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回想法(家庭でできる治療法)

6月28日の夕方のNHKニュース番組で「認知症に効く回想法」というものを紹介していた。
認知症の予防、改善に効果があることが、最近、科学的に証明されたそうだ。
昔を思い出して語る時、日常の会話とは異なり、脳全体の血流が増加して改善されるのだという。
抑肝散の報道の時と同様に「劇的に改善した例(95才のおばあさん)」を紹介していた。
家族が古い写真を見せながら、昔話を毎日聞いてたら、家族の名前も忘れていたが、言えるようになったと。

注意点は3つ。
1。30分~1時間、できれば毎日続ける。しかし週1回でも継続すれば効果は出る。
2。楽しかった思い出を語ってもらう。(初恋の話などは効果的)
3。話をさえぎらない。(何度でも同じ話を根気よく聞く。)

妹が、息子(母の孫)の幼児の頃の話などをすると、嬉しそうに、こうだった、ああだったと言うようだが、すぐに話すことに集中できなくなって終わってしまうという。
とても30分も続かないようだ。

昔話といえば、3月に印象に残ることがあった。
私の帰省に数日遅れて私の子どもたち(母の孫)が来ると、母は、途端にしゃきっとして認知症とは思えないくらいの状態になった。
(普段会わない人と会って緊張すると頭がはっきりするというのは、顕著だった。今でもそうだ。)
会話もできた。
ただその話題が、20年、30年前のあまりにも細かいことだったので、聞いていた私たちは、目を見合わせた。
あの時、何色の服を着ていたとか、こう言ったとか、とうとうと話す母は、どこか異様だった。
母は、普段、昔話をする人ではなかった。

台所には、あるお菓子が大量に買って置いてあった。
「なぜこんなに沢山?」と訊くと「○○(妹の子)が好きだから」と母。
「これ、好物なんだって?ばあばが言ってたよ」と高3になる甥っ子に言うと、彼は目を丸くして言った。
「幼稚園くらいの頃、一度だけ、これおいしいねって言った気がするけど・・」

母の脳の中で、時間は、記憶は、どんな風に存在していたのだろうか。

P1000936.jpg



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しば

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この夢から覚めたい

母は相変わらず、正気と感情失禁(怒ったり泣いたり、感情が激しく振れる)を行ったり来たりしている。
幻覚、妄想も変わらないよう。
同室の人や廊下ですれ違う人、看護師に意味のわからないことを話しかけることもよくある。
私も帰省した時、見た。
社交的で明るかった母が、知らない人によく話しかけていた元気な頃と同じ口調だった。
妹が、何を言われても母の言葉を受容していると比較的落ち着いているとは言うが、それは本当に忍耐の必要なことだ。

母が、正気の時、言ったそうだ。
「早く家に帰って、この夢から覚めたい・・!」

「認知症になったら施設に入れるのが一番。本人は何もわからないんだから」
「ボケた人は楽よ。みんな忘れて。何もわからないんだし。大変なのは家族よ」
過去にも、母が認知症になってからも、そう言う人は時々いる。
でも現実はそうではないと思う。
何もわからなくなって、言葉も失って、感情すらないだろうと思われていた祖母(母の母)が、ある日突然
「世話かけて悪いね。でも、もうそう長いことではないと思うから」
と母にはっきり言ったことがあった。

終わりのない悪夢の中に投げ込まれて、それでも人のある部分は、正気を保っている。
その苦しみに、心が崩壊することもなく・・。



感情失禁・家族のコニュニケーション

母は、このところ、「家に帰る」と言い張り、なだめようとすると怒り、泣くという。
「帰っていいですよって言われたのに、どうしてだめなの?!どうしてそんなに意地悪なの?!」と。
支離滅裂なことを一日中つぶやいていた時の方が、家族にとっては、ずっと楽だっただろう。

妹は、気を紛らわせようとあの手この手で頑張っているようだが、どれも全く効き目はないという。
父は、完全にお手上げで、怒鳴るか、退散するかのどちらかのようだ。

どうしたらいいんだろうと、ずっと考えて「アルバム、画集、写真集、絵本、折り紙、画用紙、塗り絵などを持っていってみては」と妹にメールで提案してみる。
「やる気も集中力もない。そんないい状態じゃない」
とメールが返ってきた。

母の正確な状態は、離れているととてもわかりにくい。
母の腰椎骨折の手術の後、元気が出るようにと、私と息子ら(母の孫)でカセットテープに声を吹き込み、ラジカセと一緒に送ったが、母がそれを聞いたのは、手術が終わって随分経ってからだった。
「病院に持って行って聞かせてやってよ。聞く位ならできるでしょう?」
と催促すると
「そんな状態じゃない」
という返事だった。
音を聞くこともできない状態というのが、どういう状態なのか、私には、わからなかった。

介護者は、心身共に疲れているし、ストレスも極限まで溜まっている。
ちょっとした言葉が、ナイフのように心に突き刺さったり、逆鱗に触れたりする。
言葉には、いつも細心の注意を払っているが、それでもコミュニケーションがうまくいかない時はある。
これが、義理の親きょうだい、親戚となったら、その難しさは、何倍にもなり、ストレスは、計り知れないだろう。


レビーの診断・治療の難しさ

6月23日、「誤診」される認知症と題してNHKがレビーについて放送した。
クローズアップ現代で紹介されたレビー小体型認知症
(7分間の動画も見られる。)

番組で紹介された「劇的に効く場合がある」という抑肝散(よくかんさん)という漢方薬については、ネットで調べて去年から知っていた。
処方して欲しいと去年から願っていた。
けれども母が現在、レビーに対して処方されている薬は、統合失調症患者の幻覚や妄想を減らすリスパダールという薬だ。(これも私が看護士に直接訊ねてやっと教えてもらった。)

番組で言っている通り、母への医師の問診は、正確さに欠けるものになる。
5月の母の受診に付いていたが、
「これ(目の前のカーテン)が人の顔に見えたりしませんか?」
「いいえ」(きっぱりと)
「ここはどこですか?」
「○○病院です」(はっきりと)
と信じられないようなことを言う。
カーテンは、24時間人に見えているし、私や妹が毎日「ここはどこ?」と訊いても、清水だの千葉だの全くトンチンカンなことを言い続けていたのだ。
簡単な認知症のテストをしても「100-7=70」と言った以外は、それほど病的な答えはなかった。
自分が骨折して入院していることも、歩けないことも全くわからなかった母がだ。

前の主治医は、去年、妹が「レビーではないか」と訊くと激怒したという。
「そんなものは、頭を割って解剖しなければ診断できないんだ」と言ったという。
3月に私が細心の注意で言葉を選んで状況を説明すると
「例えレビーだったとしても、治療の方法はありませんよ。」

それでも病院を変えられない事情があった。
母は、この市立総合病院に37年間通院して甲状腺の難病(国指定)の治療を続けており、その後、肝臓の難病(国指定)でも一生治療が必要となり、眼科にも整形外科にも、そしてパーキンソンと診断されたこの心療内科にも通っていた。
常に検査結果は、共有されていたし、数多くの薬もお互い調整されていたはずだ。
前の医師は「認知症の症状が甲状腺から来ているのか、肝臓から来ているのか、脳なのか、今回の血液検査では特定できません。もっと調子の悪い時に連れて来て下さい」と言った。

4月に主治医が代わり、5月になって、母は、やっとレビーと診断され、リスパダールを処方された。
(追記 この薬がレビーの患者を歩行困難にすると、ずっと後になってから知った。)
でもそれが効いているとは思えない。
抑肝散を試してみるようにお願いするつもりだが(私の帰省に合わなければ妹が頼むことになる。)今度の主治医は快く首を縦に振ってくれるのだろうか。




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介護以外の家族の仕事

母が、1ヶ月程の間に急激に認知症症状を悪化させてから気付いたこと。

銀行や郵貯の通帳や届出印がない。
(父と母は、お金に関することは、夫婦で完全に分けている。)
保険の証券がない。
健康保険証、診察券、その他、なければ困るあらゆるものが、なくなっていた。
母に訊いても「その辺にあるよ」と言うだけだ。
そんなバカなと、私も妹も必死で探したが、見つからず、ずっと後になって父が発見した。

「通帳もハンコもなく、本人は認知症で、骨折で入院している」
と銀行に電話で問い合わせると、
「家庭裁判所に行って、後見人の手続きを取ってくれ」と言われる。

洋服ダンスを開けると、下着は異常に多いのに、靴下は左右揃ったものが一足もない。
服は、全く季節外れの薄汚れたものが数枚、ぐちゃぐちゃになって入っていた。
季節に合った物を探したが、どこにもない。
捨てたのか?!

家中どこもここも何をどうすればいいかわからないくらい混乱している。
こんな状態でいったいどうやって生活していたのかと思う。

自分の服を自分で頻繁に買う父は、平気な顔をしていた。
私と妹は、母の服をなんとか探し出し、兄の服は、上下全て買った。
先日帰省した時も(6月18、19日)兄は、30度の日に冬のズボンと長袖を着ていた。
夏の服を着るように何度も説明した。
わかってくれたかどうかは、わからない。
父は、兄が何を着ていようと、1週間髪を洗わずにいようと、全く気が付かないのだ。


精神的に楽になる道

色々な方にご心配をおかけしているようで申し訳なく思っています。

私は、精神的には、落ち着いています。
3月に毎日母の急激な悪化を知らされていた時には、いったい何が起こっているのか、私にできることは何なのかと一日中絶え間なく考え、毎晩母の悪夢を見ました。
でも5月に帰省して、3日間ひどい状態の母を見続けた時(一度も正常には戻らなかった。)諦めがつき、その後は一転して楽になりました。

医師が認知症の母親を看たという本(題名忘れました。)に「受容の段階まで行けば、介護は楽になる」と書いてありました。
読んだ時には、受容の意味がはっきりわかりませんでしが、受容とは、「何とかすれば、もう少し良くなるかもしれない」という希望を手放して、諦めることなのだとわかりました。

1週間前に帰省した時、妹には、毎日病院に行くのを止めるように言いました。
「行かなくても母にはわからない」と。
そして妹が一番心身の疲れが取れると言うヨガのレッスンを何よりも優先するようにと。

最近、妹が言いました。
「毎日病院に行って、お母さんに刺激を与えて、何とか認知症の進行を食い止めないといけないって、必死になってた。でも、今は、そういう気持ちが消えて、とても楽になった」

その意味で、今も苦しみ続けているのは、父だと思います。
「退院後にレビーの名医にみせたい。どんなに遠くても、費用がかかってもいい。調べてくれないか」
と、帰省の時、父は言いました。
「何をばかなことを言ってるんだ!しっかりしろ!」
と母を怒鳴るのも、言えばわかるかもという希望を捨て切れないからだと思います。

父は、母が認知症であることすら最近まで納得しませんでした。
「物忘れがひどいわけじゃない!幻覚が見えるだけだ!幻覚さえ見えなくなれば正常だ!」
レビーは、幻覚が主症状の認知症だと、何度言ってもだめでした。

父は、いつ、何をきっかけに諦められるのでしょうか。
「どちらさまですか?」と言われた時・・?
そんな日は、明日来てもおかしくない気もすれば、何年も先のような気もして・・。
素人には、先の予測は、まったくできません。
それが幸せなのか、不幸なのかもわかりません。

父の性格では介護は無理

夜中、母が、ベッドを乗り越えようとして落下。
奇跡的に(骨粗鬆症なのに)骨折は免れたが、大騒ぎだったらしい。
父は、それを聞いて母を怒鳴ったようだ。
「母の言うことを否定するな、怒るな、絶対に怒鳴るな」と父には去年から10回以上は言っている。
しかし短気ですぐ怒鳴るという性格は、簡単には変えられないようだ。
今回の帰省で兄への接し方を見て、随分我慢強くなったと思っていたが・・・。

母は、「○○先生から退院許可が出たから、今から家に連れて帰れ」と言ってきかなかったそうだ。
そんな「ありえそうな」妄想を聞くのは初めてで驚く。
タヌキが集まってお祭りをしているとか、オートバイがサーカスをしているとか言っていたのに。

父が否定すると、母は、激怒していたそうだ。
「かっとなるのも認知症の症状だよ」と父に言うと
「そうかぁ?!」と驚いている。
私の方が驚く。これももう3回以上伝えてある。

ケアマネと電話で話した時、言っていた。
「私が自宅で看るから問題ない!って仰って、お父さん、電話を一方的に切ってしまうんですよ。
そういうタイプだと、ちょっと現実的な介護は難しいかなって、少し心配にはなったんです。」

いくら愛情が深くても、いくら根は優しくても、いくら健康でも、父に母の介護はできない。
それが私と妹のここ数日の話し合いの結論だ。


人の態度に敏感な母

2日間(6月18、19日)帰省して母の様子をみた。
認知症の状態は、一緒にいる短い間にも刻々と変わっていった。
でもどんな状態になっても母は、常に心穏やかでない。

どこかに行くことになっているが、父や兄にその時間を伝えていないとひどく慌てていたり、頭がはっきりしてきた時には、私たち兄弟のことを深刻に心配している。
「ああ、それならもう解決したみたいよ」
と言っても、騙されるものかという顔をしている。

あまり反応せずぼーっとしている時もあれば、食べ物のことで怒ってお菓子を床に投げつけたりもする。
ティッシュをパンだと言って食べようとしたりもした。
幻覚にも相変わらず声をかけ続ける。

自分が入院していることは、よくわかっていないが、正確に人の状況を把握していて驚かされる時がある。
私が、自宅介護が可能かどうか見極めようと思いながら話をしていると
「何を観察してるの?」と言い、2日目に睡眠不足で頭痛を抱えて行くと
「疲れてるんだね」と言う。
何が何だかわからない会話の合間にだ。

妹の精神状態にも敏感に反応して「来たくないんだね」と言って驚かすと言う。
誰からも笑顔も言葉ももらえず、ナースステーションに一日置かれている間、母は、なぜそこに居るのかはわからなくても、スタッフたちの冷ややかさは、ひしひしと感じているのだろうと思う。
私や妹が感じるのと同じように。

頭がはっきりした短い時間、私は、意を決して母に訊いた。
「退院したら何をしたい?」
「庭に花を植えたいねぇ」と母は答えた。
私は、自宅介護が困難なことを噛み砕いて説明した。
「Yおばさん(在特別養護老人ホーム)の居る所、わかる?そういう所に行くの、お母さん、どう思う?」
叫び声を上げそうな自分を抑えて、訊いた。
しばらく考えて、母は言った。
「お父さんがいいって言うならいいよ」

でもその直後から、会話は成立しなくなった。
だから正確な理解に基づいた答えだったのかどうかは確かめられない。
それでもその一言は、父や妹にとって大きかった。
二人とも母の唯一最大の願いは、家に帰ることだと信じていたから。

退院後の選択肢

母のケアマネに電話をする。
3月に帰省した時、要支援2の時のケアマネとは会って話したが、要支援4になるとともに変わったケアマネとは、今回初めて話をした。
私の見た母、父、兄、妹の状況を説明すると
「そんな状態では、自宅介護は、難しいですね」

しかし「○○さん(母)のような場合は、自宅に帰ると落ち着いて元に戻ることも多いんですよ」
と言われると、私の方が、そのかすかな希望の光にすがりつきたくなる。
妹もそうだったのだろう。

3つの選択肢を示される。

1。退院してすぐ老人保健施設に入る。
  しかし自宅に帰るためのリハビリが主目的の施設で、3ヶ月以上はいられない。

2。グループホームに入る。
  認知症の方9人が生活していて、ケアは厚いという。

3。ショートステイとデイケアをフルに活用しながら自宅で看る。
  夜も看れないとなれば、突然でも宿泊を受け入れてくれるデイケアを紹介。

「どういう方向で行きましょうか?」
自宅に連れて帰りたい・・無理だ・・できるかも・・また骨折したら・・
頭は混乱し、まったく決められない。
「父や妹とよく話し合って、また連絡します」と伝え、電話を切った。

ケアマネ達が来た時は、ほとんど正常だったという母も夜、父が訪ねるとひどい状態だったのだと言う。
わけのわからないことを言い張り、何を言ってもだめなので、父はさっさと帰ったらしい。
今日、妹が行っても、やはり状態は悪かったという。
「冷静に考えれば、無理だよね。どう考えても無理だよね。
でもお父さんは、やっぱりどうしても家に連れて帰りたいんだよね」
と妹。

退院後は、自宅に連れて帰り、私がなるべく長い休暇を取って実家で介護しながら母と父の様子を見、それから決断するのが一番良いような気がする。
もう数日考えよう。


一転、在宅へ

妹がケアマネに連絡すると、丁度ショートステイ先に申し込んでおいた施設の担当者が、母を面接する日だったとのことで、病院で皆で話し合いましょうということになった。
看護師(今日から母の担当になったという。)とリハビリのスタッフ(私が帰省時に話を聞いた人とは違う。)と病院の相談員も加えて、大勢で話し合いになったらしい。

母の状態はと言えば、入院以来一番良いのではないかと思える驚くべき正常さで(それでもわけのわからないことは言っていたというが)すべての人が
「これなら自宅に帰っても大丈夫ですね」
と言ったという。
母は、環境の変化で極端に悪化するタイプで、そういう人は、自宅に帰ると落ち着く場合が多いのだと言う。
従って、退院後しばらくは、デイケアにもショートステイにも行かず、家にいるのが一番というのが結論だったそうだ。

頭がクラクラした。
私が見た母は何だったのか?
血を吐くかと思えた決断は?
現実とは思えない喜劇だ。

でも彼らは、プロだ。
プロが「大丈夫」というのなら、本当に大丈夫なのかも知れない。
それが本当なら、こんなに嬉しいことはない。
父も泣いて喜ぶだろう。

それでも狐に騙されているような気がする。
明日も明後日も、来月も、母は、良い状態が続くのか?
そんなことがありえるのか?
私には、見当もつかない。


限界の父。母の退院後。

帰省して、父は、父なりに精一杯限界までやっているのだと実感した。
兄のことも、冷たくて放ってあるわけではない。
限界を超えているのだ。
床屋に行くことを拒否した兄の髪を切ったのは、父だった。

妹は、「父もまいっている」と言っていたが、そんな様子は見せなかった。
仕事が趣味であり生き甲斐である父は、夜、楽しそうに何時間も仕事の話をした。
話好きの父だが、兄と二人の生活では、こんな風に話をする相手もいない。

父の物忘れは、さらに進み、明らかにおかしいと思う。
でも私も同じような状態だからか、どうしても「ストレスによる一時的なもの」としか考えることができない。
私の無意識が、父も認知症かもという考えを拒絶しているのかもしれない。

落ち着いて座って何かじっくり話し合うなどということが、性格的に全くできなかった父が、初めて、母の今後のことを妹と3人でじっくり話し合った。
「夜中に便のついたオムツをはぎ取って投げつけるということが、自宅に帰ればなくなるなんてことは、ないよ。それでも世話できると考えているの?」
「やるしかしょうがないじゃないか。他に誰がやるんだ。」と父は言った。

私が、父を説得した。
母を見て、看護師とリハビリ担当者と話して、私が決めた。
自宅介護は、非現実的。
24時間見ていなければ、すぐに転倒骨折を繰り返す。
できるだけ早く老人保健施設か特別養護老人ホームに入れてもらって、毎日のように会いに行き、夕食は、外食に連れ出し、週末は、ドライブに行ったり、自宅に連れ帰ればいいと。
父は、納得してくれた。
妹が、今日にでもケアマネに相談してくれているはずだ。

行き詰まる

ここ数日、妹から詳しい連絡がないので変だとは思っていた。
母は、また一気に悪化し、会話も成立せず、日中は訴えていた尿意便意も伝えなくなり、夜は、他の患者さんの迷惑になるという理由で個室で寝かされている。
日中は、ナースステーションで監視されている。

そういう母を見るだけで辛い上に、トラブルが続いて、妹も父も完全に参ってしまった。
妹が一生懸命探して買った可愛いつなぎのパジャマは、夜中に母が脱ぎ捨てて、オムツをはぎとるそうで、脱ぎにくいものに買い代えろと看護師からきつく言われたそうだ。

兄のことも、何とかなっているのだと勝手に思っていたが、何ともなっていなかった。
兄の通う作業所やショートステイ先から妹に電話があってわかった。
「自分のことは自分でやれと(兄には)言ってある」と父は妹に言ったという。
こうなることを母が激変した3月に最も心配していたのに。
(父は、50年間、兄の面倒をほとんどみたことがない。)
兄は、何に困っているか、人に伝えることはできないから、私も妹も気が回らなかった。

他にも書き切れないほど問題がある。
急遽、明日、帰省することにした。
仕事の関係でたった1泊しかできないが、少しはできることもあるだろう。


父の成長

今年の3月から突然、介護と家事の全てと知的障害の兄の世話をしなければならなくなった父。
愚痴も文句も一言も言わず、「大丈夫だ。心配するな」を繰り返す。

帰省した時に見てみれば、実際は、全く大丈夫ではない。
洗濯でも掃除でも炊事でも、幼稚園の子がしそうなことをするので目眩を覚える。
冷蔵庫の中には、半分腐ったようなものしか入っていないし、モヤシが4袋、大玉キャベツが2つの下には、液体化した袋入り野菜やカラカラに乾燥した野菜が転がっている。

「魚は買って来た日に食べないとだめだよ」
「そうかぁ?!1週間位、大丈夫じゃないのか」

「野菜だって毎日ビタミンが減っていくんだよ」
「そうかぁ?!安い時に沢山買えばいいわけじゃないんだな」

「残ったご飯やおかずは、ラップしないと」
「そうかぁ?!なんでだ?」

どれも生まれて初めて聞いたという風に目を丸くして驚いている。
私がする家事をしげしげと眺めては「おぉ!そういう風にすればいいのかぁ!」と目を輝かせ、さっそく真似している。
この人は、本当に素直で前向きな人なんだなと感心する。

妹は、母のことで手一杯で、父のことまで中々手が回らないと言う。
(もちろん時間があれば色々手伝ってくれている。)
私も「父の世話はいい。母のことも最低限のことだけすればいい」と言っている。
先は、長い。
最低限のことだけでも妹は疲れている。
仕事が休みの日は、すべて母の世話で費やされる。
入院中の今も毎日仕事帰りに夕食の介助に行っている。

もし同居のお嫁さんでもいれば、父は、一生家事とは無縁に暮らせたかも知れない。
でもそうしたら一生母の苦労を実感することもなく、母への感謝も違ったものになっただろう。
74才で、父は、家事を1から学び、試行錯誤を繰り返しながら成長している。
「危機は、機会(チャンス)」という言葉を実感する。
人間って凄いな・・と思う。


客観的に考えるということ

母は、今日は久しぶりにとても調子が良く、
「こんな状態じゃ、まだ退院は無理だよね」
などとまったく正常なことを言ったという。
そんな言葉を聞くと、家族は、退院したら家に連れて帰ろうと思う。

今日、認知症の父親の遠距離介護をしている女性と話をした。
状況を説明し、看護師からもケアマネからも「自宅介護は無理」と言われているが、なんとかやっていけないだろうかと父も妹も悩んでいると話した。
「今と全く同じ話を、もし他人が貴方に相談したら、貴方なら何て言う?」
それが彼女の答えだった。
愕然とした。

母の状態が激変して以来、私は、とにかく冷静に、客観的に現状を受け止めようとしてきた。
泣いていても何も解決はしない。
何が問題なのか、どう解決すればいいのか、冷静に考えることが、遠距離に住む私にできる数少ないことだと思った。

でも彼女の一言でわかった。
私は、全く冷静でも客観的でもない。論理的でもない。
家族のことを客観的に考えるということは、こんなに難しいのだ。
私は、彼女の問いをこれからもずっと自分に問い続けなくはいけないだろう。

父のことも、彼女は、
「どれだけ今、元気でも、やる気があっても、いつ何が起こるかわからない年齢だよ」
と言った。
老老介護(老人が老人を介護する)は、綱渡りのようなものだ。
明日、介護者が病や骨折で倒れてもおかしくない。
父が、病気知らずの活動的な人だから、そんなことすらすっかり頭から抜け落ちていた。


家に帰りたい

昨日の母は、鬱(うつ)状態で元気も食欲もなかったとか。
一日中「動くな」と言われていれば、そうなるだろう。

今日は、一日車椅子でナースステーションに。
一人で動こうとするので目が離せないということだろう。

今日は一日中「家に帰りたい」と言ってきかなかったらしい。
家?父や兄のいる家?
(先月は、結婚前に住んでいた「実家に帰りたい」と言っていた。)
説明してもわからないというのは、本当に困るだろう。
そして何より本人が辛いだろう。

妹がネットで買ったというつなぎのパジャマ(弄便防止)のデザインが可愛いそうで、看護師に褒められると母は嬉しそうにしているようだ。
リハビリシューズも店ではデザインの悪いものばかりなので、おしゃれなものを妹がネットで買ってくれた。
(支払いは父。)
これもリハビリのスタッフ皆に褒められて、母は、喜んでいるそう。
介護用品こそ、介護される側もする側も気分が明るくなるような色やデザインが必要なんだろう。

妹は、老人保健施設の予約を済ませ、特別養護老人ホームの見学を始めてくれている。
(父は、そういうことは、しようとしない。面倒という理由ではないと思うが。
父の世話には、そういうアンバランスさがある。その分、妹の負担は大きい。)

入るかどうかは、先の問題だが、一日も早く予約を入れておかなければいけないとケアマネから言われた。
以前、私が、担当のケアマネと話し合った時には、
「お父さんが、現役で働いていらっしゃる場合、ヘルパーは、家事援助はできませんし、施設に入る場合も優先順位がずっと低くなります。」
と言われた。理不尽だと思った。
父は、生まれて始めての家事(特に料理)で、四苦八苦していた。
介護保険は、仕事ができるくらいなら家事だってできるだろうと切り捨てる。
ヘルパーの問題は変わらないが、施設への優先順位は、今は、かなり上がったように言われたそうだ。
弄便や一人で動こうとすることで、24時間目を離せない「緊急事態」とみなされたのだろうか。


幻覚(幻視)

本物と区別のつかないリアルな幻覚は、レビー小体型認知症の主症状の1つだ。

母の幻視(幻覚)が始まったのは、もう5年以上前のことだろうか。
「夜中にトイレに起きると、階段に熊や馬がいる。
なでようとすると、手がズボッと中に入る」と言い始めた。
(やがて「夕方、庭に色々な動物や人の顔が見える」とも。)

それより以前、母は夜中に叫んだり、暴れたりということが、たまにあった。
(レム睡眠行動障害と呼び、それもレビー小体型認知症の症状だと知ったのは、近年のことだ。)
その時は、「ストレスによる寝ぼけのひどいもの」と医者に言われたようだ。
私は、熊や馬も寝ぼけの一種かと思い、病気とは考えなかった。

やがて母は、歩幅が極端に小さくなり、パーキンソン病と診断された。
(パーキンソン病の症状は、レビー小体型認知症の主症状の1つ。)
パーキンソン病の薬の副作用の1つに幻覚がある。
主治医もそう説明していた。
家族は、みな、様々な幻視(幻覚)は、副作用で起こっているのだと信じていた。
今、考えれば、愚かだった。

母は、初め幻視を不思議がっていた。
それが徐々に、現実の話をするように幻覚のことを話すようになり、私は違和感を感じていた。
私の幻視を見て、布団を敷いたと聞いてギョッとしたのが、去年の暮れ。
そして3月には、せっせと幻覚の世話(食事の用意。昼間に風呂の用意など)をするようになった。
「子どもら(孫)が、ご飯を食べてくれない。どうしたらいいの?」
と半べそをかいて電話をしてくる。
「それは幻覚なんだよ。」とどれだけ説明しても理解できない。
幻視の私が、食事もせず、病気で死にそうだから病院に連れて行くのだと言って止める父に殴り掛かった。

毎日幻視で見える猫には、名前まで付けている。
たくさんの猫を飼っていると信じている。
背の高い黒人が2人、居間に寝ていたり、手や足のない子どもが6人位居たり、知らない人やら孫やら、常に誰かが居ることを不思議とも恐いとも思わない。

私の子どもの一人(大学生)は、小学生として毎日現れるという。
「○○は、大学生じゃない!小学生だなんて、変だと思わないの?」
「思わない」と平気で答える。
孫も私も250キロ以上の距離を毎日往復していると信じて疑わない。

ある日、妹が電話をすると「今、あんたここに寝てるよ。(幻視の妹に向かって)ねえ!あんたから電話だよ。」
そんなことは常識的にありえない、という思考回路が完全に切れている。
短気な父が、どれだけ怒鳴ろうが(父はこの時点でも認知症とは思っていなかった。)、私が、どれほど時間をかけて説明しようが、何の役にも立たなかった。

入院してから幻視は、風景も含んだ複雑なものになったような気がする。
子どもが大勢ビルの上に立っていて、1人落ちて死んだと言って泣く。
大きな滝に沢山の鳥が突っ込んでいくとか、祭りの人混みの中に知っている人を見かけたとか。
「お~い!こっち、こっち~!」と大声を出して呼ぶ。
絶え間なく話す妄想も、幻視として見たものなのか、夢なのか、妄想なのか、その混合なのか、知るすべもない。

私と妹がレビー小体型認知症を疑って、主治医に初めて相談したのが去年の暮れ。
どれほど切々と訴えても、その後3回の診察とも「様子をみましょう」くらいの言葉しかもらえず(3回目の受診から主治医が変わった。)レビー小体型認知症と診断されたのは、骨折で入院していることすら理解できなくなった先月(5月)のことだ。

追記 この病気については、以下のサイトに詳しい。(他にも色々あるが、知りたい情報がまとまっている。)
認知症高齢者研究所 レビー小体型認知症ケア


動くな

調子の悪い日が続いているらしい。
毎日リハビリ室に行っては「動け!動け!」と言われ、病室に戻ると「動くな!動くな!」と言われているのだと、親切な看護師の一人が言ったそうだ。
一人で車椅子から立ち上がろうとしたり、ベッドから出てトイレに行こうとしたりして、その度、騒ぎになるらしい。

今日は、来る看護師、来る看護師に「夕べはご迷惑をお掛けしました」と母が謝っていたという。
何をしたのかは、不明。
でも病院のつなぎのパジャマを着せられて、ベッドの柵もベルトで補強してあったという。

迷惑をかけたことなんて、忘れてしまえばいいのに・・と思う。
アルツハイマーは、忘れることで知られているが、母の場合、記憶障害は、目立たない。
何度も同じことを訊くということは、一度もない。
だから余計、認知症の早期発見ができなかった。

5月に帰省して見舞いに行った時は、症状である幻覚(常に色々なものが見え、全て現実だと思っている。)と妄想の話をエンドレスで話し続けていた。
夢の話を聞いているようで支離滅裂だ。
「今朝は、おじさん(故人。母の兄)と一緒に船に乗って島に行って、おじいちゃん(故人。母の父)の形見分けをしてね・・あっ、可愛い女の子(幻覚)!ねえ、あの子にお菓子買ってきてやって。○○(飼い猫の名。幻覚)、こっちおいで。ああ、お祭り(幻覚)が始まったみたいだね。○○(私の兄。幻覚)、どうしたの?なんで泣いてるの?」
といった話を一日中しゃべり続ける。

看護師には「ここに長く居候(いそうろう)するのは申し訳ないんで、S町の実家(母が結婚するまで住んでいた所)に帰りたいと思います」と言った。
そういう母を自分の目で実際に見て、私は、諦めがついた。
(でもその後、母の頭がはっきりする時も出て来た。私はまだ見ていないが)

支離滅裂で会話が成立しない母を数日見続けると妹や父も冷水を浴びせられたようになるようだ。

在宅介護に固執する父

今日、看護師が妹に言った。
日中は大丈夫だが、明け方、排便をすると触ったり、自分でオムツを外して投げ捨てる。自宅介護は無理、と。

今日、以前母が所属していた健康体操サークルの仲間たちがお見舞いに来て下さった時には、彼女たちが、認知症とわからない位、しっかりと楽しそうに受け答えができていたのだと言う。
(私自身は、そんな母は、3月以来見ていない。)
妹もそんな母を見ると心が揺らぐと言う。
ケアマネに言われて予約を入れた老人保健施設に、他の利用者より1回り以上若く、調子の良い時の母が居る所を想像すると、あまりにも場違いな感じがすると言う。

まして父は、母の調子の良い部分しか見ようとしない。
母の歩行能力も頭もどんどん回復していくと信じ切り、「俺が(自宅で)介護するからいい!何も心配するな!」と言い放つ。
日中仕事をしている父に、睡眠時間をけずって介護をする覚悟があるのだろうか。

前回(5月半ば)帰省した時、父が、珍しくしみじみ語っていた。
「お母さんが退院してきたら、大事にしてやりたい。
優しく世話してやりたい。
あいつは、もう十分働いてきたから、これからは、ゆっくり安心して休ませてやりたい。
一日一日を大事にして、調子の良い時は、また一緒にドライブに連れて行ってやりたい。
前のように遠くは無理でも、近くなら大丈夫だろう。
一緒に色々な所を訪ねたい。」

父が、心から母を愛して、大事に思ってくれていることを本当に有り難いと思う。
でも現実は、容赦がない。

歩けた

父がリハビリを覗いて見ると、なんとU字型の歩行器につかまって何メートルも歩いていたとか。
ついこの前までは、つかまっても立つことすらできなかったのに。
何がどう変化してそんな急速に進歩したのかは、わからないけれど、とにかく電話の父の声は、とても明るいし、私も本当にうれしくなる。
看護師が口を揃えて無理だと言う自宅介護だって、もしかしたら出来るんじゃないかという希望がふくらんでくる。
体が動く時は、頭も動くようで、会話もちゃんとできたと言う。

母の病気は、体調が、日々(時間によっても)刻々と変化するのが特徴。
良かったり、悪かったりの差が激しい。
体調が悪い時は、石のように動けない。
頭の回転も止まり、会話もできない。
表情も生気もなくなる。
でも体調が良くなると、ヨタヨタだが、動ける。
ボケていないかのように会話ができる。
顔つきも別人のようだ。

5月中旬に私が帰省して訪ねた時は、体調が良い状態の日は、一日もなかったが、(だからもうこれ以上良くなることはないのだと覚悟をした。)このごろ体調の良い日が時々あるらしい。
父も妹も調子の良い母を見ると、退院しさえすれば、家に帰りさえすれば、何とかやっていける位、母の状態が回復するのではないかと思っている。
私だってそう思いたい。



不潔行為(弄便・ろうべん)

情緒不安定になって泣き止まないということが、初めて起こった翌日。
病院から「便こねをするので、つなぎのパジャマを3枚買って下さい。」と言われたと妹から聞く。
母は、看護師から叱られたのだろう。
すっかりしょげ返ってめそめそと泣き続けていたと言う。

「なんで触っちゃったの?」と妹が訊くと「だって気持ち悪かったんだもん」と答えたという。
私が以前読んだ本の中にも「弄便は、理由なくするわけではない。オムツの中が気持ち悪いので何とかしようと触る。手が汚れるので、きれいにしようとシーツや布団で拭く」と書いてあった。

母は、妹の介助でトイレに行くと(本当は看護師を呼ばなくてはいけない。)ちゃんと排便することができたという。
いつもそばにいて尿意や便意のたびにトイレ(orポータブルトイレ)に連れていく介護者さえいれば、母は、オムツなどせずに済むし、弄便などしない。
しかし、父も妹も仕事をしている。
いや、例え、仕事をしていなかったとしても(父が土日だけでも仕事を完全にやめたとしても)それを日々続けていくことは、どれほど大変なことだろう。
気が短く、細かいことに気が回らない(気が付かない)父に、それが可能だろうか。

父も妹も母の回復に強く期待している。
自宅介護を望んでいる。
その望みを突然揺るがす1日だった。

追記 精一杯冷静にはしているが、この日は、私も動揺していた。
わーっと叫んで、家中のガラスを叩き割りたい・・そんな衝動が、何度も浮かんでは消えた。



tag : 便こね 弄便 不潔行為

突然、情緒不安定になる

父から「今日は今までの中で一番調子が良かったぞ!」と弾んだ声で電話があった直後。
妹からの電話。
母が、夕方、泣いて電話してきたと言う。
看護師が「不安定になっているようなので病院に来て欲しい」と言うので飛んで行く(30分かかる。)と、カバンがなくなったと激しく泣いているという。
カバンなんて最初からないのだと、大丈夫だと優しく話しかけているうちに段々落ち着き、泣き止んだそうだ。
こんなことは、初めて。
これが続けば家族の負担は・・。

母は、3月から突然、要支援2から要介護4へと激変していった。
ほんの1ヶ月ほどの間にだ。
毎日のように、あれができなくなり、これができなくなり、失禁するようになり、歩けなくなり・・・。
携帯も、まずメールが打てなくなり、次に読めなくなり、掛けられなくなり、電話に出ることもできなくなった。
本当に、毎日、急な坂を転がり落ちていくようだった。
あの時のように、想像もしていなかったことが、これからも日々起こっていくのだろうか・・・?



症状の変化に一喜一憂

リハビリを始めた母は、最初、つかまって立つことすらできないと聞いていた。
まったく歩けなくなって1ヶ月以上経っているので筋肉もなくなってしまったのだろう。
それが父からの電話で両脇のバーにつかまって何メートルか歩いたと聞く。
私は、様子を見ているわけでもないし、毎日情報が入ってくるわけでもないので、そのあまりにも突然の進歩にただただ驚いている。

レビー小体型認知症の特徴の1つでもあるのだが、母の病状は、極端に変わる。
日によっても、時間によっても、ある時は、瞬時に。
コミュニケーションもとれないような状態にもなれば、ほとんどボケていないんじゃないかと思うような状態にもなる。(私が5月に訪ねた時は、そんな良い状態には一度もならなかったが。)
体も動く時もあれば、まったく動けない時もある。

父は、母の状態が良いと、電話をしてくる。
平静に話しているつもりでも、嬉しくて嬉しくてどうしようもない様子が、ひしひしと伝わってくる。
「今日はほとんど正常だったぞ。リハビリも順調だ」
でもその翌日には、支離滅裂なことばかり言い、まったく動くことのできない母になったりするのだ。
妹から「今日はひどい」とメールがあった日、父から電話がかかってくることはない。

母の病状が刻々と大きく変化することは、既に、家族は知っている。
それでも母の調子が良いと、家族は嬉しい。
心からほっとし、良かったと思う。
そして母の調子が悪いと、家族は、暗たんたる気持ちになる。
一喜一憂してはいけない。
そんなことは百も承知だ。
それでも毎日一喜一憂し続けている。
家族が介護に疲れ切ってしまうのは、そんなことも一因かもしれない。


介護者を苦しめるわがまま

追記:わがまま」と呼ばれる状態になる仕組みこちらを!
(「介護に疲れた。もう嫌だ」という方へのアドバイスもあります。)

…………………………………………………………………………………………………
(記事本文)
母は、腰椎骨折の手術後、元気になるにつれ、わがままもひどくなってきたらしい。
病院の食事を文句を言わずに食べることがない。
「こんなもの食べられない!餃子が食べたい!」
など、言いたい放題だそうだ。
理屈で説得しようとしても逆効果で、母は怒り出し、喧嘩になる。

わがままになるのも認知症の症状の1つらしい。
これが他人なら「はぁ、そうですか~」と聞き流し、無視して食べさせることもできるが、家族だとどうしても感情が大きく動く。
頭がクリアーな時なら、言えばわかるんじゃないかと期待する。
そして期待は裏切られて、言葉にもならないような絶望感と疲労感を感じてしまう。
もう説明してもわからないのだと、家族は、中々諦めることができない。

曾祖母(母の母の母)がボケた時、祖母(母の母)が博打で大損をして(同居している)家を売ってしまったという妄想を抱いたことがあった。

曾祖母は、泣いて怒り、祖母も泣いて怒り、二人で大喧嘩する様子を10代の私は、呆然と見ていた。
ずっと後になって、認知症患者の妄想を否定することは逆効果だと知ったが、今になって、泣いて怒っていた祖母の気持ちがわかる。
理屈では「母は病気で、これは症状」とわかっていても、感情のコントロールは、それほど簡単ではないのだ。

<関連記事>
介護に役立つ良書
認知症は介護者の気持ちを模倣する(新聞記事)
*カテゴリ:「認知症とは/ケア・介護」

退院後についてケアマネと相談

妹との電話。
病院の看護士からも言われているが、ケアマネも現在の状態では、自宅介護は無理だと言う。
しかし父も妹も施設入所には抵抗がある。
リハビリによって、もっと体が動くようになるのではないか、自宅に帰ればボケも改善されるのではないか、という思いがある。
何より本人が、家に帰りたがっているという。

ケアマネは、ひとまず週5日のショートステイ(土日だけ自宅に帰る)を選択し、それが無理だと判断した段階で、老人保健施設に、という。
そのためにすぐにでも老人保健施設の見学に行って、予約を入れておかなければいけないと言う。
特別養護老人ホームの予約も絶対に必要だと強く言われる。

3ヶ月前までは、一度も考えたこともなかったことが、現実として目の前に現れる。
母は、このまま要介護4のままなのか?
もう歩けるようにはならないのか?
現実のこととは思えない。



プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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