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私と家族のこと(プロフィールから)

私、「しば」は、1960年代生まれの既婚女性です。
関東で家族と一緒に暮らしています。

300km離れた郷里に定期的に(2010年から月1回、2012年から1〜2ヶ月に1回)帰省。
前頭側頭型認知症(ピック病)の父、レビー小体型認知症の母に会っています。
母は、現在は、特別養護老人ホームに居ます。

私は、認知症についての情報を集めている一介護家族です。
自分が情報不足のために苦しい思いをしたので、集めた情報を同じ介護家族の方々と共有したいと考え、このブログを書いています。

情報には、偏りがないよう、公正、正確であるよう、細心の注意を払っています。
(特定の医師・治療法や介護施設等をお勧めすることはありません。)
(信仰する宗教もありません。)

私は、医療・福祉の仕事をしている者ではありません。
(パート職員として特別養護老人ホームで、少しの間、働いた経験はあります。)
(昔、がんセンターやホスピスで傾聴ボランティアをしていました。)
認知症に関係するビジネスもしていません。


ブログを読んで、もしご質問、ご不明な点があれば、私のわかる範囲でお答えします。
公開/非公開コメントでお寄せ下さい。
(非公開を選択するとブログ上には何も出ず、私だけに届きます。返信用のメールアドレスをお書き下さい。)


私の好きなこと:読むこと・書くこと。
        散歩して見つけた草花の写真を撮ること
        (ブログに載せています。)
        珍しい料理を作って食べること (レシピブログも書いています。)
        スロージョギング(ブログ内のカテゴリでご紹介)  などなど多数



 <ブログに登場する家族の紹介>

母 '05年に、パーキンソン病と診断される。
  ’10年3月に、「要支援2」から「要介護4」へ激変する。
  5月に、レビー小体型認知症と診断される。
  2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難となり、8月末グループホームに入所。
  ’11年3月に、圧迫骨折で寝たきりになる。
  7月に、特別養護老人ホームに入所。要介護5に認定される。
  '12年に要介護4に回復。
  昭和13年(1938年)生まれ。

父 ’10年3月から初の介護、家事を担うが混乱を極める。自営業者。
  7月から認知症が疑われるが、受診拒否。
  9月にピック病(前頭側頭型認知症)と診断される。
  要支援2だが、「必要ない!」と言い、サービスを受けない。
  昭和10年(1935年)生まれ。

兄 重い知的障害、言語障害等がある。
  グループホームから通所授産施設に通う。週末帰宅。

妹 実家と同市に住み3人の世話を担っている。

両親のもう少し詳しい経過はこちら

P1030016.jpg
蓮(ハス)の花。
母の老人ホームの近くの蓮田で撮影しました。
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障害者のきょうだいの抱える問題

Eテレ「ハートをつなごう」の「きょうだい~障害のある人の兄弟姉妹~」の再放送を今日見た。(2011年10月6日正午にも再放送あり。)

私も初めて知ったが、障害者や難病を患う人の兄弟姉妹のことを「きょうだい」或は「きょうだい児」と呼ぶそうだ。
「悩みや葛藤を抱えて育ちながら、今まで支援の対象となってこなかった」と公式サイトに書かれている。

私も「(障害者の)きょうだいの会」というものがあると知ったのは、10年程前、ネットを通してだ。
「きょうだい」への支援活動や「きょうだい」向けの本の存在を初めて知ったのは、1993~’95年に米国に住んだ時だった。
その時、そういう支援が、日本にも普及すればと思ったが、状況は大きくは変わっていない気がする。


番組に出演していた「きょうだい」の話を聞くと、自分と良く似ていると思った。
障害のあるきょうだいが大好きだということも、母親には複雑な想いがあるが、仕方がないことと諦めて自分の気持ちを押さえ込んできたこと、悩みを親にも人にも言えなかったこと、等々。

出演者「”私の弟、自閉症なの”って、言いたかったけど、どうしても言えなかった」

私も『何ら恥じることではないし、私にとって、とても重要なことだから言いたい』という強い気持ちを常に持ちながら、誰にも言えない長い時期を生きた。

相手の反応が恐いということもあった。
(実際、障害者を普通の人として見る人は、少ないと思う。可哀想と見る人が多い。言われ慣れた言葉だが、「きょうだい」には、抵抗感がある。一緒に育った「きょうだい」は、障害のあるきょうだいを普通の人と思っているから。)

「私の兄は、障害者です」と言葉にした途端に、押さえに押さえてきたものが噴出して号泣してしまいそうでもあった。22歳位までそうだった。

でも良い人と結婚し、子供も生まれた頃から変わった。
今では、兄のことを訊かれれば、誰にでも「知的障害者です」と平気で言える。
聞いてぎょっとする人も時々いるが、何とも思わない。
私は、既にその問題から完全に解き放たれている。

しかし、今、その問題のさなかに生きている「きょうだい」も大勢いるだろうと思う。
彼らが、必要な支援を求めること、彼らに支援の手が届くことを心から願っている。


番組のゲスト、吉川かおりさん(明星大学福祉実践学科教授。兄が、ダウン症)の言葉をご紹介したい。(下記、青字部分)
「きょうだい」の置かれた状況が、よく理解できると思う。


(障害児の)親御さんは、体が健康に、いわゆる障害がなく生まれれば、(「きょうだい」は)放っておいても育つと思ってるんですね。
ところが子供は、無条件の愛、手間暇かけてもらわないと健全には育つことはできない。そこではないかなぁという風に思います。

「きょうだい達」は、特に、無条件の愛情をかけてもらいにくい状況にあるんですね。
例えば、障害のある子のことで一生懸命な親の手伝いをしたら愛してくれる、良い子で居れば、成績優秀であれば愛してもらえる。
条件付き愛情というのが山ほどある。
(親からの愛が)無条件ではない。

「きょうだい達」の辛さって、自分が出会っている出来事が 自分では解決できないような出来事じゃないですか。
(きょうだいに)障害があるとか、親がそのことで振り回されているとか、社会からの誤解や偏見を受けるとか。
自分ではどうにもできないようなもの凄く大きな壁や圧力に、まだ自分のことを言語化できない時期から向き合わなきゃいけない。

それで自分のキャパシティーに、もの凄く色々なものが、どんどんどんどん、この器の中に溜まっていって、キャパが一杯一杯なのに、それにも気付けずに日々を送っていかなきゃいけない。
それがものすごく辛いんだと思うんですよね。


P1030622.jpg
ハナトラノオ
小さな花です。寒くなりましたが、まだ咲いています。
クリックしてアップで見ると中々華やかな花です。

私と母の間の距離

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遠距離に住む娘(私)の気持ち

「中高年の悩みは、それまで抱えていたものより大きな悩みを抱えることで、それまであった悩みが薄れる・・という形でしか解決しない。」
以前、何にそう書いてあった。
誰が書いたかも覚えてはいない。
今、本当にその通りだと思う。
母が一気に悪化した3月から、考えてみれば、ほとんどの事は、「どうでもよいこと」になった。

突然の遠距離介護が始まってから、私は、それまでの私が、何てお気楽に生きてきたかを思い知った。
田舎の両親は、元気(母に持病はあるとしても。)で当たり前、自分たちで生活できて当たり前と思い込んでいた。
介護なんて、80、90になってから考え始める話だと思っていた。
(母は、71才だ。)

帰省したいという気持ちはあったが、子どもと3人で新幹線で帰省すれば、5万円以上かかる。
子どもが、部活だ、受験だと忙しくなってからは、1年に1回しか帰らなかった。
なぜもっと帰らなかったのか、なぜもっと一緒に旅行に行かなかったのか、なぜもっと・・・。
腸が引きちぎれるかと思うほど悔やんだが、過去は変えられない。

春には、街を歩く老人を見ると、激しい怒りが込み上げた。
「この人も、あの人も、こんなに元気に歩いているじゃないか!自分で買い物ができるじゃないか!母よりはるかに年上だろう。なぜ71の母が、寝たきりにならなきゃいけないんだ!」

今、人混みを見ると不思議な親近感を覚える。
ここにいる何百、何千のほとんど全ての人が、自分の親(或は養育者)を苦しみながら見送ったか、今、そのただ中にあるか、これから見送るのだ・・。

でも生まれた数だけの人が死んでいくのに、なぜ介護の知識や方法は、受け継がれていかないのだろう。
核家族だから?
ほとんど全ての人が通った道なのに、自分の番になると、何もかも初めての事で、何をどうしたらいいのか途方に暮れる。
問題は次々と起こっていく。
ブレーキの壊れた車のように暴走は止まらない。
そして、遠くに住む私は、ただそれを聞くだけだ。
両手両足を縛られ、猿ぐつわをはめられて、目の前で家族が拷問を受けるのを見ているようだと思う時がある。

「心穏やかな余生を過ごさせてあげようね」
と妹が言う。
そんな日が来ることを心の底から祈っている。

P1000931.jpg

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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