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末期認知症患者への人工栄養補給・医師の葛藤(日経新聞)

レビー小体型認知症患者とその家族は、胃ろうにするかどうかの判断を迫られる日が来る可能性がとても高い。
その日が来る前に胃ろうについて十分知り、考えておきたいと思い、テレビや新聞などで胃ろうが取り上げられると、このブログでご紹介している。
(左下、「カテゴリ」の中の「胃ろう・嚥下障害」)

今朝(2月28日)の日経新聞社会面に、末期認知症患者への人工栄養補給に対する医師の意識調査(日本老年医学会調査。1554人回答)の結果が出ていた。
医師も悩んでいるというこの結果を受けて、胃ろうについてのガイドライン(どういう患者なら胃ろうにし、どういう患者は胃ろうにしない方がいいのか。)が作られていくのだろうと思う。
家族が、選択に悩み苦しむ状況が、少しでも改善されていって欲しいと思う。

記事は短いものなので、全文をネット版から引用。(青字部分)


末期認知症への人工栄養補給、医師の9割「判断困難」
(日本経済新聞ネット版 2011年2月27日 23:39)

 口で食べられない認知症末期患者の高齢者らに対し、腹部にあけた穴から管で胃に栄養分を送る「胃ろう」など人工的な栄養・水分補給を行うかどうか判断する際、約9割の医師が難しいと感じていることが27日、日本老年医学会の調査で分かった。終末医療のあり方を巡る医療現場の困惑が浮かび上がった。

 調査は昨年10~11月、同学会の医師約4500人を対象に郵送で実施。1554人から回答を得た。

 日本の医療現場では、人工的な栄養・水分補給法(ANH)として、胃ろうのほか、点滴や、鼻から通した管で胃に栄養分を送る方法などが実施されている。

 調査では、認知症末期患者に人工的補給を行うかどうか判断した経験があると答えた1058人のうち、16%が「非常に大きな困難を感じた」、46%が「ある程度の困難を感じた」と回答。27%が「少し困った」としており、約9割が抵抗を感じていた。

 困難を感じた理由(複数回答)は、4分の3が「本人意思が不明」、半数以上が「家族の意思が不統一」と回答、患者本人の意向が分からない中で対応に苦しむ医師が多い。

 補給を控えた場合の「倫理的問題」を指摘する人が半数、刑事罰に問われるなど「法的問題」との回答も2割に達し、延命重視を伝統とする日本の医療文化を色濃く反映する結果となった。

 いったん実施した補給を中止した経験のある医師は44%。理由として、うち7割が「下痢や肺炎などの医学的理由」を挙げた一方、「患者家族の強い要望」が4割、「患者の苦痛を長引かせる」「患者の尊厳を侵害する」との回答はいずれも2割前後だった。

 日本の医療現場では延命重視の伝統が根強い一方、回復の見込みのない末期患者への人工的補給には疑問の声も少なくない。同学会は「終末医療にも延命重視から自然なみとりまで多様な選択肢が必要」とし、今回の調査結果などを基に指針を作成する方針だ。







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帰省3日目(1)父と兄の口腔問題 寄付金 

月曜の朝、兄が「イッテラッシャイ」と言って元気に出掛けて行く。
(月曜から金曜までは、日中を通所授産所で過ごしショートステイ先に寝泊まりする。)
兄は、いつも「イッテラッシャイ」と言って出掛け、「オカエリ」と言って帰って来る。
独り言は、相変わらず大きく、通りがかりの学生が、兄をまじまじと見つめていた。


兄と父の通う歯科医院に電話をする。
(今まで何度も電話をし、両親の状況も伝えてある。)
父が「歯医者のやつ、手術するなんて言うから放ってある」と漏らしたので確認の電話だ。
医師は、父が手術の予約の日時に現われないということを半年以上繰り返していると言う。
「手術が嫌なら他の方法もあるんで、そう言って欲しいんですよ。お父さんに伝えてもらえますか?」

兄に、先月位から食事中よだれが出るが、入れ歯のせいか医師に訊く。
わからないが、入れ歯をチェックしてみると言われる。
食事の後、食べ物が、口に残っているのは、老化による嚥下障害の一種かと質問する。
これも理由はわからないが、口の中の感覚が鈍くなっているのだろうと言われる。
普通は、気持ち悪いので、出すなり飲み込むなりするのだが、兄はそれをしないのだと説明される。
口の中に食べ物があるのが、傍目にもわかるようになったのは、最近だ。
兄の老化も想像を越えた形で進みつつある。


兄の通所授産施設から電話が欲しいという連絡が妹にあり、電話をする。
ケアハウス(宿泊施設)設立などのための月々の寄付金の額を決めて欲しい等、事務手続き上のことを色々言われる。
母は、1口の千円にして、何十年と払い続けて来た。

「そんなのが、本当にできるのか、いったいいつになったらできるか、全然わからないんだけどね・・。私とお父さんが死ぬまでにはどうしてもできて欲しい・・。
もしお父さんが先に逝ったら、この家を○○(兄)みたいな子たちのためのグループホームにしてもいいかなとも思ったりするんだけど、お父さんは反対するかなぁ・・」
20年以上前に、母がそう言っていたのを聞いた。

兄は、今、その恩恵を受けて特別にお世話になっているのだから、寄付は2口でも3口でも少ない位だと思う。
しかし父は、「世話になってるのは、皆、同じだ。考える」と即断しなかった。


その後、母を訪ねると、朦朧(もうろう)としている。
焦点が合わない目で「眠い・・」と言う。
体の傾きがひどく、大きなクッション2つに支えられてやっと車椅子の上に留まっている。
90歳の老人のようだ。
夜ほとんど眠らないと翌日はこうなると聞いていたが、夜勤の職員は帰った後で、夕べの様子は聞けなかった。

帰省2日目(2)「痛い、どこ?」

母を自宅に連れて帰る。
とても喜び、寿司も好物のパンも私の作った料理もペロリと食べる。
パンなど食べたこともなかった父が「食べてみりゃ、うまいな~」と言うので驚く。

母の足の動きは、とても悪く、トイレに行くのに苦労する。
リハビリパンツを下ろした途端に尿が出てしまい、ズボンも靴下も濡れてしまった。

父は、仕事の電話を受け、さっさと仕事に出掛けて行く。
私「日曜は、仕事、しないんじゃないかったの?」
父「最近、仕事が少ないから、少しやるんだ」
確かに父の仕事は、激減している。
ネットに広告を出していないせいか、認知症だという噂が広まったのか?

グループホームで仕事がしたいという母に広告の紙を使ったゴミ箱作りはどうかと思い付いた。
母は、元気な頃、これを毎日のように作っていた。
料理中、野菜の皮を入れたり、テーブルでみかんの皮を入れたりしていた。
しかし母は、まったく折れなかった。
しばらくやれば思い出すかと思ったのが間違いだった。
黙って見ていると、奇異な折り方を延々と続けた末に机を叩いた。
母「ダメだ!忘れた!私は、こんな簡単なこともできなくなったんだね・・」
私「私だって教えてもらったのに忘れちゃったよ。誰だって忘れるよ。じゃ、何か易しいの、一緒に折ってみようか?」
母「いい。面倒くさい。やりたくない」

一緒に座っていた兄が、一生懸命母に話しかける。
兄「オカアサン、ビョウキ。・・イタイ(痛い)、ドコ?」
私「どこも痛くないよ。大丈夫だよ。ただ歩けないだけ」
母「(兄に。)歩けないと買い物も行けないし、車も乗れないからね」
母は、自分の病名を知らないが、兄も母の病気について何も知らない。
兄は、何の情報も与えられないまま、ずっと一人で母を心配し心を痛めていたのだと、この時、初めて気付いた。
母「・・でも、悪いことばっかりでもないんだよ。私がこうなったことで、結果的に○○
 (兄)は、成長したしね」

母は、思わず笑ってしまうことも言う。
母「今日は木曜日だよね?」
私「日曜日だよ」
母「今日は日曜日だけど、ホントーっは、水曜日でしょ?」
(小さな子供が『大人になんか騙されないぞ』と思っているように、茶目っ気たっぷりに言う。)

母「お父さんに先に死なれても困るし、私が死んだら○○(兄)が困るし・・」
私「誰が先に逝くかなんて誰にもわかんないよ。私だって明日交通事故で死んじゃうかも
  知れないし・・。私が死んだら大変だよ~(笑)」
母「あんたが死んだら、”大変だ~!”なんて言ってるどころの騒ぎじゃない位、ホントに
  ホントに大変だよ」
(目を丸くして、真剣に言う。)


やりたいこと、行きたい所、欲しいもの、今のグループホームがいいのか、特養に行くのがいいのか、延命治療は望むのか望まないのか、色々なことを噛み砕いて時間をかけて訊くが、トンチンカンな返事が続き、答えらしい答えは、中々返らない。
延命治療について訊いた時、意味のわからない話の中でポツリと言った。
母「何にもわからなくなってずっと生きるのは嫌だね」
母は、昔からそう言っていた。

母「(グループホームは)どっか行こうとしても止められる。もっと自由のある所に行き
   たい。あそこ(特養。ショートステイに利用していた。)は、いいイメージは何も
   ないけど、ここ(GH)よりいい所なら行ってもいいかなって思ってた」
  (妹がそう言ってずっと説得していた。)


母「今日は、ここ(自宅)に泊まるんだよね?」
私「泊まらないよ」
母「・・私は、みんなに嫌われちゃったんだね。みんな私の世話はしたくないんだね」
母の気分は一気に沈む。先月は、怒ってお茶をぶちまけたが、今回は、怒らない。

母「何をするのも億劫(おっくう)。面倒くさい。意欲がわかない。うつだよ。
  自分ができると思ってたことが、できないってわかるとげっそりする。
  ”なんで?!”って思う」

母「リハビリは、苦しいし、疲れるし、やりたくない。でもやると良くなるっていう実感
  はあるの。リハビリ止めたら、もう私、治らないよね?」
 (母は、自分の病気をパーキンソン病だと思っている。)

どんな言葉も母の慰めにはならない。
どんな説明をしようと母の考えを変えることはできない。

帰省2日目(1)大声独語の兄 母を旅行に?!

朝、兄の剃り残しの髭(1cm以上ある)を剃り、鼻毛を切り、髪を切る。

いつもの癖でつい父に訊いてしまう。
私「お父さん、すき鋏、どこ?」
父「すき鋏?知らん。そんなもんないぞ。見たこともないぞ」
父が買って来て、私が毎月使っているものなのに・・。
探すと鋏が20本位立ててある中に紛れていた。
実家には、同じものが何でも大量にあるが、なぜ鋏が20本あるのか理解できない。
(「父は認知症だから」が答えだが、それでもなお「なぜ?!」と思う。)

兄は、渡辺謙(兄より1歳上だ。)のような生え際になってきた。
彼に習って、思い切って短く切ってみた。
鏡を見る兄に、「ダメ(元に戻せ)」と言われる前に「お兄ちゃん、カッコいいね~!」と先手を打つ。
兄は、頭を撫でながら、一言。「・・・ハズカシイ・・・」
(この言葉も兄が自分の外見に対して使うのは、初めてのような気がする。)

兄は、機嫌が良いが、久しぶりに独り言が止まらない。
かなり大きな声。時々一人で笑っている。

兄が居る時(週末)は、いつもする通り、一緒にスーパーに買い物に行く。
(兄は、スーパーに行くのが、好きだ。
母が元気だった頃は、兄が、いつも荷物持ちだった。)
一人でしゃべり続ける兄を客もレジの人も見る。
私は、兄の独り言に慣れているのであまり感じなかったが、人が目を見張る程ひどいのだと気付かされる。
妹に伝えて、兄の主治医に伝えなければいけない。

この日(日曜)の昼は、外食を母と約束していたが、トイレのことでいつも騒動になるので(車椅子で入れるトイレのあるレストランはほとんどない。)自宅で食べることにした。
父は、「また(グループホームに戻る時)暴れるぞ」と言ったが、私が居れば何とかなると思った。

父と一緒に美味しい寿司と母の好物のパンを買いに出掛けた。
車の中で介護認定の面接とそのための検査を病院で受けなければいけないことを説明する。
(父に伝えて納得させることを妹から頼まれていた。)
父は、病識(自分が病気だという意識)は全くないが、母のためになると説明すると「おぅ。何でも受けるぞ」とあっさり承諾する。

父「面接って、どこで、何やるんだ?」
私「家で。去年の9月にやったのと同じだよ。寝たり、転がったり、3つの物を覚えた
  り・・」
父「そんなもん、やったか?覚えてないなぁ・・」
何をしたか、もっと詳しく説明したが、父には、まったく記憶がないと言う。

「俺の仕事着、お前が洗ったのか?」
と訊くこともあった。兄に洗濯機は使えないので、洗うなら父自身しかいない。

「来月から毎月1回位お母さんを(1泊)旅行に連れてってやろうと思ってるんだ」
大変だからと母を自宅に泊めるのを止めている父が、当たり前のことのように言う。
母が旅行に行きたいと言ったのかと訊くと、そうだと言う。

母は、夜、眠らない。一緒の部屋に泊まれば、父も眠れない。
毎日夕方7時頃寝て、夜中に起き出す兄も居る。
一晩中大喧嘩をして、睡眠不足で高速道路を帰ってくるのかと父に詰め寄る。
父「そんなもん、やってみなきゃ、わからんじゃないか」
私「旅行なんか行く前に、ここで朝までお母さんと居てみてよ!」
(父は「早く寝ろ!」と怒鳴り続け、結局は、母を放置して1人で2階の寝室に寝に行く。)
父「大丈夫だ。心配ない。何度か予行練習してから行くから大丈夫だ~」

友人から聞いた言葉が、目の前にくっきりと浮かび上がる。
頭上にはためく横断幕の上に・・・。
「一難去らずに、また一難」

帰省1日目(2)グループホームでの終末期ケア

時間をさかのぼる。
母と話をする前、施設長と職員の○○さんと話をした。

「(受診のための)病状については、○○(職員)から説明をしますので」
と言って帰ろうとする施設長(先月着任。)を引き止めて話しをした。
(先月「会ってお話ししたい」と手紙を出したら身構えられたので、今回は、敢えてこうした。)

特別養護老人ホームから順番が次だという連絡があったこと、どうすべきか悩んでいることを伝える。
重症化した時のグループホームでの介護がどうなるのか1つ1つ質問する。

☆食事は、介護食(きざみ食、とろみ食、ミキサー食)の対応ができるが、食べられなく
 なった時や胃ろうになった場合は、郊外の提携病院に優先的に入院することになる。
☆グループホームに看護士はいないので、医療が必要になれば入院せざるを得ない。
☆風呂は、座ったままシャワーとなり、職員2~3人がかりで湯船に入れるということ
 まではできない。
☆ベッドで全身清拭(せいしき)をすることはできる。
☆特養(看護士常駐。機械浴有り)ほどには、十分なケアができない部分はあるが、
 ○○(母)さんがここに居たいということであれば、要介護5になってもできる限りの
 ことは、精一杯したいと思っている。
(要介護5は、寝たきり、意思の疎通も難しい状態。)
☆介護度が重くなってきたので出て行って下さいと言うことは絶対にない。
☆何か問題があれば、その時、その時で相談してよりよい方法を探っていくこともできる。

「1日中何もしないことが辛い、仕事がしたい」と言っている母に、何かできることはないか相談する。
☆お皿拭きなどは、する人が既に決まっていて、それを○○さん(母)にもということが、中々難しい状態にある。
洗濯物をたたむ仕事はやってもらっているが、他にも考えてみる。

ケアマネとも一度会って話したいと伝えると、週2日来るので、火曜日に面談するように手配すると言われる。

歩けないことを理由に入所を断られたグループホームも複数あったのに(’10年8月)、要介護5でも看ると言ってもらえることは、本当に有り難い、信じられないようなことだと思う。
しかし持病(甲状腺、肝臓)がいくつもあり、骨もボロボロだと言われている母が、最晩年を過ごす場所は、間違いなく(母の大嫌いな)病院なのだろうとも思い、気持ちが軽くなることはなかった。


職員の○○さんから母の症状について説明がある。

波はあるが、ここの生活に慣れ、大体は落ち着いてる。
夜は、たまに叫ぶ時がある。
一晩眠ることは、滅多になく、1~2時間置きには、人を呼ぶ。
夜中、一人でずっと独り言を言っていることも多い。
調子の良い時は、冗談を言っては、皆を笑わせてくれる。
悪い時は、体の傾きがひどく、言葉もあまり出ない。
泣いたり、怒ったりすることはない。
抑うつ症状もほとんどないと思う。
食欲は、とてもあり、誤嚥(えん)もない。
以前は軟便だったが、最近は、良い便になっている。

ここまで話していると、遠くに居た母が言う。
「先生(職員)は忙しいのに、そんなにいつまでも話してたら迷惑だよ~」

職員「○○さん(母)は、ああやっていつも私たちに細やかに気を使ってくれるんです
   よ~。本当に優しい人で・・。ただどうしてかわからないんですけど、(私
   たちを)先生って呼ぶんですよねぇ(苦笑)」
○○さんは、母の肩を抱いて「もう終わったからね~」と微笑んでくれる。
母もうっすら微笑んでいる。
以前からだが、この人は、母を愛してくれていると思う。
この人に日常的に介護してもらえるだけで、幸せだと思う。

母は、2つの顔を持っている。
人間は、誰でもそうなのだろう。
症状も1つにまとめることは、できないのだと思う。
主治医に対しても「施設ではこうですが、家族にはこうです」と言う以外ない。
それでいいのだろうと初めて思った。
どちらかが本当なのではなく、どちらも本当なのだから。

帰省1日目(1)嫉妬妄想再び

妹が駅まで車で迎えに来てくれる。
妹「お母さん、最近、あんまり良くないよ。表情もないし・・笑わないし・・聞こえない位の小さい声でボソボソ妄想の話ばっかりするよ・・。行く度に、泣きたくなるよ・・。行きたくなくなるよ・・」
父は、電話では、いつも「(母は)普通だ」としか言わなかった。
妹からは、しばらく連絡がなかったので、母の不調は、この時まで全く知らなかった。

実家に着く。
父も妹も疲れていると感じる。
兄だけが元気で、私の顔を見ると嬉しそうに「コンニチハ、コンニチハ」と頭を下げる。

妹の作っておいてくれた早い夕食を食べ、母の所へ行こうとすると、父が言う。
父「俺が行くと家に帰る、帰るって大騒ぎするから、お前、一人で行ってくれんか?」
父がそんなことを言うのは、初めてだった。
私「・・確定申告は、終わったんだよね?」
(終わったらまた自宅に泊まらせると言っていた。)
父「おぅ。・・連れて帰ってくると、今度はあっちに戻る時、嫌だって大暴れするからな・・」
父は、視線をそらしたまま、寂しそうに、苦しそうにぽつりと言った。
兄も行かないというので一人で車でグループホームに向かう。

母は、妹の言う通りだった。
言うことの半分以上は妄想で、その半分は、支離滅裂で何を話しているのかわからなかった。
けれども妄想以外の部分は、理性が働いていてしっかりしている。
しっかりしてるが、言うことの9割は、ネガティブだ。

部屋に去年まで通っていた健康体操サークルの仲間の寄せ書きが飾ってあった。
母「こんなの送られたって、気が重くなるばっかりだよ。返事も書けないもん」
私「誰も返事が欲しいなんて思ってないよ。お母さんが、元気でいてくれたらいいなって
  思ってくれてるだけだよ」
母「返事を書くのが礼儀ってもんでしょ?毎日苦になって仕方がないよ」
友人が訪ねてくれた時も苦痛で苦痛で仕方がなかったと無表情のまま話す。
次に何を言おうかと必死で考え続けているとヘトヘトになると言う。

母に、ここに居たいと思うか、特養に移りたいと思うかを訊ねる。
母「私はいいけど、○○(兄)が、あそこよりは、お寺の方がいいと思うんだよ」
意味のわからない返事が延々と続く。

母「さっ!こんな無駄話してないで、早く上着取って!行こっ!」
(母は、パジャマだ。)
私「家に?・・今日は、家は、行かないよ」
母「(キッとして)なんで?!」
私「・・お父さん、仕事があるみたい」(出任せ)
母は、口をぎゅっと真一文字に結んで、何かを見据えている。
無表情だが、激しく怒っているのだと感じる。
母は、しばらく黙っていたが、今度は、目に涙を一杯浮かべて話し始める。
母「お父さん、この頃、(家に)連れてってくれないよ。これは、被害妄想なんだけど、
  お父さんが来ないと、どこか(女性の所へ)行ってるんじゃないかって、どうしても
  思っちゃう」

嫉妬妄想の再現。
妄想は、何をどう言おうと考えを修正させることができないというのが特徴だ。

涙を流す母の肩を抱いて「お父さんが好きなのは、お母さん1人だよ」などと言い続けるが、何の効果もない。
同じ妄想なら気分が明るくなるような妄想はないのかと、無力感の中でふっと思う。
なぜ認知症患者は、自分も家族も苦しめる妄想ばかりに取り憑かれるのだろう。

『この母の気持ちを明るくさせる方法は、何?』
『・・なるべくじっくり母の不満や不安を聴いてあげること・・』
その時は、他に何も思い付かなかった。

22日夜、帰宅しました

3泊の帰省を終えて、先ほど帰宅しました。
父は、あまり変わりありませんでしたが、母が、先月とは随分変わっていました。
レビーは波があるということは、よくわかっているはずなのに、ちょっとダメージを受けました。

特養の担当者、グループホームの施設長、グループホームのケアマネと会って、長時間話しました。
母の診察があり、兄と父の通う歯科医院の医師、兄の通う施設の担当者と電話で話しました。
一歩一歩、前進はしているのだと思います。
一歩一歩行くしかありません。
後ろには行けませんから、前に進むしかありません。
遅々として進まなくても、ちょっとばかりしんどくても。

明日からまた帰省の様子を書きます。

しば


「きょうの健康』胃ろう特集 視聴者からのQ&A

夕べ(2月18日)の「きょうの健康」(NHK教育。夜8時半から15分間)は、胃ろう特集の3回目(最終回)。(前回の放送の内容は、こちら。)
視聴者からの質問に答えるのは、国際医療福祉大学教授の鈴木裕氏。
(胃ろうの第一人者でETV特集にも出演していた。)


質問:96歳で認知症、心臓疾患、誤嚥性肺炎で衰弱している患者。
   胃ろうにしてリハビリをすれば再び口から食べられるようになるか?

回答:難しいが、リハビリをすることで、楽しむ程度になら食べられるようになる可能性
   はある。
   認知症は、飲み込む力だけでなく、食べ物を食べるということを認知しなくなる。
   嚥下障害の原因をよく調べ、主治医とよく相談することが大切。


倫理的問題(延命治療の是非)には、直接触れることはなかった。


質問:胃を3分の2切除してあっても胃ろうは可能か?
回答:専門の、経験の多い病院ならできる。



鈴木裕氏の最後の言葉は、とても重要だと思った。
「胃ろうは、作って終わりではない。ゴールではない。
むしろ始まりであることを認識した方がいい。
人間の持っている能力をもう一度引き出す、そういう道具になったら、胃ろうは、本当に良いものになると思う」




 さて今日(19日)帰省しますので、明日、明後日は更新できません。
 その間、過去の記事を読んで頂けたらと思います。
 夜間せん妄の母の自宅介護の様子(ショートステイやデイサービスを利用しながら入所
 できる施設を必死で探し回った頃)などは、ご参考になる部分もあるかと思います。 
 しば




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アルツハイマー病の新薬2種類 レビーにも効果?

今日(2011年2月18日)の日経新聞夕刊にアルツハイマー病の新薬が約10年ぶりに発売されるという特集記事が載った。(P.7 らいふプラス)

この記事にはないが、この薬は、アルツハイマー病の患者(国内で推定約120万人。85歳以上では約4人に1人の割合)だけでなく、レビー小体型認知症患者にも効果が期待できると河野和彦医師が発言している。(2月11日東京千駄ヶ谷でのセミナー)

以下は、日経新聞の記事の要約。

新薬の名前は、レミニール(ガランタミン)とメマリー(メマンチン)。
春にも発売される予定。
海外での使用実績が長く(10年前後)安全性は高いという。
欧米などでは4種類が標準的な治療薬として推奨され、実際に使われている。

 < レミニール >

アリセプト(ドネペジル)と基本的な作用の仕方は同じ。
アセチルコリンを壊す酵素の阻害薬として働く。
国内で約580人を対象にした臨床実験では、もの忘れだけでなく、イライラ感や焦燥感なども減る傾向が見られた。
日常生活はできる「軽度」と料理等が難しくなる「中等度」の患者が適応対象。
アリセプトと完全に作用が同じではないので、アリセプトが使いにくい患者にも効果が期待できるかもしれない。

服用し始めてから約1週間は、胸やけや嘔吐などの副作用が出やすいが、慣れると減ってくる。

 < メマリー >

グルタミン酸が神経細胞から過剰に出て、神経細胞が死滅するのを防ぐ。
主な副作用は、めまいなど。下痢などは少ない。

国内で約400人を対象にした実験では、中程度と重度の患者に効果が見られた。
メマリーは、単独でも使えるが、アリセプトやレミニールとの併用が認められる。



「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」のブログを見ると河野和彦氏(名古屋フォレストクリニック院長)は、レビー小体型認知症の治療にメマリーが期待できると言っている。

以下、「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」のブログに書かれた河野氏の話。

「覚醒効果も期待できるので、レビーの意識障害には、シチコリン注射がよいとしてきたが、これからはメマリーがそれにかわるだろう。
アリセプトよりも、興奮作用がみられず、パーキンソニズムの悪化もないので、使いやすい。
副作用はめまい感。
しかし少量から体にならせば、すぐに飲めるようになる。
ただし、今は、レビーでの処方はできないので、医師の柔軟な対応が必要」






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「きょうの健康」胃ろう特集

「きょうの健康」(NHK教育。夜8時半から15分間)で3回にわたって胃ろうを取り上げている。
講師は、国際医療福祉大学教授の鈴木裕氏。
胃ろうの第一人者でETV特集にも出演していた。

以下をクリックして見られるネット版で概要はわかるが、詳細は、月刊誌「きょうの健康 2月号」に掲載。

1回目 胃ろうのメリットとデメリット 2月14日放送 2月21日再放送

2回目 胃ろうのケアとリハビリ 2月15日放送 2月22日再放送

3回目 2月18日 「胃ろう 視聴者の疑問、相談に答える」 2月25日再放送

15日の放送を見たが、胃ろうで健康状態を保ちながら口や喉のリハビリ(舌を動かしたり、声を出したりするごく簡単なもの)等を続けることで、再び口から食べられるようになるという説明だった。
リハビリ自体は、家族にもできる内容だが、毎日繰り返すのは、根気がいるだろう。
このリハビリを施設でもやってもらえるのかどうかは、(残念ながら)疑問だ。

口から食べることが、全くなくなっても口の中を清潔に保つための口腔ケア(舌ブラシ。スポンジで口の中を拭う等)が非常に重要だとも言っていた。
口の中には、細菌が多いので、誤えん性肺炎を防ぐために必要だという。

ppt03.jpg
ppt04.jpg
(「きょうの健康」の公式サイトからコピー)
放送の中では、デメリットとして「倫理上の問題もある」と話していた。

(胃ろうについての他の記事は、左下のカテゴリからご覧下さい。
いつか来る選択の日に備えて、偏りのない目でしっかり勉強したいと思っています。)




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「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」に相談

今、順番の来た特養に入るべきなのか、グループホームに残るべきなのかという選択を迫られている。

以前から頼りにしている「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」にメールで相談させて頂いた。
お二人の方から親身なお返事を頂き、高まっていた不安が、徐々に解消されてきた。

次回帰省時に、特養とグループホームに行き、じっくり相談する予定でいる。
以下(青字)は、お二人の長いメールから要点のみを書き出したもの。(文責しば)
施設選びについては、多くの方の参考になると思うので、おしゃべり会の許可を得て記載させて頂く。


今、穏やかに生活できているなら、今回の特養入所は必要ないのではと思う。
入所順位は、重症化など介護状況により一気に上がる。(場合によっては、療養病床になることもある。)

本来は、ここにケアマネが入り、家庭の事情を施設にしっかり伝えておくべき状況。

家族は、各特養に行き、相談することが大切。
電話や一度の面接だけで諦めない。
受け入れ体制(条件)、環境、医療の問題、家族はどこまで譲歩できるかを確認する。
数か所見て回るだけでも、施設の雰囲気や職員の対応は様々で、そこから見えてくるものがある。
重介護の方が多い所など特養の雰囲気によっては、レビー患者(状況が掴める)には、合わない場合も。

グループホームで、重症化した時、医療の問題が起こった時、今までは、どうしていたかのか訊くこと。
グループホーム側の意見も確認し、家族の意見もまとめる。

母の担当ケアマネは、グループホームに入所した時点でグループホーム付きのケアマネに変わると言われていた。
けれども家族も私も新しい母のケアマネに一度も会ったことがなかった。
恥ずかしいことに、名前すら知らない。
次回の帰省では、母のケアマネにも会わなくてはいけない。

最期に、はっと目を開かれた部分を原文のまま。

「お母さんの幸せは、特養に作られるものではありません。
家族の思いが、お母さんに伝われば幸せは続くし、
特養は最低限の基本生活を快適、清潔に過ごさせてくれる環境を
提供してくれる場所と考えていたほうが、安心です。
だけど、そこにスタッフのやわらかな心があれば最高なので、
そのスタッフを作って行くのも家族や利用者やケアマネや、いろんな
人のエッセンスが必要だと思います。
だからこそ、対面の交流が必要だと思っています。」





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しば

母の希望

リハビリも自宅での外泊も諦めて特養に行くのか、今居るグループホームに残るのかという話は、母にも父にもまだ伝えないようにと妹に頼んである。
妹は、それが苦しいという。心が痛むという。

けれども判断力の衰えた両親に、私や妹すらまだ判断が付きかねている段階で伝えれば、混乱させるだけだと私は思う。
今、父にありのままを伝えれば、順番が来たという特養に入るという選択肢は、完全に消えるだろう。
各施設と話し合える限り話し合い、情報を集められる限り集め、私と妹の意見が、話し合いによって一致してから両親には、噛み砕いて伝えたい。
両親の意見や気持ちを軽視するつもりはない。
それが最も重要だと思っている。
だからこそ慎重に、慎重に進めたい。


母は、今のグループホーム(母は病院のような所だと思っている。)に居るのもショートステイに利用した特別養護老人ホーム(母は「京都」と呼ぶ。)に行くのも嫌だと妹に訴える。
自宅に帰って、我慢も遠慮も束縛もない生活がしたいと言う。

妹「お父さんや私が、1日中付いてる訳にはいかないし、もしそうしたとしても喧嘩ばっ
  かりになっちゃうし、今の状況じゃ無理だと思うよ」
母「じゃあ、私がもっとしゃきしゃき歩けるようになればいいんだね?」
妹「お母さん、本当に自分がそうなると思う?」
母「あれもだめ、これもだめじゃ、他に方法がないじゃない」
妹「ここや京都(特養)に居て、お母さんが楽しく過ごせるようにするには、どうすれば
  いいと思う?」
母「何か、人に役立つことをしたい。今のままじゃ、みんなより一番何も出来なくて、遠
  慮ばっかりしてて、辛いよ。ただ寝て、起きて、車椅子に座ってるだけで・・・。
  ご飯が出てくるの待ってるだけの生活なんて・・」
妹「じゃあ、何か絵を描いたり、字を書いたり、本を読んだりする?したくないって言う
  じゃない」
母「・・そうだね・・」

母は、おそらくフェルガード(サプリメント)によって認知機能が上がったと私は考えている。
けれども、以前にも書いたが、認知機能が上がることが、幸せになることとは直結しない。
母は、フェルガードを飲む前は、自分の状況を正確に把握して、嘆くということがなかった。
自分が施設に居ることを理解せず、自宅に帰りたいとも言わなかった。
今の母は、自分の状況を嘆き、自宅に帰りたいと切々と訴えるが、それが無理だということまでは理解できない。
誰にも世話を掛けず、家事をこなし、留守番ができると信じて疑わない。
その考えを説得して変えさせることは、不可能だ。

妹は、母と会話していて辛くてたまらないという。
今度、帰省した時、グループホームの施設長に状況を話して、母が人のためにできる仕事を一緒に考えると妹に伝える。
母のグループホームは、一緒に食事の支度をしたり等ということはないようだが、グループホームとは、本来色々な家事などを手伝いながら共同生活を送る場であるはずだから。

電話で兄と話せた

実家に電話をすると兄が出た。
また「オトウサン、オカアサン、イナイ。(ガシャン!)」と切られるかと思ったが、今回は、初めて切られなかった。

兄「オトウサン、イナイ・・・・」
私「お兄ちゃん、私!○○(名前)!」
兄「○○?(嬉しそうに)○○、コンニチハ、コンニチハ」
私「(ほっとして)こんにちは。お兄ちゃん、一人なの?」
兄「オカアサン、ビョウキ、カワイソウ。オカアサン、ビョウイン」
私「そうだね。でもお母さんは大丈夫だよ。お兄ちゃん,歯医者、行った?」
兄「イッタ。ハイシャ、イッタ」
私「そっちも雪降ってる?寒い?」
兄「アメ。サムイ!サムイ!アメ、サムイ!」
私「大丈夫?暖房付いてるの?暖かい風出てくる?」
兄「・・・・?(わからない)」
私「お父さんは、仕事に行ったの?」
兄「オトウサン、○○○(○○屋)。オトウサン、イソガシイ」

しばらく話した後、兄の方から「○○(私)、サヨウナラ」と言って穏やかに切った。
兄と電話で会話らしい会話をしたのは、これが生まれて初めてだった。
胸一杯に、あたたかいものが、染み渡っていくのを感じた。

兄は、知的障害に加えて、かなり重い言語障害があり、他人が兄の言葉を聞き取ることは、とても難しい。
家族とは、向かい合って話せば会話はできる。
しかし兄は、電話でのコミュニケーションをすっかり諦めているようだった。
私が、以前、実家に電話をして母が出ると、母は必ず兄と代わった。
兄は、私の言うことは何も聞かず、一方的に喋って終わりということがほとんどだった。
私が、何か喋ると、その時には既に母と代わっている。

兄は、一人で家に居る時、電話に出ることもなかった。
両親が認知症になって、初めて自分で受話器を取り「オトウサン、オカアサン、イナイ」と言って一方的に電話を切った。相手が誰かも確かめずに。
苦手な電話だが、自分が応対しなければいけないという決意や必死さの滲む声だった。

あの時も兄の変化に驚いたが、今回は、更に深く心を動かされた。
兄は、見えない相手の言うことを何とか聞き取り、理解し、答えようと懸命に努力している。
それは、兄にとってどんなに勇気の要ることだろう。
兄の姿勢に深い敬意を感じる。

兄とつながったことが、私には、嬉しい。



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しば


薬を飲ませ忘れる父

父は、確定申告のために会計士に出す書類準備に苦戦していた。
長年お世話になっている会計士からは、2年前からミスが目立つようになったと言われている。
会計士には、父が認知症であることを伝えたが、「できる間は、できるだけ自分でやらせる方がいい」と言われた。(父は、私と会計士のやり取りを知らない。)

父は、ついに妹に助けを求めた。
父「だめだ。どうしても合わん。手伝ってくれんか?」

妹は、ノートパソコンを持って実家に行き、エクセル(表計算ソフト)を使って計算をした。
数字を入力しさえすれば、面倒な計算が一瞬でできる。
父「おぉ!!こりゃ~いいぞ~!!どこで売ってる?!いくらだ?!」
今すぐ買いに走りそうな父を妹が押しとどめた。
妹のお陰で「99%は片付いた」と父は、とても喜んでいる。


父は、その後もずっと落ち着いている。
しかし妹が、先日、実家で母の薬の袋(食事ごとにまとめて袋に詰めてある。)をいくつも見つけた。
週末に母を自宅に連れ帰った時、父が、飲ませ忘れたものだ。
グループホームの職員は、母が、週末を自宅で過ごして戻ると別人のように具合が悪いと言っていた。
薬のせいだった。
兄の薬の管理は、既に父に頼むことは諦めて妹がしている。
しかし母の薬の管理は、父がかいがいしくしているものと信じていた。
飲ませたかと電話で確認する度に「おぅ。ちゃんと飲ませてるぞ。忘れる訳ないだろ」と答えていた。

父には介護保険の更新の葉書が届いた。
父は、2010年9月に要支援2に認定されたが、サービスは一切受けていない。
「俺は何でも一人でできる」とヘルパーも拒否している。
更新には、医師の診断書が必要だそうだ。
妹は、今の落ち着いた父なら「非該当」になるのではないかと心配している。
9月に認定を受ける時も「良くて要支援1。非該当になる場合もある」とケアマネから説明されていた。
(「東京都では認知症なら要支援ではなく要介護に認定される」と友人のケアマネは言っていた。)
心配しても仕方がない。
こちらは、正確な情報を伝えるだけだ。

特養の入所順位はどう決まるか

母の入所申し込みをしてある他の2つの特養にリハビリや終末期医療のことを問い合わせた時、入所順位についても訊ねていた。

1。「現在は、200番前後です。在宅の方が優先になりますから、グループホームに入っていらっしゃると、どうしてもその後ということになります」

2。「順番はお伝えしないことになっています。申し込みは毎日あり、順番は毎日変わります。緊急度の高い方が優先されますので、一度お伝えした順番が下がることはあっても上がることは、まずありません。お伝えしたことで、がっかりされるご家族がいらっしゃるので・・。
在宅かグループホームなどの施設に居るかということは関係ありません。条件は同じです」


順番を教えないという特養に再び電話をして、事情を話し、順番を教えて欲しいとお願いした。
そこに入所の可能性があるのなら、順番が来たと連絡のあった特養は断って、そこに入所できる日を待ちたいと伝えた。
決まりだからと繰り返し断られたが、最後には受け入れられた。
「入所順位の担当者は、別なんです。明日、来ますので、明日、お電話頂けますか」


入所順位の担当者は、順位が毎日激しく変わるものだと何度も強調した後で、今、現在の順位は、180~220番のランクの中だと教えてくれた。
私 「ということは、何年待っても入れる可能性は低いということですね?」
特養「状況はどんどん変わるので、こればかりは何とも言えません」
私 「入所の基準は、施設ごとに違うんでしょうか?」
特養「県内は、すべて一緒です。点数制です。」
私 「グループホームに入っていると順位は下がりますか?」
特養「そういうことはありません。自宅も施設も同じです」
私 「自宅と施設では違うと他の特養からは言われたんですが、どういう基準で・・」
特養「詳しくは言えないんです。悪用して操作する人が出ても困りますし」

基準は同じでも、入所希望者にどういう人が多いか等によって、特養ごとに順位が大きく違うということはありえると説明される。
特養間で話し合って、順位を調整することもないという。

特養「どこに入れるか、入れないかは、全く予想が付かないので、とにかく一番最初に声がかかった所に行くようにと、私たちはいつも勧めているんです。でないとどこにも入れないということが、実際に起きます。
こちらの方が良いからと待ったとしても、そこに入れるかどうかは、まったく予測できないですから。
仰る通り、特養間の移動は、不可能です。制度上はできるんですが、それを始めたら収集がつかなくなりますから。1度入ったら他には移れないと思って下さい」

順番が来たという特養には、入所を躊躇するいくつかの点があると説明する。
特養「外泊を許可しないというのは・・ちょっとよくわかりませんが・・」
私 「父も認知症なので、危険性が高いという判断からだと思います。確かに危険なんですが、父も母もそれを何よりも楽しみにしているので・・」
特養「確かに施設にも責任がありますからね。危険を知りながら許したとなると責任を問われるでしょう。週末に自宅に泊まらせる時、娘さんが、必ず一緒に付くなどして安全を確保すれば、許可されるんじゃないでしょうか?」

私「今、次々と出来ているという新しい小規模特養に申し込みをすることをケアマネから勧められましたが、そこに申し込んでもやはり200番位になるでしょうか?」
特養「全く予測できません。運良くポンと入れてしまうということも場合によっては有り得るでしょうし、人気があって入居希望者が殺到して何年待っても入れないということも十分あります。実際に申し込みをしてみなければ、本当にわからないんです」

親切に細かく教えて頂いたことに心から感謝した。




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4月に特養に入るための条件

特養のリハビリについてあちこちに電話をしていた2月2日、妹から連絡が入る。
順番が近付いてきたと母を面接した特養から電話があったという。
妹「4月に4人部屋なら入所できるって。健康診断書と医師の紹介状を準備して下さいって」

「母は、夜、眠らないし、大きな声を出したりするので同室の人に迷惑をかける」と妹が伝えると、「そんな人ばかりなので心配いらない。個室が空いた時、個室に移れば良い」との答え。
「特養に入るということは、宝くじに当たるようなもの。この機会を逃せば、もう次の機会は来ない」とも言われたという。
「沢山の特養を見学して回って、ここが一番清潔で明るい感じだった」という妹は、リハビリを捨てても是非ここに入れたいという。
妹「評判も良いって聞いたし、担当者も明るい良い人だし・・」

しかし私には、疑問がいくつもあり、入所を即決する気持ちにはなれなかった。
その後、1週間、私と妹は、何度もこの特養に電話をした。
説明され、明確になったのは、以下のことだ。


*4月にこの施設が増設されるため、まとまった人数の入所希望者が一度に入所できる。

*母は、ショートステイにこの特養を利用していたこともあり、今回は、幸運にも順番が来たが、今、断る(先延ばしにする)と入所順位が大きく変わり(グループホームで何の問題もなく満足しているということで)もう入所の機会はなくなると思われる。

*リハビリに関しては、訪問リハビリも施設外(自宅や病院等)でリハビリを受けることも無理。
介護保険を使ったリハビリはできないし、今、医療保険で受けていると言うが、それも無理。
他の家族で、やはりリハビリを受けさせたいという希望があったので県の福祉担当者と話したが、主治医が認めないだろうから保険も認められないだろうという回答だった。その家族にもお断りした。

*○○さん(母)も面接の時「歩けるようになって家に帰りたい」としっかり意思表示していたし、お父さんもそういう希望を持っているなら、しっかり2人を説得して納得させてもらわなければ入所はできない。

*入所後は、お父さんが、○○さん(母)を自宅で入浴させたり、泊まらせることを許可することはできない。
事故の可能性が高く、責任問題が出て来るため。

*健康診断書を提出した人から入所が決まる。妹さんからの健康診断書の提出が遅れているために、既に下の順番だった人が繰り上がって入所決定になっている。それによって入所予定時期がどうなるかは、何とも言えない。入所を希望するなら提出を早くして欲しい。
(妹は、そういう説明は受けていなかったと言う。)


妹「家にはもう帰れないなんて、お母さんには言えない。お父さんが、納得する訳がない。お父さんに何て話す?」
父に状況を話すことと結論を出すことは、もう少し待つように妹に伝える。
選択肢を減らさないために、健康診断書だけは、早めに出しておくことを頼んだ。
他にどんな可能性があるのか、もう少し調べてみなければいけない。

アルツハイマー病予防に道 

昨日(2011年2月9日)の日経新聞夕刊に、「アルツハイマー病予防に道 原因物質の移動 解明 名大」という見出しで記事が出た。(社会面P14)

これだけ読んでも素人の私には、本当に予防の道が開けたのかどうか、よくわからない。
けれどもこうして研究が進んでいると知るだけでも希望は持てる。

短い記事なので、日経新聞のウェブ版からコピーした記事をそのまま載せる。



  アルツハイマー病発症解明の手掛かり発見 名大
  2011/2/9 10:34

 アルツハイマー病の発症に関わる遺伝子の移動メカニズムを線虫の実験で明らかにしたと、名古屋大大学院の松本邦弘教授らが9日付の米科学誌ジャーナル・オブ・ニューロサイエンスに発表した。この遺伝子が移動する際に起きる異常で発症するとみられており、詳しい発症の仕組みや予防・治療薬開発につながる可能性があるという。

 原因遺伝子は「APP」と呼ばれ、神経細胞内にある。細胞中心部と末端の間を行き来し、異常が起きて末端に蓄積されると脳に染みができ、アルツハイマー病を起こすと考えられている。

 松本教授らは、緑色蛍光タンパク質を使い、線虫の神経細胞内のAPPの移動を観察。末端部分でダイニンというタンパク質がAPPを載せ、中心部に運び出していることを突き止めた。

 中心部から末端への移動の際は、キネシン1というタンパク質が「モーター」の役割を果たすことは既に分かっていた。

 線虫と人ではAPPやダイニンがほぼ同じ構造をしており、人にも同じメカニズムがあるとみられるという。〔共同〕





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特養でリハビリを続けられるか

母は、現在続けている訪問リハビリによって歩けるようになり、施設ではなく自宅に帰って生活したいと何より強く願っている。
そう毎日訴えられる父も母の願いを叶えたいと真剣に考えている。
父「お母さんが一人で歩いてトイレに行ける位になれば、俺は、仕事(自営業)を辞めて、家で面倒を看てもいいと思ってる。お母さんは歩けるようになる」

しかし入所の順番が近付いてきたと連絡のあった特養(特別養護老人ホーム)の担当者は、「トイレに行く時に立つなどの生活リハビリはしますが、それ以上のリハビリはありません。入所の前にご両親を納得させて下さい」と言う。

1月下旬の帰省の目的の1つには、両親の説得があった。
もう歩けるはずがないことを両親にわからせ、諦めさせようとした。

しかし両親と何度も話した結果、説得は、不可能とわかった。
認知症の父に母の自宅介護を任せることはできないという私と妹の気持ちに変わりはない。
ただ、歩けなかった母が、突然歩くのを見て、リハビリをどうするかの判断は、より難しくなった。
(注:母は、いつでも歩けるわけではない。立つことも難しい時もある。)


まず他の特養でのリハビリの扱いがどうなっているのか、確認しなくてはいけない。
以前、このブログに特養のリハビリの問題を書いた時、リハビリを行っている特養に家族が居る方は、リハビリがあるのが当たり前と考え、そうでない特養しか知らなかった私は、そんな特養があることに驚いていた。
全国で何%の特養が、リハビリを積極的に行っているのかは、調べてもわからなかった。

自宅に戻ってから、母が申し込みをしてある他の2つの特養の担当者とケアマネ3人に電話をしてリハビリのこと等を質問した。

1。特養Aの回答
「リハビリは、皆さん、やってます。理学療法士や作業療法士もいますし、訪問リハビリをご希望なら勿論それを受けることもできます」

2。特養Bの回答
「理学療法士や作業療法士はいませんので、全体で特別なリハビリをすることはありません。ラジオ体操とか、その程度です。訪問リハビリを受けている方は、何人もいらっしゃいます。問題なく受けられますよ」

3。東京都でケアマネをしている友人の回答(メール)
「特養の担当者に問い合わせたら、訪問リハビリは、在宅での介護保険のサービスのため、施設入所後は利用できないとの話。但し、特養にも理学療法士や作業療法士がいるので、必要に応じて個別の計画を立ててリハビリは実施しているとの説明。訪問リハビリが無理なら他の方法を考えてみたら」

4。母の元担当ケアマネの回答
「それは施設の方針でしょうから、○○(母の入所できるという特養)でリハビリを導入させるのは、かなり難しいと思います。○○のトップと話しても○○の担当医と話したとしても簡単には変わらないと思いますよ。
入所を先延ばしすることは、勿論できます。”今は、落ち着いているので”とすぐには入所せず、もっと先に入るというのも選択としては良いと思います。問題ないですよ。
今、新しい小規模特養が次々とできているんです。全室個室で値段も良いですが、ケアも手厚いし、リハビリにも積極的だと思います。そういう所を当たってみるのはどうですか?」

5。母のもう1人の元担当ケアマネの回答
「○○は、リハビリをしないんですか?!特養はどこでもやってるものと思ってました。リハビリをすれば介護する方も楽になるのに・・。どうしてしないんでしょう?不思議ですよね。私もちょっと調べてみます」
入所の先延ばしは問題ない。新しい特養にも申し込みをと言われる。

特養によって言うことが違うということがわかる。
これを踏まえて、母の入所が近付いたという特養に電話をした。

特養と終末期医療(胃ろう)

*レビー患者は、パーキンソン症状により嚥下障害(飲み込み困難)を起こす。
*初期の 嚥下障害は、本人も周囲も気付かないことが多い。
*睡眠中に唾液(細菌を含む。)が肺に入り誤嚥性肺炎(死亡率が高い。)を起こす。
という3点を以前、コメントで、ちゃわさんから教えて頂いた。

嚥下障害が進むと、胃ろうにするかどうかの選択を迫られることになる。
母には、まだ幸い嚥下障害は出ていないようだが、いつか必ず直面する問題なので、今から考えておかなければいけないことは多い。

まず母の入所申し込みをしてある3つの特養に電話をし、胃ろうを含めた終末期医療について訊ねた。
思った以上に厳しい現実を知った。


1。特養Aの回答

誤嚥性肺炎などの病気ではなく、ただ弱って食べられなくなった場合、家族が認めれば、老衰で亡くなるのを看取ることはできる。
しかし本人に苦しみがあり、治療(点滴なり胃ろうなり)が必要となった場合は、病院に入院となる。
胃ろうの方の入所には、人数制限があるので、定員を越えると、一旦退所してもらうことになる。
定員の中に入れば、再び戻れる。

2。特養Bの回答

治療を望まない(病院には行かない)のであれば、できる限り最期まで看るように努力している。
苦しみがあり、入院した場合は、医師が特養に戻れるかどうかの判断をする。
しかし誤嚥性肺炎で入院した場合、病院も長期入院は望まず、多くの方が胃ろうになって帰ってくる。
現在、胃ろうの方が、20人居て、朝食時には、看護士が1人しかいない。
7時半から作業を始めて、一人づつ行うので最後の人の朝食は、9時半になっている。
大変お気の毒だと思っている。
胃ろうの方の人数制限は、今のところないが、人数的には、既に限界を超えている。
入所後の胃ろうは、受け入れるが、入所前に胃ろうの方は、入所を断っている。

3。特養Cの回答

特養では、最低限の点滴(水分補給など)や抗生物質の投与はできるが、治療はできない。
○○さん(母)の場合、持病(甲状腺、肝臓)もあるので、嚥下障害や誤嚥性肺炎はもちろんだが、病気の悪化によって入院する可能性は、大変高いと思われる。
入院した場合は、医師の判断で特養に戻れるかどうか決まる。
戻れない時は、老人病院を紹介する。
しかし老人病院は、月20~30万円かかるので、費用が大変ならば県外の病院を紹介している。
胃ろうの方の人数は1ユニット(15人)2名までと決まっていて、現在は定員一杯の状態。
定員を超えると病院を紹介する。
以前は、食べられなくなったらすぐ胃ろうだったが、最近は、胃ろうにしないという人も増えている。
胃ろうの方が亡くなって、すぐ戻れるということもあるが、どうなるかの予測はできない。


*胃ろうとは何なのか、胃ろうの何が良く、何が問題なのかは、過去の2つの記事「胃ろうの功罪」を。
*嚥下障害の詳細は、山部歯科医院 - 嚥下障害支援サイト スワロー を。

*この歯科医院のサイトに書かれた嚥下障害の原因
・脳卒中後遺症 ・外傷性脳損傷 ・脳性麻痺 ・認知症 ・パーキンソン病 ・ハンチントン病 ・ウィルソン病 ・筋萎縮性側索硬化症 ・多発性硬化症 ・脳腫瘍 ・重症筋無力症 ・頭頸部領域ガン ・薬剤 ・歯牙の喪失等による咀嚼力の低下 




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中日新聞連載「胃ろうを作りますか?」

「胃ろうをつくりますか?」と題して中日新聞が胃ろうの特集記事を載せている。
様々な実例(体験談)を基に書かれた記事は、わかりやすく、初めて知ることも多い。

しかし正直言って、知れば知る程、選択は難しくなる気がする。
乱暴な言い方をすれば、「生かすのか、殺すのか」という選択なのだ。
しかし胃ろうで体力を回復して状態が良くなる患者さんもいれば、生ける屍のようになって生き続ける患者さんもいる。
90代で末期がんならば、胃ろうにしないことが、自然で穏やかな尊厳死につながると考えることもできる。
しかしそういう例を除けば、胃ろうにしないという選択は、家族にとっては厳し過ぎるだろう。

記事は、以下をクリックして頂ければ全文読むことができる。
(文字サイズが選択できる。画面一番右上で)

1. 認知症       1月4日の記事

2. 家族、現場の葛藤  1月11日の記事

3. 広がる拒否感    1月18日の記事

4. 広がる事前指定書  1月25日の記事

5. 読者の反響      2月1日の記事

「読者の反響」の中に以下の文章があった。(原文通り)

名古屋市南区、医療ソーシャルワーカー林祐介さん(33) 
 私が勤める病院(介護療養病床を含む)には、転院先がなくて困っている家族からの問い合わせが、月に5~10件ある。大半が胃ろうなどの経管栄養が必要な方だが、待機者が多く、すぐの受け入れは難しい。今の入院患者は総じて要介護度が高く自宅介護は困難で、高所得者層が入る有料老人ホームへの入居も難しい。

 介護療養型の医療施設に入れないとなると、胃ろうの患者の退院先は一気に狭まる。老健、特養は看護師の人数が少なく、受け入れ不可か人数制限があるからだ。胃ろう患者の転院問題は地域差があるが、医療・介護政策の影響が大きいと思う。


これは、私もつい最近、特別養護老人ホームに電話をし終末期医療の話をした時、初めて知った。
特別養護老人ホームに一度入れても、誤嚥性肺炎による入退院を繰り返し、胃ろうにした場合、胃ろう患者受け入れ定員の枠が空くまでは、戻れないと説明された。
特養に入れたからといって安心はできないのかと愕然とした。

(このブログの胃ろう関連の記事は、左下のカテゴリの中の「胃ろう」をご覧下さい。)




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帰省5日目(2)母の診察

主治医の診察。
(2010年9月末から市内の開業医を主治医とした。
レビーと診断されてから3人目の主治医。)

調子が良いことを伝える。
グループホームの職員も「落ち着いていて何の問題もない」と言うと。
ただこの1ヶ月を見ると、家族には、泣いたり、怒ったりする時があり、時々職員と喧嘩をしたりもすると伝える。
主治医「それは、どの位の頻度で?怒って喧嘩するのは、週1~2回?もっと?」
愕然とする。私も妹もわからない。
施設職員から詳しく訊かなければ、家族にはわからないことだ。

主治医「よだれは出る?食事の時、むせたり、食後、声が変わったりしない?誤飲すると
    お年寄りの場合は、若い人みたいにむせないで声が変わる時もあるからね」
私と妹が知る限りはない。しかし職員に訊いてみなければわからない。

アリセプトの量について質問をする。
投与過剰によって興奮や怒りっぽさ、抑うつ症状が出るという話を持ち出す。
主治医「でも2.5mgだからねぇ。これ以上減らすと、飲む意味がないよ」

主治医は、母の体のあちこちを動かしたり、額、顎、足をコンコンと叩いたりする。

主治医は、母に、何に困っているかを訊き、母は、寝てばかりいて困ると答える。
「私が行った時は、いつでも起きてたよ」と私が言うと、母は「そう?」
主治医「特に問題がないんなら、薬はこのままにしようか」

妹は、薬局の薬剤師にアリセプトの処方量について訊ねる。
薬剤師「通常5mg、最低でも3mgなので、今でも少ないです。これ以上減らすと飲む意味はありません」

それが医療の現場で一般的な処方であることも、名古屋フォレストクリニックの河野和彦医師が「副作用が大きい」としてそれに異を唱えていることも知っている。
(コウノメソッドとしてネット上に公開。2.5mgは、母が河野医師から処方された。)
レビー小体型認知症の発見者である小阪憲司医師が「最低3mgは飲んで欲しい」とレビー患者に言ったという話も患者の家族から聞いていた。
母は、落ち着いているようなので、今は、小阪医師の考え方に従おうと思った。
今後、興奮や抑うつが強く出たら、その時は、資料を示し「例え意味がなくても試しに減らしてみて下さい」と主治医を説得するつもりでいる。

妹は、「セロクエル(向精神薬)を止めた時みたいに、おかしくなっちゃったらどうするの?」と心配する。
職員の一人が「抑うつと不眠は、セロクエルを止めたと同時に始まった」と妹に断言したからだ。
0.02g(百分の2g。段階的に止めるために処方の半分に減らした量)のセロクエルにそんな急激な作用が出るとは、私には、思えない。
薬の微調整1つとっても家族ひとりひとりの意見、施設職員の意見、医学界内の意見は、皆、違う。

 追記1:この記事のコメント欄にhokehoke先生(コウノメソッドを実践する医師)が、アリセプトの量と副作用に付いて詳しい説明を書かれています。

 追記2:私は医療関係者ではありませんので、薬に関して正誤の判断は付けられません。小阪医師の書かれたもの、河野医師の書かれたもの、どちらも読み、どちらも参考にしています。レビー患者は、薬物に対しての反応(作用も副作用も)が極端に出ることが多く、しかも個人差が激しいため、1人の医師の処方が万人に良く効くということは、ありえないのだろうと考えています。

帰省5日目(1)母、歩く

母の月に1度のレビーの診察の日。朝、妹と母を迎えに行く。

病院に行く車の中で母に何か食べたいか訊く。
母「何があるの?」
私「何でもあるよ。伊予かん、大福、生チョコ、豆煎餅、飴・・・」
母「大福!」
母は、半分に分けた大福を嬉しそうに食べる。
食べ終わるとすぐに次の物を欲しがる。

間食は良くないとわかりながら、母の喜ぶ顔が無性に見たくなる。
今日自宅に戻り、また1ヶ月母に会えないと思うと余計に。
際限なくお菓子を食べさせる父の気持ちがわかる。

妹「○○ちゃん(私)、お父さんと一緒だね。食べさせ過ぎじゃない?」
母「Next(次)!」
妹「ネクストかい?!」
私「お母さん、発音いいねぇ!」
3人で笑った。

病院の駐車場に着くと、いつものように母が言う。
「歩いてくから、(車椅子は)要らないよ」
車から降りると立位がいつになくしっかりしている。
昨日リハビリの担当者から言われた言葉を確かめてみたいと、ふと思った。
私「じゃあ、頑張って歩いてみようか~」
私が前から両腕を支え、妹が後ろから車椅子を添えた。

母は、歩いた。
小股ではあるが、安定した足取りで、私にすがりつくこともなく。
母は、もっと歩くと言ったが、3メートル程で妹が車椅子に座らせた。
まだまだ歩けそうだった。

私「(妹に)見た?!」
妹は、黙って深くうなずいた。
2人とも何が起こったのかわからない。
立つのも困難な母が、歩いたのだ。
最後にこんなにしっかり歩けたのがいつだったか思い出せない。

5分後には、立つこともできないかも知れない。
症状の激変は、いつも起こる。
これから常に歩けるなどとは、決して思わない。
それでも今、ここで、母が歩いたのは、事実だ。

<レビーは、進行性の病気。>
<進行の速度は、アルツハイマーよりも早い。>
<レビー患者は、どんどん悪くなっていく。>
どこにもそう書いてあり、誰もがそう言う。
私もそう思っていた。
でもそれは真実ではない。

奇跡を信じるわけではない。
ただすべての認知症患者が、教科書通りに悪くなっていくわけではないのだ。

「歩けるようになる」と言った父は、正しかった。

帰省4日目(3)わからない中を生きる 母、孫と正常に会話

実家に帰り、父にリハビリの効果が上がっていると言われたことを伝える。
歩けるようになると言われたことや特養のリハビリのことは、まだ黙っている。
父は、まだ自宅介護を諦めてはいない。
歩けるようになれば、施設ではなく自宅で介護するのだと言っている。
気持ちはわかるが、それは避けたい。母の安全が保てない。
父「そうか。じゃあ、(リハビリは)そういい加減にやってるわけでもないんだな」
父は、冷静に聞く。そう変わったことで、父自身の不満やストレスも軽減していると思う。

妹に電話でリハビリの担当者から言われたことを伝える。
妹「歩ける?!そんなこと有り得る?!歩ける訳ないじゃない!
  ○○先生(母の主治医)だって無理だって言ったんでしょ?」
私「それぞれの人が、それぞれの見方をするよ。○○先生(主治医)は歩けないと思う。リ
  ハビリの先生は歩けると思う。考え方は、皆、違うよ。誰が正しいか、何が正しいか
  なんて、私にも、誰にもわからないよ」

母が幻視と現実を区別できなくなった2009年の暮れから1年余り、私たちは常に「わからない」中を生きて来た。
誰に何をどう訊いてもわからない。
母の病気が何なのかわからず、母がなぜ突然歩けなくなったのかわからず、母がこれからどうなっていくのかわからず、どの医師なら母を治せるのかわからず、どの薬が良いのかわからず・・・。
病名は2010年5月にわかり、医師の処方したリスパダールで歩行困難になったことはわかったが、わからないことは、きりなく出てくる。
遠距離に住んでいて一番苦しいことは、わからないことが多過ぎることかも知れない。
現状を正確に把握することすら難しい。疑問符ばかりが頭に広がっていく。
どれだけ調べても、どれだけ多くの人に訊ねても答えは、見つからない。
わからないままに、白でも黒でもない曖昧なままにして生きていくことは、心のエネルギーを消耗する。

妹とは、とにかく母がリハビリを続けられる方法を探そうということで意見は一致した。


夕方、父の誕生日に贈ったレンジ蒸し器を棚の奥から引っ張り出してきて使う。
再び使い方を説明する。
色々な野菜を入れて、肉か魚をのせてレンジで加熱。市販のたれに付けて食べる。
父「簡単だし、美味くていいな~。これなら俺でもできるな~」
11月に説明した時もまったく同じことを言った。

妹は「○○ちゃん(私)が説得してくれたお陰で、お父さん、野菜も食べるようになったよ」と喜んでいたが、父の食事は、まだまだ問題が多そうだ。
乳製品は一切取らないし、納豆も食べない。豆腐も肉もほとんど食べない。
1個200円のリンゴ(高い!)を買って来たかと思うと、食品添加物が大量に入っていそうな安物の加工食品を買って来る。
何をどう食べればいいか紙に書いて貼っておくことも考えたが、今まで書いた多くのメモは、どれ1つ何の役にも立っていない。
最近は、ちょくちょく妹が来ては、食事を作ってくれるようだが、<冷蔵庫に(或は鍋に)入ってるから温めて食べてね>というメモを残して帰ると、次に来た時、そのまま置いてあると嘆いていた。

夕食後、父と再び母の所に行く。
かなり調子が良いようなので、私の子供に電話を掛け、母に代わる。
健康な時と同じように2~3分もの間、流暢に楽しそうに話す。
「来年の3月くらいには退院できると思うからね」の一言以外は、まったく正常だ。
これを聞いて、誰が、認知症とわかるだろうか。
母「お母さん(私)、明日、帰るからね。(私が留守にすることで)いつも不自由かけて
  ごめんね」
母らしい細やかな気使いも随所に見せる。私が明日帰ることも覚えている。
11月(2010年)は、ほとんど会話にならなかったのに・・。なぜ?
驚きが大き過ぎて、喜びが湧かない。
2010年11月から再び飲み始めたフェルガード(サプリメント)の作用だろうか?

帰省4日目(2) 母のリハビリ責任者と話す

この日、母の訪問リハビリの責任者と会って話す約束を帰省前にしていた。
グループホームで母のリハビリの実際を見てから話すことになっていた。

朝、父が、突然言い出す。
「たまにはお母さんのリハビリを見に行くかなぁ」
予想外の事態だが、あの落ち着いた父なら「もう歩けない」という言葉も冷静に受け止められるのではないかと考えた。
もし怒り出すことがあったとしても私が付いていれば何とかなる。
しかし結局、父は、仕事の都合で来なかった。

リハビリの責任者は、知的で頼りがいのありそうな男性だった。
名詞を渡される。肩書きに驚く。
リハビリ施設の施設長、鍼灸マッサージ師、看護士、健康運動指導士、介護支援専門員、介護予防運動指導員。

「リハビリは、筋力、関節の可動域、心肺機能の3つを向上させないといけません」
説明しながら、母の関節を動かしたりしてリハビリを進める。
「(ベッドから)車椅子に移動できますか?」
母は、言われるままにベッドの柵と車椅子の手すりを掴んで一人で何とか移動する。
誘導の仕方も上手いが、実家に連れて帰った時とは別人のように立ったり動いたりできる。

「家では立つのも大変でした。家に帰ると家族に甘えてしまうんでしょうか?」
「そういうこともあるのかも知れません」
介助の下手さ、転倒への恐れ、バリアフリーでない家、適切でない手すり・・。
それがこんなに大きな差を生むのだろうか。

「リハビリを始めて3ヶ月ですが、ご家族から見て、いかがですか?」
「介助は、以前より大変になっていると感じます。でもここの職員の方に伺うと、筋力が付いて以前よりしっかり立てるようになったと言われます。元々症状に波のある病気ではあるんですが・・」
「冬はどうしても関節が固くなります。リハビリの効果も出にくい時期です。しかし○○さん(母)は、固まっていた膝も柔らかくなっていますし、筋力も上がっています。今、これだけの効果が見られるということは、春以降は、もっとはっきりした効果が出るということです」
「父と母は、歩けるようになることを強く望んでいます。そんなことが可能だと思われますか?」
「この調子なら十分可能だと思います。しかしリハビリは、目的によってやり方が全く変わってきますから、今と同じリハビリではダメです。最初の目標は、車椅子への移乗や立つことでしたから・・。歩くことを目指すなら心肺機能も上げるもっとハードなリハビリをすることになります」
「レビーは進行が早いと聞いていますが、それでもこの先、歩けるようになりますか?」
「文献と実際の患者との間には差があります」

もうじき入所できそうな特養では「リハビリはしない、リハビリを諦めなければ入所はできない」と言われたことを伝える。
「私たちは、特養にも行っていますよ。リハビリをするかしないかは、その特養の方針です。しかしリハビリをしなければ急激な身体機能低下、寝たきりになることは、避けられないと思います。選択は色々あると思います。その特養に行く。ずっとここに居る。別の特養を当たる。それは、ご家族の選択です。
今後のリハビリについては、何を目指すのか、よくご家族で話し合って、結論をご連絡下さい」

帰省4日目(1)兄の行き先

月曜の朝、兄が薄手の上着を着て施設へ出掛けようとする。(バスが迎えに来る。)
慌てて防寒のコートを勧めたが、怒ってそのまま行ってしまった。
(普段あまり怒ることはないのだが、自分で決めた予定ー服も含むーを変更するのは、いつも容易でない。)
金曜日までは授産施設とショートステイ先の往復で自宅には戻らない。
郊外にある施設に電話をし、コートを持って行くことにした。

両施設の職員にお菓子を買って持って行く。
兄の担当職員が出て来て、居眠りばかりして変なので病院に連れ行って欲しいと言う。
「また倒れたりしても困りますから」
(兄は、てんかん等の薬の飲み過ぎか飲み忘れで2回倒れている。)
兄と自宅に帰り、近所の病院に一緒に行く。

私「お兄ちゃん、どこか痛い所、ある?」
兄「アタマ、イタイ、イタイ」
これは兄の口癖のようなもので毎日何度も言っている。
その度に薬を飲もうとするので、妹が、余分な薬は隠し、頭痛薬と称してビタミン剤を用意してある。

診察室で待ちながら、念のために実家に来ていた妹に確認の電話をする。
妹「ごめん!予備に置いといた薬が減ってた!もうずっと言った通りにキチンと飲んでた
  から大丈夫かと思って、つい予備のを置いてっちゃった!」
厳重に袋に包んであったようだが、やはり兄は取り出して勝手に飲んでしまった。

医師は、あちこち丁寧に触診して診てくれた。どこも異常なし。
薬のせいだとわかってはいたが、ほっとする。
医師「こういう人は、自分で症状を訴えられないから周囲が気を付けてあげないと。手遅
   れになっちゃいけないし・・。薬の管理は、家族がもうちょっとしっかりして下さ
   いよ」
兄は、診察室を出る時、何度も何度も深々と頭を下げて挨拶をする。
「センセー、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ。サヨウナラ、サヨウナラ」

帰りにコンビニに寄って母に持って行くお菓子を買う。
兄に何が食べたいか訊くとレジの前の最中(もなか)を指差すので一緒に買う。
兄を車で施設に送りながら最中を手渡す。
皮が散らばって、ぐしゃぐしゃになり、半分で突き返された。
兄「ダメ!コレ、ダメ!」
最中を食べるにも技術がいるということに気付かなかった。

施設では、ショートステイの手配を担当している職員が出てくる。
「今、ショートステイに使う中古物件を買おうとしてる最中なんです。それが決まったら
 真っ先に○○さん(兄)に入ってもらえますからね」
「それは、どこにできるんでしょうか?」
「ここからそんなに遠くない所ですよ。ここに通うには楽です」

信じられない思いだった。
ショートステイの希望者は、定員よりはるかに多い。
兄は、両親が世話をできなくなった緊急措置として長期利用をしているが、それもせいぜい半年と言われていた。
「放り出すようなことはしません」とは言われていたが、知り合いもいない市の東か北の果てで暮らし、南の果ての授産施設に時間をかけて通うことになるのだろうと思い、気に病んでいた。
(障害者の施設は、周囲に住宅の全くないようような郊外にしかない。)
心配の種は、次から次へと湧き続けているが、こうして消えていくものもある。
ありがたい。





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しば

帰省3日目(3)世話をしたい母

私「お母さん、蕗(フキ)むくの手伝ってくれる?」
母「何でもするよ」
蕗は、母の(そして私の)好物だ。
後でむき直すつもりでいたが、母は、昔通りにきれいにむいた。
母は、夕食の支度をする私に、蕗をむきながら次々と指示を出す。
「蕗は、大根と蓮根と一緒にマヨネーズを入れて煮てね」
「冷蔵庫にタチ(太刀魚)の塩漬けと醤油漬けが入ってるから、醤油漬けの方を焼いて」
「ご飯が炊けたらお酒と・・何だっけ?そう。お酒とお水をかけてね」
母は、マヨネーズで煮物は作らないし、母の好きな太刀魚は冷蔵庫にはない。
ご飯に酒と醤油を混ぜたものをかける桜ご飯(郷土料理)は、母がよく作ったものだ。

一緒に居る兄にもひっきりなしに指導が入る。
「その服は、ダメ。首がVのがいいよ」
「○○(通所施設)に持ってくカバンの中に○○はちゃんと入れた?」
言っていることの半分は滅茶苦茶だが、母は、真剣にしゃべり続ける。
ここまで世話焼きだっただろうかと考え、確かに過剰な世話焼きだったと思い出す。
そしてこれが、きっと母の「したいこと」、「戻りたい生活」なのだろうと思う。
世話されるのではなく、世話をする生活。
自分が責任も主導権も持ち、一家の主婦として家族を支えるために働く生活。

父の居ない間、母は、2回トイレに行きたがり、私が一人で介助した。
狭くて車椅子を使える所は限られているので、短い距離だが、私が支えて歩いてもらう。
しかし母は、バランスが取れず、足も不自然な形にもつれる。
1人では支え切れなくなり、2人でしゃがみ込んでしまった。
そこから起こすのも容易ではなく、2人ともぐったり疲れた。

夕食は、母のリクエストの韓国料理、チゲ(鍋)を作った。
母は、美味しいとよく食べた。
母は(私もだが)、外国の珍しい料理が好きだ。
見たことのない料理には手も出さない父は、一口も食べないかと思ったが、好物のカニを入れたせいか、きれいに食べた。
異常だった時には、偏食も極端で、主菜を一口も食べない時が多かったが、今回の帰省では、何を作っても一応食べてくれる。

和やかに食事を終え、お茶を飲んでいる時。
母「私、ここに泊まるよね?」
父「今日は、泊まらないよ」
母は、表情を一変させ、お茶をテーブルにぶちまけた。
そんなことをする母を生まれて初めて見た。
父は、怒鳴り出すと思ったら、せっせとテーブルを拭きながら我慢強く母を説得する。
更に驚く。
母「戻らないよ!絶対戻らない!私、もう寝ちゃうもん!もう眠いもん!」
私「じゃ~、寝ない内に戻ろ~!」
説得は不可能と感じたので、そのまま気を紛らわせつつグループホームに戻した。
「お帰り~!」と職員に迎えられると、母は、笑顔で「じゃ、また明日ね~」と手を振った。

帰りの車の中で父と話す。
私「お母さん、帰る時、いつも怒るって言ってたけど、いつでもあんな風?」
父「お~、お~。怒る、怒る~。もっと凄いぞ~」
グループホームのセンサーの説明もする。
父「そうか、じゃあ、なんかあったらすぐ来てくれるんだな」
一応納得したようだった。

家に着くと、兄が、自分で風呂の残り湯にお湯を足してぬるま湯に浸かっている。
父は、ここでも怒鳴らない。慌てて風呂を熱くしている。
父「(ため息)何で勝手にやるかな~」
私「お父さんを手伝おうって思ったんじゃないの?自分でできることは自分でやろう
  って、お兄ちゃん、一生懸命頑張ってるんだと思うよ」
父「・・・そうかも知れんな・・・」

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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