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親子・家族・夫婦、そして介護

追記:治験シンポジウムの案内など最新情毎日更新(「認知症と運転規制」も)

追記:コメント欄をお読み下さい。
  レビー小体型認知症(レビー小体病)の病名変遷の歴史他。


★お知らせ今月27日(火)の「レビーフォーラム2015」は、絶対に見逃せません
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リリー・フランキー著「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」から抜粋。

ふたりが離婚して、互いがこの先、一生会うことがなくても、ボクはどちらにも会う。
そして、オカンの側にはずっといる。
どちらか選べとくだらない質問をされたら、ボクは迷わず、オカンを選ぶ。

ボクを育ててくれたのは、オカンひとりなのだから。
オトンは面倒を見てはくれるけど、ジョンのように育ててはくれなかった。
そのための時間を持ってはくれなかった。
口と金では伝わらない大きなものがある
時間と手足でしか伝えられない大切なことがある

オトンの人生は大きく見えるけど、オカンの人生は十八のボクから見えても、小さく見えてしまう。
それは、ボクに自分の人生を切り分けてくれたからなのだ。

          (文中の「ジョン」は、休業して子育てをしたジョン・レノン。)
出典:齋藤孝著「心の琴線にふれる言葉」P53
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(孫とうれしそうに話をしている私の母の手)

「日々」(作詞作曲:吉田山田)をお聴き下さい→YouTube動画

歌詞の一部
         写真には写らない思い出 
        笑い出す二人 

        出逢った日  恋に気づいた日 
        結婚した日  別れたいと思った日 
        子供を抱いた日  手を離れた日 
        溢れる涙よ  これは幸せな日々


<関連記事>
認知症をテーマにした映画集(感想へのリンク集)
山田太一脚本ドラマ「ながらえば」引き離される老夫婦の気持ち
手紙 ~親愛なる子どもたちへ~ (歌・作曲 樋口了一)認知症の母からの手紙
*カテゴリ「介護家族の心理変化・気持ち
*音楽「いつでも何度でも」Erutanの美しい声で
*音楽「風に立つライオン」さだまさし
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認知症介護家族のメンタルケア(雑誌から)

「潮」(2014年8月号)特別企画”「認知症800万人」時代の活路”(P42〜49)に
和田秀樹氏(精神科医)が書いた文章を一部抜粋します。(青字部分。原文通り)
米ミネソタ大学の社会学の名誉教授ポーリン・ボス氏の本を紹介した部分です。

       < 介護する家族が 元気に過ごすために。 >

「認知症の人を愛すること」(ボス著)は、(略)認知症高齢者とその家族の心のもちよう考え方のとてもよいガイドラインとなっている。(以下、ボス氏の指摘)

  ●あいまいさ受け入れる

もとの知能記憶パーソナリティも、相当重度になるまですっかりなくなるわけではない。認知症という病気は、連続性があってだんだん悪くなるものであり「正常か病気か」とはっきり区別できる性質のものではない。(略)できることもあれば、できないこともある「あいまいな状態」を受け入れることが大切になる。

  ●介護の共倒れを防ぐために、素直に人に頼る

日本では(略)認知症を「恥」ととらえる心情も残っている。
だが、高齢になれば、相互依存生き延びる鍵になる。
人に助けを求めたり、依存したりするのは、恥ずかしいことではなく、望ましいことだ。

  ●同じ悩みをもつ仲間と心のになる
  ●介護に過度な罪悪感を持たない
  ●認知症に対する偏見を捨てる
  ●そのためには一般の人への教育啓蒙も必要 等々

アメリカでも、やはり介護は女性に押し付けれることが多いし、施設に入れることや人に頼ることへの抵抗感が大きい、いていたら批判されることが多い、ほかの家族が理解してくれない。こういった悩みは、日米共通なのだ。(略)
体力的にも一番つらい時期に、介護を女性に押し付けるのは、あまりにもひどい。

日本では(略)少しでも休んだりすることがのように思われている。
だが介護保険のサービスを活用するのは、これまで介護保険料を支払ってきた分の元をとるだけのことであり、罪悪感をもつ必要はこれっぽっちもない
介護に疲れた家族は、ショートステイ等のサービスを活用して旅行にでも行くべきだ
ボスも「自分のケアをする時間をもつ」ことの重要性を著書の中で綴っている。


<関連記事>
介護者を旅行に送り出そう!
「ペコロスの母に会いに行く」著者と作家田口ランディ氏の対談(介護の喜びと苦悩)
病気を打ち明けることの利点(体験談集)(仲間を得る)
罪悪感を持たない/自分自身のメンタル・ケア(キューブラー・ロスの言葉他)
*カテゴリ「介護家族の心理変化・気持ち

カシワバアジサイ
柏葉紫陽花(カシワバアジサイ)

認知症介護が与えてくれたもの

悲惨な面だけを強調して取り上げられることの多い認知症介護
辛い場面も確かにありますが、多くの介護家族は、良い面も知っています。

「介護を通して学んだこと、得たことは、とても多い
「人間同士の密度の濃い時間を持ち、しあわせ喜び充実感もある」
「自分が乳幼児の頃にしてもらったことの恩返しができてよかった」
「親に対する長年のわだかまりが消え、人間関係が修復された
「バラバラだった家族が、深く結びつき、お互いを助け合えた
「自分の人生、生き方を見直すきっかけになった」
「介護を通して、今まで出会えなかった素晴らしい人たちと出会うことができた」

以下は、引用です。(原文通り)

「時折、既に就職した学生時代の友人たちに会った時は、
自らを「ハイパー家事手伝い」と称し、苦笑した。
もっともよかったこともある

実は、感情を表に出さない父親が、あまり好きではなかった。
ところが、認知症になってから好きになったという。
気分がいい時は、純粋に喜び、逆の場合は、混じりけのない怒った顔に。
家族に素直に寄りかかる父との結びつきは、確かに強まったと感じる。

”いろいろなところがそぎ落とされ、父の深い部分だけが残っている気がした。
いとおしく思えた
自分の選択はまちがっていなかったと思う”」


(大学生の時、父親が若年性認知症を発症。同居の祖母も認知症となり、就職を諦め、介護に専念した男性の言葉。
28才で介護が終わった今は、その経験を生かして「同じ境遇の若者をサポートしたい」
2014年6月17日の日経新聞「若者が介護する日」から)

「家族を介護する、看取るってことは、ものすごい貴重な人生経験なのにね。
 悲しい経験には違いないけど、結果的に人間性が豊かになるのに

(長尾和宏・丸尾多重子著「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」
P.33丸尾さんの言葉)

「大変な人がいるのではなく、大変な時期があるだけに過ぎない。
そして、この大変な時期は、想像されるよりもずっと短い

(京都府立洛南病院・森俊夫氏の言葉。竹端寛@takebata氏のツイートから)

<関連記事>
5種類の認知症 種類別 本人と家族の体験談集
フランス発の認知症介護術・ユマニチュードの実際
カテゴリ:認知症とは/ケア・介護
カテゴリ:介護家族の心理変化・気持ち

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ネジバナ(別名:捩摺・もじずり)。
芝生などに生える野の花。

帰省した親族にして欲しいこと/言って欲しくない言葉(ツイッターから)

ツイッター利用されていますか?
コミュニケーション・ツール(道具)に使う方が多いですが、私は(変人と思われているだろうなと思いつつ)主に情報の収集と発信と自分用のメモに使っています。

これは、satomi inoue ‏@satomiotさんの印象的なツイート(2013年12月28日付)。
具体的で役に立ちますね。口だけ出す親族の言葉は、正面から受け止めちゃだめですよ。
軽く聞き流して、心に留めず、血のつながりのある人から上手く伝えてもらいましょう。

 < 同居介護者を傷つける帰省組親族発言の実例 >

「この程度なら年齢相応でしょ」
「私の前ではしっかりしているわよ」
「正月ぐらい食事制限なんか止めて、好きなものを食べさせてあげて」
「おばあちゃんの年金があるから介護なんか楽なもんよね」
「デイサービス嫌がっているのに、何で無理に行かせるの? 」

 < 介護者が嬉しい「帰省組親類の心配り」実例 >

「母が生きていられるのはあなたのお蔭」と10万円をそっと渡された。
本人を温泉旅行に連れ出してくれた。
デイサービスに行くよう本人を説得してくれた。
本人の部屋掃除、溜め込んだゴミを捨ててくれた。
会うたび「ありがとう」と言ってくれる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

こちらは、私(しば@703shiba)の最近のツイート。特に口腔ケア動画は必見です。

2013年12月28日
認知症介護サポーター中嶋司 @dementia15care さんが紹介されていた口腔ケアの動画はとてもわかりやすく自宅で認知症介護をされている方にも大変役に立ちます
実際に高齢者の方に唾液腺刺激から始まる口腔ケアの方法を行いながら解説。
口腔ケアの方法 動画

2013年12月29日
認知症の幻覚・妄想の実例(統合失調症に類似) 朝日新聞 (→記事全文
「レビー小体型認知症の精神症状は多岐にわたり、あらゆるものが出現しうると言っても過言ではなく、高齢者の精神症状の背景にレビーが隠れていないかという視点は常に重要である」古田光医師

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立つ石(詳しくは、こちらのツイートを
(接着剤などの細工なし。石って立つんです。立った時は感動します。是非お試しを)

認知症は介護者の気持ちを模倣する(新聞記事)

2013年11月5日の朝日新聞に「認知症を患う方は、介護者の感情をそのまま模倣する」という記事が載りました。→記事全文

母を見ていると介護者を写す鏡のようだと以前書きましたが(→記事)、それを証明した論文があるのだと初めて知りました。

以下、青字部分は、その記事からの抜粋です。

アルツハイマー病では、他者の感情への感受性が高まり、一部の患者では記憶力や思考力の低下に伴い、それが強まるようです。
つまり、介護者が不安や怒りを感じていたり、逆に落ち着いた楽しい気分でいたりすると、患者はその感情を模倣するのです。
アルツハイマー病患者は、たとえ社会的状況を理解することが困難となってきても、このような方法で他者とつながっており、介護する人が幸せな気持ちでいれば、患者さんも長期にわたり穏やかで幸せな気持ちを維持することができるのです。 (筆者:笠間睦氏)



では、いったいどうすれば、介護者が、幸せな気持ちでいられるのでしょうか。

大勢の人たちに自ら支援を求め、支えてもらうことが、第一歩だと私は思います。
家族会、ケアマネ、施設・介護職員、ヘルパー等。できれば近隣の方、友人、親戚も。

人に頼り、甘えること、世話をかけることに罪悪感を抱いてしまうなら、それを固く握りしめている指を1本づつゆるめ、手を離し、「小川の流れ」に放ってみましょう。
川のそばで、せせらぎを聞いて立つ(座る)自分をイメージしてみて下さい。
自分を傷つける気持ちを、いつまでも握りしめている必要などどこにもありません。

また、介護する家族が、心身ともに疲れ切っていたら、心の安定を保つことは困難です。
心と体、両方の疲れを減らしながら介護を続けられる方法、或は、介護を休む方法を援助者と一緒に考えましょう。
そうした方々は、豊富な経験と思いも付かない知恵を持っているものです。

悩みは、一人で抱えている限り、更に重く、暗く、大きく育ち続けます。
勇気を持って、まず、人に話してみましょう。
言葉にして口から出た途端に、悩みは勢力を失い、代わりに新しい道が見えて来ます。

あなたの悩みを真剣に聞いてくれる人は、決してあなたを叱ったり、見下したり、笑ったりはしません。
家族が病気になったことは、誰が悪いのでもなく、恥じることは、何もありません。
介護に疲れ、怒りや不安を感じるのは、誰にでも起こるごく自然な感情です。

(これは、自分に向けた言葉でもあります。)

<関連記事>
*「母親の介護はなぜ辛いか
*「認知症介護家族の心理の変化の過程
*「怒りを消す方法(1)」 (2)
*カテゴリ:「介護家族の心理変化・気持ち

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菊(キク)
お寿司屋さんの前にあったこの花を撮っていると店から店主が飛び出して来て
色々熱心に解説して下さった。菊の世話をしているせいで健康だと言われる。
植物には、そういう力があると思う。動物とは、また少し違った不思議な力が。

介護家族に伝えたい言葉 田口ランディの著書から

私自身がそうであったように、家族会や私に相談をされる方は同じ問題を抱えています。
「レビー小体型認知症の親が、急に悪化し介護が困難になった。どうすれば良いのか」

皆さん、例外なく処方薬による副作用で劇的に悪化しています。(→詳細
すぐ気が付き、処方を変えれば回復しますが、私のように気付かずにいると、親は、車いす生活になったり、寝たきりになったりします。

無知だったことへの後悔は、深く、長く人を苛(さいな)み続けます。
田口ランディ著「パピヨン」に、そんな方へそのまま伝えたい言葉がありました。

  可能な限り悔いる気持ちと和解することに最大限の努力を払っていただきたい。
  人生において、願望がすべてかなえらえると考えるのは非現実的だ。
  おなじように、完璧でありつづけること、後悔しないこともまた非現実的である。
  後悔する自分を許すことだ。
  もっとよい選択をしていればよい結果が得られたと考えるのも真実とはいえない。
  あのときのあなたは、あなたなりに最善をつくしたのだ。
(エリザベス・キューブラー・ロス/デーヴィッド・ケスラー著「永遠の別れ」から)

     田口ランディ著「パピヨン」P.138

相談してこられる方に、私が、自分の経験からよく伝えることがあります。
「医療・介護・福祉の現場では、信じられないようなこと、ありえないことが、次々といくらでも起こります。覚悟し、めげず、落ち着いて、1つ1つ解決していって下さい」

耳を疑うようなことや様々な理不尽を田口ランディさんも親の介護で経験されています。

  医療と介護の制度の不備について考え始めると暗澹とした気持ちになる。
  だが、暗くなったところでつらいのは自分だけだ。
  私が悩んで制度が変わるわけではない。
  介護で大切なのは無策な制度の前でへこまないこと。
  まずは自分のメンタルケアだ。(略)
  解決できない問題で悩まない。
  まず、目先のことをクリアする。

      田口ランディ著「パピヨン」(’08年発行)P.130から

<関連記事>
*「『ペコロスの母に会いに行く』の作者と田口ランディさんの対談
*「意識がないように見える人に話し掛ける」(田口ランディさんの本から)
キューブラー・ロス著「死の瞬間」から「続・死ぬ瞬間」から
(原題:On Death and Dying)

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ビデンス(ウィンターコスモス)

苦しみと共に生きることは不幸か

<先日コメント欄に書いたことを記事にして欲しいというご要望を頂いたので、少し書き足してここに載せます。>


レビー小体型認知症では、(多くの方に)記憶力が保たれます。
病識(自分が病気である自覚)があり、徐々に悪くなっていることも、家族に迷惑をかけていることも自覚されている方が多いです。
残酷といえば、本当に残酷な病気です。

でも私は、逆に、それも1つの人間らしい生き方ではないかと思うようになりました。

すべてを忘れて生きるのも1つの生き方です。
でも、すべてを背負って、その苦しみと共に生きることには、大きな意味があるのではないかと思うようになりました。

先日、「キャタピラー」(若松孝二監督。2010年)という戦争を描いた映画を見ました。
主人公(寺島しのぶ)の夫(大西信満)は、戦地で女性に残虐なことをしているのですが、罪悪感を持たず、国から与えられた名誉に酔っています。
しかし意識が正常化していくと共に、自分のしたことに対する罪悪感に深く苦しめられるようになります。

私は、それを見て、苦しみと共に生きるということは、人間らしい生き方なのだと思いました。
人間らしい心があるから、苦しみ、悲しみ、痛み、悩みがあるのではないでしょうか。

介護家族が、苦しむのも、家族を愛しているから。
もし何の愛情もなければ、今ある苦しみも悲しみも悩みもないでしょう。

死別がつらいのは、愛しているからです。
その人との間に、深い、豊かな気持ちのやりとりがあったからです。
そんな心のつながりさえなければ、人は、死別の悲しみを感じずにすみます。

苦しみには、(その時にはわからなくても)きっと深い意味があるのだと思います。

楽な人生を幸せな人生とは、呼べないでしょう。
与えられることの多い人生と与えることの多い人生は、どちらが幸せなのでしょう。

レビーは、最期まで、人に多くを与えることのできる病気だと思います。
私は、レビーになった母から多くを与えられてきました。
私は、レビーと共に、苦しみと共に生きる母の人生を、豊かだと感じています。

<関連カテゴリ>
レビー小体型認知症は「認知症」なのか?(この病気の本質・問題・接し方)
*「介護家族の心理変化・気持ち
*「死を受け入れるために

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どうにもならないとき

片倉もとこさんは、自らのうつ病のことを「ニャン公の季節」と呼んでいた。(→記事
国際日本文化研究センター所長を依頼された時も
このとき、一番気になったのは、「ニャン公」のことだった。
と書いている。(「旅だちの記」P.88)

「この私の病気」「この私の辛さ」「この私の不安」ではなく「ニャン公」と呼ぶと、そこに一歩分の距離ができ、一歩分の余裕が生まれる。

昔、人は、狐に憑かれた。

「この私のお母さんが、こんな訳の分からないことを言ってこの私を困らせている」を
「あっ、また”コン公”が、憑いたわ〜。”コン公”、早よ、出てき〜。蹴飛ばすで〜」
と言い換えてみると、ほんの少し変わるかも知れない。
敵は、コンコン狐。
こんなものに取り憑かれて振り回されている母は、本当に気の毒な人だ、と思える。

認知症介護は、どう頑張っても上手くいかない、どうしようもない時が、必ずある。
私は、3年前からずーっとそうだった。
母がやっと落ち着いた今、今度は、父に振り回されている。
どんな努力も工夫も浅知恵も効果ゼロ。

でもそれが本当なのだと、今は、思う。
現実は、常に理不尽で、人間の力でコントロールできることなどほとんどない。

親もきょうだいも家族も親戚も、皆、性格も考え方も違う。
操り人形ではないのだから、皆が、自分の思い通りに動いてくれることなどありえない。

何の欠点も問題もない家族は、この世に存在しない。
誰もが、色々な傷や不満を抱えて、怒ったり、泣いたりしながら育った。
大人になって、適当な距離ができ、それに直面せずに済むようになっただけだ。
家族の認知症をきっかけに距離が縮まれば、また必ず摩擦は生まれる。

そう繰り返し自分に言い聞かせている。
やれるだけのことはやる。でも期待はしない。
自分の無力を責めてもしょうがない。

両親の主治医から言われた。
「脳のことはわからないし、明日どうなるかなんて、神様しかわからないしね・・。
あなたも、もう達観したでしょ?・・人生、達観した者勝ちだから」

*カテゴリ;介護家族の心理変化・気持ち

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紫陽花(アジサイ)

母親の介護はなぜ辛いのか

私には信仰する宗教がないのですが、新しいローマ法王が、フランシスコ1世を名乗ると知り、「アッシジ(アシジ)のフランチェスコ(フランシスコ)の祈り」を思い出しました。マザー・テレサが愛し、毎朝シスター達と唱えていたという祈りです。
 
  
    慰められるよりも 慰めることを

       理解されることよりも 理解することを

         愛されるよりも 愛することを 求めることができますように。

 
 (祈りの一部。「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」ホセ・L.G.バラド編P.28から)


母親の介護は、なぜ精神的に辛いのか・・・。
それは、関係、生き方の逆転があるからではないかと、ふと思いました。

母親がしっかりしている間、多くの子供は、母親から愛され、理解され、慰められ、世話されることを当然のように求めます。幸運にもそう育てられた人は(私も含め)中高年になっても、それが当たり前だと思っています。

それが、ある日、180度ひっくり返ります。
自分が、長年与えられてきたものが、(一時的でも)得られなくなります。
同時に今度は自分が、無条件に母親を受け入れ、理解し、慰め、世話しなければならない立場に立たされます。
母親と自分とのあり方、生き方を、強制的に、根本的に変えさせられるのです。

当然、混乱します。大きな苦痛と犠牲を強いられます。理不尽だと思うでしょう。
でも「フランシスコの祈り」を読んだとき、もしかしたら、これは、チャンスなのかもしれないと思いました。

混乱の最中(さなか)にそう思うことはできませんが、混乱は長くは続かないそうです。
私と母もそうでした。

「大変な人がいるのではなく、大変な時期があるだけに過ぎない。
そして、この大変な時期は、想像されるよりもずっと短い」

京都府立洛南病院・森俊夫氏(京都式認知症ケアを考えるつどい実行委員会) 
<竹端寛(@takebata)氏のツイートから引用>

<関連記事>
*「介護で人間的成長/介護短歌で心の整理
*「認知症介護家族の心理の変化
*「障がいを受け入れること」(大江健三郎の本から)
*カテゴリ:「介護家族の心理変化・気持ち
*カテゴリ:「認知症とは/ケア・介護など

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オオイヌノフグリ(学名Veronica persica)
私には、春を告げる花。

怒りを消す方法(2)

河合隼雄(臨床心理学者)の「こころの処方箋」(新潮文庫)は、20年以上前に読んで救われた本です。イライラする気持ちとどう向き合うかを書いたこの章も当時、繰り返し読みました。


   < イライラは見とおしのなさを示す >(P.46〜49)

いわゆるイライラするとき、というのは、そのわけがわかっているようで、その実は、ことの本質がわかっていないときが多いのではなかろうか。
 (略)
こんなとき、私が彼女の立場にあるとしたら「イライラするのは、何かを見とおしていないからだ」と心のなかで言ってみて、イライラを直接に夫にぶっつける前に、見とおしてやろうとする目を自分の内部に向けて、探索してみるだろう。
 (略)
イライラは、自分の何か—多くの場合、何らかの欠点にかかわること—を見出すのを防ぐために、相手に対する攻撃として出てくることが多いのである。
 (略)
目を自分の内に向け、「何か見とおしていないぞ」とゆっくり構えると、イライラのなかから有益な発見が生じてくることになる。 
 (略)
だいたい心の問題は「急がば回れ」の解決法が得策のように思われる。

55ある目次も面白く、それぞれに意味深いです。例えばこんなものがあります。

  人の心などわかるはずがない
      言いはじめたのなら話合いを続けよう
   己を殺して他人を殺す
       100点以外はダメなときがある
     男女は強力し合えても理解し合うことは難しい
         ものごとは努力によって解決しない
      うそは常備薬 真実は劇薬
           危機の際には生地が出てくる
        「幸福」になるためには断念が必要である
              すべての人が創造性を持っている


<関連カテゴリ>
*「介護家族の心理
*「認知症ケア・介護など
*関連記事:「怒りを消す方法(1)

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サザンカ(山茶花)?

TVドラマ「ペコロス、母に会いに行く」

漫画「ペコロスの母に会いに行く1」」と「(介護者の悩み等について作家の田口ランディさんと語り合う)」でご紹介した漫画が、ドラマ化され間もなく放送されます。

 NHK BSプレミアム 2月17日(日)午後10時~11時
 タイトルは漫画とは少しだけ違って「ペコロス、母に会いに行く」
 出演:イッセー尾形、草村礼子,柾木玲弥,山田真歩,安藤サクラほか

以下の紹介文(青字部分)は、「NHKBSオンライン」(公式サイト)からのコピーです。


“ハゲちゃびん”の漫画家ペコロスこと雄一が、父の死後に認知症と診断され施設で暮らす母みつえの老いの日々を見つめる、笑えて泣けて、切なくもほのぼのした家族の物語。

父の死後、少しずつ認知症が始まった母。
症状から、母の中によみがえった父。
それをいとおしく見つめて介護する息子。
40歳で故郷・長崎にUターンした“ハゲちゃびん”漫画家ペコロスが、施設に暮らす認知症の母とのおかしくも切ない日々をつづった話題の漫画をドキュメンタリードラマ化。
介護というどこか暗く直視したくない現実を、温かいタッチの絵と長崎弁で“ほっこり”そして“切なく”描く。


<関連記事>
このドラマを見た感想
*漫画家岡野さんと作家田口ランディさんの対談→「Eテレの番組
様々な種類の認知症を早期発見するための知識とチェックリスト
*漫画にしたら絶対に面白いと思う「レビー小体型認知症の母の日常
*カテゴリ:「認知症ケア・介護など
*カテゴリ:「介護施設のこと

ペコリス母に会いに行く
漫画「ペコロスの母に会いに行く」
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作者の岡野雄一さん(ペコロス)とグループホームに暮らす母・光江さん
(写真は、「ハートネットTV」公式サイトから。)

介護で人間的成長/介護短歌で心の整理

小谷あゆみさん(「NHK福祉ネットワーク・介護百人一首」アナウンサー)の話をYouTubeで聞き、印象的だったのでご紹介します。
(動画はこちら→<認知症きらきらネット 動画インタビュー >)

以下、青字部分は、インタビューの内容の一部を要約したものです。


最初は、癌を告知されたように、みんな絶望し、嘆き、何をどうしたらいいのかわからない。
けれども介護をしていく内に、『受け入れるしかない、前向きにならないとやっていけない』と切り替えてきた方を取材で大勢見て来た。
そういう人たちは、介護を通して「人生の達人」になっている

人生には、介護だけでなく、抗(あらが)えない出来事が降り掛かってくる。
突然の死であったり、転勤であったり、失恋であったり。
しかしその抗えない出来事を受け入れて、前向きに、ついでに楽しんで明るくやっていこう、そういう態度を身に付けた人が、介護者には多いと感じる
介護を通して人間的成長を遂げている

介護は、真面目に一生懸命する人の方が、ストレスをため込みやすい。
介護の悩みは、隣近所の人や親しい友達にも気軽に言えないもの。
介護されている人は、たまに来る家族や親戚には、しっかりした姿を見せたりするので、一番近くで一生懸命やっている介護者の苦労が周囲に理解されず、孤立するという現状がある

誰にも吐き出させない思いを吐き出そうというのが、介護短歌。
『なんで上手くいかないんだろう?!もう!!』という思いを言葉にしてみる。
「は・ら・が・た・つ。いや、ちょっと違うな。く・や・し・い・な・・かな」と。
悶々とした思いを五七五に当てはめる作業が、心の整理になる


*「介護百人一首公式サイト」(過去の入賞作品/応募方法)

<関連記事>
*「認知症介護家族の心理変化
*「漫画「「ペコロスの母に会いに行く」
*「書くことが心理療法になる
*カテゴリ:「介護家族の心理

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近所の生け垣。覗き込んだら丸い蓋がありました。

漫画「ペコロスの母に会いに行く」2(Eテレ)

Eテレ「ハートネットTV」で2012年11月29日に放送した「みつえとゆういち ―親子で紡ぐ“認知症”漫画―」。(→記事はこちら
番組の中で印象に残った言葉を出てきた順番にメモしておきます。

岡野「(あの漫画は、母の)しぐさの可愛さとか、ちょっとしたズレの面白さみたいなも
   のを面白がってもらえたら一番いいと思う」

12年前、岡野さんのお母さんは、隣の家の植木鉢を全部持って来た。認知症に気付いた。
岡野「失敗というか、ズレがどんどん増えた。ただ僕はずっと面白がってたんですね。
   ゆっくりぼけていったので悲惨な気持ちはなかった」

6年前脳梗塞で倒れ、認知症が一気に進行した。悩み抜いた末、施設に預けることを決断。親戚からは「親を見放すのか」と問い詰められ、言葉を失った。
岡野さんは、母の介護を放棄したという罪悪感に苛まれるようになった。
しかし漫画の読者には「それでいいんですよ」という人が多かった。
介護は、自分一人で全てを抱え込む必要はないのだと読者から教えられた。

<作家田口ランディとの対話>

岡野「興味(漫画のテーマ)が母のズレの方に行った。妙な言い方ですけど、すごく面白
   いんです」
田口「普通の人は、認知症の人のズレが、耐えられないんだよ」
2人:それを面白がれるのは、漫画を描いているから。描くことによって落ち着き、冷静
   でいられる。(しば:客観的な視点を持つことで救われたのは私も同じ。→記事
岡野「実際は、無茶苦茶叱ったりとか、ありました。描かないだけで。だって親が、わー
   っとなった時に優しくできるはずがないんですよね」
田口「お母さんの介護が、辛いんじゃないの。お母さんの介護をしている時に鬼になって
   しまう自分が辛いわけよ。介護の辛さって自分の闇と向き合うことだよね。
   やらなきゃいけないのに、こんなに嫌とか、優しくしなきゃいけないのにできない
   ってことが、一番辛い」

岡野「”(亡き)父ちゃんが来たよ”って、考え方によっては詩的。ぼけるっていいんじゃ
   んって実感した」
岡野「nowhere(どこにもない)は、2つに分けるとnow(今) here(ここ)。母は、ど
   こにもいない。どこにいるのかも自分ではわからない。でも”今、ここ”にいる」
田口「認知症の人ほど、今、ここに生きている人はいないんです」

<漫画の1シーン>
母「こん中(目の中の小箱)には、今まで見て来たもんが、全部入っとるよ。じゃけん、
  もうなんもかんも忘れてしもうて、よかろ?」
子「よかさ。生きてさえおれば、なんば忘れてもよかさ」

追記:2013年2月17日、テレビドラマになり放送されましました。記事は、こちらを

<関連記事>
*アルツハイマー型に次いで多いレビー小体型認知症の不思議な日常をほのぼのと描く
 レビー漫画:(1)故人の幻視を不思議がる (2)孫の幻視で興奮 (3)風景の幻視
       (4)転倒 (5)妄想
介護家族に伝えたい言葉 田口ランディ著「パピヨン」から
*田口ランディの体験に触れた記事「意識がないように見える人に話しかける
*漫画にしたら絶対に面白いと思う「レビー小体型認知症の母の日常
*カテゴリ:「認知症ケア・介護など
様々な種類の認知症を早期発見するための知識とチェックリスト
*このブログのカテゴリ:「介護家族の心理

ペコリス母に会いに行く
漫画「ペコロスの母に会いに行く」
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作者の岡野雄一さん(ペコロス)とグループホームに暮らす母・光江さん
(写真は、「ハートネットTV」公式サイトから。)

認知症と診断されても

がん(癌)と認知症、どちらの告知の方が辛いだろうかと時々考える。

多くの人は、認知症といえば80、90の高齢者を想像するが、若年認知症(65才以前に発症)もある。
思考力も判断力も衰えていない状態で認知症と告げられる辛さはどれ程のものだろう。

そんな告知の言葉には、驚くべきものが多い。語録を作りたくなるほどだ。

「レビーかどうかなんて解剖しなきゃわかりませんよ。わかった所で治す薬も治療法もありません」(母のパーキンソン病の主治医の言葉。2010年)
「治療法はありません。病院でできることはありません」(父をピック病と診断した医師の言葉。2010年)<両方共事実ではない。治療法はある。>

「治りませんよ。どんどん進行するだけです」
「(薬以外に)進行を遅らせるためにできること・・ですか?ないんですよ」
「すぐ死にますよ」と言われた人もいると最近知った。

認知症という診断でボロボロになっているところに、医師の言葉でとどめを刺される。

2012年4月10日の中日新聞に医師のこんな言葉が書かれていた。
院長は「本人の努力次第でいくらでも改善できる。心配しないで」と肩に手を置き、ほほ笑みながら助言してくれました。(52才。高血圧の人の言葉。→中日新聞公式サイト

同じ言葉を認知症と診断されたすべての人とその家族にそのまま伝えたい。
「できることは、いくらでもあります!大丈夫です。悲観しないで!絶望しないで!」

「体に良いことは、脳にも良い」(茂木健一郎の言葉)
正しい薬物治療と接し方(介護・ケア・対応)以外にも、
体を動かすこと。バランスの良い健康的な食事をすること。禁煙し、大酒を慎むこと。
今まで通り人生を楽しみ、気持ちが良いと思うことをし、よく笑うこと。

脳を含めた全身の血流を良くするために体を冷やさないこと(服、飲食)。
ぬるめのお風呂にゆったりと浸かって体を温めリラックスすること。
マッサージ・鍼灸・アロマ・音楽・園芸・ストレッチ・ヨガ・気功・座禅・森林浴・・
「あぁ気持ちがいい!」と思えるものなら何でも効果があるはずだ。

体と心と脳は、深くつながっている。
ストレスを減らし、より良い精神状態を保てば、体も健康になり、脳にも良い。
運動習慣と良い食生活が、体と脳の状態を改善し、心も明るく元気にする。
動けなくなった人でも家族の笑顔や肌の触れ合いなどで症状が改善する。

認知症になっても穏やかに幸せに暮らしている人は、大勢いる。
薬の副作用で劇的に悪化したレビー小体型認知症患者でも奇跡のような回復をする人もいる。
レビーは、進行したと思ったら突然改善して治ったかのように見えることもある不思議な病気だ。決して階段を下りて行くようには進行しない。
いつでも希望はある。

<関連記事>
*「認知症に鍼(はり)治療」効果のあるツボを紹介
*「認知症、うつ病を予防する食事(栄養素)
*「認知症ケアのポイント(新聞記事)
*カテゴリ:「認知症の予防・診断・治療」(予防効果があるなら発症後でも良いはず)
*カテゴリ:「スロージョギング」(ウォーキングも。有酸素運動の健康効果)

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花水木(ハナミズキ)

漫画「ペコロスの母に会いに行く」1(Eテレ)

Eテレ「ハートネットTV」で2012年11月29日に放送した「みつえとゆういち ―親子で紡ぐ“認知症”漫画―」。番組の内容は→「ハートネットTV公式サイト」
(再放送12月6日午後1時5分)

田口ランディ(作家)も出演するというので必ず見ようと思っていて見逃しました。
以下、公式サイトから一部抜粋します。(青字部分。原文通り)

今、1冊の漫画が大きな注目を集めています。
還暦を過ぎた息子が、認知症の母を介護する日々をつづった『ペコロスの母に会いに行く』です。
作者は、長崎在住の漫画家・岡野雄一さん(62歳)。
とかく深刻になりがちなテーマにもかかわらず、岡野さんは、老いて記憶を失ってゆく母・光江さん(89歳)の変化をありのまま受け止め、その姿を愛らしいタッチでユーモラスに描いています。
作品は思わぬ反響を呼び、映画化されることが決まり、9月から長崎での撮影が始まっています。
公式サイトより)

岡野さんは、「『ペコロス』は介護漫画ではない!」と言い切ります。
確かに、作品では認知症や介護の様子が描かれてはいますが、今まさに介護に悩みを抱えている人に役立つ“具体的”かつ“実践的”なノウハウは記されていません。
『ペコロス』を読んだからといって、明日から介護が楽になる!なんてことはないかもしれません。
なぜなら、岡野さんが作品を通じて見つめているのは、その人をその人たらしめているはずの「記憶」について、だからです。
記憶を失いながら生きるとは、どういうことなのか――。
岡野さんは、漫画を描きながら、日々その難問と向き合っているのだと思います。
そんな岡野さんの漫画には、「記憶を失うのは悪いことばかりではないのではないか」というメッセージが込められています。
「ハートネットTV]のブログより)

<関連記事>
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ペコリス母に会いに行く
漫画「ペコロスの母に会いに行く」
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作者の岡野雄一さん(ペコロス)とグループホームに暮らす母・光江さん
(写真は、「ハートネットTV」公式サイトから。)

なにごとも二度は起こらない(シンボルスカの詩)

以前、記事でご紹介したヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集「終わりと始まり」を読んでいます。
昔、タゴールの詩を繰り返し読んだことがあるのですが、その時以来の衝撃を受けています。

         なにごとも二度は起こらない
         けっして だからこそ
         人は生まれることにも上達せず
         死ぬ経験を積むこともできない
          
                 ヴィスワヴァ・シンボルスカ


彼女は、ノーベル賞記念講演の中で「太陽のもとではすべてが新しい」と言っています。

確かに私たちは、一生を「初めての経験」を繰り返しながら終えていくのだと思います。
初めて二十歳になり、初めて30になり、40になり、50に、60に、70になります。
その年齢に相応しい服も態度も言葉使いも考え方もまったくわからないままに。

ある人は、初めて結婚し、初めて赤ちゃんを育て、初めて思春期の子供と向き合い、初めて独立していく子供を見送ります。
初めて他人が義理の子供とになり、初めて孫と接します。

初めて親が認知症になり、初めて親のオムツを代え、初めて親を施設に入れます。
初めて親と死別します。
初めて自分の体も弱り、初めて人の助けを借りて生きるようになります。

すべてが、生まれて初めての経験です。
上手くいくはずがありません。
誰もが、どうすれば良いのか見当も付かず、右往左往し、試行錯誤し、悩み、後悔し、時に開き直り、そして学び・・。
泣いたり、怒ったり、笑ったり、力を振り絞ったり、へたり込んだり、・・。
そうしている内に、いつの間にか時が流れて、違う段階にいる自分を見付けます。

嵐の中では気が付かなくても、後になって振り返ると、こう思わずにはいられません。
すべては新鮮で、輝いていて、涙が出るほど貴重で、かけがえがなく、愛おしかったと。


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今頃出てきた生け垣の新芽。
春には小さな白いバラのような花が鈴なりでした。

在宅介護者の悩み(新聞記事)

2012年4月28日の中日新聞の記事です。在宅介護者334人へのアンケート結果。
よく言われていることではありますが、介護者の抱えている問題が、あらためてはっきりとわかります。

介護者自身の変化としては、体調の変化、出費の増大、働き方の変化の順になっています。
心身の疲労・不調だけでなく、経済的にも追い詰められている厳しい状況が見えます。


以下、「中日メディカルサイト」より全文コピー。(青字部分)


  NPO法人りらねっとアンケート

在宅介護者に関する調査報告書を手にする村松理事長=浜松市東区で 浜松市内で介護サポートに取り組むNPO法人りらねっと(村松真美理事長、東区笠井新田町)が、在宅介護に携わる市民の悩みなどの実態についてのアンケートを行い、報告書(A4判、32ページ)をまとめた。 

アンケートは今年1月、福祉関係者らの協力で、同市東区で在宅介護をしている男女334人(うち8割が介護対象者と同居)から回答を得た。設問は21項目。

「在宅介護を始めてから自身の生活の変化」で多いのは、(1)体調の変化(2)出費の増大(3)働き方の変化-の順。

「できなくなったこと、制限されたこと」の問いには、5割以上が「旅行・レジャー」を挙げ、「友達との付き合い」「趣味やスポーツ」が続き、ストレスを抱えている状況がうかがえる。

「一番の不安は」の問いには、「いつまで介護が続くのか分からないこと」がトップだった。

村松理事長は「男性は女性と比べ、介護を仕事と同様にぎりぎりまで頑張ってしまう傾向があることも分かった。介護者の負担が軽くなるサービスの利用など、さらに役立つ情報を発信していきたい」と話す。

報告書は一般に無料で配布する。問い合わせは、りらねっと=電053(545)7389=へ。



*このブログ内の関連記事は、「100万人の男性介護者の悩み」「介護者を旅行に送り出そう!」があります。

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ハマナス
花のアルバムは、こちら

「春を恨んだりはしない」

「松岡正剛の千夜千冊」というサイトの中に、心に残る詩が紹介されていました。
ヴィスワヴァ・シンボルスカ(ポーランドの詩人。ノーベル文学賞受賞)の『終わりと始まり』のなかの「眺めとの別れ」の一節だそうです。夫との死別の後に書かれたものです。


  またやって来たからといって
  
  春を恨んだりはしない
   
  例年のように自分の義務を
  
  果たしているからといって
  
  春を責めたりはしない
  
  わかっている わたしがいくら悲しくても
  
  そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと



何千年も昔から言い尽くされているように、この世のものは、なにもかも滅んでいくんだなと、あらためて思っています。
若さも、健康も、ちゃんと動いてくれる脳も、親も、愛する人も、今ある日常も幸せも、目に見えない速度で、失われていくんだなと。
理不尽なのではなく、すべてのものが、何千年何億年の間、ずっと移ろってきたんだなと。

今ある幸せが、以前より輝いて見えます。


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八重のツツジの一種
花のアルバムは、こちら

100万人の男性介護者の悩み

2012年4月23日のフジニュースネットワーク(FNN)の記事を読んだ。
(→詳細は、こちらを。5分半のニュース動画付)
以下の青字部分が、その内容。

現在、妻や親を介護する男性は、100万人いるといわれている。
介護のために離職した男性は、2007年に10万人を越えた。

仕事を辞め若年性認知症の妻を介護するある男性の悩みを紹介。
男性は、社会との接点を絶たれたように感じ、妻の言動にイライラすることが多かったという。
ヘルパーとして仕事を再開したこと、東京荒川区の男性介護者の集い、通称「オヤジの会」に参加したことで心の安定を取り戻したと伝えている。

立命館大学の津止正敏教授は言う。
「社会との接点が、仕事一筋の男性たちが、今度は介護に入りますと、介護一筋になってしまうわけです。
介護が始まって、男性の社会との接点がなくなって、孤立化の傾向を深めていく。
自分たちの悩みを共有するような場があるということは、非常に情緒的な安定につながっていくんだろうと思います。
男性が、介護によって失われた社会との接点を、回復するわけ。もっともっと豊かにするわけです」


イライラして喧嘩を繰り返したというのは、先日、NHKの「ハートネットTV」に出演していた若年性認知症の夫を介護する妻たちも全員口にしていた。(→詳細は、こちら

親の介護と配偶者の介護は、違うと思う。
親は、かつて自分や自分の配偶者を育て、今は、老いて弱った人だ。
しかし配偶者は、長年対等な立場で助け合ったり、衝突し合ってきた同世代の相手だ。
病気とわかっていても、色々なことに対して怒りが込み上げるのは当たり前だろう。

FNNには出て来なかったが、多くの男性介護者は、まず家事(特に料理)から困り果ててしまう。
私の父も母を自宅介護していた頃、スーパーで買ってきた天ぷらを入れた味噌汁1品のみがおかずという夕食を認知症の母に食べさせていた。

若年性の場合は、介護する専門の施設もほとんどないという厳しい状況が続いている。
男性が発症した場合は、40代50代で仕事ができなくなるので、一家が経済的に追い詰められることも多いだろう。
高齢者の認知症に比べ、若年性の場合は、問題がより深刻になるといわれている。

しかし介護者の自助グループは、今、全国に増えつつある。
千葉県柏市の「NPO法人認知症フレンドシップクラブ柏事務局」の「よりあい所」でも男性介護者のための集まりに取り組んでいる。(柏事務局代表者自身が、男性介護者。)
(→公式サイト。→柏事務局ブログ。)

私が頼りにしてきた「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」も全国に広がっている。(→こちらを。

介護が始まると、山積する問題を前に途方にくれ、暗闇に閉じこめられた気持ちになる。
だが同じ介護を経験している人たちが運営するこうした所に相談をすると、混乱した頭も心も静まり、必ず光が見えて来る。
絶対に道はある。


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シャクナゲ
今、満開。ツツジのような花がかたまって大きなボール状になっている。
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本当の夫婦(テレビ放送から)

2012年4月12日放送のNHK「ハートネットTV」 町永俊雄リポート「若年認知症 妻たちの選択」(2)
<再放送:4月19日(木)午後1:05~午後1:35>
認知症の夫と同じ施設に泊まり込みながら仕事と介護を両立させる妻を紹介していた。
(家族が施設に泊まり込むのは、非常に珍しい。)
「若年認知症 妻たちの選択」(1)もだが、(2)も胸に迫るとても印象的な内容だったので簡単にご紹介。


夫は、52歳で若年性アルツハイマー病を発症。
妻は、家計を支えるため教師(教頭)の仕事を続ける。(夫婦に子供はいない。)
診断から7年で自宅介護が困難になり有料老人ホームに入所。
妻も同じ施設に寝泊まり。朝6時に自宅に帰って洗濯をし、7時から夜9時まで教頭として働き、夫のいる老人ホームに帰る日々。
妻「お父さん(夫)の笑顔を見に行く。介護をしているつもりはない」

入所して3年目。暴言・大声が増え、施設の中で孤立していった。
妻は、職員と解決策を何度も話し合い、本人が何をしたいかに耳を傾けて欲しいと頼む。
しかし入所者20人に対して3~4人の職員では、個別のケアに限界があった。

仕事を辞めて介護に専念すべきか悩んだ末、グループホームに2人で移る。
入所者9人に3人の職員。より家族的なケアが受けられるようになった。
職員全員が「父さん」と呼び、家族のように接することで徐々に落ち着きを取り戻し、暴言もなくなる。

仕事から帰った妻と夜勤の職員と夫(言葉は出ない。)のおしゃべりが続く。
そのことで妻の気持ちも楽になる様子。妻は、それを「家族の団らん」だという。
職員もそこは意識していて、「本人だけでなく、家族ぐるみでケアしたい」という。

町永アナウンサーの「認知症は進行しますよね・・」の言葉に妻は、涙で絶句する。
話の内容を理解していないように見えた隣の夫が、突然優しく妻の腕をさする。
妻「進行したら、一瞬嘆く。でもまだできることを見つけるのも楽しさ。何かあるかもしれない。お父さんのできることを一緒に考える。プラス思考の介護」

妻「この病気にならなければ、別々にね・・。結果を出すこととか、人より早くできることとか、人と違うことができることとか・・。それが良き生き方、勝ちの人生だみたいに思って、別々に仕事をして、時々話して、ご飯を食べて・・そんな生活だったと思う。
今は、いたわり合える。相手の想いを感じ取り、一生懸命感じ取ろうとしてることで、やっと本当に夫婦に近くなってきている気がする。本当の夫婦ってこうなんじゃないですかね」

*このブログのカテゴリ:「介護家族の心理

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スノーフレーク(鈴蘭水仙)だそうです。
(彼岸花科)
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障がいを受け入れること(大江健三郎の本から)

「恢復する家族」(大江健三郎著)から。

上田先生は次のようにそれを文節化していられる。
(注byしば:東京大学医学部リハビリテヒション部の上田教授が分析した、事故により障害を負った方の心理変化)
<「ショック期」の無関心や離人症的な状態。
「否認期」の心理的な防衛反応として起こって来る、疾病・障害の否認。
ついで障害が完治することの不可能性を否定できなくなっての「混乱期」における、怒り・うらみ、また悲嘆と抑鬱。
しかし障害者は、自己の責任を自覚し、依存から脱却して、価値の転換をめざす。
この「解決への努力期」をへて、障害を自分の個性の一部として受けいれ、社会・家族のなかに役割をえて活動する「受容器」。>(P.46~47)

小説という言葉のモデルをつうじて考える時、「ショック期」、「否認期」、「混乱期」の、障害者とその家族が苦しみをともにして生きる過程の重要さということも、あらためて自覚されます。
これらの大きい苦しみの過程がなければ、確実な「受容期」もない、それがすなわち人間であることだ、といいたい思いもいだくのです。(P.47)


こういう人生の出来事を、どういう仕方で、プラス・マイナスと評価することができるだろう。
それはただ、このようにある、ということができるだけだ、と思う。
良かった、幸運だった、といえるだろうか?悪かった、不運だった、といえない(あるいは、決して、そういうつもりはない)ということは確か。
しかし、単純に前者だとも、決して定めることはできない、という思いはやはりあるのである。なにしろ困難は継続中なのだ。(P.185)

35年を越えて小説を書いてきながら、僕は自分らの生に、全体の評価としての意味をあたえることはできない、と感じている。(略)
しかもその人生の不思議は、まさに手のほどこしようのないほど多義的だとも、まだ完結しない小説家として、しみじみ思うわけなのだ。(P.186)



<過去の関連記事・カテゴリー>
*「認知症介護家族の心理変化
*カテゴリー「介護家族の心理変化
*カテゴリー「重度知的障害の兄のこと
*「障害者ときょうだいと認知症を患う人
*「障害者のきょうだいの抱える問題


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桜(ソメイヨシノ)
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認知症や障がいを受け入れること

「家族の認知症を受け入れることが、難しい/できない」
「子供の障がいを受け入れることが、難しい/できない」

最近、続けてそんな文章を読んだ。
受け入れるには、「自分自身の中にある偏見と差別に気付くことが大切」とも。

私は、この点で多くの人とは違っているということに気が付いた。
(注:障がいにも色々あるが、今は、知的障がいについて書く。)

障がいを持つ子供の親の多くは、障がいとは無縁の何十年間という人生があった。
私を含めて障がい者のきょうだい(厳密には妹弟)は、障がいと接点のない人生を知らない。
生まれた時から障がい児(者)の世界にいる。

知的障がいのある兄は、子供の私にとって常に普通の人だった。
優しい、大好きな兄だった。
(家族でなくても、幼い頃から身近に接すれば誰でもそうなると、昔、放送大学の教授から聞いた。)

けれども人はそう見ないということも、恐らく2~3才の頃からわかっていたと思う。
兄に普通の視線を向ける人は少ないし、普通に言葉をかける人は、もっと少ない。
公園や子供の遊び場に行くといじめられるので、兄と私は、いつも他の場所で遊んだ。
私たちは、いつでも、どこに行くのも一緒だった。

障がい者のきょうだいは、差別と偏見の対象にはなっても、その逆になる環境にいない。
同じ家族でも障がい児の親ときょうだいでは、障がいの捉え方が違うと思う。


このことは、両親の認知症を受け入れることも、接することも容易にしたのだろうと、今、思う。

言ってもそう簡単にはわかってもらえない家族と生活する。
予測不能な(他人が目をむくような)行動に出ることもある家族と一緒に外出する。
そういうことが、幼児の頃からの常だったせいか、私は、認知症とわかってからの母に対して怒りを感じたことがない。(認知症とわかるまでは「しっかりしてよ!」と怒りまくっていた。)

それはそれで、心のあり方としては、健全ではないだろうと思う。
けれども多くの人が苦しめられることに、私が、同じ意味で苦しめられることはなかったのだろうと思う。

良い悪いの問題ではない。
どう生まれ、どう育つかを選ぶことはできない。
病気もそうだ。
認知症になりたくて、なろうとしてなった人は、1人もいない。


(「障害」と書くか「障がい」と書くか迷った。ただ「害」という字に不快感や悲しみを感じる人がいるのなら使うべきではないのだろうと思う。過去の記事では、「障害」と書いている。)

*過去の記事「障がい者のきょうだいが抱える問題」は、こちら。
*「障がい者ときょうだいと認知症を患う人」は、こちらを。
*「認知症という言葉
*「”正常”と”異常”の間
<カテゴリ>
*「介護家族の心理変化・気持ち
*「認知症とは/ケア・介護など

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白木蓮(ハクモクレン)
十代の頃、木一杯に咲くこの花を「一斉に飛び立つ鳥みたい」
と言うと母は「あんたは、不思議こと言うねぇ」と笑っていた。








語ること聴くこと 家族の介護の問題

「臨床とことば」(河合隼雄・鷲田清一著)をおもしろく読んだ。
大部分は、臨床心理の河合氏と臨床哲学の鷲田氏の対談。
最後に鷲田氏(著書に「聴くことの力」他)が、書いている文章が、母とのコミュニケーションにもそのまま当てはまると思った。(引用は、以下の青字部分)
ここに書かれたことは、子供にも大人にも言葉を失いつつある認知症の人にも知的障害者にもそのまま通じる。
私たちは、何も変わらない。


   「臨床とことば」 鷲田清一

(略)じぶんが言ったことが承認されるかされないかは別にして、それでもじぶんのことを分かろうと相手がじぶんに関心をもちつづけていてくれることを相手のことばやふるまいのうちに確認できたとき、ひとは「分かってもらえた」と感じるのだろう。
理解できないからといってこの場から立ち去らないこと、それでもなんとか分かろうとすること、その姿勢が理解においてはいちばんたいせつなのだろう。(P.194)

じぶんの存在というものが他人のなかで何のポジティブな意味ももっていないということを思い知らされるのは、何歳になっても辛いことである。じぶんはいてもいなくてもどっちでもいい存在ということを思い知らされるのは。
生きる力というものは、じぶんの存在が他人のなかで意味があると感じるところから生まれる。(P.198)

(略)関心は強すぎてもいけない。「大きなお世話」になるからだ。相互性のすきまが詰まってしまうからだ。
家族による介護にはそういう詰まりがよく起こる。家族のなかでは、相手が漏らす一言一言に過剰に反応してしまう。(略)その(過剰な)意味づけが言外の傷のつけあいを招いてしまう。
そしてふたたび、ことばを呑み込むのがいちばんいいということになる。甘えが思いやりになり、思いやりがこんどは、ひどい仕打ちに、あるいは頑な防御に反転してしまうというのが、家族という関係だ。
相互性は生まれかけてもすぐに塞がってしまう。「分かっている」という一方の思い込みが、「わからない」という事態を許さぬことろがあり、「分からないであたりまえ」という他者どうしに、たがいがなかなかなりきれないからだ。(P.204)

聴くということはしかし、とてつもなくむずかしい
語りは語りを求めるひとの前ではこぼれ落ちてこないものだからである。語りはそれをじっくり待つひとの前でかろうじて開かれる。(P.206)
(略)じぶんがどんなこと言おうとも、そのままそれを受け入れてもらえるという確信、さらには語りだしたことで発生してしまうかもしれないさまざまの問題にも最後までつきあってもらえるという確信がなければ、ひとはじぶんのもつれた想いについて語りださないものだ。(P.207)


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母の幻視・妄想に対する父の戸惑い

母の認知症が進み、父が戸惑っている。
元々夫婦の会話が苦手で、「風呂に入れる」とか「ドライブに連れて行く」など、何かを「する」ことで気持ちを表していた。
それができなくなった今、父は、気持ちの表現の仕方がわからない。

父は、最近、よく電話してくるようになった。(一時期まったく電話してこなかった。)

「今日行ったらお母さん、機嫌悪くてなぁ!”嘘つき!”だの何だの、言いたい放題だ」
「で、一緒に怒るの?」
「あれだけギャーギャー言われりゃ、誰だって頭に来るぞ!」
「お父さんが怒れば怒る程、お母さんの症状も悪くなって行くよ。幻覚(幻視)も訳のわからない話(妄想)も言いたい放題(暴言)も。
優しくしてあげるしかないんだよ。何を言われても、優しく接して安心させてあげない限り、お母さんは、変わらないよ」
「お前、言うのは簡単だけどな、そんなこと、できんぞ!」
「お母さんは、病気なんだから、自分で努力して変えることは、もうできないんだよ。お父さんが変わる以外にないんだよ」
「わかってる!わかっててもできんこともあるんだ!」

まったく同じことを、去年から何十回目と言い続けている。
この先も、何十回でも何百回でも繰り返そう。

また別の日。
「お母さんなぁ、幻覚ひどいぞ!無茶苦茶言うぞ!薬で何とかならんのか?」
「何ともならないよ。抑肝散っていう漢方薬が効いた時もあったけど、もう効かないし。どうしようもないよ。言うことを否定しないで、安心させてあげるしかないよ。
今日は、どんなものが見えたの?」
「部屋の中が土砂降りで、○○(兄)がずぶ濡れで、風邪引いて死ぬって言うんだ!」
「お父さんは、何て言ったの?」
「”部屋の中に土砂降りが降る訳ないだろ。○○は○○(施設)に行ってる”って、いくら説明してもわからん」
「もうお母さんには、説明してもわからないよ。”じゃあ、○○を連れてく”って言って、一旦席を立って、ちょっとしたら”○○は、家に送ったからもう大丈夫だ”って言ってみたら?」
「そんなことできるか!目の前に立ってるって言うんだぞ!」
「そう言ってれば、お母さんは、安心するの。安心すれば落ち着いて、幻覚も少なくなるよ(これは出任せ。少なくなるかどうかはわからない。しかし幻視が原因の興奮は減るだろう。)」

「なぁ、あの医者、まじめに(治療を)やってるのか?薬でどうにかなるだろう?」
「ちゃんとやってるよ。薬ではどうにもならないよ。そういう病気なの。やたらに薬を飲ませると副作用で大変なことになる病気なの。お母さんには、薬が毒になるんだよ」
「なんとかならんのか・・・」
「怒らない。否定しない。説得しない。優しくして、安心させてあげて。それしかないから」
「そりゃ、一番難しいぞ・・。できんぞ・・」
「お母さんのために、頑張って」
「大変だな・・・。難しいぞ・・。そりゃ・・大変だぞ・・」

人に「頑張って」と言ったのは、何年ぶりだろう。
無理だとも思い、気の毒だとも思う。でも、そう言う以外ない。
母の症状が安定しないのは、父に寄るところも大きいと思う。
愛情はとても深くても、父には、認知症患者との接し方がわからない。
でもそれは、短気で不器用な多くの男性高齢者に共通しているのだろう。


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2m程の木にこんな形の実(1cm程)がいっぱい。
追記:「ぐみの実では?」のご指摘。
確かに限りなくぐみの実に似ています。
ただどの実も2つ付いているような形が変なんですよね。

母,寝たきり生活の始まりか

昨日(17日)仕事を終えて帰宅し、グループホームに電話する前にメールをチェックした。
母の状況が変わったというメールが妹から来ていた。

母は、腰を痛がるので、一日中ベッドで横になっている。
しかし表情も穏やかになり、笑顔も見せ、正常な会話もできたという。
ベッドの上で抵抗なく排便もした。

職員は、家族が承諾してくれるのなら、しばらくこうして安静を保つ方向で介護したいという。
寝ていれば痛みもあまりないようなので、病院の予約を早める必要もないという。
妹は、承諾した。

母「私は、調子の良い時と悪い時と波があるからねぇ」

妹は、1年以上に渡る治療を身近で見てきて、既に治療に対してほとんど何も期待していない。
(今の主治医は、レビーの症状がひどくなってから4人目。1人は転勤で変わった。)
ただ母の症状の波の上のサーフボードのように気持ちの上下を繰り返している。

父は、あやしげなサプリメントを買い与え、母が普通の生活に戻れることを固く信じている。
母の波が上がれば無邪気に大喜びし、下がれば、怒鳴ったり、生気を失ったりする。

私は、母の側に居て支えてやれない分、薬による症状の改善の道はないかと躍起になる。
300km離れた所で、「こんなに悪い、あんなに悪い」と聞かされては、『一緒に沈むものか』ともがき、状況を変える方法を探し求める。

遥か遠くから眺めてみれば、私たち3人は、似たようなものだ。
同じように母の波をかぶって、ずぶ濡れになっている。
そのまま座り込んでいようと、怒ろうと、対策を考えようと、大差はない。
海の波が止まることはない。
何をしてもしなくても、波はやってきて、また濡れる。

詳しいことは、27日に整形外科の主治医と話さなければわからないが、このまま安静にしていれば、母は、寝たきりになるだろう。
父と兄とドライブすることも、一緒に外食することも、自宅でくつろぐこともできなくなるだろう。
体を動かさなくなれば、全身のあらゆる機能が、低下していくだろう。
もう少し先だと思っていた嚥下障害、胃ろうの選択も遠くはないのかも知れない。


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セージ(白はあまり見ない)

tag : グループホーム

「今年はどんな年でした?」

「今年はどんな年でした?」と最近、ふいに知人から訊かれた。
しばらく言葉が、出なかった。
頭の中に、様々なシーンが、駆け巡った。
(死ぬ前に人生のたくさんの出来事が走馬灯のように流れるというが、似た感じか?)

それでも不幸な年だったとは、不思議と思わない。
実家に繰り返し通っている間には、学ぶこともたくさんあった。
ブログ等を通して思いがけない方々とも出会い、その方々から多くの貴重なことを教えて頂いた。
たくさんの方々に支えられた年だったと思う。
感謝の気持ちでいっぱいだ。

日常のなにげない小さなことに幸せを感じるようにもなった。
家族(夫や子供)のほんのちょっとした気使い。
家族揃って食卓を囲むこと。
家族みなが健康でいること。
そんなことに、深い、しみじみとした幸せを感じられるようになった。
『あれもない、これもない』と思ってきたが、今は、『何にもなくていいや』と思う。
何にもなくても、お互いを思いやることのできる家族、友人がいれば、それでいい。
彼らと一緒に過ごせる時間を慈しみたい。

歩けること、一人でトイレに行けること、料理が作れること・・。
1つ1つが、幸せなことだと思う。凄いことだと思う。
いつか私にもそれができなくなる日が来る。
その日以降をしっかり生きていくために、その日までをていねいに生きたい。

認知症という両親の病気は、離れていた家族(自分が育んだ家族ではなく、自分を育ててくれた家族)を強力に結びつけた。
もちろん色々な考えや感情が、直球でぶつかり合うので(義理の親兄弟ではないので、ある種の遠慮はない。)傷付け合うことも当然ある。
でもそうしたことすべてを込みにして、私たちは、一緒に暮らしていた頃よりも強く繋がっていると思う。
お互いを必要とし、助け合い、感謝し合っている。
弱いからこそ。非力だからこそ。

何が良くて、何が悪くて、何が幸せで、何が不幸かなんて、本当にわからないものなんだなと、あらためて思う。





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しば

夢 回復 夫

久しぶりに恐い夢を見た。

  45度に傾けた介護ベッドのようなものに母を座らせる。
  その横に父も寄り添う。
  2人は服を着ているが、このまま風呂に入るところ。
  2人とも嬉しそう。
  「ゆっくり入ってね」と声を掛けて、私は、お湯のスイッチを押す。
  お湯がどんどん湧き出してくる。
  私は、そこを離れる。
  しばらくして様子を見に行くと、2人ともお湯の中に沈んでいる。
  私は、慌てて2人をお湯から引き上げる。
  でも2人とももう息がない。
  私は、立ち尽くして泣いている。
  夫を呼んで叫んでいる。
  でも夫は来ない。誰も来ない。

母の病状が急変した春には、毎晩悪夢を見た。
一番大変だった8月頃には、夢をまったく見なくなった。
その頃、体重は4キロ減ったが、最近、また戻ってきた。

春から読めなくなっていた小説も読めるようになった。
(認知症の本以外、集中して読むことができなくなった。)
映画やドラマも見られるようになった。
(時間はあったのだが、落ち付いて何かを見る心の余裕がなかった。)
花を見ながら、散歩もできるようになった。
8ヶ月ぶりだ。
母を自宅介護しながら、入所できる施設を探し回った日々が、遠い夢のように思える。
(左下、「カテゴリ」の「帰省時の私の介護」の中にある。)

私が、何度も実家に帰るようになってから、料理にまったく興味を示さなかった夫が
「ナスは、何分蒸すの?炊き込みご飯って、何を入れるの?」
などと訊くようになった。
「炊き込みご飯に決まりはないよ。何を入れてもいいんだよ」
と答えると
「じゃあ、魚もいいの?」
と訊く。新鮮な発想。夫と話していると創作料理が色々作れそうだ。
(しばらく遠ざかっていたが、私は、新しい料理を作ることも好きだ。)

夫は、私が、何回実家に帰っても嫌な顔をしない。
「介護離婚」という言葉もあるのに・・。
感謝している。

夫は、私が、不調になっても好調になっても一喜一憂することなく淡々としている。
今、振り返れば、それが良かったのだと思う。

介護の道は、長い。
いずれ再び、(今度はピック病の父のことで)困難な時期が来るだろう。
今は、しばし休憩。




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しば

認知症介護家族の心理の変化

「認知症の人への対応がよくわかるQ&Aブック 認知症なんでも相談室」(三宅貴夫著)の51ページに書かれていた介護家族の心理の変化。
これを読んだ時、もっと早く知っていれば、もう少し心にゆとりが持てたのではないかと思った。
第1段階、第2段階にある時には、その先に希望があるということが想像できなかった。
不安が消えることはないけれども、今、私は、そこを通り過ぎ、随分楽になった。
(ピック病の父に振り回されることになるのは、もう少し先のことだろう。)

また家族の気持ちとして9つの感情が紹介されていた。(56、57ページ)
これらも知っていれば、そう思う(感じる)のは、自分だけではないのだと知り、楽になると思う。
本では、家族の会の集いなどに参加し、同じ経験を持つ家族と語り合うことを勧めている。

<家族の気持ち>

落胆 (診断後)
期待 (誤診ではないか、治るのではないか)
悲嘆 (変わってしまった姿を見る辛さ)
不安 (先の見通しは立たず、負担は増していく)
怒り (なぜ私をこんなに困らせるのか)
孤立感(誰も理解してくれない。誰も助けてくれない)
自責 (悪くなったのは自分の介護の仕方が悪いから)
後悔 (施設に入れたこと)
喜び (家族の介護の工夫で認知症の人の表情が和らいだり、話が通じるようになったり
    介護の努力が報われたと感じる)。

<認知症介護家族の心理の変化>

Step1 まさかそんなはずはない、どうしよう。

    驚愕・戸惑い おかしい行動に少しづつ気付き始め、驚き、戸惑う。
     
    否定     周囲になかなか理解してもらえない。家族自身も病気だという
           ことを納得できないでいる。

Step2 ゆとりなく追い詰められる。情報を手当たり次第探し始める。
    
    混乱     認知症の人を拒絶しようとする。そんな自分が嫌になる。
           認知症症状に振り回され、心身とも疲労困憊(こんぱい)する。
           やってもやっても介護が空回りする。  
    怒り・拒絶・抑うつ
           『自分だけがなぜ?』『こんなに頑張っているのに』と
           苦労しても理解されないことを腹立たしく思う。   

Step3 なるようにしかならない

    あきらめ   怒ったり、イライラしても仕方がないと気付く。
           介護保険サービスを使うなどして生活を立て直し始める。
  
    開き直り   なるようにしかならないと開き直る。
           自らをよくやっていると認められるようになる。
  
    適応     認知症の人をありのままに受け入れた対応ができるようになる。
           介護に前向きになる。

Step4 認知症の人の世界を認めることができる。

    理解     認知症症状を問題ととらえなくなり、
           認知症の人に対する愛しさが増してくる。
           

Step5 受容     介護の経験を自分の人生において意味のあるものとして位置
           づけていく。

(出典 杉山孝博著「杉山孝博Dr.の認知症の理解と援助」を一部改変)

<カテゴリ>
*「介護家族の心理変化・気持ち
*「認知症とは/ケア・介護など

悲しみの詩 救われる言葉

11月7日(平成22年)の日経新聞の文化欄に皆川博子(直木賞作家)の「風」というエッセイがあった。
生死について書かれたものだが、ひどく心に染みたので、ここで紹介したい。

これは皆川博子の童話作家の友人が夫を亡くし、医師に勧められて書いたという詩。

わたしのくらし

<七歳と七七歳と>
あなたは七歳のとき
かあさまを亡くされた
わたしは七七歳のいま
あなたを亡くした

七歳のあなたのかなしみは
どんなでしたろう
七七歳のわたしは
二つのかなしみが重なりあって
涙をながすのです

<ひとりごと>
ずい分
おしゃべりになりました

それから すっかり
無口になりました

<孤独>
厚着をしても
暖房をしても
冷たい風が
臓器と臓器のすき間を
ふいているのです


私は、ごく短い間だが、特別養護老人ホームで働いたことがある。様々な種類の認知症の方々が、どんな風に進行していって、どんな末期を迎えるのか、少しだけ垣間見た。
母の症状の進行を知ってから、当時見た方々をまざまざと思い出して、胸がふさがる。
「臓器と臓器のすき間をふく冷たい風」を感じる。言葉を失う。
でも悲しい時には、悲しい絵や音楽や文章が、それを癒すのを知っている。この詩は、多くの人を癒すだろう。

以下の一文も深く印象に残った。

カトリックの作家が著した小説に、老いて視力、体力などが衰え、失われてゆくのは、「1つ1つ、神様にお返ししているのです」という一節があった。

私は、何の信者でもないけれど「引きはがされ、奪い取られていく」と感じていたものも「初めからなかった。一時期預けられたものを、今、少しづつ返している」と思うと、少し救われる気がする。
父のことも、母のことも。そして自分自身のことも。

私も更年期(45~55才)の影響を最近ひしひしと感じる。目も耳も頭もすっかり悪くなり、体力もがくりと落ちたと実感する。(耳は、母方が代々早くから難聴になり始めた。)
でもこれも抗(あらが)えないこと。受け入れていく過程で学ぶこともあるだろう。




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10月2日に帰宅しました

夕方、帰宅しました。
今回の帰省で、ずいぶん気持ちが楽になりました。
色々な問題は、まだまだ山積みでそのままあるのですが、気の持ち方を変えるというのか、考え方を変えるというのか・・そんな風に、楽になりました。

介護はマラソンなのに、母の自宅介護を手伝い始めた夏から、私は、百メートル走のように走り続けて来たなぁと思いました。実際、既に息切れしていました。
そうせざるを得なかったということもありますが、百メートル走の走り方では、誰だって遠くまでは走れません。
私のしてきたことは、ダメな例として、反面教師にして頂けると嬉しいです。

親の認知症、問題行動(周辺症状)、自宅介護、施設入所・・。
深刻になろうと思えば、どこまででも深刻になります。底なし沼のようです。
でも新しい医師に言われて気が付きました。
深刻になるのは止めましょう。笑いましょう。
深刻になっても、深刻になるのを止めても、変わりはないんです。
それどころか、深刻になればなるほど自分は追い詰められていきます。良いことはありません。
悲観するのは止めましょう。能天気にいきましょう。まだまだ先は長いのですから・・。

P1000209.jpg
プロフィール

<しば>

Author:<しば>
私は認知症について希望を持てる情報を集め、共有している一介護家族です。医療・福祉の従事者ではありません。

特定の医師・治療法等へのこだわり、信仰する宗教はありません。
認知症に関連するビジネスもしていません。
掲載する情報は正確・公正であるよう努めています。

このブログ内の記事は、出典さえ書いて頂ければ、自由にコピーして資料等として使って頂いて構いません。リンクもご自由に。

’13年5月から「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」(全国に広がる家族会)公式サイトに「しば記者デスク」「体験記」というコーナーを頂き記事を連載中。(こちらの記事は会に著作権があります。)

ツイッター:しば@703shiba

*レビー小体型認知症の症状やチェック方法は、カテゴリの一番上「症状チェック」を。


母 '05パーキンソン病と診断。’10.3月要支援2→要介護4へ激変。5月レビーと診断。2度の転倒骨折入院の後、自宅介護が困難に。8月末グループホーム入所。’11年3月に圧迫骨折で寝たきりに。7月特養入所・要介護5に認定。'12年要介護4に回復。’14年なぜか要介護5になるが穏やかで普通に会話が可能。
S13(1938)年生まれ。

父 ’10年9月ピック病(前頭側頭型認知症)と診断。
昭和2桁生まれ。

私 ’60年代生の女性。300km離れた所に住む。日々の介護はきょうだいに頼り’10年から月1回、’12年から1〜2ヶ月に1回帰省。

好きなこと:読むこと・書くこと・草花の写真を撮ること等々。

*記事に付けた花の写真は私が撮影したものです。

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