意志の力としての楽観主義(大江健三郎の言葉)

実家に帰った時、5月26日の中日新聞に、あるシンポジウム(後述)で語られた大江健三郎の言葉が載っていた。

(第82回紀伊國屋サザンセミナー「大江健三郎の文学を考える」シンポジウム 「日中韓 大江小説読みくらべ」2011年5月5日開催)


   「私は生き直すことはできないが、私たちは生き直すことができる。
    そう若い人に言うことができる。 
    それが意志の力としての楽観主義だ」



「3・11後」の指針として提示された言葉と書かれていた。

その前後の言葉は書かれていないので、正確には理解できていないかもしれないが、私は、この言葉に強く励まされた。

3月11日の大震災にしても、認知症の家族の介護にしても、希望を見つけることは、たやすいことではない。
『もうだめだ』と思う理由は、いくらでも挙がるだろう。
笑顔を作ってみようとしても、どうしても無理な時もあるだろう。

それでも「意志の力としての楽観主義」というものがあるのなら、意志の力を振り絞ってでも楽観主義者でいようと思う。
未来はあるのだと信じようと思う。
例えそれが、次の世代の未来だとしても・・。

決して悲観主義者に留まるまいと固く誓う。


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ムラサキツメクサ(アカツメクサ)
デンマークの国花だそう。




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しば

5月の帰省2日目(3)私たちの幸せ

夕方、庭の青梅を梯子に登って1キロ穫った。
私がこの家に住んでいた頃は、私の背丈程だったのに、今では、2階の屋根に届きそうだ。
この梅の苗木をくれた隣人は、夫婦共、既に亡く、家は空き家になったままだ。

「こんなに穫れたよ」と父に見せると、「これ以上要らない」と言っているのに、父は、危険を冒して更に1キロ穫った。
夜、梅味噌と梅ジャムと梅シロップを作る。


夕食後、父と母の所へ行く。
父の顔を見て、母はとても嬉しそうだ。
父は、最近、体調が悪いとか、仕事があると言って母を訪ねない日が時々あるようだ。
父「行っても、訳のわからないこと言い出すと、すぐ逃げ帰ってくるんだ。喧嘩になるからな」

母は、荷作りをどうするとか、○○(兄)を迎えに行くとか、トンチンカンなことばかり言うが、話を合わせる。
「うん。そうだね。そうするね。やっとくよ」
そう答えていれば、母は、安心して穏やかな顔をしている。

母「ねぇ。お父さん。2番目の棚の茶色い箱を出して来てくれる。今、縛るから」
父「何だ?何の箱だ?そんなもんないぞ!」
母「ない訳ないじゃないの!」
母の眉間にしわが寄る。
それでも「お前は、何、バカなこと言ってんだ~!」と怒鳴っていた頃と比べれば、父も進歩している。

母「あんた、キムチッチ(猿のぬいぐるみ)食べたことある?」
私「え~?!猿は、食べないでしょ~」
母「おいしいよ。鶏肉みたいな味だよ」
どんどん繁殖するので、ある日、皆で弱っている猿から順に捕まえて皮をむいて鍋にして食べたという。

母は、以前よりも頻繁にキムチッチに話し掛ける。
「静かにしてなさい!」と真剣に叱ったり、あやしたり、布団をかけてやったりする。
その時だけ母の表情は、昔のように生き生きと輝いている。
世話を焼けることが、母の喜びにも支えにもなっている。

帰りの車の中。
私「ああやって、どこにいるのかもわからなくて、毎日自由に歩き回って、色々な人に会ってると思ってる方が幸せだよね。寝たきりだってわかってるより、ずっと幸せだよね」
父「・・そうだな・・幸せだな・・」

どれほど母がトンチンカンでも、私も父も満足していた。
母は、穏やかに笑って話した。
嫉妬妄想で泣きじゃくることも、「家に連れて帰れ」と怒り、ののしることもない。
認知症を知らない人には、想像ができないかもしれない。
でも私たち3人は、楽しく話していたのだ。


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金魚草。色々な色がある。

5月の帰省2日目(2)骨粗鬆症の注射を打つために

昼食後に再び母を訪ねる。
引っ越しをしなければいけないと思っていて、その手配や段取りのことで気を揉んでいる。
眉間にしわを寄せて、同じことを何度でも訊く。
「私は、どうすればいいの?どこに行けばいいの?」

「ここに居ればいい」と言っても、何を言っても納得しない。
何とか気を紛らわせようとする。
私「お母さん、お菓子あるよ。チョコ、水まんじゅう、ドライマンゴー。どれ食べ
たい?」
母「ドライまんじゅう」

「今日は、私の結婚式だから」とも言い出す。相手は父ではないらしい。
支離滅裂な妄想の話が続く。


ケアマネが来る日(週2日)なので会って話をする。
「リクライニング式の車いすを介護保険で借りられますか?」
「介護保険は、もう目一杯使っているので、自費になります。月1万円程かかります」
施設長に借りても良いか訊くと問題ないとの答え。自分で手配するよう言われる。

「骨粗鬆症の注射(フォルテオ)は、週2日はこの施設にくる看護師、もう2日を訪問看護でできるので、あと3日を何とかすればいいというお話でしたよね?」
「そうです。あと3日をご家族で何とか頑張って頂けたらと思います」


実家に帰り、友人に教えてもらったクリニック(訪問看護に力を入れている。)とナースセンター(ナースバンク)に電話をする。
クリニックは、担当者から折り返し電話をすると言われ、ナースセンターでは、親切な回答をもらう。
「変わった求人ではありますが、インターネットで見て、”近いし、短時間で終わるし、いいわ”と思う人が居れば、応募はあると思いますよ。利用者は、主に子育て中の若いナースです。元ナースがいいんですか?まあ、年配の方も見る人は見てると思うんですが」
求人申し込み票をファックスで送ってもらった。

介護用品のレンタルの店(施設で使っている介護ベッドもそこでレンタルしている。)に電話をして問い合わせる。
7千円、8千円、9千円の3種類あると言われる。
後で担当者から折り返し電話がある。


妹と家中の大掃除、衣類の片付け、衣替えをした。
なにしろ、長袖シャツ(下着)やモモヒキだけでもそれぞれ50枚以上はある。
(父が際限なく買って来る。)
それが洋服ダンスにグシャグシャに突っ込んであり、入り切らないものが、床やらタンスの上やらに山になっている。半袖シャツもランニングも靴下もタオルも同様だ。
収納し切れない程あるのに、変色したようなものを捨てようとすると父は怒る。
「ハイターにちょっと浸けときゃ新品になるぞ~!」
靴下も百足以上あるのに、すり切れたボロボロのものを毎日はいている。
兄の引き出しを整理すると汗臭い下着も洗った下着もごちゃ混ぜで入っている。

エンジンがかかったついでにジャングル状態になっている庭の草木を切る。
名前もわからない雑草が、木になっている。
昔は、美しい庭だった。父も母もそれが自慢だった。
バラだけが、何の世話もされないのに見事に咲いている。
妹が切って母の所に持って行くと、綺麗だと感動したという。

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実家の庭のバラ

5月の帰省2日目(1)レビーの主治医と話す

母のレビーの診察のために妹とグループホームに行き、保険証と診察券をもらう。
ストレッチャーでしか移動できないので先月から母は連れて行かない。

母は、眉間にしわを寄せ、ひどく機嫌が悪い。
父が黙って帰った(妄想)と怒っている。
幻視の父だと説明するが、以前のようには理解も納得もしない。
私が居るのに「ちょっと!ちょっと!」と大きな声で何度でも職員を呼ぶ。
私「何?何がして欲しいの?」
母「・・・忘れた」

職員に症状を訊くと波がとても大きいという。
うつっぽくなって、「死にたい」と言う時もあれば、陽気に冗談を飛ばす時もある。
不機嫌でイライラしている時もあるが、以前のように泣くことはあまりないという。
夜は、なぜか寝る日が多くなった。


母のレビーの主治医に症状を伝える。
認知機能が落ちて、自分がどこに居るのかもわからなくなり、家に帰りたいと泣いて家族を困らせることもなくなった。
波はあっても平均すれば以前よりは、落ち着いているように見える。
薬は、先月同様、変えないことになった。

圧迫骨折で1ヶ月寝たきりだった母の廃用症候群のことを質問する。
医師「飲み込みも悪くなってくるだろうし、内蔵やあらゆる働きも衰えていくことは十分
   予測できるよね」
妹 「介護認定、今、要介護4ですけど、再申請した方がいいですか?」
医師「いいね。もう4じゃないでしょ。完全に5でしょ」

眼科医に白内障の手術を勧められていることに対して意見を訊く。
医師「無理でしょ。体力的にも無理だろうし、全身麻酔は無理。局所麻酔なら暴れるよ」
私 「暴れたら押さえる用意はあると眼科医は言っていました」
医師「眼科の医師は認知症を知らないから。診たことないでしょ?無理。無理だと思うよ」

父のことも相談する。1度しっかり検査をして薬物治療を始めた方が良くはないかと訊く。
「認知機能が落ちているのは間違いないと思うよ。でも前頭側頭葉変性症の症状が出てないんだよね。同じ時間に同じ行動を毎日繰り返すとか、誰でもわかる言葉の意味を訊くとかってないでしょ?まだ治療する段階でもない感じがするんだけどね」

前立腺の検査の話などを伝える。
「ここでは、”(認知症の)検査してく?”って訊いても、いつも”いいです。大丈夫です”って言ってさっさと帰っちゃうんだけどね。多分、恐いんだろうね」
父は、ここに来ると何の検査も診察も一切してくれないといつも文句を言っている。
父の言っていることと事実がまったく違うことを初めて知った。
「作話だよね。でも、病気じゃなくても作話のある人も中には居るしね」
私には、以前の父が嘘をついたという記憶がない。


帰宅して母の入所申し込みをしてある特別養護老人ホーム(特養)3カ所に電話をする。
状況が変わったら連絡をしろと言われている。
圧迫骨折のこと、寝たきりで全介助(トイレも食事も全て寝たまま人にしてもらう。)であること、グループホームなので体を拭くだけで、もう1ヶ月入浴していないこと、これからリハビリを始めるがどこまで回復するかわからないし、再び骨折する可能性がとても高いと言われていることなどを伝える。
1カ所のみ要介護5を認定されてから、それを証明する書類を持って来るようにと言われた。


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実家の近所の家に咲いていた。
ブラシの木に似ているが短い。

5月の帰省 1日目 機嫌の良い母 心配な父

駅からそのまま母のグループホームに向かう。

ベットに横たわる母は、予想外に表情が明るい。
私を見るとびっくりした顔をする。
以前は、私が来る日を妹から聞くと覚えていたが、今回は、毎日「今日来る?いつ来る?」と訊いたという。

妹「お母さん、この前、歌、歌ったんだって~?」
母「歌ったよ。♪さよ~な~ら~、さよな~ら~、元気でい~て~ね~♪」
都はるみの「好きになった人」を突然、大きな声で歌い出す。
私も一緒に最後まで歌った。

母は、自分が動けないことも、グループホームに居ることも理解していない。
母「今日は、プールに行ったら○○さんと会ったよ。うん。元気そうだったよ」
嬉しそうに言う。毎日あちこちに歩いて出掛けるらしい。(妄想。)
足に触ると、腿もふくらはぎも別人のように細くなっている。
1ヶ月寝たきりでいる間に筋肉も脂肪もこそげ落ちてしまったのか。

母「14人位の食事(の支度)なら何とかなるよね」
唐突に言う。食事の支度をするという話は、いつも出る。
「あんた、そんな大きな声だしたら○○(兄)が起きるじゃないの」
母の言うことは、9割が支離滅裂だ。
それでも母は、よく笑い、私たちは幸せな時間の中に居た。


実家に行く。
あちこちひどく汚れている。今までで一番汚い。
私「お父さん、最後に掃除機かけたのいつ?」
父「何となくやる気がしなくてなぁ。掃除はしんなぁ」

父も機嫌は良く、よく話す。
前立腺の検査で6つの病院に行ったが、2つの病院は、30分以上も検査をしておいて一切何の説明もないと言う。
私「お父さん、医者は、何か言うよ。黙ってるなんてこと、ないでしょ?」
父「いや!一言もいわん!何にも言わん!まったくとんでもない医者だぁ!」

「肥大などの異常は見られません。経過観察で問題ありません」という医師の言葉の意味がまったく理解できず、頭を素通りしたのだろうか。
近々入院して精密検査を受けるのだという。
最初から経過観察で良いと言われているのに。

この1ヶ月間は、風邪を引いてずっと薬を飲んだが治らなかったという。
私「どういう症状があったの?咳?熱も出たの?」
父「咳はないなぁ。熱も出ない。くしゃみ?ないな。頭痛もない」
私「それでどうして風邪だと思うの?」
父「なんとなく調子が悪かったんだ。風邪だ」

風呂上がりには、インドメタシン(抗炎症薬)入りのアンメルツ(この種の薬の一般名がわからない。)を足中に塗りたくっている。
私「どうしたの?」
父「風呂に入るとなぁ、足の裏に新聞紙がくっ付いてる感じがしてなぁ。風呂(湯船)に
  入ればそんな感じはなくなるんだがなぁ。うん。風呂場に居る時だけだ」
私「それで炎症用のアンメルツ塗るの?そこら中に?」
父「おぅ。足も何となく変だ。医者に言っても”わからん”って言うしなぁ。何科だぁ?」
私「そんなこと病院で言ったら、精神科に行けって言われるよ」
父「そうかぁ?ハハハ・・・」

父は、大丈夫か。


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リョウブのようです。

認知症の誤診についての記事

5月27日、帰宅しました。
先月もそうでしたが、1週間足らずなのに、自宅付近に咲いている花ががらりと変わっていて驚きます。

今回の帰省で、認知症患者の白内障手術などに付いて、先月とは違う情報を得ました。
順を追って書いていきます。

実家に行くと父の買った認知省関係の書籍がさらに高い山になっていました。
その中に「NHK ためしてガッテン 2011年 05月号」という雑誌があり、36ページに誤診について書かれていました。
帰省する前に、「認知症の誤診についてマスコミは取り上げない」と書きましたが、これは、私の間違いでした。
以下、その雑誌の中から抜き書き(コピー)します。


   本人も介護する人も大変になる場合が!
   認知症の診断で起こる「誤診」とは?

近年、認知症の「誤診」が注目されています。
認知症の原因となる病気は70種類以上。
しかも検査だけでは認知症のどのタイプなのか特定するが難しい場合が多いからです。
認知症の患者さんは全国に200万人以上と言われているのに対し、認知症の専門知識を盛った医師が圧倒的に少ないことも、誤診が多くなる理由の1つです。

以前は、認知症は治らないと思われていましたが、現在は適切な治療で、症状がかなり改善することも多いことがわかっています。
しかし、誤った診断から不適切な薬が処方され、副作用が生じて症状が悪化することも。
認知症の専門医は、日本老年精神医学会や日本認知症学会など、学会のホームページで探せます。
また認知症疾患医療センターとして国が指定している医療機関もあるので、ぜひ地域で調べてみてください。

また、受診の際は、家庭での状況やどんな変化が見られたかなど、家族や介護している人が具体的に詳しく医師に伝えることが大切です。
認知症は、病院での検査だけではなかなか病気を特定でいにくい面があり、日常の詳しい観察や情報が非常に大切です。

「NHK ためしてガッテン 2011年 05月号」より抜粋。


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山法師(やまぼうし)。山桑とも。
木に咲く感じはハナミズキに似ている。
実が美味しいと聞いたことがある。


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認知症の診断と治療の難しさ 家族がなすべきこと

昨日の記事で「親が認知症になって、気が重くない人がいるでしょうか」と書きました。

なぜ気が重くなるかと考えると、理由の1つに認知症が、医療面でブラックホールのような分野になっているからではないでしょうか?
これは、表立ってマスコミに取り上げられることがありません。
しかしどう考えても認知症の診断と治療が、スムーズに(或は、「普通に」)進んでいくことが少ないように思います。

それが、広く知れ渡っていれば良いのですが、私たち一般人は、「現代の医学はとても進歩している」と信じています。
医師が誤診をするとは思っていませんし、治療によって悪化するなど夢にも思っていません。
そして悲劇は、繰り返されています。

以前、このブログにコメントを下さった「みやさん」もそのお一人です。
誤診と間違った治療のために急激に悪化して要介護5になったお母様を介護されています。
最近、「母さんの笑顔」というブログを始められたそうです。
私の母(そして恐らく父)も誤診されていますので、みやさんのお気持ちは、ひしひしと伝わります。
(私の両親の今までの経過は、こちらを。

では家族はどうしたらいいかといえば、こちらの記事を参考にして下さい。
頑張っても限界はありますが(実際、思い通りにはいきません。)、それでも医師にお任せしてどんどん悪くなるということは、防げると思います。



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5月23日から帰省します

5月23日から27日まで帰省します。
風邪がまだ治らず、時々咳き込む状態なので、うつさないようにしないといけません。

昨日、知人から訊かれました。
「毎月毎月、介護のために遠い実家に帰るって、気が重くない?」
(この知人自身、アルツハイマー型認知症のお父さんのために毎月遠距離介護をしています。)

重いですよ。
重いに決まってるじゃないですか。
親が認知症になって、気が重くない人がいるでしょうか。

でもそれは、しょうがないことです。
考えても しょうがない。
受けれるしか しょうがない。
世話するしか しょうがない。
気が重くなる日々の中に、ささやかな喜びを見つけていくしか しょうがない。

若い時は、頑張りさえすれば、何でも可能になると考えていました。
(無知で無謀で尊大でした。)
今は、頑張ってもどうにもならないことの方が、はるかに多いと知りました。
頑張らず、流れに抗(あらが)わないことで生き延びています。
些細なことに幸せや喜びを感じながら・・。

(それでも踏ん張り所というのはあります。簡単に諦めてはいけないこともあります。)

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カラー。庭で育つと花屋の花とは
随分違う形になります。

仲の良い夫婦とは

父を見ていると、父にとって母は、いったいどういう存在なのだろうと思う。
母の亡き後、父は、生きていけるのだろうか・・とも思う。
父も母もそれぞれに、既に頼ることのできない存在になっているのに、なお父は、母を頼り、母は、誰よりも父を頼っている。

夫婦は、元々赤の他人。
それが、実の親子よりも強靭な絆で結ばれることもあれば、痛々しい関係になることも多い。
関係は、こじれたり、修復したり、近まったり、遠ざかったり、常に動いているのが普通だろう。
でもそれを言葉で表すことは、難しい。


小川洋子の「妄想気分」というエッセイ集を読んでいたら、そんな夫婦の関係を言語化している文章に出会った。
「相手を思う気持ちを、形のない気配に変えて」と題されたエッセイだ。

惹き付けられた文を抜き出して並べただけなので、流れがまったく見えないと思うが、仲の良い夫婦とは、こういうものなのだろうと思える。
私の両親もそうであったのだろうと想像する。
そして私も、そうありたいと願う。


 「妄想気分」(小川洋子著)から引用。
 「相手を思う気持ちを、形のない気配に変えて」(抜き書き)

妻が夫に話し掛ける。さほどの意味もない話題だ。夫は耳を傾け、相づちを打ち、何か言葉を返す。共感があり、安堵があり、微笑みがある。

素敵な夫婦のそばにいると、それだけで気持ちがいい。夫婦という枠を越えた、人間同士の温かみに触れることができる。
うまくいっている夫婦は、相手が今、何を考えているのか、などと言って悩んだりしない。相手のすべてが分かっているのだ、と高をくくったりもしない。分かり得ないところがある事実を受け入れ、それでもあなたの心の内を、いつでも思いやっているという証拠を、形のない気配に変えて、日常生活の中に漂わせている。しかもほとんど無意識のうちに。

目には見えず、言葉で言い表すのが困難なためにしばしば複雑な状況に陥る夫婦関係に、夫の手により生まれた物語や絵画や音楽が存在すれば、必ずそれは良質のクッションとなってくれるはずだ。

反対の立場から言えば、夫が私のことを、自分の最も弱い部分をさらけ出せる、世界でただ一人の人だと思ってくれたら、と願う。


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バラ。結婚記念日の贈り物。


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「クローズアップ現代」脳科学と認知症ケア

2011年5月16日のNHK「クローズアップ現代」で認知症を取り上げていた。

タイトルは、「私を叱らないで ~脳科学で認知症ケアが変わる~」
出演者:山口 晴保(群馬大学医学部教授)

この番組を見て、初めて知ったことは、1つ。
認知症の人にとって笑顔は、他の表情よりも認識しやすいことが研究の結果わかってきた>ということ。
他には、特に目新しい内容はなかったが、笑顔の重要性、言動を否定しないことの重要性は、再確認した。

とはいえ認知症の家族に「違うでしょ」と言わずにはいられない気持ちもよくわかる。
私も母が認知症とわかるまでの間は、実家に電話する度に叱っていた。
「何ボケたこと言ってるの?!しっかりしてよ!」と。

残酷なことをしたと、今は、悔やむ。
しかし当時は、母が認知症とは気付かなかった。
(物忘れがひどくなったとは思わなかった。判断力の低下が目立った。)

「認知症の人が抱える喪失感、孤独感、不安感」「自信を回復することで症状が改善される」という部分は、そのままうつ病患者にも当てはまると思った。


以下、番組の内容。

認知症の人は、相手から言われた内容よりも相手の表情をより強く受け止める。
喪失感、孤独感が増している中で、家族からの失敗の指摘は、(それが冷静な指摘であっても)叱られたと受け止め、不安とストレスを高める。
その結果、BPSD(周辺症状。暴力、暴言、徘徊、妄想など)を悪化させる。

家族は、『まだそこまではボケていないだろう。言えば変わるだろう』と思う。
しかし認知症になると自分ができることとできないことが、わからなくなってくる。
自分では、ちゃんとできていると思っていることをできていないと指摘される。
家族の失敗の指摘によって、失敗した内容は忘れても、「叱られた」という辛い感情の記憶のみが残る。
認知症の人には、自分が壊れていく、失敗するという不安感がある。
失敗の指摘は、その不安を一層強くする。

認知症になっても笑顔は、他の表情よりも認識しやすいことが研究の結果わかってきた。
笑顔を見せられることで周辺症状は、改善する。

番組では「にこにこリハビリ」(50分。週2日)で症状が改善したという例を取り上げていた。
(表情能力を鍛えるリハビリというが、リハビリ内容の詳細は、紹介されず。)
ほめられ自信を回復したことが、原因ではないかとのこと。

大切なことは

 * 言動を否定しない
 * 楽しい雰囲気を作る
 * ほめながらコミュニケーションを取る
 * 役割を与える 

そうしたことによって認知症の人は、自信を取り戻す。
介護者もほめることで自分も嬉しくなり、介護負担を減らすことにも結びついていく。
その人が大切というメッセージを伝えていくことが良い結果を生む。


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時計草。パッションフルーツの仲間。
私の子供は、「宇宙船みたいな花」と言った。
是非クリックして拡大を。


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貧血でうつ病の症状

何年か振りに風邪を引きました。
熱はないのですが、だるくて1日中横になっていたい感じです。
とはいえこの位の風邪では、家事も仕事も休めないので、辛くても頑張るしかありません。
人間の体のもろさ、ちょっとした病気でも起こる多大な不便と辛さをあらためてしみじみと実感しています。

2011年5月16日のNHK「あさイチ」で貧血と抑うつ症状について放送していました。

  だるくて何もする気になれず、1日中横になっている。
  ふさぎ込む。気分が落ち込む。
  (注byしば:うつ病は、この他に不眠や食欲不振などの症状が出ることが多い。)

そういう女性が、自分は、うつ病だと思い、5年間もカウンセリングを受けたが治らない。
ある病院(新宿溝口クリニック)に行ったら、血液検査でフェリチンの値を調べられ、貧血と判明。
貧血の治療をするとすっかり元気になったという内容でした。

このクリニックでは、抑うつ症状を訴える患者のフェリチンに注目し、貧血治療で効果を上げていると放送されていました。(患者の何%が貧血かは、忘れてしまいました。)

ネットで調べると、フェリチンという物質は、貧血のごく初期の段階から減少するようです。
フェリチンの減少→血清鉄の減少→ヘモグロビンの減少という順だそうです。
つまりヘモグロビンの量で正常と言われても、フェリチンを調べれば貧血が始まっていることがわかるということです。

このクリニック院長は、「抑うつ症状を訴える患者には、まず血液検査をする」と言っていました。
それは、まだ一般的手法ではないと思いますが、貧血を疑ってみるのは、大切だと思います。
必要のない抗うつ剤を飲む前に。


もう1つ、初めて知ったのは、食物に含まれる鉄分の吸収量の違いについてです。

・ヘム鉄…吸収率 約25パーセント
豚・鶏・牛レバー、かつお、まぐろ、いわしの丸干し

・非ヘム鉄…吸収率 約1~7パーセント
ひじき、大豆、切り干し大根、しじみ、小松菜、ほうれんそう

(あさイチの公式サイトよりコピー)

ひじき等に鉄分が多いのは知っていましたが、吸収量がとても低いということは、知りませんでした。

追記:2004年4月9日の「ためしてガッテン」でも放送。詳細は→公式サイト

帰省後の母

母の状態は、その後も変化し続け、決して留まることがない。
私が、4月に帰省した時のように、ぼんやりと宙を見ていて会話ができないことが多い。
しかしごく普通に会話ができる日もある。
被害妄想の固まりとなって怒りをぶちまける日々もあるという。

日によって時間によって別人のようになるのは、今、始まったことではないが、いまだに戸惑いを覚える。
薬の効果を評価しにくい。
妹は、怒りをぶつけられると精神的ダメージを受けるという。


妹が母を訪ねている間に訪問リハビリ(週3回)があった。
現在は、リハビリというよりマッサージで全身をほぐしている。
既に体は、固まりつつあるという。

リハビリ担当者は言ったという。
「普通の人でも5日間寝たままでいれば動けなくなります。1ヶ月は大きいです。厳しいです」
妹は、ケアマネ(兼看護師)に、「痛みがなければ少しづつリハビリを進めるように」と頼んだというが、「圧迫骨折は、3ヶ月は安静です」と言われたという。
理解できない。


看護師をしている友人は、その後、ナースバンクよりも在宅医療に力を入れているという開業医を勧めてくれた。
グループホームに居ること、整形外科の主治医が違う医療機関であることなど、問題は色々あるが、行けば相談に乗ってくれるのではないかという。

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名前不明。毎年咲く。
クリックして拡大して見て下さい。

グループホームでの治療は無理と言われる

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訪問看護で毎日皮下注射を打ってもらえるか

母は、重症の骨粗鬆症のため今後も圧迫骨折を繰り返す可能性が高いと先月整形外科の主治医から説明された。
現在、予防効果の最も高い薬は、フォルテオという毎日1年半、患者自身か家族が打つ皮下注射だという。
しかしグループホームの施設長は、「医療行為なので、看護士が常駐しないこの施設で職員が打つことは無理」という。
(その記事は、こちら。)

ケアマネの友人に相談すると、介護保険や医療保険を使って訪問看護が受けられるはずだという。
主治医が書類を書けば、訪問看護ステーションから看護師が毎日30分来てくれると思うという。

グループホームの施設長と再び話し合う前に、情報を集めておかなければ、話は進まない。(以前グループホームのケアマネと会って話し合った時、「色々な相談は、ケアマネではなく施設長にするように」と言われていた。)
母の元ケアマネの居る包括支援センター、保健福祉センター、グループホームの近くの訪問看護ステーションにも電話をして相談した。
それぞれ話すことは、少しづつ違うが、3者とも「実現は、難しいと思う」と言う。
「まず担当のケアマネに相談して下さい」とも。

*包括支援センターのケアマネの言葉。
「そういう事例は今までないので、よくわからない。グループホームと提携している訪問看護ステーションがあるのか、そこでそういうサービスを実際に提供しているかということから確認が必要」

*保健福祉センターの職員の言葉。
「毎日訪問看護を受けるには、決められた特定の病気でなければいけない。(例えば、がんの末期)」
保険でまかなえないなら自費で受けることが可能か訊くと、「1日30分の訪問看護でも自費なら4300円(保険の点数だと430点)と高額になるし、無理だろう」と言われる。

*訪問看護ステーションの職員の言葉。
「サービスは、ケアマネが決定することなので、とにかくグループホームのケアマネとよく話し合うこと」


施設長に電話で再び相談する。
ケアマネ(週2日来る。)に相談して欲しいと言われ、再度電話をする。

*グループホームのケアマネの言葉。
「介護保険は、グループホームに入っていることで既に使い切っているので、医療保険を使うことになる。
医療保険をどの程度使えるのか、費用はどの位かかるのか、調べてみないとわからないので時間が欲しい。
現在、私(ケアマネ兼看護師)が毎週2回来ているので、その日なら確実に問題なく皮下注射をすることはできる。
施設長の考え方にもよるが、準備と針の処理は、グループホームの職員がして、皮下注射だけは、本人か家族にしてもらうという方法もなくはない。
どこまで職員が手伝うかということは、施設長の考え方次第だ。
施設長の意見を訊いてみる」

会って話した時は、「在宅介護のケアマネと施設のケアマネは、違う(ので個々の相談には乗らない)」と言われた。
頼れない人なのだと理解したが、今回電話で話すと『何とか注射できるようにしてあげたい』という熱意が伝わり、随分印象が変わった。

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ブルーベリーの花。ドウダンツツジにそっくり。

4月の帰省4日目と5日目(2)母の幸せ 別れ 

4日目の夕食後、父も兄も子供(昼間行った。)も「行かない」というので、私1人で母の所に行く。
やはりベッドの上でぼんやりしている。

私「ラジオ、聴いてみる?お母さん、よくラジオ聴きながら家事してたよね?」
付けてみるが、反応しない。
母「またその内、聴くからいいよ。置いといて」
何か聴きたい音楽があるか訊くが、黙っている。

母「あんた、なんで顔にコンニャクなんて付けてるの?」
私「お母さんには、色んなものが見えるんだねぇ・・」
母「あっ、どんどん出て来た。重くないの?取ったら?」

母の言うことのほとんどが幻視と妄想の話だ。
母「そんな黄色い風船まで顔に付けて。変な子だねぇ。あぁ、膨らんできた。はぜるよ」
昔話を引き出そうとしても母の口から言葉が出て来ない。
もう話すのは止めて、黙って手を握っていた。

母「あんたは、どこに寝る?お父さんは、もう隣の部屋で寝てると思うよ」
私「私は、○○(実家)に帰って寝るよ」
母「なんで?!なんでそういうこと言うの?!なんで離れてくの?!」
こうして泣いて怒るのが、常だったが、今回は、それ以上に発展しない。
すっと治まって忘れてしまう。

私「また明日の朝来るよ。ぐっすり眠ってね。おやすみ」
頬摺りをした。本当は、強く抱きしめたかった。
部屋を出る時、母に向かって大げさに敬礼して見せた。
母も横になったままスローモーションで敬礼して微笑んだ。

『これでいい。これでいい』と思う。
認知機能は落ち、ほとんど会話にならなくても、抑うつや感情失禁(泣いたり怒ったりする。)がなければ、苦しまず、穏やかに暮らせる。
この状態が、母には幸せなのだ。
父も妹も苦しまずにすむ。
『これでいいんだ』。帰り道、何度も心の中で繰り返した。


翌朝、皆で訪ねると、母は、比較的元気だった。
母「さぁ!じゃあ、どこ行く?(外食は)何にしよっか?」

食事の手配だの引っ越しの手配だの、しなくてはいけない(と母が思い込んでいる)ことを盛んに気にする。
私「○○(妹)が全部上手くやってくれるよ。○○に任せて置けば安心。頼りになるよ」
母「・・・(長い沈黙)。そうだよ。頼りになるよ」
妹「あ~!良かった~!なんて言われるかと思ってヒヤヒヤしちゃった~!」
私も一瞬慌てた。
実際、妹が居なければ、両親も兄も立ち行かない。

私「これから新幹線で○○(自宅)に帰るの。私はまた来月来るからね」
子「ばあば、また来るよ!元気でいてよ!」
母「そうなの?大変だったねぇ。じゃあ、今、駅まで車で送るから」
私「腰が痛くなるからここでいいよ。ありがと」
母「そう?玄関まで送ってく位ならいいよね?」
ベッドの上で穏やかに別れることもできた。

帰りの新幹線の中で子供が、驚くほど冷静に言う。
「じいじ、夕べ、お風呂に2回入ったよ。お母さんが寝てから、また入った。そんなに変
 わってないと思ったけど、やっぱり認知症なんだなって思ったよ」

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紫蘭(シラン)。白は珍しい。

4月の帰省4日目と5日目(1) キャンディーズの歌 兄の白髪

夜になって居間のテレビでキャンディーズの解散コンサート(1978年)をやっていた。
私は、体を動かしたくなって、足踏みでジョギングをしながら兄と見ていた。
私の子供も兄の横に座ってはいたが、携帯電話から目と指を離さない。

私「懐かしい~!(子供に)ねぇ。こういう歌って、どんな風に聴こえるの?」
子「(携帯電話をいじりながら)声、低い。古くさい。”昭和!”って感じ」
(子供は、平成生まれ。)
私「あ、そう・・。・・お兄ちゃん、テレビ(のチャンネル)、変えてもいい?」
兄「ダメ!!」

走っている内に気分が良くなってきて、「年下の男の子」を走りながら一緒に歌う。
ほぼ同時に兄も一緒に歌い出した。
私「お兄ちゃん、歌えるの~?!」

歌詞は、言語障害もありよくわからないが、音程は、それ程ひどく外れない。
兄が歌を歌うのを初めて聞いた気がする。
(兄は、40年近い間ずっとアグネス・チャンの熱烈なファンだが、キャンディーズも好きだったと初めて知った。)
若いスーちゃん、ランちゃん、ミキちゃん、兄、私の不思議な、楽しい(端から見れば奇妙な)合唱だった。


翌朝、兄の髪を切った。(ほぼ毎月切っている。)
帰宅した時から何度も誘って、やっとOKが出た。
剃り残しのひげと鼻毛は、既に切った。
毎月なくなるので隠しておいたすき鋏が、隠し場所になく、探すと台所から出てきた。

兄は、切り落とされた髪を見ると顔をしかめて「シロイ、シロイ」と訴える。
兄の髪の半分位は白髪になっていて、それが気に入らないようだ。
「白い方が、カッコいいよ~」と言うが、兄は、まったく納得しない。
私は白髪がほとんどないのに、兄ばかり白いのは、なぜだろう。

皆で母を訪ねた時、この話を伝えた。
母は、あまり反応しなかったが、子供(母の孫)が、素早く言った。
「染めてあげればいいじゃない!!染めてあげよっか?」


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しゃくなげ


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4月の帰省4日目(2)兄の歯科医院 授産施設の総会

妹から兄が歯科医院に通うのを突然止めたという話を聞く。
妹「なんでかなぁ?”ダメ。オワリ”って言って、全然行ってないよ。毎週楽しみに行って
  たのにね」

歯科医院に電話をして事情を訊くが、思い当たる節はないという。
医師「何か、○○さん(兄)の気に触るようなこと、言っちゃいましたかねぇ・・」
私 「それはないと思います。いつも親切にして頂いて、兄は、先生が好きですし、週1
   回診て頂くことを楽しみにしていましたから」
医師「1週間に1回きれいにした所で、他の6日は汚れている訳ですから、正直、どれ程
   の効果があるかというのは、私たちにも本当に疑問ではあるんです」
しかし通院を習慣化しておかなければ、問題が起こった時、兄が、自分で病院に行くということはできないはずだ。
周囲も問題に気が付かない可能性が高い。
兄は、この日、ショートステイ(月~金)先から帰宅するので、予約を入れる。


子供と11時頃母を訪ねるが、ぼんやりして会話にならない。


午後、妹と兄の通所授産施設の総会(家庭連絡会と保護者会)に初めて行く。
授産施設は、毎日通って段ボールの組み立てなどの仕事をする。
月数千円の工賃も出る。)
ロビーで兄と会った。私たちの顔を見て満面の笑みを浮かべている。
今日、歯科医院の予約があること、先生(医師)が兄に会いたいと言って待っていると、繰り返し伝えた。


総会出席者約70人のほとんどは、予想以上の高齢だ。
私たちのように、きょうだいと思われる中年女性も何人かいる。

配られた資料を見ると入園者は、18~60才の男性39人女性16人。
平均年齢は、約40才。
毎月様々な行事(遠足や1泊旅行も。)や定期的な健康診断もある。
仕事だけでなく生活全般を細かく見て、本人への指導や家庭連絡をしてもらえる。
あらためて、本当にありがたいと思う。

保護者は、皆、子供の将来を心配し、自分が倒れる前に、子供が終生居られる施設ができることを望んでいる。
皆で20年以上積み立てた資金で、半月前に中古の住宅を買い、それをリフォームしてケアホームにすると詳しい説明があった。
そうした施設を今後、順次作っていくという。
施設長「現在、両親共病気になったり亡くなった園生が2人いて、その2人が、まず優
    先的にそのケアホームに入ることになります。本人の希望もあって週末は、自
    宅に帰ったりしますが・・。そこは、ご理解下さい。」
その1人が、兄だ。
なんというタイミングで受け皿ができたのだろう。


夕方帰宅した兄に、再び歯科医院に行くように勧めると、すんなりと出掛けて行った。
これでまた毎週通ってくれそうだ。

夕食時、兄は、「マツリ(祭り)。マツリ」と心から楽しみにしている様子で言う。
私「お兄ちゃん、今年、祭り、なくなったんだよ。祭り、しないの。なし。やらない」
兄の顔に衝撃、続いて落胆が、アニメのように映し出された。
その極端さに、(兄には申し訳ないが)思わず妹や甥っ子と笑ってしまった。

震災後の自粛による祭りの中止は、遠方に住んでいる私ですらショックだった。
誰もがこの祭りを楽しみにし、この祭りを生き甲斐にしている人も多い。
兄は、参加はせず、ただ見るだけだが、それでも毎年とても楽しみにしていた。

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バラ(これを1度載せた記事に青梅の写真を差し替えました。)




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tag : 授産施設

4月の帰省4日目(1)父の2度目の介護認定調査

朝、父のための介護認定調査員(1人)が来る。

半年前の認定は、要支援2(去年の3月までの母と同じ。)だったが、父は、ヘルパーなどまったく必要ないと言い、何のサービスも受けていない。
しかし将来、父が困るようになった時、いつでもサービスを開始できるように介護認定だけは受けておきたい。

前回も今回も「父が認定を受けることで母の特別養護老人ホーム(特養)への入所順位が上がる」と説明すると、父は、何の抵抗もなく面接調査を受けることを承諾した。
自分が、本当に認知症か否かなど、深くは考えていない様子だった。
(ピック病は、早期から病識―病気の自覚―がまったくない。)

介護認定調査員が、家に着いた時、父の症状を書いた紙を渡す。
(これは、重要なことだ。本人の前では話せないが、伝えなければ、面接だけでは決してわからない。多くの認知症の人は、人前では問題がないかのように巧みに取り繕う。父もだ。)

父は、素直に落ち着いて調査を受け始める。
しかし調査員が、一言体調に付いて触れると、突然、関を切ったように話し始める。
父「それがねぇ!去年、無料の健康診断を受けたら、大変なことが起こってねぇ!」

去年、前立腺に関する数値が、若干高めだったので経過観察が必要だと言われた。
私が何度説明しようと、何人の医師が説明しようと、父は、何カ所もの大病院で精密検査を受け続けている。

父は、放っておけば1時間でも話し続ける勢いで一方的にまくしたてる。
私「お父さん、これ、時間の制限があって、次の人が待ってるの」
父「(むっとして)・・わかった。じゃあ、この話は、ここで止めとくけどな」

父は、40分程の面接中、4回まったく同じ言葉で同じ話を繰り返した。

新しい話が、1つだけ出た。
父の認知症の主治医(母の主治医でもある。)が「あぁ、○○さん(父)は、別に問題ないよね?今は、別にいいよね?何か問題が起きたら、また一緒に考えようか」と言って、何の検査もしないし、説明もしないと訴える。
父「2ヶ月に1回来いって言うから行ってやってるけど、もう医者を代えようと思ってるところでね」
私は、主治医の父への言葉を初めて聞き、適切だと思った。
(主治医が検査をしない理由は、こちら。)

半年前には、「物忘れなんて一切ない!」と言い切っていたのに、今回は「メガネを探す位のことは、よくありますよ。毎日かな」と言った。
「認知症が、若干でも始まっているかといえば、まぁ、始まったのかも知れないですね」
病識があるのかと驚くが、事実と違うこともいくつも言う。
父が、異常に怒りっぽく、運転も危険だったのは、去年の夏までだったが、私と妹は、今でもそう言い続けているかのように調査員に言う。
掃除も料理も妹が通って手伝っているが、「誰の助けもなく1人ですべてきちんとやっている」と言う。

面接が終わってから、調査員と2人で外に出て、15分程質問を受けた。
父に隠れて立ち話をしていたが、見つかってしまった。
すぐ言い訳を考えたが、父は、気にも止めずに出掛けて行った。
調査員は、浪費をする父の経済状況は大丈夫なのかと訊いたが、父の通帳の管理は、父自身がしているので、私には、わからないと伝えた。

仕事もないのに父は、一日中(車で)本当によく出掛ける。
昔からじっとしていない人だった。

調査員が来る前も夕べ来た私の子供(年上の方)を連れて車で出掛けていた。
子供の就職活動に関連のある企業を見せて回ったらしい。
父「じいじに言わせるとなぁ!あそこは、立地が悪過ぎる!あれじゃ売り上げは伸び
  んぞ~!」
饒舌に楽しそうに子供(父の孫)に説明している。
子供も楽しそうに上手く相手をしている。

私「じいじ、同じ話ばっかり繰り返さない?」
子「それは、昔から。(自分が)小学校の時からだよ。別に認知症とは思えないけどね」

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小海老草。葉が赤く長い房に変わる。
挿し木で増える。
(背景悪いが、今、咲いているので)

tag : 介護認定調査

4月の帰省3日目(3)注射はできない

母をグループホームに送り届けると昼食時になっていた。
ストレッチャーを通すためには、共有スペースに置かれた椅子を動かさなくてはならず、1階の利用者全員、お昼を食べずに待っていてくれた。
全員に謝ったが、あまり反応はなく、すぐ食事が始まった。
かなりお腹が空いていたのかも知れない。
普段は、多くの方が、いつも愛想よく、私とも色々話をしてくれる。

私 「お母さん、お腹、空いた?お昼あるけど、頂く?」
母 「あんたたちも(お昼を)もらいなさいよ。注文してあるから」
職員「○○さんは、いつも自分のことより人のことばっかり気にされるのよねぇ・・」

施設長が居たので、注射の件を相談する。
しかしグループホームに看護士はいないので、注射をすることはできないと言われる。
父にはできそうもない。(特に針の処理)
代わりにしてくれる人を捜さなければいけない。

一緒に来た私の子供が、都合があり自宅に帰るので、その前に兄の部屋の掃除を手伝ってもらった。
窓ガラスの汚れや棚のほこりが、ひどくなっていた。

子供は、「来て良かった」と言って帰って行った。
入れ替わりで、もう1人の子供(年上の方)が、都内の大学から直接やって来た。
駅で拾い、そのまま一緒に母の所に行った。

子供「○○だよ~。今、着いたばっかりだよ~」
母 「○○?」(嬉しそうに微笑む。)
あまり調子は良くなく、視線も合わさず、ボソボソと話す。(不調時の特徴。)
私 「なんで○○(母の孫)の顔、見てやらないの?」
母 「だって恥ずかしいんだもん」

時々妄想が入るが、「じゃあ、そうしとくね」などと話を合わせると、すぐ納得して、それ以上は言わない。
今までは、何を言っても納得せず、いつまででも心配して言い続けていた。

母からは、会話が出て来ないので、一生懸命昔話を持ち出す。
昔、路上で暴力団員に因縁をつけられても、ひるまず喧嘩した話をしてくれた。
母「”ばばあ、車から降りろ!”って言うから、”嫌だ!私は、何もしてない!”って言い返
  してやった。回りにいた人が心配して、すぐ警察を呼んでくれてね。次の日、頭を
  丸坊主にして、警察の人と一緒に謝りに来たよ。蹴飛ばしてへこませた車の修理代
  も払ってくれたよ」

帰りの車の中で子供が言う。
「あれじゃ、ばあばが、可哀想だよ。せめて何でもいいから音楽でも流してあげたらどう
 なの?」
今までも色々聞かせたが、母は、うるさがった。諦めずにまた試してみようと思う。

父には、整形外科の医師に言われた通りのことを伝えた。注射の話は、伝えなかった。
父は、「そうか!治るか!歩けるようになるんだな!」と何度も何度も繰り返した。
骨折を繰り返す可能性、歩くことの危険性も話したが、それは風のように父の頭を通り過ぎ、何の痕跡も残らなかった。


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都忘れ(母が特に好きな花の1つ)

tag : グループホーム

4月の帰省3日目(2)圧迫骨折・骨粗鬆症の治療

医師(去年の腰椎圧迫骨折の手術も担当。私は初対面。)は、驚く程鮮明な画像を示しながら、丁寧に説明をしてくれる。
クリック1つすれば、前回と今回で何ミリ骨の厚さが減ったかもわかる。
この画像を見れば、素人目にも圧迫骨折は、明らかだ。
骨粗鬆症の最新治療法も初めて知ることができた。

  (以下、青が医師、緑が私の発言。)


去年手術で補強した部分の上下が、特に潰れやすいんですが、上の骨がくしゃんと潰れて(折れて)ますね。

 移動の時、ひどく痛がっていましたが、神経を圧迫しているんでしょうか?

神経には、まったく関係ありません。骨折経験ないですか?骨っていうのは、折れるとそれ自身痛いんです。
でも1ヶ月安静にしていれば、潰れた状態のまま固まって痛みもなくなります。変形はしていますが、一応治るわけです。車いすにも座れるようになるし、本人の気力や努力によっては、歩けるようにもなります。まぁ、歩けば、骨折のリスクは、相当高くなりますが。


 去年手術(6時間の手術を2回した。)をしたのは、骨折がひどかったからですか?

珍しい形に骨が潰れて広がってしまい、それが神経を圧迫していたからです。神経を治すための手術です。手足にしびれも出てましたしね。通常、圧迫骨折で手術をすることはありません。自然治癒を待ちます。

 どういうきっかけで、圧迫骨折が起こりますか?

何でもないことです。寝返りを打ったとか、トンっと座ったとか。
(画像を指して)見てわかりますよね?ここも、ここも、ここも潰れています。既に治っていますが・・。

 知らない間に、過去に圧迫骨折を何度も繰り返してきたということですか?

そうです。何だか腰が痛いなと思っている内に治ることもありますし、まったく痛みを感じない場合もあります。
○○さん(母)の骨は、スカスカの状態です。これだけたくさん折れて(潰れて)いるということは、もうどの骨が、いつ折れてもまったく不思議ではないということです。

 なぜそんなに骨がもろくなったんでしょうか?

一般にパーキンソン病(母は、パーキンソン症状はあるが、レビー小体型認知症でありパーキンソン病ではない。)の人は、骨が弱いです。動かなければ動かない程、骨は、どんどんもろくなっていくんです。

 1ヶ月間安静にしている間にも骨が弱く、折れやすくなっていくんですね?

それが問題なんです。治った途端にまた骨折し、それをずっと繰り返していく人も居ます。次から次へと折れるようになると、ちょっとやっかいです。

 骨を強くする薬はどうなんでしょうか?
 飲み薬は、あまり効果がないと聞いていますが。

確かに、飲み薬は、効果が高いとは言えません。人により効果が出ない場合もあります。どちらにせよ、寝たきりの状態では飲めません。胃が荒れますから。
新しいフォルテオという注射は、効果が高いことが、実証されています。期待できる良い薬ですよ。

 どの位の頻度で、どの位の期間、打つんですか?

毎日打ちます。18ヶ月間毎日打たないと十分な効果が出ません。

 1年半、毎日注射のために通院する患者さんが、実際どの位いるんですか?

通院はしません。自分でお腹に打ちます。糖尿病患者のインシュリン注射と同じです。
1ヶ月分を処方し、本人か家族が打つと決まっています。
針は、一般ゴミとして捨てられませんから、次の受診の時、まとめて病院に持って来てもらいます。
注射は簡単ですが、針の処理だけが、ちょっと面倒ですね。


 グループホームの職員でも打つことが許可されていますか?

そこまでは、こちらでは、わかりません。施設で確認してみて下さい。



医師は、嫌な顔1つせず、すべての質問に答えてくれた。
しかし妹は、待っている人が大勢居るのに、延々と質問し続ける私にヒヤヒヤしたと言った。
それが「常識的な」考え方かと軽いショックを受けた。
(昔住んだマレーシアでも米国でも、医師には、いくらでも質問できたし、医師は、納得するまで丁寧に説明してくれるのが普通だった。もちろん帰国して16年も過ぎ、日本の病院は違うということは理解している。しかし母の余命の生活の質がかかっている時に、他人を思いやる気持ちなど、私には欠落していた。)

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ミニトマトの花

tag : 腰椎圧迫骨折 フォルテオ 骨粗鬆症

4月の帰省3日目(1)福祉タクシーで病院へ

腰椎圧迫骨折の母を連れて市立総合病院の整形外科に行く。
妹と私の子供と私の3人で連れて行った。
ストレッチャー(寝台)のまま乗れる福祉タクシーを妹が予約してあった。

はじめに料金を書く。(全額その場で現金で支払い。)
介護サービス料(ストレッチャーへの移動を介助)  2310円。
運賃(普通のタクシーと同じ。距離により変わる)  1230円。
 合計で、片道                  3540円。
迎車料金(帰りは電話で迎えに来てもらう)     130円。

*車いすに乗ったままの乗車なら介護サービス料金は、たった300円だそうだ。
*こうした福祉車両は、使用頻度や用途によっては、リース、レンタル、購入が割安。

母は、グループホームの介護ベッドからタクシー会社のストレッチャーに移って病院に行き、病院玄関で病院のストレチャーに移動した。
その両方で、男性運転手が母の移動を介助してくれる。
(もう1~2人、家族が介助を手伝わないと母の場合、移動は無理。)

福祉タクシーは、病院で客を降ろすとそこで一旦帰る。
帰りは、電話で呼ぶ。迎車料金(130円)がかかる。
ストレッチャーと一緒に4~5人まで同乗できる。(車によって違う。料金は同じ。)

福祉タクシー介護タクシーという名称は、ネットで見ると厳密に使い分けていない印象がある。
母が利用したのは、大きなタクシー会社の1部門としてある福祉タクシー
様々な車種があり、ストレッチャーでも車椅子でも利用できる。

介護保険、補助金、市から障害者に提供されたタクシー券などが使えたりする場合がある。



母は、朝からぼんやりして無口だったが、ふっと言葉が出る。
「何か美味しいもの食べに行くの?え?違うの? 可哀想に・・。○○(母の孫)は、楽し
 いことが、何にもないじゃないの」

ストレッチャーへの移動は、2人が母の下に敷かれたバスタオルを持ち上げる方法だった。
寝ていれば痛みのない母も、移動の数秒は、ひどく痛がり悲鳴を上げた。
別のストレッチャーに移って1分ほどすると、息を荒くしながら
「大丈夫。大丈夫。もう痛くなくなった・・」
と声を絞り出すが、ぐったりとし、目が虚ろだった。

ストレッチャーは、1人では動かしにくいし、病院は、受け付けや会計があるので、3人で行って丁度良かった。
私と妹が主治医と話している間は、私の子供が処置室(別室)の母に付いていてくれた。
途中、子供が、ノックして入って来た。
子「ばあばが、トイレに行きたいって言ってるんだけど・・」
妹「トイレには行けないから、悪いけど、オムツにしてって言って」
主治医との話は、長く続いていた。

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昼咲桃色月見草。私は琉球月見草と人から教えられた。
野の花で、とても増える。

tag : 福祉タクシー 介護タクシー

4月の帰省2日目(3)別腹 写真集

庭の大きな梅の木に無数の青梅がなっている。
母は、毎年、これで梅干しを作っていた。
母が、突然、急激に悪化した去年は、1つも実がならなかった。
作り手が居なくなると、実もならないのかと、その時、思った。
母の好きだったバラの木にもつぼみがたくさん付いている。
去年から誰も何の世話もしないのに、母を励ますようにたくさんの花が咲く。

昼には、父、妹、私と子供の4人で母と3月に行ったインド料理屋へ行く。
子供「これが、ばあばの目玉が飛び出たマンゴーラッシーなんだね?」
会話は盛り上がるが、父は、ほとんどまったく喋らない。
聞いて楽しんでいるというより、皆の話が理解できないので、はなから会話に参加しないという印象。
父は、こちらの言っていることが理解できていないのではないかと思うことが、度々ある。

その足で4人でグループホームに行く。
昼食を終えた母は、ウトウトしていた。
表情は穏やかだが、ぼんやりして反応がない。

私「お母さん、お腹一杯?お菓子買って来たけど・・」
母「(声をひそめて)べ・つ・ば・らっ!(職員に見つからないように戸を)閉めて、閉
   めて!」
葉を取って柏餅を手渡す。
スローモーションのように動く手が、顔の前で止まり、開けた口まで届かないので、手を引っ張ってやる。

ほとんど会話にならないので、作ってきた写真集を見せる。
子供が小さい時の写真を見せても反応しない。
メガネをかけさせてもダメだ。見えていないのかと思う。
母の一番好きな熊の写真を見せると、初めてニッコリ笑う。
「いやぁ~。可愛いね~!」
小さな小さなかすれ声だった。

母は、幼い頃、小熊を飼っていたことがあると聞いている。
可愛がっていたが、鎖をつないだ杭を引き抜くので、動物園に預けたという。
母が動物園の熊にビスケットを投げては芸をさせていたのを鮮明に覚えている。
その時、私は幼く、あれが母の飼っていた熊かどうかは、わからない。
私も「一番好きな動物は?」と訊かれて、まず頭に浮かぶのは、熊だ。

母の好きだったいわさきちひろの絵も東山魁夷の風景も写真集に入れておいた。
母「可愛いねぇ。(ちひろの描く少女の)この目が何とも言えないねぇ」
母「わぁ・・きれいだねぇ。真っ赤だぁ(紅葉の絵)」
私「これ、東山魁夷の絵だよ。覚えてる?」
母「覚えてるよ。家にこんな厚い本(画集)があるよ」
高校の時に私が買ったものだ。母に見せると、母も好きだと言っていた。

夕食後、甥っ子(妹の子)も一緒に再び訪ねたが、すでに深く眠っていた。

伯母が母を訪ねてくれた時には、亡くなった叔父がよく遊びに来ると言ったという。
伯母「○○さんは、死んじゃったじゃない」
母 「うん。でも私の所には、よく来るんだよね。”よぅ”って(片手を挙げる仕草)」

伯母「もうちょっとでいいから、生きてて欲しかったねって言って、2人で泣いたん
   だよ」


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実家の庭で穫れた青梅
(2011.5.7)


tag : グループホーム

4月の帰省2日目(2)ピック病の父の言動

実家の庭には、パンジーを植えた大型プランターが、14個ずらりと並んでいた。
花の好きな母が、部屋の中から座ったまま見られるように、150cm程の高さの台を作ってその上に置かれている。
14個中11個が、黄色いパンジーだけのプランターだ。
すべて父が、植えた。
量と黄色に圧倒される。

私「お父さん、パンジー、凄いね」
父「あいつら、水やらんと、”あぁもうダメだぁ”って顔して、水やると途端にシャンと
  立って、”おぅ!元気出たぞ~”って態度を取るんだぁ!まったく、現金だぞ、植物
  ってやつは!」
孫の話でもするかのように話す。
今までにない語彙(ごい)のユニークさもピック病の症状なのだろうか。


「じいじも不景気でなぁ!そうやれん!悪いなぁ!」
と言いながら、孫に多額のこずかいを渡している。
仕事(自営業)の量は、目に見えて減っている。
珍しく仕事の依頼の電話が来たかと思うと、クレームだ。
「そんなことは、ないはずなんだがねぇ。悪かったねぇ」
と言いながら、あっけらかんとしている。
仕事の電話が入る携帯電話も以前は、肌身離さず持っていたのに、今回の帰省中は、何度も置いて外出してしまう。


父「なぁ。お母さん(の腰)、治らんか?歩けるようにならんか?」
私「明日、整形外科に連れてくから、そこでよく訊いてこないとわからないよ」
父「病院なんていうのはなぁ、いい加減なもんで、5つ行けば、1つ位は、”治る”って言う
  所があるもんだ。ちょっとあっちこっち色々な所に連れてってくれんか?」
妹の話では、父は、必要のない前立腺の精密検査もあちこちで受けまくっているという。

日中、トイレの床が尿で汚れていたことがあった。
これは帰省の度に1度以上はある。
匂いも強かったが、父の臭覚は、ずっとマヒしている。


私と子供の朝食用のパンを食べてしまったり(父の朝食は米飯)、子供が自分で食べようと1つだけ買って冷蔵庫に入れて置いたゼリーも黙って食べてしまう。

伯母の所に行くと、父が家を手放したと言う母(の妄想)をなんとか説得してくれと頼み込んできたという。
伯母「お父さんは、お母さんのこととなると、もう無我夢中になっちゃうんだね。気持ち
   はわかるけど・・」

冷蔵庫の中には、肉も魚もないが、野菜は、同じ物ばかり大量にあり、半分はしなびている。
沢庵も、2本あった。

私「お父さん、なんで沢庵、2本もあるの?」
父「あぁ、捨ててくれ。ありゃ古いぞ~」
私「古くないよ。賞味期限まで1ヶ月もあるよ」
父「そうかぁ?まぁ、あっても食わん。沢庵は、好きじゃない」
私「食べないもの、なんで買ってくるの?」
父「・・・何となく・・無意識に買ってくるんだなぁ・・・」

翌日、沢庵を食卓に並べると「なんだ、こりゃ?大根か?」と言って、ボリボリ食べ続ける。
私「お父さん、沢庵、嫌いじゃなかったの?」
父「嫌いじゃないぞ。切るのが面倒なだけだ」

父は、何も考えずに、いい加減なでまかせを言うことが度々ある。
辻つまが合わなくても気にしている様子は、まったくない。
去年の9月に受診(今の主治医ではない。)した時は、それがピック病の症状だと説明された。

tag : ピック病

4月の帰省2日目(1)認知症患者の白内障手術

妹と2人で母の眼科の病院に行く。
広い待合室には、70代以上と思われる高齢者ばかりが、ずらりと並んでいた。

母は、緑内障の定期検査を毎月受けている。
前回、白内障の手術を勧められたが、認知症でも可能かどうかを確認していなかった。
今回は、その確認のための受診だ。

まず私から医師に母の状況を説明する。
医師は、レビー小体型認知症という病名を知らず、病気の説明から入った。
病名も「ベビー?”しょうたい”とは?」と言われ、紙に書いて渡した。
(こういうことは、決して珍しくない。)
甲状腺と肝臓の持病、重症の骨粗鬆症、腰椎圧迫骨折の痛みで現在は、寝たきりの生活をしていることも説明。


  以下、医師とのやりとり。青地が医師、緑が私の言った内容。

本人が居ないので、現在の正確な状況はわからないが、前回の視力は、裸眼で0.2、矯正で0.7だった。
普通は、この位視力が落ちた所から手術を勧めている。

 視力低下は、近視や遠視によるものではなく、白内障が原因か?

視力低下の原因は、白内障による白濁のためだ。
白内障の手術は、現在は、日帰りなので、家族がケア(忘れずに目薬をさすこと。)できるかどうかが重要になる。


 グループホームに居るので、それは、問題ない。
 ただ手術後の注意などを本人が守れず、目を擦(こす)ったりする可能性は高い。

手術をする人は、高齢なので、手術後、目を擦ってはいけない等の注意事項を守らない人は、珍しくない。
擦って欲しくはないが、それで危険な状態にまでなった人は、今まではいない。
もちろん擦ったことで問題が起これば、すぐ入院してもらう。

 一旦は、手術することを理解したとしても、手術が始まってから恐怖で暴れ出すことも考えられる。

健康な人であっても手術中パニックを起こす人はいる。
暴れれば、取り押さえる準備は、常にしている。
中止できる場面ならば、手術を中止もする。
誰が何をするにせよ、手術にリスクがないということは、ありえない。
しかしリスクを最小限に抑えることはできる。


 去年、腰骨の手術で全身麻酔をし、そのままずっとせん妄状態になり大変だった。
 全身麻酔をすることはないのか。

色々なリスクがあるので高齢者に全身麻酔はしない。局所麻酔で行う。
要は、本人の理解と決意だ。

 その両方共得られない可能性が高い。

その場合は、家族と私(主治医)の判断ということになる。
本人と会わなければ、その判断はできないので連れて来て欲しい。

 レビーは、症状に波があるのが特徴で、その時々で別人のようになる。
 会話できる時もあれば、できない時も、支離滅裂になる時もある。

波があるのなら、調子の良い時に連れて来て欲しい。
認知症だから手術できないということは、決してない。
できる人はできるし、できない人は、できない。

 手術は、なるべく早い方がいいと思うか。

生活の質を考えれば、早く手術した方が良いとは言える。
良く見える生活が長く続くから。他には、特にメリットはない。


 手術は、片目をして、治ったらもう一方の目をするのか。

そうだ。合計2回手術する。
 

注:これは、この医師個人の意見であって、全国のすべての眼科医が同じ意見かどうかは、わからない。
持病の種類などによっては、手術できない場合もありえる。

tag : 白内障 認知症 せん妄

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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