ではなく周辺症状を。レビー小体型認知症は治らない。)治したい一心で主治医も2度変えた。少しでも良くなる可能性があるのならと、遠方の病院を訪ねた。
必死で本を読み、膨大な時間をかけてネットで調べ、治療の情報を漁った。

けれども治療が、母にもたらしてくれたものは、何だったのだろう。
薬で大きく(或は、劇的に)改善するということは、抑肝散以外なかった気がする。
妹が、医師に頼み込んで処方してもらい、「こんなもの効きませんよ」と薬剤師に言われながら飲み始め、幻視が消えた。しかしその効果も長くは続かなかった。

様々な薬を飲んでいなければ、今より早く進行して、もうこの世にはいなかったのかも知れない。
家族の期待が大き過ぎるだけで、薬は、最大限効いて、この状態を保っていられるのだと言われるのかも知れない。
けれども今、確かに実感するのは、レビー小体型認知症は、治療が困難な病気だということだ。
薬が良く効く人も中にはいるだろう。
適切な介護で周辺症状のほとんどない人もいるだろう。
けれども母は、そうではなかった。
これからどんな積極的治療があるというのだろう?

『延命治療?』

私には、延命治療が、何なのか、わからない。
私や家族が、こだわっているのは、命(life)の長短ではなく、命(life)の質だ。
苦痛なく、穏やかに、平安に最期を迎えて欲しい。
人間らしい生(life)を全うして欲しい。

けれどもそのことと延命治療をしないという選択は、単純にイコールではない気がする。
今、目の前でもがき苦しんでいる家族を即座に救う道が、医療の現場には、いくらでもある。
そしてそれが、延命治療と呼ばれるものなのではないのか。
それを拒否すれば、苦痛なく、穏やかに、安らかに死ぬことができるだろうか?
知れば知るほど、考えれば考えるほど、私には、わからなくなる。
言葉を失う。

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木立朝鮮朝顔(エンジェルトランペット)
今は、もう咲き終わっている。

特養での生活の始まり

母は、入所後、調子が良いとは聞いていた。
けれども中々それを信じることは、できなかった。
特養の相談員と電話で話してから沈み込んでいたこともあり、思考も普段よりネガティブになっていたのだろう。
環境が変われば、必ずせん妄(手のつけられない状態)になると、ほとんど確信していた。

けれども父は、久しぶりに弾んだ声で電話をして来た。
「今日、お母さんのとこ、行ったらなぁ、”来てくれてありがとう”って真っ先に言ったぞ!
(リクライニング式)車いすに乗って、みんな居るとこに居てなぁ。かなり(背もたれを)起こしてたけど、30分位、全然痛がってなかったぞ。飯もお母さんが一番たくさん食べてたな。全部食べたぞ!自分でコップ持って、お茶も飲んでたぞ!
変なことも言わんし、文句も言わんし。すこぶる調子いいなぁ!」

自分でコップを持って、お茶を飲んだ?!
信じられない。

グループホームの職員は、介護度の重い人には慣れていない。
(母の居た階の9人の内、寝たきりは、母1人だった。)
特別養護老人ホーム(特養)の職員には、それが日常のことだ。
それにしても随分違う。

翌日、父は、携帯で母の所から電話をくれた。
電話をして欲しいといつも頼んで来たが、(他に母と電話で話す方法がない。)父は、グループホームでも1回位しか電話してこなかった。
この日は、母が、3ヶ月振りに風呂に入った日だった。

「○○(私の名)だよ。お母さん、調子どう?」
「うん。悪くないよ。あんたも元気にしてる?病気してない?」
「元気!元気!元気過ぎて困ってるよぉ。・・お母さん、そこ、慣れた?」
「うん。ここは、みんな優しいし、毎日歌歌ったり、ピアノ弾いたり、色んなことして
 くれて楽しいよ」
「本当?!良かったねぇ!お母さん、今日、お風呂入ったんだって?気持ち良かった?」
「気持ち良かった~!!気持ち良かったよ~!やっと入れた。寝たまま入ったよ」
「そりゃ~良かった!垢、一杯出ただろうねぇ」
「秋?」
「部屋から見える景色もいいんだって?」
「景色もいいよ。○○、見えるよ」
「部屋から?!本当?!凄いね!・・お母さん、何か、困ってること、ない?」
「ないけど・・。ご飯は、美味しくない。でもじき慣れると思うよ。心配しなくていい
 よ」

「ばあば、何だって?」
電話を切った後、近くに居た子供(成人)が訊いた。
「みんな優しいし、楽しいって」
自分でも不思議なくらい笑いながら、涙が汗のように流れた。

P1020856.jpg
アガパンサス(紫君子欄)だそうです。
アフリカ原産なんですね。

母,特養に入所しました

入所前の主治医との話し合いについては、後日書きます。

 まずご報告します。

母は、2011年7月2日に、グループホームから特別養護老人ホーム(特養)に移りました。
色々コメント、アドバイス、ご心配、応援して下さった方々に心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

移動の手配は、全部、妹が、仕事の合間を縫ってしてくれました。
父も荷物運びを(昔通り)ブルドーザーのように手伝い、無事に終了したそうです。

2人には、本当に感謝しています。暑い中、どんなに大変だったでしょう。

退所、入所のための数多くの手続きも、お金のことも、煩雑な用事も全て妹が、きっちりやってくれています。
これは、母の介護が始まった一番最初からずっと、常にそうです。
私は、全ての手続きや会計を妹に任せ、私自身は、そういったことを、一度もしていません。
妹の方が、間違いなくきっちりやってくれるので、全幅の信頼を寄せ、頼り切っています。
(私は、数字も細かい事務処理も苦手で頼りになりません。)
母も父も兄も私も、妹の縁の下の力によってずっと支えられてきました。
いくら感謝しても感謝し切れません。

母が、特養に移った最初の夜は、『泣いていないか、怒っていないか、せん妄になっていないか・・』と、幼児を初めてお泊まりに出した母親の気分でした。
しかしまだ特に大きな変化はなく、今まで通りの波を繰り返しながら、落ち着いている時もあるようで、少しほっとしています。
とはいえ、やはり家族には、文句もきつい言葉も出て、母が、新しい環境に慣れるまでは、家族全員、中々心穏やかではいられません。
私は、遠くからひたすら祈っている毎日です。

P1010124_2.jpg
(本来の?)ねじ花

特養から入所前に必要とされたこと

担当の相談員は、とても申し訳なさそうに言った。(青地部分)

今日、特養の主治医が診断書と紹介状に目を通した。
面接に行った看護師とも話し合ったのだが、○○さん(母)の場合、パーキンソンの症状が、急激に、しかも相当進行している。

医療面でのリスクが非常に高く、特養に入所するという段階を越え、医療施設に入るレベルと考えられる。
既に認知症がうんぬん、介護がうんぬんのレベルではなくなっている。

食べられなくなるのも時間の問題だと思われる。

間もなく啖(たん)もからむようになるだろう。
そうなると窒息死しないように24時間吸引が必要になるが、特養には吸引のできるスタッフに限りがあり、病院のように万全の体制は取れない。

私たちは、○○さんを受け入れたくないと言っているのでは決してない。

ただせっかくここに入っても、急激に病状が悪化して入院という可能性が非常に高い。
長くは居られないと思う。
それを家族が、十分に理解、納得の上、なお入所希望ということであれば、私たちも最善を尽くしたい。


  どう思うかと訊かれ、私と妹は、母を入所させたいと強く願っていると言った。
  父には、私たちから説明すると伝えた。


主治医が、そのことについて家族とじっくり話し合いたいと言っているので、来週、妹さんに来てもらうことになった。

こちらとしては、ここに入所したいという家族の強い希望があるので、是非入所して頂きたいと思っている。
診断書をここまで早く持って来て頂いたのも強い気持ちの表れだと受けとめている。
しかし主治医からすれば、ここに入ったから急激に悪くなったと思われても困るし、家族の理解と納得を確認して安心したいという気持ちがあるのだと思う。
決して断ることが前提の話し合いではないので、そこは安心して欲しい。


最後の言葉で、話し合いの意味が、よくわかった。
担当の相談員は、誠実で信頼できる人だと感じていたが、その通りの人だった。

しかしこの電話は、私には、重過ぎた。
言葉が、頭の中で渦を巻いた。
「食べられなくなるのも時間の問題だと・・」
「ほとんど完食しますし、飲み込みも問題ないですよ(グループホーム職員)」
「飲み込み、悪くないって?!本当?!信じられないなぁ(レビーの主治医)」
「この前来た時は、車いすじゃなかったでしたっけ?(G.H.のホームドクター)」
「骨折は治りました。ゆっくり段階を追ってリハビリを進めて下さい(整形外科医)」
「今度は車いすで来てね!(整形外科看護師)」

いつの間に、なぜ母は、そんなにも悪くなってしまったのか?
なぜそのことに今まで気が付かなかったのか?
なぜその前に、何か手が打てなかったのか?
なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?・・・
私は、「なぜ」の洪水の中に沈んでいった。

P1020803.jpg
原っぱの草

6月の帰省5日目(2)特養に診断書を出す

処置室の固いベッドで長時間待っている間に、母は、「お尻が痛い」と言い出した。
「ちょっと起きてみる」
「起きてどうするの?」
「立ってみる」
「立ってどうするの?」
「歩いてみる。どの位歩けるか、実験してみる。あそこでやると怒られるもん」
黙って見ていると、母は、上半身を起こそうと寝たままうんうん唸っている。
頭が数センチだけ持ち上がる。
「は~。ダメだ・・」
それでも落胆はしていない。

「長いこと待たせちゃってごめんね。あのタクシー、引っぱり凧みたい」
「いいよ。あんたとゆっくり話せたから良かった」
(寝たまま乗れる6台のタクシー全部が予約でびっしりだと電話で言われた。)

今か今かと待っている内に1時間半が過ぎ、看護師が来た。
「診断書と紹介状、できましたので、お帰りの時に受付けで受け取って下さい」
看護師が去り、大喜びの私を見て母が訊く。
「何?何?どうしたの?」
「万事、オーケー! ・・イェ~イ!」
親指を立ててポーズを取って見せた。母は微笑んだ。
母「イェ~イ!」
スローモーションで同じく親指を立てた。
私たちは、何十年も前から、何度こうして一緒にガッツポーズを取っただろう。
私の子供達と一緒に何度元気にポーズを決めただろう。


グループホームに戻り、来週位には、特養に移れそうだと伝え、挨拶をする。
しかし新人さんしかいなかった。
「私、今から○○(自宅)に帰るね。また来月来るからね」
「わかった。気を付けてね。襲われないようにね。すぐ来てね。すぐだよ」

大急ぎで実家に戻り、紹介状をもらわなければいけないレビーの主治医の病院に電話をする。
(直接行くつもりでいたが、時間がなくなっていた。)
今日から7月○日まで長期休業という録音メッセージが流れる。

すぐ特養に電話をし、事情を説明する。(担当の相談員はいなかった。)
主治医の診断書と紹介状はあるので、もう一方は、薬の処方箋で代用して欲しいと頼む。
経過や治療について何か疑問があれば、私が答えられると伝える。
「じゃあ、一応持ってきて下さい。今日は、先生(主治医)が来る日ですから見せてみます」

帰りの電車(指定)の時刻まで時間がなかった。
遅れたら遅れた時だと思い、車を飛ばしに飛ばして置いて来た。
たまたま帰宅した父に駅まで送ってもらい、何とか電車に間に合った。

医師に問題視されるとしたらアリセプト(1日1mg)とセロクエルの量の少なさだ。
今のレビーの主治医も薬剤師も「微量過ぎて飲む意味がない」と減量前に言った。
けれども母は、アリセプトの減量で落ち着いた。

9割は大丈夫だと思いながらも安心できずに帰宅し、妹(仕事中)からの連絡を待った。
とうとう待ち切れなくなり、夕方特養に電話をした。
言われたのは、考えたこともない言葉だった。


P1020791.jpg
ネジバナ(芝生などに生える「雑草」)
本来は見事に螺旋状に花が付くが、
最近は、螺旋状でない花の方を多く見かける。

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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