スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

父、救急車で運ばれる 

前回の帰省から戻った3日目には、父が、救急車で運ばれた。
めまいを訴えて近所の内科の病院に行き、そこで吐き、院長の判断で救急搬送された。
妹が連絡を受け、大きな病院に駆けつけた。
脳血管障害(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)の疑いということだった。
CTなど精密検査を受け、異常なしと言われて帰宅した。
帰宅して昼食を済ませた父は、さっさと仕事に出掛けたらしい。

実家の近くに住む妹は、常にこうした不測の事態に対応しなければならない。
それだけでもとても大きな負担だと思う。
父は、兄の薬の管理や兄の世話を十分にできないので、それもすべて妹が担っている。
本当にありがたいと思い、同じだけ申し訳ないと思う。
だから私は、私にできることを、できる限りやらなければと常に思う。
帰省した5日間は、30日分働こう、30日分母と過ごそうと思う。

夕方、父に電話をすると、その日の明け方、緊急の特殊な仕事が入り、かなりの緊張感の中で仕事をしたのだと興奮して説明する。
こういう時の父は、奇妙に饒舌だと感じる。
「人間っていうのは、緊張すると体もおかしくなるんだな!めまいはするし、気持ちは悪いし、なんだかおかしくてな!」
「お父さん、お腹、下してなかった?」
「腹か?・・ああ、そういえばそうだなぁ」
「食あたりじゃないの?古い魚の揚げ物とか食べてない?」
(実家の冷蔵庫には、いつ買ったのかわからない魚の天ぷらがいくつも入っている。)
「記憶にないなぁ!」

妹も父に同じ質問をしたが、否定したのだという。
恐らく医師にもそう言ったのだろう。

父は、体だけは丈夫で、認知症を除けば、風邪以外の病気を知らない。
妹も私も『父は、母と違って頑丈にできている』という長年の思い込みがあった。
しかしそれも75になった父には、もう当てはまらないのだろう。

今回は、たまたま笑い話で済んだ。
しかし今日元気でも、明日は、倒れるかもしれない。
去年の母がそうだったように、入院すれば、認知症の症状が一気に悪化して別人になるのかもしれない。
母がしたように一晩中叫び、便のついたオムツを投げ、ベッドを乗り越えて落ちるかもしれない。
(「夜間せん妄」と呼ぶ。)
考えたくもないが、そんな日が、再び突然やって来ることはないと誰が言えるだろう。

高齢者の生活は、いつも薄い氷の上にある。
それを支えることになる私たち中年の生活もだ。
そして負担は、近くに住む子供に重くのしかかる。
その時、遠くに住む私は、どうすればいいのか・・。
ほとんど考える間もなく、次から次へと問題は起こり続ける。
それを何とかしようと右往左往している内に1年以上が、流れ去った。


P1020679.jpg
美容柳(美女柳。ヒペリカム)
スポンサーサイト

認知症の父の暴走

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

薬を飲ませ忘れる父

父は、確定申告のために会計士に出す書類準備に苦戦していた。
長年お世話になっている会計士からは、2年前からミスが目立つようになったと言われている。
会計士には、父が認知症であることを伝えたが、「できる間は、できるだけ自分でやらせる方がいい」と言われた。(父は、私と会計士のやり取りを知らない。)

父は、ついに妹に助けを求めた。
父「だめだ。どうしても合わん。手伝ってくれんか?」

妹は、ノートパソコンを持って実家に行き、エクセル(表計算ソフト)を使って計算をした。
数字を入力しさえすれば、面倒な計算が一瞬でできる。
父「おぉ!!こりゃ~いいぞ~!!どこで売ってる?!いくらだ?!」
今すぐ買いに走りそうな父を妹が押しとどめた。
妹のお陰で「99%は片付いた」と父は、とても喜んでいる。


父は、その後もずっと落ち着いている。
しかし妹が、先日、実家で母の薬の袋(食事ごとにまとめて袋に詰めてある。)をいくつも見つけた。
週末に母を自宅に連れ帰った時、父が、飲ませ忘れたものだ。
グループホームの職員は、母が、週末を自宅で過ごして戻ると別人のように具合が悪いと言っていた。
薬のせいだった。
兄の薬の管理は、既に父に頼むことは諦めて妹がしている。
しかし母の薬の管理は、父がかいがいしくしているものと信じていた。
飲ませたかと電話で確認する度に「おぅ。ちゃんと飲ませてるぞ。忘れる訳ないだろ」と答えていた。

父には介護保険の更新の葉書が届いた。
父は、2010年9月に要支援2に認定されたが、サービスは一切受けていない。
「俺は何でも一人でできる」とヘルパーも拒否している。
更新には、医師の診断書が必要だそうだ。
妹は、今の落ち着いた父なら「非該当」になるのではないかと心配している。
9月に認定を受ける時も「良くて要支援1。非該当になる場合もある」とケアマネから説明されていた。
(「東京都では認知症なら要支援ではなく要介護に認定される」と友人のケアマネは言っていた。)
心配しても仕方がない。
こちらは、正確な情報を伝えるだけだ。

10月の帰省(7)ピック病の父の奇妙な明るさ

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

10月の帰省(6)母の思いやり 初家族旅行 

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

10月の帰省(5)ピック病(前頭側頭葉変性症)の父の日常(その2)

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

10月の帰省(4)ピック病(前頭側頭葉変性症)の父の日常(その1)

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

ピック病の症状(衝動性 買い物ミス 食べ物の好み 甘み)

帰宅後、毎日父とは電話で話しているが、驚かされることが多い。

「お母さん、夜、眠らないって言うだろ。今度なぁ、土曜日にでも家(自宅)に連れて帰って来て、一晩どんな様子か一遍見てみようかと思ってるんだ」
「・・・それは止めた方がいいんじゃないかなぁ。お母さん、家の方が良くなっちゃって、”もう絶対帰らない!ずっと家にいる!”って言い出すと思うよ。それも可哀想でしょ?ずっとは看れないんだから・・」
(「事故が起きるから」という本当の理由は言えない。)
「そうだなぁ。じゃ、俺が、お母さんの所に行って寝るか!」
「施設の人に話してみた?」(父はよく無断で行動する。)
「おぅ。”いつでもどうぞ”って言ったぞ」
「うん。それは喜ぶだろうね。ただ”明日も泊まれ、明後日も泊まれ、毎日泊まれ”って言い出す可能性高いよ。それ覚悟でやってね。」
「そうか?!・・・それも困るな・・・」

しかし父が、実行に移す前に相談してくれたのは、大きな前進だ。
元々思ったらすぐ実行の人だったが、ピック病(認知症)になってから「何も考えずに衝動的に行動する」ことが多くなった。後先考えない。
母のオムツもお尻拭きも着替えも持たず、母の希望も訊かずに突然ドライブに連れて行ったりする。「一昨日”海を見たい”ってお母さんが言ったんだ」と父は言うのだが、今日も行きたいのかどうかはわからない。レビーの特徴で、記憶力は比較的保たれてはいるが、完全に忘れることもある。
車椅子の母は、障害者用トイレでなければ入れないし、名古屋に行った時のように大量の便失禁も有り得る。
母は、手すりにつかまっても一人で立ち続けることができないので、慣れない介護者が一人で対応することは、無理だ。
そんな諸々のことなど一切考えずに、父は、揚々と母を遠出させる。
「お母さん!一緒に海に行ったなぁ!楽しかったなぁ!」と言っている横で、母は「なんで海なんか連れてくのかねぇ」とつぶやいていたらしい。

父は、毎日母を訪ねて足のマッサージもしている。ほとんどしゃべらず、ただ床に座り込んで、車椅子の母の足をさすり続けるようだ。父は、足の浮腫(むくみ)を母の唯一の体調基準にしている。むくんでいれば調子が悪い、むくみがなければ、健康だと。根拠はよくわからない。

最近の父の考えや行動には、意味不明なものが多い。
例えば、食べ物。かつて一度も食べたことがないだろうハンバーガーを3つ買って来たりする。
「これ、何か知ってる?」「パンだろ?」「肉も挟まってるよ。賞味期限、明日だよ」「そうか?!食べ切れんな。まあいい。そういうこと(失敗)もたまにはある」
野菜もエシャロットとかミツバとか、何に使うのかわからないものを買って来る。
帰省した時には、生ハムも買って来た。
父は、長年純和食しか食べず、刺身を何より愛し、見た事のないものは食べない人だった。
父は、刺身を嫌いになり、一度も食べた事のない、食べ方のわからないものを色々大量に買うようになった。(そして多くは、そのまま腐らせてしまう。)

「味覚の好みが変わる」というのは、ピック病の症状の1つにある。
まったく酸味のないドレッシングを「酸っぱくて食べられないぞ」と言い、甘酢だれなど「何だこれは?!」と顔を歪める。

甘い物が異常に好きになるのもピック病の症状だが、父は、元々1日3個位アイスクリームを食べる人なので、変化はよくわからなかった。
夏の間、水を全く飲まず、毎回炭酸飲料(主にダイエットコーラ)を飲んでいたのは、以前にはなかったことだ。
理由を訊くと「水なんか美味くないじゃないか」と答えた。

何でも異常に沢山買って来る父は、1.5リットルの炭酸飲料を一度に10本買って来たり、アイスクリームを特大レジ袋一杯買ってきたりする。絶対に冷凍庫に入り切らないと思ったが、実家の冷蔵庫は大型なので、ギリギリ入った。
父が買い物から帰る度に(そもそも私が居る間は、私が、家事を担当していたので、父は、買い物に行く必要はなかった。)私は、絶句し、『2人でキャベツ2玉、大根2本をいったいどうやって食べよう・・』と頭を抱えていた。

父の問題

父の提案で、妹と妹の子どもと一緒に母を連れ出して外食したという。
母は、何とか普通に会話もできたようだ。
父は、口の回りが汚れていても全く平気でいたと妹が言う。
言われてみれば、私も帰省時に、何度か父に「顔にお弁当付けてるよ」と注意をした。
父は、無口になったとも妹が言う。確かに前回の帰省の時から急に口数が少なくなったと私も感じていた。

帰省時、父は、汚れのひどいズボンをはいていたので、私が洗うと言ったが、「うるさい!」と怒った。
仕事用の上着もどれも汗臭かったので、父が居ない間に全部洗っておいた。
はいた靴下は、家中の床に放置されていた。
洗ったのか洗わないのかよくわからない服が20着以上、常にダイニングの椅子の上に山積みしてあり、片付けようとすると怒った。一度片付けたら、場所がわからなくなるのだろう。
兄のパジャマや枕カバーやシーツなどは、悲惨な状態で、手で何度こすり洗いをしても中々汚れが落ちなかった。

母は、穏やかに夕食を楽しんだようだが、帰り道が、自宅とは方向が違うとすぐにわかり、「どこに行くの?!私は家に帰るんだよ!」と怒り出したと父が言っていた。そのまま手がつけられない状態だったので、グループホームの職員に任せて、自分は帰ってきたという。
父「参ったよ。本当は、家でお母さんを風呂に入れてやるつもりだったんだがなぁ・・」
母は、グループホームでお風呂に入っているのだから、その必要はない。ほとんど歩けない母を風呂に入れることは危険だと父を説得しようとした。けれども父は、危険性をまったく理解しない。
父「お前、知らないのか?お母さんを風呂に入れるのは、俺が一番上手いぞ。プロより上手いぞ」

母は、先日、父に「20万円必要になったから持って来て」と言ったらしい。
妹は、いつか父が実際に持って行くと感じて、グループホームに伝えたようだ。
母にお金を渡してはいけないということは、私も何度も父に言っている。
帰省時に施設長にも相談した。けれどもいつか父は、母にお金を届けるだろう。

父の所有管理しているアパートは、水道メーターを毎月検針して料金を調べ、一軒一軒に請求書を入れなければいけない。それは長年母の仕事だった。
3月初旬にも母は、階段を四つん這いになって登ってメーターを検針して来たと電話で言っていた。(それ以後、母は、急に歩けなくなった。)
検針は、父か妹に代わってもらうよう何度も言ってあった。母が、最後に検針した数字は、滅茶苦茶だった。
妹の話では、この数ヶ月、検針と請求は、滞っている。
(他にも色々面倒な問題があるが、全て放置されている。)
水道メーターを全部取り変えれば市が自動的に請求するようになると、妹が、父に勧めると既に手配してあったという。
しかし父の認知症のせいなのか、業者の不親切のせいなのか(両方なのかもしれない)不適切なメーターを取り付けられて、再び全部取り変えるはめになった。6万円が無駄になった。

6万円で済んでいる内はいい。
妹に、お金のからむことは、父一人に任せてはいけないと伝えた。
妹は、一緒に住んでいる訳ではないのだから、父の行動全てを監視することなど不可能だと言った。
確かにその通りだ。
父は、今まで病気とは全く無縁に生きてきた。足腰も丈夫で、常にエネルギッシュに動き回る人だ。

父への病気の告知は、明後日に迫っている。その時以外、父を説得する機会はないと思っている。
(医師は、病気を告知されたこともやがて忘れると言った。)
運転を止めること。仕事(自営業)を辞めること。妹を成年後見人として、お金の管理を任せること。
父の性格、生き方、判断能力の低下、どんどん強くなっている猜疑心を考えると、どれも受け入れそうにない。
でも説得するしかない。説得するしかないのだ。

父の性格では介護は無理

夜中、母が、ベッドを乗り越えようとして落下。
奇跡的に(骨粗鬆症なのに)骨折は免れたが、大騒ぎだったらしい。
父は、それを聞いて母を怒鳴ったようだ。
「母の言うことを否定するな、怒るな、絶対に怒鳴るな」と父には去年から10回以上は言っている。
しかし短気ですぐ怒鳴るという性格は、簡単には変えられないようだ。
今回の帰省で兄への接し方を見て、随分我慢強くなったと思っていたが・・・。

母は、「○○先生から退院許可が出たから、今から家に連れて帰れ」と言ってきかなかったそうだ。
そんな「ありえそうな」妄想を聞くのは初めてで驚く。
タヌキが集まってお祭りをしているとか、オートバイがサーカスをしているとか言っていたのに。

父が否定すると、母は、激怒していたそうだ。
「かっとなるのも認知症の症状だよ」と父に言うと
「そうかぁ?!」と驚いている。
私の方が驚く。これももう3回以上伝えてある。

ケアマネと電話で話した時、言っていた。
「私が自宅で看るから問題ない!って仰って、お父さん、電話を一方的に切ってしまうんですよ。
そういうタイプだと、ちょっと現実的な介護は難しいかなって、少し心配にはなったんです。」

いくら愛情が深くても、いくら根は優しくても、いくら健康でも、父に母の介護はできない。
それが私と妹のここ数日の話し合いの結論だ。


父の成長

今年の3月から突然、介護と家事の全てと知的障害の兄の世話をしなければならなくなった父。
愚痴も文句も一言も言わず、「大丈夫だ。心配するな」を繰り返す。

帰省した時に見てみれば、実際は、全く大丈夫ではない。
洗濯でも掃除でも炊事でも、幼稚園の子がしそうなことをするので目眩を覚える。
冷蔵庫の中には、半分腐ったようなものしか入っていないし、モヤシが4袋、大玉キャベツが2つの下には、液体化した袋入り野菜やカラカラに乾燥した野菜が転がっている。

「魚は買って来た日に食べないとだめだよ」
「そうかぁ?!1週間位、大丈夫じゃないのか」

「野菜だって毎日ビタミンが減っていくんだよ」
「そうかぁ?!安い時に沢山買えばいいわけじゃないんだな」

「残ったご飯やおかずは、ラップしないと」
「そうかぁ?!なんでだ?」

どれも生まれて初めて聞いたという風に目を丸くして驚いている。
私がする家事をしげしげと眺めては「おぉ!そういう風にすればいいのかぁ!」と目を輝かせ、さっそく真似している。
この人は、本当に素直で前向きな人なんだなと感心する。

妹は、母のことで手一杯で、父のことまで中々手が回らないと言う。
(もちろん時間があれば色々手伝ってくれている。)
私も「父の世話はいい。母のことも最低限のことだけすればいい」と言っている。
先は、長い。
最低限のことだけでも妹は疲れている。
仕事が休みの日は、すべて母の世話で費やされる。
入院中の今も毎日仕事帰りに夕食の介助に行っている。

もし同居のお嫁さんでもいれば、父は、一生家事とは無縁に暮らせたかも知れない。
でもそうしたら一生母の苦労を実感することもなく、母への感謝も違ったものになっただろう。
74才で、父は、家事を1から学び、試行錯誤を繰り返しながら成長している。
「危機は、機会(チャンス)」という言葉を実感する。
人間って凄いな・・と思う。


在宅介護に固執する父

今日、看護師が妹に言った。
日中は大丈夫だが、明け方、排便をすると触ったり、自分でオムツを外して投げ捨てる。自宅介護は無理、と。

今日、以前母が所属していた健康体操サークルの仲間たちがお見舞いに来て下さった時には、彼女たちが、認知症とわからない位、しっかりと楽しそうに受け答えができていたのだと言う。
(私自身は、そんな母は、3月以来見ていない。)
妹もそんな母を見ると心が揺らぐと言う。
ケアマネに言われて予約を入れた老人保健施設に、他の利用者より1回り以上若く、調子の良い時の母が居る所を想像すると、あまりにも場違いな感じがすると言う。

まして父は、母の調子の良い部分しか見ようとしない。
母の歩行能力も頭もどんどん回復していくと信じ切り、「俺が(自宅で)介護するからいい!何も心配するな!」と言い放つ。
日中仕事をしている父に、睡眠時間をけずって介護をする覚悟があるのだろうか。

前回(5月半ば)帰省した時、父が、珍しくしみじみ語っていた。
「お母さんが退院してきたら、大事にしてやりたい。
優しく世話してやりたい。
あいつは、もう十分働いてきたから、これからは、ゆっくり安心して休ませてやりたい。
一日一日を大事にして、調子の良い時は、また一緒にドライブに連れて行ってやりたい。
前のように遠くは無理でも、近くなら大丈夫だろう。
一緒に色々な所を訪ねたい。」

父が、心から母を愛して、大事に思ってくれていることを本当に有り難いと思う。
でも現実は、容赦がない。

プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。