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母、骨折

母は、1週間程ひどく腰を痛がっていた。
妹が、仕事の休みの日に病院に連れて行こうとしたが、なぜかその日になるとケロリと痛みが消えてしまう。
3月30日に整形外科の定期検診の予約が入っていたので、その時診てもらおうということになった。

週末、父は、腰を痛がる母を連れ出し、県外の動物園まで連れて行った。
なぜそんな無謀なことをするのかと責める妹に、父は、いつもの言葉で答えた。
「お母さんが、行きたいって言うんだから、しょうがないじゃないか!」

父のよくわからない説明によると、動物園では問題はなかったという。
しかし自宅に帰り、トイレに入った途端に、母は、痛みで動けなくなった。
たまたま実家を訪ねた妹が、玄関の戸を開けると
「そんなとこに座り込んでちゃ、どうにもならんだろ!!立て!!」
という父の怒鳴り声と母の泣き声が、響き渡っていた。

母がまったく立てないとわかると、妹はすぐに救急車を呼んだ。
かかりつけの市立の総合病院には、受け入れてもらえず、別の大きな病院に運ばれた。

妹「骨折も何の異常もありませんって。でも炎症反応が出てるって」

母は、骨折に関しても何度も誤診されている。
危険な骨折だと言われて入院したら「精密検査の結果、折れていませんでした」と言われて即日退院した。
レントゲンで折れていないと言われていた骨が、後日撮ったCTスキャンで折れていると言われたこともある。

母は、救急車で運ばれた翌日には、痛みがなかった。
父「お母さん、脅かしやがって!もう治ったぞ!大丈夫だ!安心しろ!」
父に、絶対に安心してはいけないこと、動かしたり、連れ出したりしてはいけないことなど念を押す。

30日は妹が仕事なのでヘルパーさん(グループホームの職員ではない。)が母を病院に連れて行った。

わかったことは、「骨折している」「コルセットを付ける」「入院はしない」。
妹に電話をしてもヘルパーさんからまだ報告書が届いていないのでそれ以上のことはわからないという。
毎日母を訪ねている父に電話をすると
「今日も痛がってないぞ。○○病院(救急車で搬送された病院)か○○病院(30日に受診した病院)のどっちかが、嘘をついてるぞ~!」

グループホームに電話をして、やっと11番目と12番目の骨が潰れていると知る。
入院、治療の必要はなく、コルセットで保護して無理をしないように言われただけらしい。
母の骨は、もろく、何もしなくても徐々に潰れていくとは言われていた。
それが現実となった。では、今後は?予後は?

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tag : 認知症 圧迫骨折 レビー

タイからの応援メッセージ

タイ人の親しい友人から「この歌を聴いて日本の人々に元気になって欲しい」というメールが届きました。

世界中のたくさんの人たちが、日本を応援してくれていることを実感します。

毎日心痛むニュースが続きますが、これを見ると胸が熱くなります。

美しい歌声は、タイで最も有名な Tongchai Mcintai という歌手だそうです。


  タイからの応援メッセージ・ソング
   Official MV  Thai For Japan  เบิร์ด ธงไชย แมคอินไตย์

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タイで神聖な生き物とされる白い象。
同じ友人が結婚祝いに贈ってくれたものです。


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しば

tag : タイ 日本を応援

白内障の手術(認知症患者の場合)

母は、緑内障の手術を受けてから定期的に眼科にも通ってきた。

眼科も神経内科(レビー)も内科(肝臓と甲状腺)も整形外科(圧迫骨折)も以前はすべて市立の総合病院で診てもらっていた。
しかしこの病院は、予約しても待ち時間がとても長いので、整形外科以外は、すべて病院を変えた。

先日、妹が、良い眼科を見つけて連れて行ってくれた。

緑内障に関しては、母が受けたのは、手術ではなく「簡単な処置」だったと初めて知る。
疑問はたくさん浮かぶが、詳しい事はわからない。
経過観察は、必要だが、今のところ問題はないそうだ。

精密検査の結果、白内障が「手術が必要なレベル」に達しているとわかった。
よく話し合って手術をするかどうか決めるように言われたという。

認知症でも問題なく手術や入院ができるのか確認して欲しいと伝える。

母は、手術後、目を守るためのルール(詳しくは知らないが、例えば、目をこすってはいけない等)を守れない可能性が高い。
一度は手術を納得しても、手術直前になって、何をするのか理解せず、拒否したり暴れたりする可能性もある。
環境の変化によってせん妄を起こすことも十分考えられる。
(腰椎圧迫骨折で手術、入院をした去年は、せん妄によって、夜中にベッドを乗り越えて落ちる、隣の人にコップを投げつける、便の付いたオムツを外して投げる等をした。)
今ならばまだできるかもしれない処置も、認知症状が進んだらまったく出来なくなるということもあるだろう。

ごく簡単な白内障の手術だけでも次々と問題点が思い浮かぶ。
将来、他の病気や圧迫骨折によって手術や入院が必要になる可能性も高い。
認知症になるということは、他の病気の治療も困難になるということなのか。

tag : 認知症 白内障の手術

「銀河鉄道の夜」から

昨日は、巨大地震の前に書いておいた記事を載せました。

3月11日以来、状況は、日々変わってきています。
亡くなられた方々、行方不明の方々、避難所生活を送る東北の方々、その方々の力になろうと働いている方々、自衛隊の方々、
原発事故の被害に遭われている方々、そこに留まって働いている方々、目に見えない数え切れないほど多くの苦しんでいる方々・・。
その方たちの気持ちを想像すると、私は、何を書けばいいのか、わからなくなります。

冷静であること。心を落ち着かせること。
自分にできることをしていくこと。
それが、今は、大事なのだと、自分に言い聞かせています。




  「銀河鉄道の夜」 宮沢賢治著

その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、

風や凍りつく湖水や、激しい寒さとたたかって、

だれかが一生けんめいはたらいている。

ぼくはそのひとにほんとうに気の毒で、

そしてすまないような気がする。

ほくはそのひとのさいわいのために

いったいどうしたらいいのだろう。

ジョバンニは首をたれて、すっかりふさぎ込んでしまいました。

「なにがしあわせかわからないです。

ほんとうにどんなつらいことでも、

それがただしいみちを進む中でのできごとなら、

峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」

(9.「ジョバンニの切符」より)




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母と父の今までの経過(病状と治療)

母(レビー)と父(ピック病)の今までの経過をごく簡単にまとめてみました。
新設カテゴリの中に入れておきます。
症状だけを書き出すと、悪いことの方が多いですね。
でもそんな中にも喜び合うこと、笑い合うこと、幸せを噛みしめることが多々ありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

母は、パーキンソン症状が、初期から強く出るタイプのレビー小体型認知症です。
5年以上、パーキンソン病と誤診されていました。

レビーには大きく2種類があると「レビー小体型認知症の介護がわかるガイドブック」(小阪憲司・羽田野政治著)P16に書かれています。

 *高齢(発症平均年齢70歳位)で記憶障害(もの忘れ)から始まるタイプ。
 (その内、約3割の人には、亡くなるまでパーキンソン症状が出ない。)

 *40歳位で80%がパーキンソン症状で始まるタイプ。


母は、この2つのタイプには当てはまりません。
「レビー小体型認知症の症状」には、すべて当てはまっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

父は、ピック病と診断されましたが、ピック病の典型例ではありません。
アルツハイマー病に近いと感じています。
ピック病の症状については、左下のカテゴリにある「ピック病について」を参考にして下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
注意:レビー小体型認知症は、薬に対する反応(効果・副作用)の個人差が非常に大きい
   のが特徴です。処方は、一人ひとり違います。

   詳細は「治療に関して介護家族ができること」を。

・・2005年11月・・母67才
母に出た様々な初期症状は、主に、小刻み歩行(パーキンソン症状)、時々頭の回転が極端に遅くなる(認知の変動)、幻覚(幻視)、抑うつ。それ以前から夜中に叫んだり暴れたりすること(レム睡眠障害)があった。
パーキンソン病と診断(誤診)される。

・・2009年年末まで・・母71才
母、要支援2。
通所リハビリで皆を明るくすることが生き甲斐。
頭の回転も動きも鈍化激しいが、なんとか家事をし家族3人で生活。
私の幻視を見て、初めて布団を敷く。(幻視を現実と判断して行動を起こし始める。

・・2010年1~2月・・
母、幻視を見て、話しかけたり、食事を作ろうとしたりすることが、どんどん増える。

・・2010年3月・・母71才
母、恐らく薬の飲み忘れによって寝込む、失禁する、頻繁に転倒を繰り返す。
幻視によって初めて錯乱状態になる。

・・2010年4月・・母71才
母、オムツをして寝たきりになる。
腰椎圧迫骨折がわかり、入院。大手術2回。
認知症症状が一気に進み、せん妄状態続く。

・・2010年5月(入院中)・・母71才、父74才
母、人事異動で主治医が変わり、初めてレビー小体型認知症と診断
幻視を減らすためと処方されたリスパダールで歩行困難になる。
感情失禁(泣いたり怒ったり。)激しい。

・・2010年6月(入院中)・・このブログを始める。
母、夜間せん妄でベッドから落ちたり、便の付いたオムツを投げたりする。
父の物忘れのひどさに初めて気付くが、ストレスによるものだろうと思う。

・・2010年7月(入院中)・・母71才、父74才
母、感情失禁。暴言物取られ妄想始まる。毎日家に帰るとごねる。
ケアマネに自宅介護は無理と言われ、施設を探し始める。
抑肝散を初めて処方され、幻視激減する。妄想も減る。
退院。自宅介護始まるが、夜間せん妄で介護者(父、私)眠れず。
父の物忘れ、さらにひどくなる。
(兄、薬の管理されず、倒れ、歯を折る。)

・・2010年8月・・母71才、父74才
母、新しい病院で初診。
アリセプト、ベンザリンなど初めて処方されるが、改善せず。
母、デイサービス、ショートステイ拒否。
夜間せん妄。感情失禁、便失禁ひどい。
腰椎圧迫骨折で再び2週間入院。
父、記憶障害、怒りっぽさ、猜疑心、判断力低下など異常。
父の認知症を確信。父、受診拒否。
27日、母、グループホームに入所
(兄、再び倒れ、鼻を折る。電話に初めて出る。ショートステイの日数伸ばす。)

・・2010月9月・・母72才、父74才
父、無口になる。ピック病と診断。父、拒絶。治療なし。
父、要支援2と認定される。支援拒否。
母、新しい病院で2度目の受診。
セロクエルを処方される。両親共フェルガード(サプリメント)飲み始める。
母、認知機能は上がるが、悲観的なことを言い家族を困らせる。
母、嫉妬妄想、感情失禁。
母、猿のぬいぐるみを生きた猿として可愛がり始める。

・・2010年10月・・母72才、父74才
母、訪問リハビリ開始。
再び主治医を変え、両親初診。
母、サアミオン、ニコリン、フェルガードを止める。
認知機能は落ちるが、精神的に落ち着く。
父、先月よりは落ち着くが、違和感は続く。

・・2010月11月・・母72才、父75才
母、セロクエルを止める。
フェルガードを再び飲み始める。
母、笑わない。父、さらに落ち着く。

・・2010月12月・・
母、抑うつ状態になる(特に夜間)。セロクエルを戻す。
父、さらに落ち着く。

・・2011年1月・・母72才、父75才
母、今までで一番頭が、しっかりしている。
母、フェルガードをフェルガードハーフに変える。
父も明るくなり、異常(怒りっぽさ等)を感じなくなる。
記憶障害、判断力の低下は変わらない。

・・2011年2月・・
母、抑うつ、興奮(攻撃性)出る。アリセプト2.5mgを1mgに減量。
多少改善された印象。
申し込んだ特養(特別養護老人ホーム)から順番が来たと連絡を受けるが、リハビリの問題などあり、色々調べた結果断る。

・・2011年3月・・私、地震の影響で帰省できず。
母、妄想ひどく、せん妄状態かと思われる時がある。
アリセプトは1mgのまま続行。
母の白内障、手術を勧められるレベルに。
母、腰椎圧迫骨折。母、葛藤の末、寝たきりになる。

・・2011年4月・・子供と帰省
母、腰椎圧迫骨折の痛みが治まると精神的に落ち着く。
認知機能落ち、自分がどこに居るのかわからなくなる。
幻視、妄想はひどいが、抑うつ症状と感情失禁はなくなり穏やかになる。
薬はそのまま。
父、2度目の介護認定調査。支援2のまま。1晩に風呂に2回入る。

・・2011年5月・・
母、認知機能大きく落ち、自分の状態がわからなくなる。
波が大きいが、先月よりは落ち着いている時が多い(?)。
幻視、妄想ひどくなる。頑固にもなる。
夜はなぜか眠るようになる。
薬、そのまま。

・・2011年6月・・
グループホームでは、入浴できないため、もう衛生を保てないと言われる。
母、さらに認知機能落ち、会話が難しくなってくる。
一口大に切った普通食を全介助で完食し、夜も眠るが幻視、妄想さらにひどい。
飲み込みは悪くない。
薬、そのまま。

・・2011年7月・・
特養入所。3が月ぶりに入浴再開。
訪問リハビリなくなる。
要介護5に認定。
ドロドロの刻み食を嫌い、一時、飲食、服薬の拒否。
特養の主治医からは、パーキンソンの末期と言われる。
認知機能さらに落ち、波が激しいが、
「もう何もできなくなった。私のために何もしてくれなくていい」
と言う時もある。

*ここで書く気力を失い、そのままになってしまっていました。
母は、その後、要介護4に回復。(イスにつかまって自力で5秒程度立つまでに)
嚥下障害もなく、車いすに座って、介助なしで食事をしています。

2013年、すっかり落ち着き、認知機能も回復し、私とは、普通に会話ができるようになりました。
薬を飲んだからではなく、むしろ更に薬を減らしたこと、環境に慣れたこと、特養のスタッフの努力、父も対応がうまくなったこと等の理由が考えられます。

睡眠薬(睡眠導入剤)を止めてからは、手の動きがとても良くなり、明るくなりました。
目立たなかった記憶障害は、少しづつ進んでいますが、いつも家族を気使い、労い、病前のままの優しい母に戻りました。

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tag : レビー小体型認知症 ピック病 認知症 症状 せん妄 リスパダール フェルガード

「しなう心」心を支える詩

昨日(23日)は、2週間振りにヨガのクラスがあった。
(先週は、計画停電による電車の遅れなどで中止。)

疲れていたが、行けば心身の疲れが取れることを知っているので行った。

最初にインストラクターが、地震後に体調の変化があるかと全員に訊いた。
「よく眠れない」「疲労感が強い」「風邪が治らない」「余震の度にひどく緊張する」等々、次々と出てくる。
「地震直後から過呼吸を起こすようになった」という人も居た。

東北の被災者の方々の苦しみを思えば、誰も何も言えない。普段は黙っている。
しかし関東でもストレスの影響が出ている人は、相当数居るのだとあらためて思った。

地震のあった地域だけではない。
日本中の人が、心に痛みを抱えている。



    し な う 心

  苦痛のはげしい時こそ

  しなやかな心を失うまい

  やわらかにしなう心である

  ふりつむ雪の重さを静かに受け取り

  軟らかく身を撓(たわ)めつつ

  春を待つ細い竹のしなやかさを思い浮かべて

  じっと苦しみに耐えてみよう                           


(「詩集 病者・花」細川宏遺稿集。
  著者は、胃がんのため44才で亡くなった医学部教授)

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ねじばな(もじずり)
芝生などの間にひっそりと咲く。




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しば

帰省キャンセル 母の診察

22日から子供と帰省するよう割引切符を買ってあった。
子供が行ける機会は少なく、どうしても会わせたいという気持ちがあった。
当日まで考えた末、昨日(22日)キャンセルしてきた。
まだ生活への地震の影響が大きいからだ。
19日にJTBに問い合わせた時は、キャンセル料なしの特別措置は22日までの分と説明されていたが、26日の分まで措置が拡大されていた。


母の月1回の診察に備えて、グループホームに電話をし、詳しい病状を訊く。
施設長は、先月と今月を比べても変化はないと言う。
アリセプトを減らしても認知機能の低下は、見られない。
抑うつ状態の時もあるが、涙を流すことはない。
状態には、常に大きな波があり、冗談を言って皆を笑わせる時もある。
「抑うつや興奮などの症状は、職員の接し方で解決したい。薬をどんどん増やすことは、なるべく避けたい」と言われる。

昨日、妹と電話で話すと、母は、腰をとても痛がって座っているのも苦しそうだという。
母のもろくなった骨は、何もしなくても徐々に潰れていくと医師から言われている。
腰痛はあって当たり前なので、悪い方、悪い方に考えないように伝える。


妹が、今日(23日)、母を診察に連れて行ってくれた。
今日は、腰痛が消えていた。
薬は、先月と同じになったという。(アリセプト1mgのまま)

主治医は、母の体の動きが悪いので、できればパーキンソン症状を緩和する薬を増やしたいと言った。
しかし腰痛があって動く事がないのなら、妄想を増やすだけになると変更はなかった。


母を病院に連れて行けなかった23日早朝、私は、子供が外出先で怪我をしたという電話を受けて、7:10amに車で家を出た。
病院で4時間を過ごし、午後子供と帰宅した。
仕事が休みで良かった。
心配するような怪我ではなかったが、当分、歩くのに不自由するだろう。

病院では、計画停電になると電子カルテも見られないのだと聞いた。
病院まで片道50分かかったが、途中の多くのガソリンスタンドは、閉店していた。
地震の爪痕が、見られないことに驚く。同じ市内なのに・・。
私の住む周辺は、道路・歩道などの破損がひどい。

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(その他の写真はこちらを)

tag : アリセプト パーキンソン症状

東京電力の電力使用状況

東京電力電力使用状況が、ヤフーのトップページに出るようになりました。

今日22日9時現在で、使用量、99%。

更なる節電を一緒に頑張りましょう!!

しば

追記:東京電力の電力供給能力は、(1960年頃の日本、現在のマレーシアの全電力供給能力に相当する)2100万kWが欠落。
供給能力は、約5200万kWから約3100万kWに、約4割減りました。
この結果、この時期のピーク時の想定需要量4100万kWに対して、約1000万kWの大幅な供給力不足が発生しました。
(資源エネルギー庁発表)

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tag : 東京電力 電力使用状況

支援物資を送ることの問題点

一昨日は、『何かしたい!』という気持ちに駆り立てられて支援物資を送る活動をご紹介しました。
活動は、支援したいです。
しかしやみくもに、深い配慮なく送られれば、先方も仕分けばかりに時間が取られたり、余計なご苦労をおかけすることにもなるでしょう。
個人が、ほんの少しの支援物資を送ることでガソリン不足や交通渋滞などの問題を悪化させる可能性もあります。
呼びかけておいて、本当に恐縮ですが、支援物資を送られる場合は、是非ご配慮をお願い致します。

しば

追記:支援物資を送ることについてもらった友人のメールを以下にご紹介します。

物資を送ることについて、なかなか難しい面があると思います。
宅配ルートをむやみに使っていいものか?という疑問が一番先に浮かびました。

同じ物ばかり届いて、本当に必要な物が無いという話は、送り手にとって手に入りやすい物、無かったら大変だろうと共感する物が偏る結果かとも思います。またそれが買い占めにも繋がってしまうと思います。
物資は有り余るほど集まっているのに、それを運ぶ手段、仕分けの大変さ、配布のルールが問題になっていることは地震が起こってからずっと言われ続け、「物は送らないで」とまで報道されていることに納得してしまいます。

全ては《人手が足りない》ことに原因があるのでしょう。
日本青年国際交流機構(IYOE)本部では義援金を募り、それをボランティアの派遣費用に使うそうです。IYEOには訓練されたメンバーが沢山いると思うので、現地で役立つ人材を送り込んでくれることを期待しています。

我が家では仮設住宅建設に従事している仲間のサポートという形で協力していきたいと思います。たぶん夫も現地に行くでしょう。
私に今できることは、節電、買い控えと、夫が安心して仕事が出来るように家庭を守ることかもしれません。
子供は今日、学校で義援金集めです。次代を担う若者が、この震災をきっかけに、「共に生きる」とはどういうことかを考えてくれれば、震災前よりいい日本に生まれ変わるチャンスかもと思います。

実際に被災された方々の困窮状態は理解していますし、見捨てるつもりもありません。
何とぞ踏ん張って生きてください。
直接の被害に遭わなかった我々にも、これから違う形でじわじわと震災の痛みがやってきます。みんなが痛みを分かち合い、やっぱり日本はすごいと世界に証明できる日を信じて頑張りましょう!




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ふるさとを津波で失うということ

今日(2011年3月21日)の日本経済新聞文化欄に芥川賞作家の辺見庸(へんみよう)が「置きざりにされた記憶」というエッセイを書いていた。
辺見庸は、石巻市南浜町で育ち、テレビでそこが津波に飲まれる様子を見た。

避難所で生活されるお1人おひとり、全国に散らばった数多くの方々が、同じ想いでいらっしゃるのだと想像する。

エッセイの一部をご紹介させて頂く。
言葉にならない悲しみを表現した美術、音楽、文章は、悲しみを癒す力があるから。



「置きざりにされた記憶」辺見庸

と、海がもりもりともりあがり、全身をおもいきり広げて陸へとむかい、息つぐまもなく、南浜町がCG映像みたいに怒とうの下になってきえた。
わたしの家があったあたりはみつけるまえに海になっていた。
あーっと叫ぼうとしたのだが、喉がつまって声がでない。(略)
泣こうとしたが、栓がつまったようにやはり声がでない。
身もだえしたら栓がぬけて、からだのいちばん奥底から、声というよりからだの音が、ウォーッと口からふきでてきた。
泣いたのではない。
喉より上でさめざめと泣くのではなく、悲しみと苦しみを臓腑ごとたばねて音にしたこれは「哭」の声だ。
海なりの底に無数の哭の声がしずんだ。
記憶が津波にさらわれそうになった。
いや、若い日の記憶のあかしがごそっとさらわれて、記憶そのものはひとりとりのこされたのだった。
そうなると、ひとは悲しみをひきとる器がなくなって狂おしくなる。


(原文通りの表記だが、原文に改行はない。)

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tag : 辺見庸 津波

救援物資を送りたい!

昨日(19日)からこの地域でも役所が救援物資を集め始めた。
調べてみると物品がごく限られていて、新品(袋を破っていないもの)以外受け付けない。
我が家から提供できるものが、何もない。
それなら東京都に送ろうと思い、調べると都内の住民からしか受け付けていない。
もどかしい。
既に募金はしたが、何か、何でもいいからできることをしたい。

今日、友人からメールが来た。
内閣府主催の「世界青年の船」の参加者小原さん(岩手県花巻市在住)が救援物資を集めている。

ご協力頂ける方は、非公開コメントをクリックして、私宛にメールアドレスを知らせて下さい。
(コメントは、ブログには公開されず、私だけが読む事ができます。)
救援物資の送り先をメールで送らせて頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。

(ご面倒だと思いますが、小原さんの個人情報を守りたいと思います。)

以下、小原さんからのメールのコピーです。
勝手ながら文章の順番を変え、集めている物資を上にしました。
詳細は、その下を読んで下さい。

しば
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記(22日に来た小原さんからのメール)
ありがとうございます!
ヤマトと佐川は「営業所止め」で受取可能です。
仲間と受取に行くことが出来ます。
既にヤマトを利用して発送手続きをされた方より、「受取の際には伝票番号を提示することが必要」との情報がありますので、お手数ですが、発送手続きを終えられましたら次の点をお知らせ頂きますよう、お願いいたします。

1)宅配会社名
2)発送手続き期日
3)伝票番号
4)届け先営業所名(あるいはコード番号)

以上4点です。
ご支援、ご協力頂きまして、心から感謝しております。
どうぞよろしくお願いいたします。 小原

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(20日に書き込み)
受入期日:4月4日消印有効。
発送について期日を設けたいと思います。どれくらいのご支援をいただけるか分からないのですが、物資を送付下さる方は、4月4日の消印まで有効とし、一度、受入状態の整理と必要物資を再検討したいと思います。

(1)衛生1
石鹸、歯ブラシ、歯磨き粉、タオル、洗濯洗剤、台所洗剤、ビニール手袋、雑巾、小型ほうきと塵取り
(2)衛生2
生理用品(ナプキン、生理用ショーツ)、ベビーおむつ、ベビーおしり拭き
(3)衛生3
介護用品(介護用おむつ、大人用おしり拭き、など)
(4)衣料1
下着(シャツ、パンツ、靴下、下ズボン)
(5)衣料2
大人用衣服
(6)衣料4
乳幼児衣料
(7)衣料5
子供衣料
(8)赤ちゃん用品
お世話に必要な物全般(ベビー綿棒、爪きり、哺乳瓶、粉ミルク、母乳パット、ガーゼ、除菌シート、湯温計、体温計等)
(9)調理器具
フライパン、鍋、フライ返し、菜箸、ひしゃく、ボール、大小様々なザル
(10)調味料
味噌、醤油、塩、砂糖、胡椒、調理用油
(11)食器
茶碗、汁椀、大小様々な皿、スプーン、フォーク
(12)食料
乾麺(ラーメン、蕎麦、うどん、ラーメン、など)、米、高野豆腐、焼き海苔)
(13)生活用ペーパー類
トイレットペーパー、ポケットティッシュ、ティッシュ、ウェットティッシュ

送付方法:
上記の中で調達出来る物資を検討し調達願います。
項目の物資を数多く調達出来る場合は、同じ箱にまとめてご送付願います。その際、送付伝票の内容欄に、上記(1)から(13)を明記して下さい。
上記物資の限られた項目を同じ箱でご送付頂く場合は、内容欄に該当項目番号を明記して下さい。
上記物資を少しずつご寄付頂く場合は、内容欄に(14)とご記入下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご存知の通り、非常に広い範囲で被害があり、どこでも大変な状態です。支援にも様々な性格や目的、対象があることと、被災から1週間が経ち、次の段階へと支援活動が移行する時期でもあります。私が責任を持って実施可能な支援活動を開始出来る状態になったことから、皆様にご支援を賜りますよう具体的な提案をしたいと考え、この度このようなメッセージを送信するに至っております。

<支援策>
支援を絞って出来るところをやって行きたいと思います。宅配便サービスが再開したことを踏まえ、皆さんが対応する時間、宅配に必要な時間、及びこちらでの作業時間を考慮しました。

第一に、物資支援として支援物資の受入と分類作業。特にも、仮設住宅やアパートでの生活が開始した際の物資の支援に着目します。 (18日に釜石市を訪ねた際、仮設住宅申し込みが始まり、早ければ3月中にも入居可能という説明があったということでした。)
第二に、物資の配達。有効な手段を都度判断し、自治体、支援団体、ボランティア仲間などで協力して避難者の手に渡るように運搬します。
第三に、仮の住まいが決まるまでの間、入浴可能な施設等へ避難者をご案内すること。
場合によっては、我が家に一泊してもらうこと。しかし、残念ながら、この活動は我が家の自家用車のガソリンが確保出来なければ実現しません。

対象地:私の自宅から最寄である、岩手県釜石市、大槌町、大船渡市とその近隣地域

皆さんにご協力をお願いしたいのは、物資支援です。次の物資の支援を受け入れたいと思いますので、ご協力できる方はぜひ以下をご覧下さい。これらは、18日に釜石市と大船渡市在住の友人とその家族の安否を確認に行った際、今後必要になるだろうと思われた物資です。もちろん、以下の物資には今すぐにでも必要な物資とそれを必要としている方々がいると思います。臨機応変にニーズに対応したいと思います。対象地域についても同様です。分類や避難者の方々への配布を可能な限り円滑に行うために、次のとおり項目ごとにまとめました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上の支援を、特にも3番目の支援については、「バイオディーゼルアドベンチャー」と一緒に展開して行きたいと考えています。バイオディーゼルアドベンチャーは、廃油を利用して走行するバイオディーゼル車で今回の大震災被災地への支援を開始している素晴らしいグループです。友人から紹介してもらった頼もしい仲間です。彼らのホームページにも、この度の被災地での様子などが掲載されていますので、http://biodieseladventure.com/japanese/menu/profile.html の、「周生のブログ」をご覧下さい。毎日、被災地へ通って感じたり見聞したことを丁寧に説明しています。彼なりに必要と考えられている物資も挙げられています。
また、一緒に活動していけそうな仲間も集まって来ています。ホームページを作っている方も居ますので、ここに紹介します。

自然農園ウレシパモシリ http://ureshipa.com/index.html 
やえはた自然農園 http://yaehata.com/
エコールグロッセ http://www.grosse.co.jp/ecole/index.html
私の夫 アニアス・ワイルダー http://www.aeneaswilder.co.uk 特に被災地関係情報
(英語)は http://www.aeneaswilder.co.uk/writingsIwateQ.html

皆様のご意見やご提案も歓迎いたします。
以上の他には、託児用のおもちゃを届ける予定ですが、おもちゃはこの辺でも結構集まると思いますので、ひとまず少し様子を見ようと思います。
ご協力いただける方は、無理の無い範囲でご協力頂きますよう、どうぞよろしくお願いします。

小原○○○




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しば

東北関東大震災 その後の関東(4)昔に戻る 不眠不休で働く人々

今日(19日)も震度4の地震。(茨木震度5)
家族全員、震度を正確に言い当てるようになった。

震度4と震度5強の差は、とても大きい。同じ災害とは思えないほど。
同様に震度5と震度6、震度6と震度7には、格差があるのだろうか?


数日前のスーパーを見て安心し、午後から買い物に出掛けると、また空の棚が目立った。

今まで書かなかったが、ガソリンスタンドもすぐ売り切れて店を閉める状態。
街から車が激減し、自転車が増えている。

液状化現象で噴き出した泥は、中々取り切れず、車が通ると砂ボコリでもうもうとなる。
子供の頃、舗装していないデコボコの道を車が通った時、こんな風になったことを思い出す。

補修工事は、さらに進んだ。
壊れた所にアスファルトを塗るだけで、美観無視だが、少なくともつまずいて転ぶ事はない。


近所の人が、飼い猫にキャットフードを与えることを止めて、残飯に切り替えたと言った。
「昔は、皆、そうだったんだものね。昔に戻ればいいのよね」

ソニーのストリンガー会長が、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿。
「日本人には、不屈の精神がある」と指摘したと19日の日経夕刊に書いてあった。
私たちの親の世代は、見渡す限りの焼け野原から立ち直った。
私たち昭和30年代生まれは、日本の貧しさを覚えていると何かで読んだ。
「不屈の精神」は、貧しさの記憶から生まれるのではないだろうか。


テレビでは、17~18日位まで避難所に救援物資が届かないことばかりを放送していた。
しかしその時、既に自衛隊が、衝突の危険のある夜間でもヘリコプターで食料等の物資を投下していたと関係者から直接聞いた。
そうした努力は一切放送されずに、足りない部分だけを強調し、批判を煽るような報道がやり切れないという。

今、この瞬間も、被災者のために命を削って、不眠不休で仕事をしている人が、いったいどれだけいるのだろう。
その人たちを心配し、心を痛めている家族も・・。

私の住む地域の被害の写真はこちらを。



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しば

発達障害、知的障害を持つ人と地震

<その後の関東>
17日には、スーパーなどはほぼ正常に戻っている。
牛乳2点、米1点、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、生理用品、カイロ、各1点などの購入制限はある。
江戸川区のスーパーには何もないと聞き、親戚に18日に食料品を送るという話を聞いた。

18日、地割れの幅が広がっている所をいくつか見る。
地震後は、1cmくらいだったものが、今朝になって2cmくらいに広がっている。
(19日に計ったら3cmだった。その数メートル先の地割れは、7cm幅になっていた。)
昨日までなかった陥没(わずかだが2畳くらいの広さでへこんでいる。)も1カ所で見た。
弱くなった地盤に、16、17日と続いた震度4の地震の影響か?
今日も震度3の地震が続いている。

私の幻の揺れ(錯覚或はめまい)は、17日をピークに減り始めた。
これ以上ひどくなったら日常生活に支障をきたすと思っていた。

被災地には、一刻も早く救援物資が届くことをひたすら祈っている。
我が家からも提供できる物は、提供したい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

近くに住む知人のお子さん(20代)は、高機能広汎性発達障害という障害を持っている。
知的障害はなく、学校の成績にも問題はなかったが、コミュニケーションなどに障害がある。

知人の話では、気温や季節に合った服を選ぶことができない。
「召し上がれ」と目の前にさし出してあげない限り一日中まったく何も食べない。
様々な生活上の問題があるという。

地震の後、お子さんは、強い不安感に苛まれ続け、生まれて初めて過呼吸の発作を起こしたという。
不眠にもなっていたが、「何も言わないから何もわからなかった」と知人はいう。
お子さんは、仕事にも行けなくなり、一人にして置けないので、知人も仕事を休んでいる。

知的障害の兄が震度5強の地震を経験しても、間違いなくパニックになるだろう。
(繰り返すが、知人のお子さんには、知的障害は、まったくない。)
ひっきりなしの余震のたびに極度に怖がり、叫び出すかも知れない。

昨日、認知症患者、うつ病患者、うつ病の緩解期(症状が消えている状態)の人への地震の影響について触れた。
障害を持つ大勢の人もまた苦しんでいるのだと思う。


追記:2011年4月11日。「発達障害に気づかない大人たち」(星野仁彦著。祥伝社新書)は、様々な発達障害の特徴、対応、その優れた能力の生かし方などを書いたとてもわかりやすい良書です。



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tag : 発達障害 知的障害 うつ病 認知症

母、せん妄? 認知症患者・うつ病患者と巨大地震

父が、グループホームから携帯で電話をしてきた。
(母の声を聞かせて欲しいと何度も頼んできたが、これが初めて。)

父「お母さん、調子良くないけど、お前の声が聞きたいって言ってな」
(父よりも母の方が記憶が確かなので、母にも「父に頼んで電話して」と帰省のたびに伝えてあった。)

母「(泣き声)大丈夫?大変だったねぇ。ひどいことになっちゃったねぇ」
私「大丈夫だよ。全然被害もないよ。みんな、元気。心配して悲しくなっちゃったの?」
母「悲しくなるよ。心配も心配だし。お父さん、家に帰って来ちゃだめって言うし」
私「困ったねぇ・・(他に言葉がない)」

父「一周忌の時は、普通だったのになぁ!今日は、真っすぐ座ってられないし、全然ダメ
  だぁ!」
私「優しくしてあげないとダメだよ。叱ったり、怒っちゃだめだよ」
父「・・あぁ・・・」

父は、困惑している。
なぜ家に連れて帰ってくれないのだと、泣きながら訴えられると父には、なす術がない。
母は、一晩中起きている。付き添いは、徹夜になる。
それは辛いことなのだということが、母にはどうしても理解できない。

妹からの連絡では、この日、母は、1日不穏だったようだ。
言うことの9割は、妄想や訳のわからないこと。
いつもならリハビリの時間も覚えているのに、何時間も前から「まだ来ない」と心配し、リハビリの先生の名前を叫んだりしたという。
「ほら、あの屋根の上にライオンがいっぱいいるでしょ?動物がいっぱい乗ったバスが、そこに停まってるから、私も乗って行かなきゃいけないの」
圧迫骨折で入院した時(2010年の夏)のせん妄状態に近い。

妹「アリセプトを減らしたせいかな?」
ネットで調べるが、アリセプト減量でせん妄になるとはどこにも書いていない。
わからない。

素人の推測でしかないが、被災地の惨状をテレビで見ると、認知症患者は、健康な人間よりも大きな精神的ダメージを受けるのかも知れない。
認知症に似た脳の変化を起こすうつ病患者にも同様のことが起こるのではないかと思う。
認知症患者、うつ病患者うつ病の再発経験のある人(私も含まれる。)は、あの悲惨な映像を見てはいけないのかも知れない。

追記:2011年4月15日の日経新聞夕刊に精神科医の大野裕氏、重村淳氏が共に津波の映像を繰り返し見ることの精神への危険性を書いている。子供、女性、高齢者、障害者など社会的弱者がPTSDを起こしやすいともある。「テレビを見る時間を最小限に抑え、意識的に腹式呼吸をするなどし、ストレスを和らげて欲しい」と重村氏。

tag : せん妄 不穏 認知症 うつ病

東北関東大震災 その後の関東(3)

今日(16日)イヌノフグリが一面に咲いていることに初めて気が付いた。
春を告げる小さな可憐な花だ。
こんな大惨事が起こっても、季節は移り、花は咲くのか・・。

昨日(15日)は、やっと朝から買い物に行けたので9時半から行列に並んで(10時開店。)地震後初めて牛乳、パン、玉子、豆腐、納豆などが買えた。
3日間毎日(夕方)買いに行っても買えなかったのでほっとする。
懐中電灯、電池などはなく、入荷も未定。
家にある懐中電灯は使えない。
(毎日停電の準備をしているが、まだ計画停電からは免れている。予定時間になっても電気が消えないので、初めて免れたことがわかる。)

一転して今日(16日)は、午前11時頃スーパーに行ったが、商品は豊富にあり、買い物客も落ち着いていた。
昨日のような逼迫感、ヒステリックな感じは、もうない。
牛乳、米、玉子などは、1人1つと購入制限があるが、あるだけいい。
役所の車が「冷静になり、買いだめはやめましょう」と言って回っていた。

断水は、16日でも続いている所があるようで公園から水を運んでいる人達を見る。

陥没による段差のひどい所(自転車を下りなければ通れない。)は、とりあえず補修工事がされていた。

22日から帰省する予定で新幹線の割引切符を買ってあるが、どうするか迷っている。
JTBに電話をすると22日までの分は、キャンセル料がかからない特別措置が取られたと言う。

今日も震度4の地震があったが、少し揺れているとしか感じない自分に驚く。
(この地震の影響で、携帯電話がつながりにくくなっている。)
一々報道されないが、震度3程度の余震は、(減ってはいるが)まだかなりの数ある。
一日中感じる幻の揺れ(めまい?)は、ひどくなっている。

子供は、一人暮らしで落ち込んでいる友人が心配だからと都心に出掛けて行った。
私のことも心配してくれている。
そんなに辛いならテレビを見るなと言い、何かしたいなら募金をすればいいと言う。
(既にネット募金はしてある。)
「気持ちが落ち着くから」と昨日も今日もハグしてくれた。
8年振り(私の記憶では。)に抱きしめる子供は、驚く程大きい。

コメントに「一日中ずっと震災のニュースを見続けると、その悲惨な状況にうつ状態になるので、見つづけないように」と精神科医が言っているとあった。
避難所生活を送っているわけもない人間が、うつ状態になっていては、申し訳ない。
気を付けて、心身の健康を保たなければいけない。

私の住む地域の被害の写真はこちらを)


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東北関東大震災 その後の関東(2)14日

今日(15日)東北で4日振りに2人が発見、救出されるというニュースが流れました。
『良かった!』と心から思う半面、『たった2人。後の1万人以上の人は?』と思ってしまいました。
助かった方々も食べ物、水、毛布、薬、何もかもが足りないと伝えられていて、たまらない気持ちになります。
原発も日々不安が高まっています。
3月15日

以下、私の住む関東の都市の様子です。(写真はこちらを)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今朝(14日)、近所の公園の水道から水を取っている大勢の人を見た。
同じ町内でも断水している地域があるということを初めて知った。

地震後初めて駅の反対側に行くと駅前広場の石畳が滅茶苦茶になっていた。
○○小学校前の道路が隆起しているとか、○○の地割れの段差が激しいなど、色々な話を聞くようになった。

近くのマンションの11階と12階に住んでいる友人と会うと、それぞれ全ての食器が壊れたと言っていた。
食器棚の物がすべて飛び出したという。
壁に掛けた額もすべて落ち、テレビも倒れた。
部屋中にガラスや陶器の破片が散らばり、足の踏み場もないという。
同じ町でも被害の大きさにこれ程の格差があることを初めて知る。

今日は、ショベルカーが出て、道路の堆積した泥(液状化現象で出た。)を取り除いていた。
荷台一杯に泥を積んだトラックが走っていくのも見た。

停電初日(実際にはなかった。)と電車運休の影響は、大きい。
家族は、就職試験、バイトに行くことをそれぞれ諦めた。
職場に一泊して仕事をしている夫は、再び帰宅ができなかった。

スーパーに殺到する人は、益々増えた。狂気を感じる。
石油ショックのトイレットペーパー騒動を思い出す。

開店前からもの凄い行列ができ、店に入るには入場制限がされている。
早朝から並んだ多くの人が、大きな袋に2つ、3つと買って行く。
そして、あっと言う間に売り切れる。

地震以後、夕方にしか買い物に行けない私の目の前に広がるのは、空っぽの棚ばかりだ。
地震発生以来、パンも牛乳も豆腐も玉子も懐中電灯用の乾電池も買えない。
友人(北京出身)は、ろうそく、マッチ、ライター、懐中電灯も買えず、停電になっても明かりを取る方法がまったくないと言っていた。

今まで停電など一度もなかったので、停電になると水道が止まるのかどうかもわからない。
(マンションは、停電によって水道が止まると言われている。)
風呂は、電気で動くパネルでコントロールしているので、使えなくなるのは、確かだ。

追記;停電になると断水すると確認した。
   植木に散水するための栓と洗車用の栓が、3月25日でも断水している。
   配管の破損と説明された。



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巨大地震 その後の関東(1)

救助を待っている多くの方々の所に一刻も早く救助隊が到着することを願っています。
1人でも多くの方の命が救われますように!
被災された方々にも食べ物と毛布が、早く届きますように!
3月13日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

テレビでは、関東のニュースは、帰宅難民のこと以外、見ていない。
関東は、被害は小さかったが、その後の生活への影響は、色々ある。

今日、友人と話すと隣の駅では、13日もまだ断水が続いているという。

我が家(マンションの低い階)では、物の落下の被害は、皿10枚だったが、高い階は、かなりたくさんの物が落ちたと聞いた。

スーパーには、客が殺到していて、昨日、今日と夕方行ったが、空の棚があるだけだった。
パンも牛乳も豆腐も納豆もトイレットペーパーもティッシュも全くない。

カップラーメンやバナナや無洗米などすぐ食べられるようなものもなくなっている。
2軒回ったが、同じ状態。他の客から「どこも同じだ」と聞いて諦めて帰って来た。
イトーヨーカドーでは、どのレジでも30人以上並んでいたとか、開店前にもの凄い行列ができていたと友人から聞いた。
食料を買い貯めしている人が大勢いる。

道には、地割れであちこち段差ができていて、つまずいて転びやすい。
自転車を降りて引っぱり上げなければいけないほどの段差がある所もある。

救急車は、1日中サイレンの音を響かせている。(理由はわからない。)

震度1~3の余震は、一日中ひっきりなしにある。
乗り物に酔いやすい家族は、昨日(12日)まで「酔った。気持ちが悪い」と言っていた。
私も地震のない時でも常に揺れを感じている。一種のめまいか。
友人も同じだと言っていた。

液状化現象で噴き出た泥は、乾いて粉のようになり、車が通る度に舞い上がってもうもうとしている。目が痛い。

避難所で大変な生活をされている方々、まだ救出されずに飲まず食わずで耐えている方々のことを思うと、自分は何と恵まれていることかと申し訳ない気持ちになる。
それでもこれが、かつて経験したことのない不便な生活であることも事実だ。
それがまったく報道されることがないということも何だか不思議な気がする。
教訓として次に生かされれば良いと思う。

今朝(14日)起きて、もうすぐ停電だと知る。
東京電力のサイトを見ても、この町は2つのグループに分かれていて、私の家がどちらのグループに入るのかは不明。
一方のグループならあと数分で停電する。

(被害の写真はこちらを)



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伯父の一周忌 地震

3月12日
地震の被害の深刻さが、次々と明らかになってきました。
テレビを見ていると呆然とし、本当に辛くなります。
被災された方々に一日も早く平穏な日が来ることをひたすら祈るのみです。
3月13日
今朝起きて、テレビで海岸線の街の様子を見て、涙が止まりません。
ブログなど書いている場合ではないと思いました。
更新すべきかどうか迷ったのですが、昨日書いたものをアップすることにしました。
こんな悲劇の時に、そぐわない内容ですが、お許し下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両親と兄は、12日、伯父(母の兄)の1周忌の法事に出た。
父「手押し車を買って、それで行ったんだ~」
また歩行器を買ったのか(4台目?)と思ったが、話しているとどうも小型の車椅子を買ったようだ。(父の説明は、とてもわかりにくい。)
「具合いいぞ~。新品で4千円だ~!」(リサイクルショップで購入)
父は、上機嫌だ。
母も調子が良く、親戚と会って楽しそうだったという。

父は、昨日から何度も同じセリフを繰り返す。
父「こっちは、ほとんど揺れんぞ~。全然問題ない。大丈夫だ~」
私「そっちは揺れてないんだから大丈夫に決まってるでしょ!大丈夫じゃないのはこっちなの!」
思わず声が大きくなる。
地震がどこで起こったのか理解しているとは思えない。
私「こっちは震度5強で、道路もベコベコで、液状化現象で泥だらけなの!」
(正確には、「歩道が波打ち、泥が堆積している所が随所にある」)
父「そうかぁ?大丈夫かぁ?」
私「大丈夫!水、絶対、買っとかないとダメだよ!食料も!」
父「何とかなるだろ」
私「何ともならないんだってばっ!!」

立場が逆でなくて良かったと思う。
実家に大地震が来ていたら、心配で居ても立っても居られないだろう。
駆けつけたくても新幹線も動かないはずだ。
携帯メールもネットも使えない父の安否確認は、容易ではない。

2011年3月11日の巨大地震(1)

信じられないような大災害が起こってしまいました。
今、助けを求められている方々が一刻も早く救出されますように・・・!!
被災された方々が、一日も早く普通の生活に戻れますように・・・!!
被害が最小に収まりますよう心からお祈りしています。


関東の私の住む場所も震度5強の揺れでした。
ゴーっという新幹線が通る時のような轟音が聞こえた直後に激しく揺れました。
立っているとよろける位の揺れが長く続きました。
スーパーに居たのですが、ワインの瓶、ビールの缶などが散乱し、通路はワインの海でした。
外では地面が何十センチも持ち上がり、泥水が吹き出しました。
液状化現象です。
あちこちで地割れも起きました。

家の中も滅茶苦茶になっているだろうと思って帰ると、大したことはありませんでした。
お皿が10枚割れたくらい。
自宅に居た子供(成人)が、倒れそうになった食器棚を押さえてくれたためです。
昨日は、水道、ガスが止まりましたが、今朝から復旧しています。

自宅に辿り着いて、まず心配しているだろう実家に電話をすると、何度もかけてやっとつながり
父「おぅ。こっちは、ほとんど揺れてんぞ~。そっちはどうだ~?」
関東地方への危機感は、ゼロでした。

下は、近所の写真です。(追記:浦安市ではありません。)
クリックすると大きくなります。
すべての場所がそうではないのですが、この一角は、特に液状化現象がひどく、泥水が大量に噴出したようです。
町民が、皆、出て、泥の撤去作業をしています。

P1010904.jpg
液状化で噴き出した泥に埋まった車と自転車。

P1010908.jpg
自転車のサドルの高さまで泥が。

P1010877.jpg
地割れから液状化した泥が大量に流れ出ています。

P1020241.jpg
これは隣の街。マンホールは、ほとんどすべて隆起。
ここは、1mくらい持ち上がっています。

P1020217.jpg
隣の街。石畳の歩道は、あちこち破損がひどいです。

(その他の写真はこちらを)



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tag : 液状化現象 地震 マンホール

更年期障害のホルモン補充療法 その3

更年期障害ホルモン補充療法を2010年11月から続けている。(経過はこちら)

最初に黄体ホルモン(錠剤)を飲み始めた時、不眠、胸の張りなどが出た。
黄体ホルモン(朝夕。12日間)を飲み終えると翌日からよく眠れるようになった。
胸の張りも一晩でなくなり、サイズも形も変わった。
飲み終えると1日半~3日で生理が始まる。

2回目(開始時期は自分で決められる。)に黄体ホルモンを飲んだ時には、不眠も胸の張りも全くなかった。
問題が起こったのは、最初だけだった。
医師が言ったように体が慣れたのかも知れない。
この時から2ヶ月分の薬(エストロゲンのパッチと黄体ホルモン錠剤)が処方された。

何事もなく過ごしていると治療の効果も意識しなくなる。
しかしエストロゲンのパッチを交換し忘れると、すぐにわかる。
真冬だというのに夜中に汗びっしょりになって、暑さで目を覚ます。
元々夏でも汗をかかない体質なのにパジャマを着替えなければいけない程の汗が出る。
パッチがなければ、これを毎晩繰り返しているのかと思うとぞっとする。

黄体ホルモンを飲み忘れないようにするには、努力がいる。
どこか具合が悪ければ、意識できるだろうが、何の不具合も感じていないので、つい飲み忘れる。
食後数時間後にメモを見て慌てて飲むことがよくある。
これを飲み忘れると不正出血を起こすという。

エストロゲンのパッチを貼り始めてしばらくした頃は、顔の肌の状態がとても良くなったと感じた。
美容効果のためにホルモン補充をする人もいるとネットで読んだが、美肌効果は、長くは続かなかった。

客観的な評価はしにくいが、物忘れで失敗することも減った気がする。
買ったものをどこかに置き忘れてくるとか、駐車場で車が見つからないとかいうことが、以前は、繰り返しあったが、今はない。
認知症と間違うような記憶障害は、ストレスがかかるとぶり返すうつ病の症状でもある。
うつ病の場合は、物忘れの自覚があり、それによって精神的ダメージも受けている。)

ストレスが減ったから物忘れをしなくなったのか、ホルモン補充でしなくなったのかは、よくわからない。
しかし、以前、ある大学教授から「女性ホルモンの減少は、記憶力の低下を起こす。女性教授達は、それでは困るので、皆、ホルモン補充療法をしている」と直接聞いた。
ホルモン補充療法は、アルツハイマー病の予防にもなるというので、期待している。

以前あった様々な症状は、耳鳴り以外、すべて消えた。
加えて皮膚のトラブルが、なくなった。

ここ数年、冬場は、腕足が乾燥してかゆみが出たり、かかとが割れたり、何をつけても治らないひどい手荒れがあったが、この冬は、それが全くなかった。
更年期障害の症状だとは思っていなかったが、エストロゲンは、皮膚に良い作用をするようなので、その効果だと思う。

 <このサイトでホルモン補充療法の詳細が、利点もリスクもよくわかる。>





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tag : 更年期障害 ホルモン補充療法 うつ病

母を泊めて父懲りる 母落ち着く

父が、久しぶりに母を自宅に泊めた。
(前回のまったく歩けなかった日の話。)

自宅の母と電話で話した。
母「うん。元気だよ。あんたも元気?寒いねぇ。
  キムチッチ?(サルのぬいぐるみのモンチッチはいつのまにか改名)留守番。
  ねぇ。キムチッチ、人にあげてもいい?皆、”可愛い、可愛い”って言って、シラスと
  か色々あげるから、すぐお腹壊して、その辺に粗相するんだよね。世話も大変だし、
  欲しいって言う人にあげようかと思ってるんだけど・・」
父「お前は、何、バカなこと言ってるんだ~!!猿がシラス食うか~!!
  あれは人形だ~!!」
父の怒鳴り声が、母の小さな声と同じ大きさで受話器から響いてくる。
いつもとは違い容赦なく本気で怒っている。
私「お父さん、今日は、随分気が立ってるね。お母さん、大丈夫?お父さんに代わってく
  れる?」
母「いつものことだよ。一人で怒ってる。可哀想な人。今、代わるね」

私「認知症には、否定するのが一番良くないんだよ。怒鳴ったら、どんどんひどくなる
  よ」
父「わかってても出来ないことだってあるんだ~!!」

この時には、なぜ父が激怒するのかわからなかった。
父は、母がまったく歩けなくなっていたことで気が動転していたのだろう。


父は、母との一泊旅行に向けて予行練習をするつもりだったのだろう。
一晩母の横に寝てみたという。
父「全然寝ないぞ!ダメだ!俺が倒れる!これからは、連れて帰ってくるのは、 
  月1回だ!」
旅行のことなどすっかり頭から吹き飛んだようだ。
何もせずして問題が、消滅した。

しかし母は、毎週自宅に帰って泊まりたいという希望が強固なはずだ。
翌週末、電話で訊く。
私「お母さん、家に帰りたいって大騒ぎしなかったの?」
父「おぅ。別にしなかったなぁ。大丈夫だ」
母が何を想い、何を感じていたのかは、わからない。

妹に訊くと、抑うつ状態は、改善されているという。
「薬(アリセプトの減量)が効いたのか、久しぶりに家に泊まって気が済んだのか、グ
 ループホームの人達(職員)が気を使ってくれているのか・・。何が原因かは、全然
 わからないけど、随分落ち着いたよ。泣かなくなったし・・。まぁ、どうしても波は
 あるけどね」
何が原因でもいい。心からほっとする。
引き続きアリセプト減量の影響を観察するように頼む。
認知機能が落ちて困るようなことはないか、興奮や抑うつはどう変化しているかを。

tag : 認知症

父のリハビリへの不満 認知症サプリメント

私が自宅に戻ってから、父は、再び母を実家に泊めた。
父「あのリハビリは、おかしいぞ!お母さん、全然歩けんぞ!どういうことだ?!」
父の剣幕から嫌な予感はしていた。

数日後。
父「”あんなリハビリじゃダメだ!何とかしろ!”って言ってやったぞ!」
私「誰に?リハビリに来る若い女の先生に?」
父「違う。ほら、あそこの・・。上のやつだ」
私「施設長に?!施設長に言ったってしょうがないじゃない」

母の病状には、常に大きな波があるのだから、全く歩けない日もある。
進行して行く病気なのだからリハビリは現状維持のためであって、回復は望めないと、今まで数え切れない程繰り返した説明をするが、まったく聞いていない。
父「あれじゃリハビリをやってる意味がないじゃないか!やり方が間違ってる!ダメ 
  だ!」

こういう所は、やはりピック病認知症)なのかと思う。
(父はピック病と診断されているが、ピック病の症状はあまりない。むしろアルツハイマー病に近い。)
施設長に会ったらお詫びを言うように妹に連絡をする。

怪しげな本に書かれていた糖鎖栄養素とKリゾレシチンというサプリメントも「飲ませてみようかと思ってる」と盛んに言う。
父「認知症が劇的に治ったって本に書いてあるぞ。薬じゃないんだから副作用もないだ
  ろ」
私「認知症は、治らない病気なの。認知症を治す薬は、この世にはないんだよ。
  薬じゃなくても副作用は出るよ。今、(父も母も)飲んでるフェルガード(サプリメ
  ント)だって、興奮するっていう副作用が出たから成分の違うものに変えたの。薬と
  の飲み合わせもあるし、勝手に飲ませたら危険だよ」
父「そうかぁ?!」

父は、先日の母の受診の時、このサプリメントについての主治医の意見を訊いてきてくれと言った。
主治医に「父に頼まれたので訊くが、このサプリメントを知っているか」と訊くと「知らない」と答えた。
父「何て言ってた?効くって言ったか?」
私「訊いたけど、知らないって」
父「知らない~?!なんだ・・勉強不足だな!」

医師には、大変な時代になったと思う。
医師は、何百という病気について勉強しなければいけないが、患者や家族(私も含めて。)は、1つ(或は数種類)だけをどこまでも掘り下げる。
膨大な情報が、ネットで簡単に手に入る。(その中には正しくない情報も混じる。)
自分が知っていることを医師が知らなければ「勉強不足」と言う。
かつて医師を「お医者様」と呼んでいた時代があったことを今の若者は想像もできないだろう。

tag : リハビリ 認知症 ピック病 レビー

帰省4日目(4)特養入所はやめる

ケアマネと施設長との3人の面談の最後。
施設長は、「こうした家族との話し合いはとても重要なのでこれからも機会を持ちたい。是非、施設を良くするために苦言を聞かせて欲しい」と熱心に言う。
本気だと思う。

「職員の方々には、心から感謝している。非難するつもりは全くない。多分母の妄想なのだろうと思っている」と前置きをして、言葉を選びながら母の不満を伝える。
母は、特定の職員に風呂で水をかけられるとか、夜中にわざとトイレに連れて行ってもらえないなどと帰省の度に訴え続けている。

私「妄想だろうとは思っています。ただそういう妄想を抱いてしまう何かが、母にとって
  はあるのかも知れないと思ったりもします」
施設長は、厳しい表情で聞き、対応を取ると約束する。
母が風呂に入る時には、「私も付いて様子を見てみます」と言う。

私  「夜中のトイレに関しては、私も(去年の夏)一緒に寝たのでわかりますが、家族
    でも繰り返し繰り返しトイレに連れて行くことは無理ですから・・・」
施設長「夜中は、排泄のリズムさえ掴んで、オムツが濡れないようにすれば、そんなに頻
    繁にトイレに行きたがることはないはずです。トイレ介助もそれほど大変にはな
    らないはずです。トイレには、必ず連れて行くことを徹底させましょう」

母の訴えるこの職員とのトラブルをどうするかは、入所以来ずっと妹と話してきていた。
先月、施設長とその話もしようと思っていたが、「○○さん(母)は、何の問題もありません」と先手を打たれて、それ以上言えなかった。

母は、記憶障害はあまりないし、その職員からされたことは(事実か妄想かは別として)他の職員にも筒抜けなのではないかとずっと考えていた。
母が興奮して怒っている時、
「すみませんね。職員で一人、対応の悪い者が居て、怒らせちゃったんですよ」
と言われたことも何度かある。

施設長と本音で話し合いができたことは、安心材料の1つだった。
お互いの間にあった塀が、取り除かれた。
これをきっかけに、今後は、色々な問題も話しやすくなる。
第一、今後相談できるのは、ケアマネではなく、施設長だ。
問題の職員にも監視の目が届けば、変わっていくだろう。


実家に来た妹に、まず特養で相談員と話したことを伝える。
妹は、あの特養に行くことが母の幸せになると信じていたが、あっさり断念した。
特養の出した条件を父に飲ませることも「絶対に無理だ」と言う。
私もそう思う。
父にはリハビリの件しか伝えていなかったが、既に反対していた。
父「リハビリもやらんような所、話にならんぞ!」

これからは、今、居るグループホームでのQOL(生活の質)を上げていくことを考えなければいけない。

帰省数日目 隣人から見た淋しそうな父

時間が戻るが、数日前に、実家の隣の○○さんの家にお土産を持って挨拶に行った。

ゴミを出しに行く時、偶然兄と会うと、ゴミを持って収集所まで運んでくれるという。
「”いいよ。おばさん、持てるから。○○(通所施設)に遅れちゃうよ”って言っても、黙ってニコニコしながら運んでくれるの。本当に心の優しい子だよ」

脳出血で倒れた妹さんは、そのままずっと入院しているという。
最近やっと会話ができるようになったが、「お父さん、お母さんは?」と繰り返し訊き、とうの昔に亡くなったのだと聞く度に泣くという。
入れる施設もなく、3ヶ月ごとに病院をたらい回しにされている。

「お母さんは幸せよ~。娘さん2人が走り回って情報も集めてくれるし、色々な手配もしてくれるし、何でも上手くさっさと片付けてくれるんだもん。
妹は1人だから、私が支えてあげないといけないんだけど、私自身(70代後半)がヨタヨタしてるから、何するにも時間ばっかりかかって、何にも進みゃしないのよ。
特養なんか何年待っても入れないって皆、言うし・・。最近、あちこちに有料老人ホームができてるでしょ?○○町にもできてね。すぐ近くだから見に行こうと思ってるんだけど、足が悪いから歩いて行くのも大変でね」

「お父さんは、お母さんを毎週ドライブに連れて行くんだってね。この前は、富士山まで行って来たって、お父さん、得意そうに言ってたよ。
”そんな遠くまで言って大丈夫なの”って訊いたら、高速道路の休憩所の(障害者用)トイレは大きくて、一番具合がいいんだって。
”それでお母さんは、嬉しそうにしてるの”って訊くと、”それが、そうでもないんだよ。あんまり表情もなくて”って言って、淋しそうだったねぇ。
”ドライブできるだけで幸せじゃないの!欲張っちゃだめよ”って言ったんだけどね。
お父さん、元気だけど、やっぱり淋しそう・・」
父が私や妹に見せる顔と親しい同世代の○○さんに見せる顔は、いつも少し違っている。

毎月訪ねている伯母には、都合が合わず会えなかった。
電話で長く話した。
仏壇にお参りだけさせてもらい、お土産だけ置いて来た。

NHK認知症キャンペーンサイト

今朝の放送で紹介されていたサイトを見た。
役に立つので、取り急ぎ、ご紹介。


NHK 認知症キャンペーンブログに、今週NHKで放送される認知症関連の番組の紹介がされている。

認知症ともに支えようで紹介されている動画は、心を動かされる。
認知症についての知識が、既に十分ある介護家族にも得るものがある。





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順位に自分で驚いています。クリッック、本当にありがとうございます。
皆さんに支えられていると思うと、もっと良質で有益で正確な記事を書こうと思います。
しば

帰省4日目(3)グループホームのケアマネと初面談

グループホームに戻って母はトイレに直行。
職員「(リハビリパンツは)濡れてませんでしたよ」

見たことのない女性が、一人ひとりに声を掛けて回っている。
市の介護相談員で、毎月1回来るそうだ。
相談なら家族の方が、ニーズがありそうに思うが、私には何も話し掛けずに帰って行く。

絵の得意な利用者が、ひな祭りイベント用の紙芝居を集中して描いている。
ここに初めて来た時「へい、らっしゃい!」と言ってくれた男性だ。
私「凄いね~!上手いね~!プロみたい!」
母「そんなのみんな知ってるよ。知らないのは、あんただけ」


ケアマネと施設長と3人で母の部屋に入って面談をする。

母の介護度が上がった時、グループホームでの介護がどうなるのか、再び確認する。
施設長と同じ答えが返ってくる。

先月、リハビリの担当者からリハビリの目標を定めて欲しいと言われたが、家族だけで決定できることなのか、ケアプランはどう作られるのかと訊く。
ケアマネ「ケアプランは、職員の一人が担当しています。何か要望があればその職員に伝
     えて下さい。家族の希望をリハビリ担当者に直接伝えることは、別に問題ない
     ですよ」

毎週父が自宅に連れ帰るが、バリアフリーではないので、トイレに行く時、支えられて2メートル程歩く必要がある。それさえでき続ければと家族は考えていると話す。
ケアマネも施設長(前施設長は入所前に自宅を見ている。)も驚く。
ケアマネ「そんなニーズがあるとは、想像もしませんでした。そこまで具体的な目標があ
     るのなら、それをそのままリハビリの担当者に伝えるのが良いんじゃないでし
     ょうか。とてもわかりやすいし」
施設長 「ここでもトイレの数メートル前で車椅子から下りて頂いて、手引きで歩くとい
     うこともできるかも知れませんね」

試験的にデイサービスに参加する活動を始めたと妹から聞いたが、母の参加は可能か訊く。
ケアマネ「送迎のハイエースに車椅子なしで乗り込むことさえできれば大丈夫です。
     車椅子ごと乗る装置がないんです。向こうに着けば車椅子で居られます。それ
     もリハビリの担当者に伝えてみたらどうですか」
施設長 「月1回ですが、○○さん(母)ならきっと楽しめると思いますよ」
私もそう思うが、車のステップを登ることは、母には相当高いハードルだ。

母に何かできる仕事はないだろうかと訊く。
ケアマネ「趣味は何でしたか?」
私   「去年までしていたのは、絵手紙ですが・・」
施設長 「それをしてみましょう」

色々な相談は、今後ケアマネにすればいいのかと確認する。
在宅のケアマネと施設のケアマネは、違うので、相談は、施設長にと言われる。
施設によっても違うのだろうが、いつでもどんな相談にも乗ってくれた在宅のケアマネが、今更ながら神様のように思えた。

帰省4日目(2)何もかも忘れて食べる 

この日の2時、グループホームのケアマネと初めて面談することになっていた。

昼食には何を食べたいか母に訊く。
故郷を離れて長い私には、どこに良い店があるのかわからない。
グループホームから病院までの間にあった6つのレストランの中から選んでもらう。
母の第一希望の焼き肉屋も「一度食べてみたい」という沖縄料理屋も行ってみると休みだった。
第三希望のインド料理屋に行った。これは私の第一希望。

入り口の大きさが、車椅子の幅と1cmも違わず、インド人のスタッフに手伝ってもらいようやく入れた。
注文する品を決めて店員を呼ぼうとすると「トイレ、行きたい」と言う。
病院で行っておくべきだった。
見てみると、狭くてとても母の行けるトイレではない。
「一度、○○(グループホーム)に戻って、もう一回来ようか?」
「いい。オムツ(リハビリパンツ)にするからいいよ」
自分からそう言うのを初めて聞いた。

料理は、驚きの美味しさだった。
私はインド料理が大好物で都内の色々な店にも行くが、そのどこよりも美味しい。
マレーシア(当時人口の約1割がインド系。首都には巨大なインド人街がある。)に住んでいた頃、通っていた店にも負けないかも知れない。
母は、最初にマンゴーラッシー(ヨーグルトドリンク)を飲むと興奮して言った。
「あんた、これ、飲んでごらん!目の玉が飛び出るほど美味しいよ!これだけだって5~6百円はしそうだよ」
母の言う通りだ。一番高いランチセット1500円は、安い。

母は、この濃度の高いラッシーをストローから吸い上げることができなかった。
大きなグラスを傾けて飲ませた。

これも美味しい、あれも美味しいと言いながら、2人で夢中になって食べた。
母は、野菜と果物のカレーを箸で食べようとするので、私がナン(パン)を千切ってカレーをすくい食べさせた。

母「こんなに美味しいとは夢にも思わなかったねぇ!他の2軒が休みでラッキーだった
  ね!」
私「うん。また来ようね。私も帰って来る楽しみが増えたな~」

ついさっきまで沈んでいた私は、跡形もなかった。
ただただ幸せだった。
人間は、(「大切な人と」という条件が付くが)美味しいものを食べるだけで、何もかも忘れて幸せになれるのか・・。
たくましいのか・・あさましいのか・・。
母は、たくましく、そして、いとおしかった。

1皿2食分くらいあるので、残りを持ち帰りたいとインド人の店員に言う。
アルミホイルを一本持って来た。
ナン、タンドリーチキン、シシカバブー、サフランライスを包んだ。
見たことのないものを食べない父は、手をつけないだろうと思ったが、この夜、父はすべてを食べた。
「このパン、美味いなぁ。この鶏も美味い。この黄色い飯も美味いぞ」
確かに美味しいのだが、父は変わったなと思った。

帰省4日目(1)母診察 アリセプト減量

母の月に一度の診察の日。妹は仕事なので、初めて母と2人で行く。
母は、昨日よりずっと落ち着いている。

母「どこ、行くんだっけ?」
私「病院。○○先生の所だよ。お母さんの好きな明るい面白い先生」
母「あぁ。わかった。・・化粧くらいしてくれば良かった」
驚く。症状が激変した去年の3月以来、母は一度も化粧をしたことがない。

主治医に<自宅介護を要求して怒ったり泣いたりして家族が困っている>などと症状を書いたメモを渡す。
主治医は「そうか。帰りたいんだねぇ。困ったねぇ」とつぶやき、母に向かって「可愛いね」と笑いかける。
「え?先生、何が可笑しいの?」と言いながら、母もとても嬉しそうに笑う。

主治医は、薬の処方を画面でチェックする。
医師「セロクエル、微量。ベンザリン、微量、アリセプト、微量・・。う~ん」
私は主治医の言葉を待つ。間がある。勇気を出して言う。
(先月もアリセプトの減量を提案したが「これ以上減らせば飲む意味がない」と言われた。)
私 「アリセプトが、人によっては3mgでも興奮したり、抑うつ状態になったりすると聞
   きましたが・・」
医師「まぁ、そういう人も中には居るだろうね」
私 「小阪(憲司)先生もそういう患者には、1mgや2mgを処方すると読んだんです
   が・・」
医師「じゃ、止めてみる?(イライラした口調)」
私 「試しに半分にしてみるというのはどうでしょうか?1mgとか?」
医師「色々試してみるのは構わないけど、それで良くなるって期待をするとがっかりする
   ことになるかも知れないよ。出てくる症状は、必ずしも薬で消せるとは限らないし
   ね」

主治医は、気分を害していた。ある医師の批判もした。
『私は、どの医師も信奉していません。私は、ただ母を助けたいだけです』
冷静に伝えるべき言葉は、喉で止まり、そのまま気持ちと一緒に沈んでいった。
私だって何をどうすればいいかなど全くわからない。
いつでも暗闇の中を光を求めて手探りで歩いている気がする。
光がどこかにあるのかどうかすらわからない。

主治医は、感じたのだろう。口調が柔らかくなった。
医師「お母さんは、50歳位の時は、どんな人だった?」
私 「明るくて、思いやりが深くて、いつも人を笑わせていました。働き者で、いつでも
   家事をしていました。時々沈み込む時がありました」
医師「元々あったうつの傾向が強くなっているのかも知れないね」

アリセプトは、1日2.5mgから1mgに変わった。
薬局では、薬がないので取り寄せてグループホームに届けると言われた。

世の中には、アリセプトを1mg にしてみて欲しいと言えば、怒り出す医師がいくらでもいるだろう。
現に母の3人前の主治医(転任した。)は、「(パーキンソン病ではなく)レビー小体型認知症ではないでしょうか?」と言っただけで怒った。
「そんなものは、解剖しなければわからない。わかったとしても治療法も薬もない」と断言した。
今の主治医は、柔軟性のある医者なのだ。

帰省3日目(4)母の感情失禁・攻撃

この日は、調子の悪い母が心配で3回グループホームを訪ねた。
母は、怒り、泣いていた。(感情失禁)

母「こんな所、もう居られないよ!出て行こうとすると止められるんだよ!」
私「お母さんを守ってくれてるんだよ。フラフラ出てって車に轢かれたり、迷子になった
  らどうするの?」
母「じゃあ、私には、もう自由がないってこと?!行きたい所にも行っちゃいけないって
  いうの?!あんたは、私にそういう所に居ろって言うの?!」
私「お母さんは、どうしたいの?」
母「私は、どうすればいいの?!」
私「○○(母の自宅)で毎日暮らしたいの?」
母「どうしてできないの?!・・お父さん、私の面倒を看たくないんだね」
私「毎週ドライブに連れてってくれてるじゃない。でもここに戻る時、抵抗されるのが辛
  いって言ってたよ」
母「抵抗するさ!こんな所、なんで居ないといけないの?!」

夜眠らない母を父が看ることは無理だということ、父の介護は、薬を飲ませ忘れたり、母を放置して危険だということ、母の安全のためにここで世話してもらいたいと私も妹も望んでいることなどを精一杯説明するが、母は、ただ怒るだけだった。

母は、様々な幻視、妄想も訴える。
母「毎晩夜中に、お父さんがここ(床)で寝てるの。”まぁ、○○さん、いやらしい~”って
  皆に言われちゃう。真っ裸でそこ(壁)に逆さにぶら下がるし。いくら呼んでも無視
  するし。お父さんには、本当に困っちゃうよ!」
それは幻視なのだと、時間をかけて説明しても、まったく理解しない。
母「いい。もうわかったよ。お父さんにもうここに泊まらないように言っといて」

母は、その場に居ない父を妹を職員を攻撃する。
母「お父さん、この前、私の首絞めるんだよ。私、このまま死んでもいいやって思ってじ
  っとしてたの。お父さん、びっくりして、慌てて手を離したよ」
(後で父に確認したが、そんなことは絶対にないと言う。妹は、カッとして胸ぐらでも掴んだのだろうと言う。私は、父の言い分を信じる。父は、震えるほど激怒しても家族に暴力を振るったことは一度もない。父は、それだけが自慢だと昔から言っている。)

母「○○は、私が泣くと、すぐ怒り出すよ」
(後で本人に訊くと「たった一度のことをそう言うの?」とやり切れない様子。)
私「○○だって大変なんだよ。仕事も大変だし、色々苦労が多いんだよ。
  イライラする時だってあるよ。しょうがないよ」
母は、急に黙って私を見つめる。
母「あんたは、小さい時から何も言わないけど、あんただって一杯苦しんでいるだろう
  に・・。申し訳ないと思ってるよ。・・私、嫌だね。・・・みんな、私を嫌いにな
  る。みんな私を避けてる。みんな私の世話をしたくないんだ・・・」
母の頬に涙が次々と流れる。
私は、言葉もなく母の肩をさする。

帰宅時、父に訊かれて母の様子を話す。
父「病気だからしょうがないんだ。ドライブに連れてく時は、ご機嫌で、おかしなこと(幻視、妄想)も何も言わんぞ。楽しい時には見えないんだなぁ。ただあそこに戻るぞって言うと、突然暴れ出して手が付けられなくなるんだ。でもあそこに一歩入ると”ただいま~”って、何事もなかったかのようにしてるんだ。・・・それだけが、救いだな」

帰省3日目(3)特養の利用者の表情

面談の後、見学を希望すると認知症フロアーを案内してくれる。
去年の夏にも見学に来たが、建物がきれいだということ以外、あまり印象がない。
あれは、何時だったのだろう。
フロアーには、人はまばらで、職員の対応も観察できなかった。

今回は2時頃。フロアーには、20人以上の利用者が居た。
介護度の重さ別にユニットが2つに分かれている。

全神経を集中して利用者全員、職員全員の表情を見た。
笑っている人がいない。穏やかな表情の利用者もいない。
無表情か、暗い表情、険しい表情。
職員は、多くがマスクをしているので表情がわからないが、利用者への明るい声掛けが聞かれなかった。
案内してくれる相談員も、案内中ということはあるが、利用者の誰にも声を掛けず、利用者の誰からも話し掛けられない。


私が以前、短い間だが働いていた特別養護老人ホームは、建物も古く、サービス向上に努める雰囲気も特にない所だった。
理事長からの通達は、「経費削減のため、手ふきペーパーは1日1枚」などというものだけだった。
それでも心ある職員は、利用者と接する時、必ず笑顔だった。
「○○さ~ん。調子どうですか?」「わ~!○○さん、その服、素敵!」など、利用者に明るい声を掛けながら歩いていた。
評価とか給料とかには、まったく関係ない。
利用者との心のふれあいを彼ら自身が、何よりも楽しみにしていただけだ。
多くの利用者もそんな何気ない会話を楽しみ、嬉しそうに微笑んでいた。


フロアーを見て回った後、座ったまま入ることのできる風呂を見せられる。
寝たまま入る風呂は、使用中ということで見なかった。
これがグループホームにあれば・・・。

午前中には、ボランティアによる喫茶コーナーが運営され、一杯百円でコーヒーが楽しめるという。
妹は、コーヒー好きの母が喜ぶと言っていた。
しかし父は、コーヒーを飲まないし、2人でテーブルを挟んで向かい合ったところで、会話にならないだろう。

帰り道。私は、もう迷ってはいなかった。
けれども翌日、グループホームのケアマネと会う約束をしてあったので、最終結論は、そこで出せばいいと思った。
見落としや思いがけない落とし穴がないよう、確認しなければ。
家族一人ひとりの意見も違っているので、それぞれを尊重しながら慎重に進めなければいけない。
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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