帰省3日目(2)チヂミを食べて帰宅

日曜日、妹も兄も一緒に母と外食をする約束をしていた。
母「昼は外食?そう?チヂミって韓国料理なの?韓国料理って美味しいんだ?
  いいねぇ。じゃあ、夜(夕食)は、あんたが韓国料理、作ってね」
土曜日に母がそう言っていたので、グループホームには、昼食、夕食共にキャンセルと伝えてあった。

母を迎えに行った時、職員に父の「直訴」の相談をした。
以前あったナースコールのようなものは、用がなくても押す人が多いので取り外し、代わりにセンサーがあると説明される。
センサーは、ベッド上で動きがあればランプが付く仕組みになっているという。
私から父に説明して直訴しないよう説得すると伝える。

母は、会った途端に悔しそうに訴える。
母「夢の中で病気が治ってスタスタ歩けたのに、起きたら全然動けないんだもん。もう
  がっかり!」
私「お父さん(の幻視)は、出た?」
母「居なかったねぇ。毎日来てたのに・・。丁度いい。あれには、毎日苦しめられたよ」
(父の幻視は、なぜかこの日からピタリと消えた。)

母が、チヂミ(韓国のお好み焼き)を食べたいと以前から繰り返し言っていたので、チヂミのあるレストランに行く。
母は、食事をしながら会話をするまではいかないが、嬉しそうに上手に食べている。
兄が、母をじっと見つめて泣き出す。
私は慌てたが、母は、全く動じず、慈愛に満ちた笑顔で兄に言う。
母「心配ないよ。すぐ治るから。すぐ家に帰れるからね。大丈夫!」
和やかな食事ができた。

食後、どこかに行きたいと母が言うので、一旦は、車椅子で回れる大きな公園へ向かった。
しかし途中で「ウンチ出そう。嫌だね~」と言うので、急いで自宅に戻った。
父は、「俺がやるからいい」と母をトイレに連れて行く。
見ていると介助は、随分上手になった。
市販のおしり拭き(ウェット・ティッシュ)は使わずに濡れタオルを使っている。
何度もおしり拭きを勧めているが、父は、濡れタオルに固執している。
私「後ろから前に拭いちゃダメだよ。前から後ろに拭かないと。膀胱炎とか病気の原因
  になるよ」
父「そうか~?!」

椅子に座って落ち着くと、母は、終始食べるものを欲しがり、父が与えれば与えるだけ食べてしまう。
父は、お菓子であれ何であれ、食べれば食べる程健康になると信じていて、何かの餌付けのように食べ物を渡し続ける。
私「そんなに食べたら病気になるよ~」
母「だって口、動かしてないと淋しいんだもん」

しばらくすると仕事の電話が入り、父は、何も言わずにそのまま飛び出して行く。
私「お父さん、日曜は仕事しないって言ったのに・・。
  お母さんが居てもお母さんを置いて、お父さん、仕事に行っちゃうの?」
母「行く、行く~!そうしていつまでたっても帰って来ないから、警察に電話するの」
私「したの?何て言われた?」
母「その内帰って来るから、もうちょっと待ってなさいって」
(母は、電話のある所まで移動できない。妄想だろう。)

母は、父がいつ帰ってくるのかと訊き続ける。段々心配でイライラしてくる。
気をそらすように時計を描かせてみたり、住所を書かせてみたが、ほとんど描(書)けなかった。
表情や会話に関しては、随分良くなっているのに、描(書)くことは、以前よりずっと悪くなっていることに驚く。

母が、どんなことに困っているのか、悩んでいるのか、何が辛いのか、ゆっくりと聞き出す。
母「孫に会った時、”こんなに歳とって”って思われるんじゃないかと思って、しっかりし
  なきゃって思うけど、しっかりできるかどうかわからないから、会うのが苦になる」
私「そんなこと誰も思わないよ。凄く会いたがってるよ。電話ならいいの?」
母「電話でもあんまり話したくないね。次に何を言えばいいのか、わからなくなるんだ
  もん。私、本当にバカになっちゃったよ。話してて、いつも、何を言おうとしてたか
  忘れるの。話にならないよ」

帰省3日目(1)元に戻った父

朝、父は、また同じシャツを着ている。汚れ方を見ると既に1週間は着ている。
私「お父さ~ん、そのシャツ何日着るの~?」
父「♪1ヶ月だ~♪」
節を付けて、愉快そうに答える。
それは、すっかり忘れていた「以前の父」だ。
父は短気だが、普段は、明るくひょうきんな人だった。
よく変な節を付けては、笑いながら歌うように話した。
もう1年位(母の幻視がひどくなった頃から)1度も聞いたことがなかった。
目頭が熱くなる。

父は、毎日朝から妹の心配もしている。これ程、娘の心配をするとは思わなかった。
毎日頻繁に探し物もしているが、大騒ぎすることはない。

問題は、多々ある。
相変わらず食器も歩行器も靴も下着も増えているし、台所の手ふきは真っ黒だ。
生活の中で、正せるなら正したい所が、8割か。
けれども私自身、もうそれを問題だとは思わなくなった。

父「お~、また増えた~。いっとき6キロ痩せたけど3キロ戻ったぞ~。あと3キロだな」
体重計に乗った父が、子供のように喜んでいる。
母のことで6キロも痩せたとは・・。
それに気が付かなかった私も余裕がなかったということか。
私は4キロ痩せたが(既に戻っている。)、父の心労はそれ以上だったのだ。
妹も一時期げっそりやせ細っていたのを思い出す。

父は、変な時間にフェルガード(サプリメント)を飲んで言う。
父「気のせいかも知れんけどな~、これを飲んでると調子がいいんだ。メガネもなくならなくなったしな。これを飲むと、今日も一日大丈夫だっていう・・何って言うかな・・安心感みたいなもんがあるな」
私「”こんなもん気休めだ”ってずっと馬鹿にしてたのに・・。朝夕忘れずに飲んでるの?」
父「1日1回で十分だ~」
私「お父さん、去年の夏から凄く怒りっぽかったり物忘れがひどくなったの、覚えてる?」
父「そうか~?覚えてないなぁ」

父に何が起こったのかは、わからない。
(去年の9月には、脳が萎縮し脳室が拡大していると物忘れ外来の精神科医から言われた。
何の薬も処方されておらず、飲んでいるのは、フェルガード半量だけだ。
それが奇跡のように効いたとは、常識的には考えられない。)
けれども理由などどうでもいいと思う。
父は、落ち着き、以前の明るさを取り戻している。
それで十分だ。
半年後、1年後に、また激変する日が来るのかも知れない。
来るなら来ればいい。
その時のことは、その時考える。
今は、ただこの幸せに感謝しよう。

帰省2日目(3)否定してはいけない

父が、認知症の講演会から帰って来る。
父「認知症の人の言うことを否定しちゃいかんって言ってたぞ~」
初めて聞いたかのように深く感心している。
妹と顔を見合わせる。2人でいったい何回言い続けてきたことか・・。
私「否定してもいけないし、怒っても、怒鳴ってもいけないんだよ」
家族が何十回言っても頭に残らないことが、講演会で一度で覚えられるなら、何度でも行って欲しい。

父「何とか(包括支援)センターとかっていう所に行けば、相談できるって言ってたぞ」
私「○○の側にある包括支援センターに(母の)ケアマネの○○さんがいるんだよ」
父「そうか~?!」
私「いつでも親切に相談にのってくれるよ」

「20年以内には、認知症は薬で治るようになる」「重度の認知症でも70%の家族は、年のせいだと思っている」など、父は、講演会で聴いた内容を色々面白そうに話した。(父の話したことなので、内容が正確かどうかはわからない。)

講演会の後、相談ブースが設けられ、父は、グループホームの設備のことを相談してきたという。
母のグループホームには、ナースコールのようなものがない。
母が父に「夜中にいくら呼んでも来てくれない」と言うので、父は、ボタンを押せば職員が飛んで来るようにしたくてたまらない。
相談員は「それは、市の長寿保健課に電話して訴えなさい。市から指導が行く」と言ったという。
そんなことをすれば、密告者はすぐバレる。手を打たなければ。

夜、父と兄と3人で、母の所へ行く。
車の中で、父に褥瘡(じょくそう。床ずれ)の話をする。
母は、寝返りが打てないので、グループホームでは、職員が何時間かおきに体の向き(体位)を変えてくれている。
自宅に連れて帰るのなら、父も同じようにしなければならないし、その時オムツも替えなければいけないと伝える。
私「床ずれは、一晩でもできるからね」
父はとても驚いていた。
12時から7時まで母を別室に放置して何の問題もないと信じていた。

私「特別養護老人ホームは、入りたい人が何百人も待っているんだからね。”自宅で看ます、やっぱり無理でした、入れて下さい”なんて言ってももう入れてくれないよ」
(これは、父を脅すための出任せなので確認はしていない。)
父「ホームに入っても、今みたいにいつでも連れ出せるんだな?家も泊まれるんだな?」
少ししゅんとした父だったが、「そうだよ」と聞くとほっとしたようだ。
説得は効いている。父は、やはり変わった。

母は、昼より少し調子が悪く、思っていることをうまく言葉にできない様子。
目にも生気がなく、どこを見ているのかよくわからない。
兄が目に涙を溜めて言う。
兄「オカアサン、カワイソウ・・・」
母「大丈夫だよ。もうじき治るからね。もうじき家に帰るからね」
急に優しい母親の顔になるので驚く。

母は、毎晩父が床で寝ているが、いくら呼んでも起きてくれない、その内黙って帰ってしまうと訴える。
父は「何を!・・・」と言いかけて黙る。
「否定してはいけない」と言われたことを覚えている。
私「呼んでも返事をしない人は幻覚なんだよ。今夜出たら、そう思って呼んでみて。それで返事をしなかったら”あぁ、これは幻覚なんだなぁ、本物のお父さんじゃないんだなぁ”って思ってみて。OK?」
母「うん。わかった。やってみるね」
(今まで母が見た幻視の人物は、ほとんど全く声を出さない。去年の始め頃、一度だけ私の子供の幻視に「”お風呂に入りたいの?って訊いたら”うん”って言った」というが事実かどうかはわからない。)

話している内に段々母の調子が上がってきた。
15年程前に一緒にナイアガラの滝に行った時の話をすると目が輝く。
(私たち家族が米国に2年間住んでいた時に両親と兄が訪ねて来た。)
母「あれは凄かったねぇ!!ホテルの窓から見える滝に飲み込まれそうだったねぇ!!」
私「あのホテルで、ダシの入ってないお味噌汁が出たの、覚えてる?」
父「ありゃ~、とんでもない味噌汁だったなぁ!!懲りたぞ~!」
珍しく父も話に乗ってきて、皆で笑って話した。
思い出が、一生の宝になるのだと知る。この歳になって・・・。

帰省2日目(2)父、講演会へ 母「普通の生活がしたい」

父は、ここしばらく認知症関係の本を買い漁(あさ)っている。
中身は見ずに、タイトルに認知症と書かれたものをまとめて買って来るのだと言う。
しかしまともに読んでいるとは思えない。

父「お母さん、認知症って言ってもアルツハイマーみたいな所はないぞ~」
私「だ、か、ら、お母さんの病気は、レビー小体型認知症なんだってばっ」
アルツハイマーとレビーの違いを説明する。何十回目かは忘れた。

父は、12冊の本の中から一番怪しそうなものを持って来て言う。
父「これだけあって役に立ちそうな本は、これ1冊だ。ここに書いてあるこの薬(サプリ
  メント)は、どこで手に入るか調べてくれんか」
その本は、そのサプリメントで認知症が劇的に治った、改善したという宣伝本だ。

続いて父は、その日に開かれる認知症の講演会のパンフレットを私に見せ「どう思う?」と訊く。
「どんどん行けばいいと思うよ。正確な知識は役に立つよ。お母さんの介護にもね。
ついでにこの本も持って行って、”これ、どう思いますか?”って訊いてきたら?」
2時からの講演会なのに、昼食後すぐに出掛けて行った。
父は、仕事の約束でも1時間以上早く出掛けて行くようになっている。
そんなに早く行って先方の迷惑にならないのかと訊くと下見や準備に時間が要るのだと言う。
よくわからない。

妹と兄と3人で母の所に行く。
昨日程ではないが、会話はできる。抑うつもない。
何がしたいのか、何が楽しみなのか、何に困っているのか、何が嫌なのか、1つ1つゆっくり訊いていく。
母「家に帰りたい。普通の生活がしたい。草取りしたり、家を片付けたり、隣の○○さんと
  立ち話したりしたい。そういう普通のことがしたい。ここに居ても意味がない」

私「お母さん、本当に○○(母の自宅)に泊まりたいの?夜中、ひとりぼっちにされちゃう
  のに、本当に泊まりたいの?」(母は朝、びしょ濡れになって横たわっている。)
母「泊まりたいよ。う~ん。泊まりたいっていうか、帰りたいの。戻りたいの。
  夜は一人の方がいいよ。お父さん、”うるさい!早く寝ろ!俺は死んじまう!”って怒
  鳴ってばっかりいるもん」

私は母を説得したかった。
あれだけ頭のしっかりした母なら、話せばわかるのではないかと期待した。
母さえ「家に帰りたい、泊まりたい、風呂に入りたい」と言わなければ、父もそうしない。
問題も事故も起こらない。
しかし話せば話すほど、母を説得することは無理なのだとわかった。

その後、妹と兄と墓参りに行き、伯母の家を訪ねる。
いとこ(伯母の娘)が来ていた。
いとこは、優しく根気良く兄の話し相手になってくれるので、兄は満面の笑みを浮かべている。

いとこ「法事の時、おばさん(母)、凄くしっかりしてたけど、1度も○○ちゃん(兄)のことを心配しなかったのにびっくりしちゃった。いつだって心配して、何から何まで細かく世話を焼いてたのにねぇ。あの時は、忘れてたのかなぁ。
おじさん(父)、パソコンやる?そうか。良かったねぇ、なくて。おじさんがインターネットやってたら、今頃、”認知症が劇的に治った”って宣伝してる薬、片っ端から買い漁ってるよ~。詐欺被害は百万じゃ済まないね~(笑)」
いとこの言う通りだ。
伯母は、例え介護の仕方が滅茶苦茶であっても
「○○さん(父)が、あそこまで面倒看るとは思わなかったよ。根は優しい人だとは知ってたけどね」
としみじみと話していた。

帰宅してから兄が心配そうに訊く。
兄「○○チャン(もう一人のいとこ)、××(体の部位)、ダイジョウブ?」
私「お兄ちゃん、誰から聞いたの?!なんでわかったの?!」
妹「お兄ちゃん、わかるんだよ。この頃、何でもちゃんとわかるんだよ。びっくりする
  よ」
いとこの××(体)に病気が見つかり、手術をするという話を皆でちらっとしていたのを兄が聞いて理解していた。

帰省2日目(1)父の診察 やってみなければわからない

父の診察の日。2ヶ月に1度の経過観察だ。主治医は母と同じ。
今回も父は1人で行くと行ったが「一緒に行ってお母さんのことを訊こうよ」と言うと受け入れた。
父の説得に、主治医の力を借りるつもりだった。

車で10分で行ける所なのに、父は、予約の40分前には「もう行く」と言い出す。
私「保険証持ったの?」
父「保険証って何だ?」
私「病院に行く時、いつも持ってくでしょ?」
父「そんなもの、持ってったことないぞ。どこにあるんだ?」
こういう発言が、理解に苦しむ。
しかしこの発言を除けば、父は、やはり「正常」に戻ったと思う。

車の中で父は、妹の家のことを心配している。
○○という行政のサービスがあるが、妹にどうかと私に訊く。
私「紹介するのはいいんじゃない?でも強制はできないよ。○○(妹)も大人なんだから」
父「・・まぁ、親だからな。俺が、何とかしてやるけどな・・」

病院では、血液検査の結果を説明される。
血糖値が高い。
父は、前立腺癌は大丈夫かと長々と話す。
少し話が突飛になっているので横やりを入れる。
私「それは経過観察でいいって言われたのに、お父さん、無理矢理精密検査をしてもらっ
  て、問題ないって言われたじゃない」
医師「この位の数値は、前立腺肥大でも出るし、そう心配したことないよ」

父「(認知症に関しては)私は、まったく正常です。今は物忘れもありません。名古屋の
   先生に勧められたフェルガードとかっていうのを飲むと、どうも精神的に落ち着く
   みたいです」
医師「そうなの?良かったじゃない。前は、物忘れが、ひどかった時もあった?」
父「まぁ、そうでもないですけど・・」

私「父は、母が”もうじき歩けるようになる、一人で歩いてトイレに行けるようになったら
  グループホームから引き取って自宅介護をする”って言ってます」
医師「それは無理でしょ。最近、自宅で介護してみたことある?やってみて、どう?」
父「そりゃあ、大変です」
医師「相当大変だと思うよ。トイレにはどうしても介助が必要だと思うし。
   介護はプロに任せたら?」
父、沈黙。

次の診察は、2ヶ月後ではなく3ヶ月後の4月と言われる。

帰りの車の中で、母の歩行についてどう思うか父に訊ねる。
父は、母が歩けるようになると言う。専門家のリハビリを受けさせるつもりだと。
私「今、来てくれている人は、リハビリの専門家だよ」
父「あんないい加減なのじゃダメだ」

父と母以外、母が歩けるようになると思っている人は1人もいないのだと説明する。
私も妹も母の主治医もグループホームの職員も特養の職員も。
(リハビリの先生の意見は、2日後に聞く約束になっていた。)

「誰が何と言ったとしても、俺は、何事もやってみなければわからないと思ってる」
父は、冷静に言った。
それが父の人生を貫く信念であることを私は知っている。
父は、その旺盛なチャレンジ精神で、困難の多い75年の人生を切り開いてきた。
父の意思を尊重しつつ、多方面から説得していかなければいけないと思う。

帰省1日目(2)「仕事がしたい」

この日の午前、特別養護老人ホームの担当者が2人、母の面接に来た。
妹が立ち会う。
母は、背筋もピンと伸び、流暢にしっかり話し、冗談を言っては笑わせたという。
私には、そういう母が想像できなかった。
去年の春、症状が激変する以前から、もう何年も背中は曲がり、ボソボソと話し、冗談も出なかった。

担当者「私たちの所(特養)に移るということでいいですか?」
母  「ここにも慣れたし・・そんなにすぐには決められないので、考えさせて下さい」
特養職員は、「この状態ならば認知症専用フロアーでなくても大丈夫なので、入所は意外に早いかもしれない」と妹に告げた。
2人の職員が帰った途端、母は、別人のようにぼんやりした。
母「だって、お客さんが来てる時は、しっかりしなきゃ失礼でしょ?」


2ヶ月ぶりに会った母は、去年の3月以来、一番しっかりしていた。
表情にも生気があった。
時々(話全体の2~3割?)妄想が入るが、それ以外は、ごく普通に会話ができる。
(妄想は、「隣の家で象を3頭飼っている」「毎日雀が5匹死んで洗濯物と一緒に干されている」「○○(兄)がいなくなったので外に探しに出たら凄く寒かった」など。)

私「よく泣いてたんだって?何が辛かったの?」
母「もう泣くのは止めたよ。泣いたってなんにも変わらないもん。もう泣かないって決めたの」
私「泣いた時は、どんなことで泣いたの?」
母「だって、”帰って来ちゃダメ”って言うんだもん」
私「お父さんが?お父さん、税金の確定申告(の準備)をしなきゃいけないんだって」
(父は準備が忙しいので、今月だけは毎週末母を自宅に泊めることを止めている。)
母「知ってるよ。だから私も手伝うって言ってるの。簡単な計算くらいならできるよ」
私「う~ん・・それは有り難いけど。お父さん1人でも大丈夫みたいよ」
母「それでも私は手伝いたいの!一緒に頑張りたいの!ずっと一緒に頑張ってきたんだもん!」
私「お母さんも仕事がしたいんだね?」
母「そうだよ!お父さん1人が働いてるなんて可哀想だと思わないの?」
私「お父さんは、好きで仕事をしてると思うよ。昔から仕事が趣味じゃない」
母「そう?お父さん」
父「おぅ」

母は、父を心配し、兄を心配し、家族やグループホームの人たちの役に立つような仕事がしたいと盛んに言う。
母は、病前、のんびりするとかダラダラ過ごすということのまったくできない人だった。(レビー小体型認知症になる人の病前性格は、非常に真面目と何かの本に書いてあったのを思い出す。)
何十年もの間、父と一緒に必死で働き、家も常にきれいにしていた。
暇さえあれば掃除や片付けをしているので「少しは座ってのんびりしたら?」と、私は、何十年も言い続けて来た。

気分を変えるように私の家族のメッセージを入れたカセットテープを聞かせる。
母は、嬉しそうに微笑みながら聞いていた。
9月に誕生祝いのテープを聞かせた時は、無表情だった。

母「私、もうここに3年も居る・・。お父さん、いつになったら帰れる?」
父「歩けるようになったらな。夏になったら帰れるだろ」
グループホームに入ってまだ5ヶ月だと伝える。
母「そう?おかしいねぇ。確かに3年居るんだけどねぇ」
私「お母さんには、1日が1週間に感じるのかなぁ?」
母「何にもすることないからね。仕事もないし。・・早く帰りたい・・早く歩けるようになって、家に帰りたい」

帰省1日目(1)施設長との話

実家で父に会った瞬間、変わったと思った。
落ち着いた。
相変わらず探し物はしているが、ドタバタした感じがなくなった。
「変だなぁ」とつぶやきながら静かに探している。
最近、妹の家にトラブルがあり、それを心配して「○○(妹)の力になってやってくれ」などと極めて常識的なことを話す。

夕方、兄がショートステイから帰宅。
そのまま一人で毎週行く歯科医院へ。1時間半後、6千円の請求書を持って帰って来た。
「なんでこんなに高いんだ?!」
父が思わず大きな声を出す。普段は数百円だという。
兄は、自分が突然怒られたのだと思ってパニックを起こし、叫び始めた。
父「何を言ってるんだ~!」
2人の間に割って入って両方を落ち着かせる。

すぐ歯科医に電話して事情を訊く。
入れ歯がガタガタになっていたので作り直したとのこと。
調子が良いかどうか、後で教えて欲しいと言われる。
父「そうならそうと手紙くらいよこせばいいじゃないか!」
私「お医者さんだって忙しいんだから、そこまではできないでしょ?何か疑問があったら、こっちから訊けばいいだけじゃない」
言い返すかと思ったら、それきり黙っていた。

兄が「イカナイ」と言うので、夕食後、父と2人でグループホームへ行く。
父の運転に危ない所はない。
「このビルはなぁ」とそこを通る度に必ず言う同じ話はした。

丁度、新しい施設長(今月から就任。)が居たので、挨拶をする。
母の病状について詳しく訊きたいとメール便を送ってあった。(ファックス故障のため)
しかし施設長は、笑顔を見せながらも警戒し身構えているのがよくわかった。
「○○さん(母)は、今までの中で最も落ち着いていらっしゃいますし、夜も寝ていらっしゃいます。不穏になることもありません。職員を気使い、よくお礼を言って下さり、他の入所者を笑わせて下さっています。何の問題もありません」

初対面で信頼関係のない間柄では、本音の話は聞けないのかと思う。
私は、一言の文句も言うつもりはなかった。
ただ次の診察に備えて、母の詳しい病状を客観的な立場から教えて欲しかっただけだ。
(今までは、個々の職員に訊ねていたが、皆、自分の見た様子を言うので一人ひとり言うことが違う。)
母の抑うつを少しでも軽くするための方法を一緒に考えて欲しかっただけだった。
しかし真意は伝わらなかった。

私「・・妹からは、来る度にメソメソ泣いてばかりいると聞いていたので・・どんな具合なのかなって思っていたんですが・・」
施設長「全く理解できません。○○さんは、思いやりが深いので、職員には遠慮して気を使って、娘さんにはつい本音が出るのかも知れませんね」
私「父も色々ご迷惑をお掛けしていると思うんですが・・」
施設長「全然問題ありませんよ」
問題行動の1つ1つを聞いて、父をしっかり説得しようと思っていたが、これも諦めた。
(特別養護老人ホームから「お父さんが、グループホームでなさっているような勝手なことをされるようなら入所はできません」と言われていた。)

施設長への手紙は、言葉使いに十二分に気を付けて書いたつもりだったが、完全な失敗だった。
妹を通して聞く母の話では、新しい施設長は、母の愚痴をじっくり聞いてくれる優しい良い人だと言う。
そんなお礼も言おうと思っていたが、それ以上は何も言えなかった。

帰宅しました

今日(1月25日)、無事帰宅しました。

短い期間でしたが(4泊5日)嬉しかったこともあり、また頭の痛い問題もあり、『どうすればいいんだろう』と思いながら帰ってきました。
もう3日位居られたら走り回って色々できるのですが、仕事の関係でそれはできないので、300キロ離れたここから電話などを使っていくしかありません。

たくさんのことがあったので、少し長くなりそうですが、少しづつ書いていきます。
お楽しみに。

しば

21日から帰省します

1月21日(金)から25日(火)まで帰省します。
実家にはPCがなく、その間、更新はできません。

父は、相変わらずとても落ち着いており、「極めてまともなことしか言わない」と妹が驚いています。
父とは、今回、話し合わなければいけないことが色々あるので、冷静に話し合えればいいなと思っています。

母の抑うつは、続いているようです。
施設長と話し合うことで少しでも問題が解決されればいいと考えています。

毎日厳しい寒さが続きます。
辛い季節です。
くれぐれもお体に気を付けて、皆さん、お元気でいらして下さい。

しば

P1010801.jpg  「空の雲」

最近、寒さのせいか乾燥のせいか、不思議な雲を見かけます。
寒いとうつむき加減になりやすいですが、時には、空を見てみましょう。

帰省の準備

帰省の前は、中々に忙(せわ)しなくなる。

留守になる自宅には、色々買い揃えておかないといけない。
(こまめに買い物に行き、チャチャッと料理をするメンバーが1人もいない・・・)

あちこちに土産も買う。
(実家の隣の家やグループホームにも)
「いちいち買って来なくていいよ~」と毎回言われるが、感謝の気持ちなので、ほんの少しでも持って行きたい。
母にも何か喜ぶものを。

短い滞在の時間を最大限に使えるように、ここでできることはしておく。
今回は、グループホームの施設長と訪問リハビリの担当者に面談を申し込んだ。
連絡はファックスを使うことが多いが、今回、グループホームのファックスが壊れていた。
妹も今日明日は行かないというので、ヤマトのメール便で送った。
ちょっと大げさだが仕方がない。

母の病状に対してどんな薬物治療が可能なのか、本やネットを読んで調べる。
(母や父の受診日に合わせて帰省している。)
毎回かなり時間がかかる。
医療関係者ではないので、正確にわかることはとても少ない。
すべては、手探りだ。
それでも主治医に色々質問することはできる。
主治医は、いつも誠実に対応して下さる。

薬は、1度に1種類を微量にしか変えられない。
それで劇的変化が起こったということはない。
あれだけの時間をかけて、これだけの成果かと思うこともある。
けれども医療に奇跡を求めては、いけないのだと思う。

母の元気なふり 正常な父

父は、ここ数日嬉しそうに電話をしてくる。
父「お母さん、調子いいぞ!変なことも言わん」
同じ日に母に会いに行った妹は「お母さん、全然元気がない」という。

妹「お父さんがね、”お母さん、元気そうだ”って、嬉しそうに言ってたよ」
母「元気そうにしてれば、お父さん安心するから・・。
  ほんとは、あんまりよくないんだよ」
職員「娘さん、来てくれたから、元気出たでしょ?」
妄想話は、確かに少なかったという。

妹が実家に行くと、父は、兄と2人で洗濯物を畳んでいた。
兄に優しく声をかけていたという。
妹「今日はとても認知症には思えなかった。変なことは何もなかった」
特養の順番の話は、妹にもしないという。

私もここ何回か父と電話で話して、父の異常を何も感じない。
夕べは、電話がかかってきた時、私が、うたたねをしていた。
父「なんだ。寝てたのか?どうした?風邪ひいたか?大丈夫か?」
昔通りの優しい父だ。
認知症の本を買って送れば、礼の電話がかかってくる。

父「みかんは、まだあるか?また送るからな」
父は、もう長年、冬の間中みかんを送り続けてくれる。
一昨年から中々来なかったり、1度に2箱届くようになり、今年からは、もう来ないだろうと諦めていた。
しかし予想に反してみかんが、定期的に送られて来る。
もっとも母が「みかん送ってやった?」と父に度々訊くそうだ。

あの父が、本当に認知症だろうか。
誤診だったのではないか。
そう思わずにはいられなくなる。
脳の萎縮や脳室の拡大があったとしても診断の決め手は、私の証言だったはずだ。
あの時(2010年夏)は、あきらかに異常だった。
でも今、その異常を感じない。
帰省して身近で観察すれば違うのか。
家族だから、少しでも良ければ正常だと過大評価してしまうのか。
自分でもよくわからない。

21日から帰省し、母の病状のこと、グループホームのこと、特養のことなどを父と話し合う予定だ。

「認知症と長寿社会」(講談社現代新書)

「認知症と長寿社会」(信濃毎日新聞取材班著。講談社現代新書)を読んだ。
日経新聞の書評欄(2011年1月9日)を見て知った。
新聞協会賞(編集部門)、日本ジャーナリスト会議賞、ファイザー医学記事賞大賞、日本認知症ケア学会・読売認知症ケア賞特別賞の4賞を受賞したルポルタージュ(2010年1月~6月まで信濃毎日新聞に掲載)。

期待が大き過ぎたせいか、新しく知れたことは少ないという印象。
しかし家族に認知症患者が居ない人が読めば、患者、家族、近所の人、施設職員、、ケアマネ、ボランティア、医師、看護婦ら大勢の語る言葉に驚愕し、心を揺さぶられ、深く考えさせられ、涙するだろう。

「認知症の人は気楽でいいわよねぇ。本人は何にもわかんないんだから」
という誤解がまだまだまかり通っている中では、この本は、必読書かも知れない。
認知症患者の家族にとっては、身につまされる箇所、深く共感できる箇所、涙する箇所があるだろう。

本の中で私が特に目を引かれたのは、3カ所。
1.「認知症短期集中リハビリテーション」(P140)。
週3日作業療法士らと1対1で20分以上、新聞の音読や計算ドリル、歌などのリハビリをする。
認知機能や意欲の向上、暴言などの症状に「薬物療法に近いほどの効果」(国立長寿医療研究センター病院長談)が見られたという。
しかしそれを受けられるのは3ヶ月のみと厚生労働省が決めている。

2.認知症患者や知的障害者や障害児などが集う「共生型施設」(P224)。
母が最近「お世話になりたい」と言っているデイサービスは、託児所と併設しているが、施設長は知的障害者も一緒に生活できる場を目指して努力を続けている。
開設当初からそのために「何度も何度も市役所にお願いに行ったが、許可はついに下りなかった」と施設長は言った。

知的障害者は、ストレスを受けるとパニックを起こして叫んだり怒鳴ったりするので、知的障害者を知らない人は身の危険を感じたりして恐れる。(兄との体験で知っている)
けれども知的障害者が人に危害を加える可能性は、世間一般の人が傷害事件を起こす可能性よりも遥かに低いだろうと思う。
少なくとも兄が人に暴力をふるったことはない。
大江健三郎(長男が知的障害者)も書いているが、知的障害を持っている人には、人の心を癒す魔法の力のようなものがある。
それは「心が純真だから」の一言では表せない本当に不思議な、奥深い、魂の持つパワーだと感じている。
そのパワーが、認知症患者にとっても良い効果を生むということは十分理解できる。

3.「週1回の話し相手、有償ボランティア」(P229)
1時間900~1200円の利用料で見守り、話し相手、外出の付き添いなどのサービスが受けられるシステムだ。
こうしたことには、多くの場合、介護保険が適応されない。
しかし必要性を痛切に感じる。





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母、調子悪し

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オムツなし・パワーリハビリ実践の特養

母が入る予定の特別養護老人ホームでは、特別な(個別の)リハビリテーションはない。
見学に行った他の特養にもなかったし、私が以前、短期間働いていた特養にもなかった。
そのため特養には、生活リハビリ(トイレで立たせる等)はあっても本格的なリハビリはないのだと思っていた。
けれどもそうではない特養もあるのだということを知った。
(全国で何%の特養が、リハビリに積極的なのかは、わからない。)

世田谷区立の特養「きたざわ苑」では、スポーツジムにあるようなトレーニングマシーン6台を使ったパワーリハビリテーションを実践している。

母がそうであったように、毎日座らせてばかりいて歩かせずにいると、あっと言う間に膝関節が固まって伸びなくなる。歩けなくなる。
筋肉は、使わなければ、急速に消えていく。
立てなくなれば、トイレも使えない。
車椅子に座っている筋力もなくなれば、寝たきりだ。
人間らしい生活を維持していくために筋力トレーニングは、とても重要だと思う。
特別養護老人ホームでのリハビリが、全国で当たり前のように行われて欲しい。

パワーリハビリをしている「きたざわ苑」では、驚くべき自立支援介護の実践もしている。→<きたざわ苑公式サイト

平成21年1月には、入所者百名全員が日中おむつを使わないという偉業を達成した。

これは、特養で働いたことのある私には、<奇跡>のように思える。
「お金がない。人手が足りない。時間も足りない。だから出来ないのは仕方がない。
もっと人手があれば、もっと細やかなケアができるのに・・」
職員の誰もが、そう思いながら、多くのことを完全に諦めていた。

「たきざわ苑」では、どんな重度の利用者でも入所した日からおむつを外すという。
夜間帯もおむつを外すこと、リハビリパンツから布パンツに切り替えること、下剤や向精神薬を廃止することなどにも取り組んでいる。

母は、毎日下剤を飲み(長年してきたことではあるが。)向精神薬(セロクエル)を飲んでいる。
セロクエルは一度は中止したが、グループホーム職員の強い勧めがあり再開した。
しかし再開しても状況は何も変わっていない。
母は、夜、ほとんど眠らず、よく抑うつ状態になっている。

深く考えさせられる。



特養に入るための条件

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グループホームを出て行きたがる母

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父、今月は母を連れて帰らない

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脳卒中 その2 前触れ

脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)は、前触れなく突然起こることが多いが、3割程度の人には前兆の症状(一過性脳虚血性発作=TIA)が現れるという。

 手足に力が入らない
 急に手の力が抜けて、持っている物を落とす
 片側の手足がしびれる

 重いめまいがする
 真っすぐに歩く事ができない
 歩けなくなったり、立っていることができなくなる

 激しい頭痛がする
 ひどい肩こりがする

 ろれつが回らない、
 言葉が一瞬出てこなくなる
 人の話していることがよく理解できない
 文字が思うように書けない

 ものが二重に見える
 片側の目が見えにくくなる

 急に認知症の症状が出る


知人は、友人宅でお酒を飲んでいる内に横になり、大いびきをかき始めたという。
一緒に居た友人が、脳卒中についての知識があったためにすぐに救急車を呼んだ。

家族が大いびきで寝ていたらどうすればいいのか。
ネットで調べた対応方法は、次のようになる。

大いびきをかいて寝ていたら、まず体に触れたり、名前を呼んだりして起こしてみる。
もし反応がなければ(=意識がない)すぐ救急車を呼ぶ。
頭は、高くも低くもせず、床と平行に。
衣類をゆるめ、吐いても窒息しないように横を向かせる。
(脳卒中でもいびきをかかない場合もある。その場合でも意識はない。)


別の知人は、「急に物忘れがひどくなっちゃって・・。歳はとりたくないわね」と笑っていた。
とても元気だったが、歩いているとわずかに左右に曲がって行き、真っすぐ歩くことができなかった。
「あら~。変ね~」と言いながら、誰も気にとめなかったが、日を置いて救急車で運ばれた。
命は取り留めたが、後遺症が残った。

コメントで「クリ」さんが書かれた通り、「”気づき”と”知識”が人生を大きく変えてしまう瞬間がある」





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脳卒中(日経新聞の記事から)

2011年1月6日の日経新聞(夕刊)に「脳卒中編 日経実力病院調査」という特集記事が出ていた。
9ページ目の半面全てを使った大きな記事だ。
脳卒中治療の記事と「脳卒中治療の実力病院」として54の病院名が一覧表で載っている。

私の両親は脳卒中ではないが、将来、いつ誰に起こるかわからない病気として知っておいた方が良いとずっと思っていた。
一昨年、知人が、脳卒中を起こしたが、直ちに「tPA」を投与されたために後遺症を一切残さず治ったという話も本人から聞いて印象に残っていた。
脳卒中で半身麻痺(特別養護老人ホームでは、「片マヒ」と言った。)になると着替え1つも重労働になり、本人も介護する側も本当に大変だ。
自分自身の手や足が、大きくて重い障害物と化してしまう辛さは、どれ程のものだろう。


以下は、記事にあった脳卒中の基礎知識(原文通り)。

脳卒中 脳の血管が詰まったり、破れたりするために起こる脳血管障害。
09年の死亡は、約12万2千人で、日本人の死因の1割強を占め、がん、心臓病に次ぐ。
半身マヒや言語障害などの後遺症で要介護状態になる原因として、最も多いとされる。

「脳梗塞」「脳出血」「くも膜下出血」の3つに分類される。
脳梗塞は、血管が血栓などで詰まる、極端に狭くなり血液が流れなくなるなどの症状。
脳出血は、動脈硬化でもろくなった脳血管が破れて出血する。
くも膜下出血は、動脈にできた瘤(りゅう)が破れ、脳の表面の軟膜と、その外側を覆うくも膜の間に出血する。

かつては脳出血が最も多かったが血圧管理などで大幅に減少する一方、食生活の変化による高コレステロール化などで脳梗塞が最も多くなっている。

恐ろしい病気だが、迅速に適切な治療を受ければ私の知人のように完治する。

脳卒中の治療は時間との勝負でもある。血管内に詰まった血栓を溶かす「tPA」は発症3時間以内に投与する必要があるからだ。(記事から。原文通り)
(検査の時間も考えると、2時間以内に病院に行かなければ間に合わないと書かれたサイトがあった。)

しかし治療には、内科、外科、MRIの技師など多くの専門スタッフが24時間体制で常駐しなくてはならない。
そうした病院が、東京には、72施設、神奈川・大阪に51施設あるが、地域格差はとても大きい。
(人口10万人当たりの施設数全国平均は0,6。1以上は、徳島、香川、島根、福井、鳥取、長崎のみ。北海道、秋田、宮崎、熊本は、0,3施設。数字は記事から。)
私の郷里は、それほど小さくはない地方都市だが、紙面にある実力病院は1つもない。
不安を感じる。




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特養に入れるのか?!

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情緒不安定な母

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サプリメント放置 両親の言葉の真偽

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手術で治る認知症 正常圧水頭症 その2

雪さんは、5年間の介護に疲れたお義姉様に代わってお義母様の介護を自ら引き受けられた。
それだけで本当に頭が下がり、尊敬の気持ちでいっぱいになる。
以下は、雪さんの文章(原文のまま。長いものからの抜粋)。
雪さんの想いが、ひしひしと伝わり、思わず固い握手をしたくなる。
心からのエールを送りたい。

そろそろ脳に水がたまりはじめたようで、その時々で症状は変わります。
尿失禁のほうは、気持ちトイレでもできるようになってきたというか、おむつがびっしょり濡れることがなくなったのと、私たちも、以前より強力なおむつ、パットを、頻繁に変えてあげるようになり、衛生面で改善してきました。
あの、、、朝のおしっこの洪水に、体を横たえている母は、哀れでたまりません。

レビーと水頭症も、なんとなく症状が似ているような、似ていないような。
うちは、複合型ということがほぼはっきりしてきたので、5年の介護にやっと糸口が見えてきたというか、これからふりだしに戻って、家族で力を合わせたいと思います。

(手術には)あまり期待しすぎず、今より認知症状が進まないこと、介護される側もする側も少しでも楽になれればということで、大きな期待はしない。なるべく一喜一憂もしない、、、と心に命じています。


hokehokeさんのコメントにある通り、認知症の誤診は本当に多いことを実感する。

つい最近も70代男性で歩行障害、尿失禁、無気力(新聞も読まない。)がひどく、介護が大変なのに、2つの病院でMRIを撮った結果、「異常なし。むしろ70代にしては萎縮もない。症状は年のせい」と言われたという話を聞いた。
納得できない。
怒りすら感じる。
その医師は、自分の両親に同じ症状が出ても「年のせい」だと言うのだろうか?
80代でも90代でも健康ならば自分で歩いてトイレに行くだろう。

要介護4で、歩けない私の母でもトイレに行こうとする。
間に合わないで失禁することも多いが、成功してトイレで排泄できることもある。
トイレに行くということは、人間にとって、食べることと同じくらい大切なことだと思う。
オムツにすればいいという問題ではない。





手術で治る認知症 正常圧水頭症(その1)

手術で治る認知症として昨年、度々報道された正常圧水頭症。
主な症状は、認知症状、歩行障害、尿失禁。
母も昨年3月に症状が激変した時、この病気を疑われMRIを撮ったが、違うと言われた。
(この時は、脳に萎縮などの異常もなく「認知症とは思われない」と診断された。)

私は、正常圧水頭症は、MRIで簡単に診断ができるのだと思っていた。
けれども実際には、医師により言うことが、かなり異なるということがわかった。
レビー小体型認知症が、度々誤診され、中々正確な診断にたどり着けない状況とよく似ている。

それを非公開のコメントで教えて下さった「雪さん」の体験を(ご本人のご承諾を得たので)ご紹介したい。


雪さんのお義母様は、83才。5年ほど前から認知症状がある。
医師の診断は、脳梗塞による脳血管性の認知症。
(3軒の比較的有名な病院でMRIの検査を受けた結果。)
しかしお義母様の症状は、幻覚、夜に何度も起きる、小刻み歩行、尿失禁、便秘、薬剤に対する過敏な反応、体のこわばり、繰り返す転倒だった。

11月末に、初めて精神科、脳神経外科を受診。
そこで初めて、脳血管性認知症ではなく、レビー小体型認知症、正常圧水頭症の疑いを示唆される。
雪さんは、診断が医師によって違うことをまざまざと感じたという。

水頭症は、「MRIだけでは、断定できない。タップテスト(背中の脊髄から髄液を抜く)を行い、その後約2週間の状態を家族が観察し、効果が出れば水頭症、出なければ違う」と説明される。
(効果の出方には個人差があるという。)

試しに12月に3日ほど入院してタップテスト(背中の脊髄から髄液を抜く)を受けると、症状がかなり改善。
特に歩行。髄液を抜いたその日に自力で久しぶりに数歩歩く。
体のこわばりも消えたので服を着せるのも楽になった。
抜いたその晩に、3年前に亡くなったことすら忘れていた御主人を思い出して泣かれる。

体のこわばりや尿失禁がひどく介護も大変なので、1月に脳のシャント手術を受けることを決意された。

Part2に続く>

雪さんが教えて下さった突発性正常圧水頭症のサイトもご参考に。

追記:突発性正常圧水頭症とレビー小体型認知症の類似点と相違点こちら

追記:この記事にコメントを寄せて下さったhokehokeさん(医師)によると以下の通り(原文通り)です。
「正常圧水頭症も多くは画像診断で判るはずです。タップテストと言うのは、手術で改善する可能性があるか否かの判断のために行います。一部治療目的で行うこともあるようですが、何回もしないほうが良いと言われています。正常圧水頭症は、他の原因による認知症に合併することも多く、この場合は、手術で改善する可能性が低いことが多いようです。」
コメントはさらに他の認知症の画像診断に付いても詳しく書かれています。
雪さんのお義母様は、私の父(ピック病と診断)と同じように判断の付きにくい例だったのかも知れませんね。



母、自宅で新年を迎える

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2011年 元旦

あけましておめでとうございます

2011年が、皆さんにとって心穏やかに過ごせる日々でありますように・・・!

今年もどうぞよろしくお願い致します。

しば

P1000017_convert_20101228194426.jpg
葉牡丹(はぼたん。別名:花キャベツ)
2年程前に近所の花壇で撮りました。
コンパクトデジカメで撮っているので、一眼レフのようにはいきませんが
花のアルバムも作っています。




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しば
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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